花の姫君と狂犬王女

化野 雫

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プロローグ(その2)

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 腰を落とし、大きく足を広げ、両手でしっかりと銃を持った男は引き金を引いた。

 闇をつん裂く轟音と共に、銃のバレルが後ろへスライドし、空薬きょうを排出しながら、圧倒的な反動で重い銃が重力の鎖を振り切り軽々と頭上まで跳ね上がった。

 一瞬、頭に二本の角を持つ異形のモノの態勢が何かに弾かれる様にブレた。

 男はこのまま、この異形のモノは地面に崩れ落ちると確信していた。

 しかし、全身に青く光る刺青を持ったその異形のモノは、一瞬、体を揺らしただけで、何事もなかった様にまたこちらへゆっくり近づき始めた。

 男の顔に恐怖の影が浮かんだ。

 50口径マグナム弾を受けても倒れないばかりか、平気で近づいてくるその異形のモノ。それはまさにこの世のモノならざる『鬼』そのものだった。

「死ね! 死ね! 化け物!」

 男は半狂乱になってそう叫ぶと、その異形の鬼に向かって続けざまに引き金を引き続けた。

 そして、発射された残り6発すべてが異形の鬼に命中した。

 しかし、その都度、異形の鬼は少しだけその体をブレさせるだけで、決して崩れ落ちる事は決してなかった。

 やがて、男が持つ銃はバレルが解放されたままで停止し、その引き金が引かれてもカチカチとむなしく金属音が鳴るだけになった。

 男の顔に浮かんでいた恐怖の表情が、ゆっくりと絶望の色へと変わって行く。

 ブンッ!

 一瞬、低く小さな音が、その異形の鬼から聞こえたような気がした。

 その頭部の人間なら眼球がある部分が二か所、赤い光を灯した。

 それと同時に、その異形の鬼は異様な速さで男たちの方へと走り出していた。



 岸壁に打ち付ける波の音だけが響く静かな夜の静寂が辺りを覆っていた。

 今の女は誰にもおもちゃにされる事もなく、拘束もされれていない。だから女は、逃げようと思えばミニバンのスライドドアを引き開けいつでも逃げ出せた。

 しかし、その光景を見ていた彼女にはそれが出来なかった。ただ、がたがたとその身を細かく震わせ、自身の膝を抱き締め、シートに丸くなって座っているだけだった。

 ミニバンの手前の路上には、女を婚約者の目の前で拉致し、車内で散々おもちゃにし、さらにはその様子をビデオに録画までしていた街の屑ともいえる男たちが身動き一つせず倒れていた。もちろん、あの大型拳銃の『デザートイーグル』を持っていた男も例外ではない。

 そして男たちの脇には、彼らが手にしていたであろう鋼鉄の鉄パイプがまるでゴムホースの様に丸められ落ちていた。あの桁違いの破壊力を持つ銃弾を撃ち出すデザートイーグルですら溶鉱炉の熱で融かしたかの様に、異様な形に歪んで落ちている。

 そこから、その異形のモノがゆっくり女が乗るミニバンに近づいて来ていた。

 やがて、倉庫の入り口を照らす小さな証明にその姿が照らし出された。

 頭部を一周し、耳を……それはもしそこに耳があるのならば……覆うヘッドセットから降りた濃いバイザー越しに光っていた赤い瞳の様な物は消えていた。バイザーの下にもフェイスガードの様な物あって、その下に人の顔があるのか、あるいはこれ自体が顔であるロボットなのかは分からない。

 首から下にある白銀のスレンダーなボディーには、ぼんやりと光を灯す青い刺青の様な幾何学模様が全身に走っていた。胴体の部分だけは、まるで女性の競泳用水着を着た様に濃いガンメタルの色合いになっている。

 月明かりを反射してきらきらと輝く頭部から伸びる白銀の長い髪と、手足が長くやや丸みを帯び曲線を描くその体は、見る物に女性的な印象を与えるかもしれない。

 しかしその前に頭部の左右から伸びる二本の角の様な物の存在が、間違いなくこの異形の存在を『鬼』と認識させる。


「鬼……鬼が来る……誰か助けて……」

 その異形の鬼が自身の乗るミニバンのすぐ脇まで来た時、女は恐怖に震えながらそう呟き、頭を守る様に抱え込んだ。女はまるで大きな一個の卵の様に丸くなってシートの上に転がっていた。

 自身を散々おもちゃにしていた男たちを叩きのめしてくれた相手なのに、女が怯えるのも無理はない。

 まさに瞬殺だったのだ。

 男たちとその鬼が会した瞬間、すべてが終わっていたのだ。

 そして鬼は、相手に攻撃はおろか抵抗する暇すら与えなかった。

 すれ違うと、男たちの体は道の脇まで吹っ飛び動かなくなった。

 それは何の躊躇もなく、ただ決まりきったルーティーンの様な機械的な動きだった。


 近付いてくる足音がすぐ傍で止まり、ミニバンのスライドドアが開く音が聞こえた。

 女はより一層、体を固くした。

「助けて……お願い、助けて……」

 女はほとんど無意識の内に、まるで呪文の様に同じ言葉を力なく呟き続けていた。

「君の連れ合いは無事だ。
 今は先に病院へ運ばれている。
 安心してもう少しだけここで待っているが良い。
 すぐに助けが来る」

 ノイズが混じった抑揚のない合成音声がした。

「えっ……」

 女はその声に驚いて顔を上げた。

 そこには鬼の角の様な物が生えたヘッドセットと一体化した仮面の様な顔がすぐ近くにあった。鬼は道路にひざまずき、こちらを見ていた。

「君はここでは何も見ていない。
 良いね?」

 女は、濃いバイザー越しに自分をじっと見つめる人間の瞳の様な物が見えた気がした。その瞳を見た途端、今まであった恐怖は一瞬で消え、安心感がじんわりと沸いて来た。濃いバイザー越し故、見えたかどうかさえはっきりしなかったが、その女には、その瞳に殺意や敵意などはない様に思えた。

 女はその鬼を見てゆっくりと頷いた。


 女が頷くのを確認すると、鬼はすくっと立ち上がった。そして、そのまま身をかがめると、音もなく倉庫街の屋根よりも高く飛び上がった。

 女が慌てて車外に出て目で追うと、鬼は月明かりに光る白銀の髪をまるで彗星の尾の様にたなびかせてながら、倉庫街を一気に飛び越えて姿を消した。
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