花の姫君と狂犬王女

化野 雫

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第10話 ラマナス海洋国家史(6)

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 王妃の体は一瞬にして原形をまったく留めぬ程バラバラになった。後の行われた葬儀でもその棺は終始開けられることはなかった。その棺の中には王宮に残されていた王妃の冠が入れられていただけで中身は空っぽだったと伝えられている。

 ただ、母としての本能がそうしたのであろう。咄嗟に王妃が静をシートの上に伏せさせ、その上に自身の体を覆いかぶせる様にしていた為に、奇跡的に静は一命を取り留めた。

 一命を取り留めたとは言え静もまた生きているのが不思議な程の酷い状態であった。正直、最初に静を診た医者は父であるフレデリックに対して安楽死を進言した程だった。今は心臓がかろうじて動いているが、まず助からないと誰もが思っていた。例え奇跡的に生きながられたとしても人間としてまともな生活を送れる事はまずないだろうと言われた。

 世界最高と言われるラマナスの英知のすべてが結集して静の治療が行われた。そして奇跡は起こった。まだ幼さの残る静は度重なる手術と過酷なリハビリに耐え驚異の回復を見せた。一年後、静は杖を使いたどたどしい足取りではあったが、自らの足で立って国民の前に再び姿を現した。ラマナスの国民のみならず世界中の人々が静の回復を祝福した。

 ただ、その静は事件の起こる前のあの美しい姫君ではなくなっていた。長袖とロングドレスに隠されその身体の状態は分からなかったが、治療の為に短くカットされた黒髪はその悲惨な状態の顔を否応なく晒していた。『花の姫君』とうたわれ美しかったその顔の左半分は、醜い火傷と縫い傷で二目と見られる姿となっていた。そしてその外見だけでなく、たった一人の母親を理不尽に奪われ、自身の体だけでなく心にまで刻まれた筆舌に尽くしがたい文字通り生き地獄の様な苦しみは、優しかった姫君の心も冷たく凍り付かせてしまっていた。

 復学した静は、成績こそ以前のまま優秀ではあったが徐々に素行に乱れが出始めた。学校など他人の目に見える場所で静の素行の乱れが露見し始める前に、王宮ではすでにかなりの問題行動を頻繁に起こしていたと言う。

 その原因となったのが、静が一年間の苦しいリハビリを終え復学した時に実の父親であるラマナス海洋王国国王フレデリック=ラマナスが再婚した事だった。

 再婚相手はラマナスでも有名な名家であるハインミュラー家の次女マリア=ハインミュラーだった。マリアはかなりの美貌の持ち主でその筋ではかなりの有名人だった。ただ本人は至って穏やかな性格で話が持ち上がった時も、亡くなった前妃の忍と一人生き残った静をおもんばかり固く申し出を固辞したと言う。

 しかし、王女があの様な姿となると王一人のままでは色々外交上も不都合があるとの意見が強くラマナス王の再婚話は当初の予定通り進められた。一年の喪が明けた上にマリアの美貌もあり国民も心からその再婚を祝福した。当初、マリアの穏やかな性格もあり、この再婚は心と体に深い傷を負った静の為にもなると誰もが思った。

 しかし、王の周囲のみならず国民の多くが祝福したこの再婚に静一人が強く反発した。そして、一年後、フレデリックとマリアの間に第二王女となるカタリナが生まれるとそれは決定的となった。静は人前でもマリアの事を『父をたぶらかした泥棒猫』と公然と罵る様になった。

 そして、リハビリの為に一年遅れの13歳で中学に上がった時には静の素行の悪さは確定的な物となっていた。

 復学当時は、まだ杖を手放せない状態で体の十分には自由も効かない為、表だっての問題行動は少なかった。しかし、この時期にはリハビリの成果もあって静は、普通の生徒、いや場合によってはそれ以上に身体能力に回復していた。それがまたあだとなった。

 静は、王女と言う特権を思うがままに使い学校でも勝手気ままに振舞った。さらには、どこの学校にも必ず居るドロップアウトした連中までも従え、街で有名な不良学生集団の女王のごとく振舞っていた。話によると、不良たちの場合、単純に彼女の特権に群がった者もいたが、中には喧嘩の勝敗によって彼女に服従した連中も多かったと言う。そう、男の不良集団相手に静はたった一人でも喧嘩して勝利していたのだ。この国の王女にして、喧嘩も強いとなれば、不良たちですら静に従う様になるのは当たり前と言えば当たり前だった。いや、むしろ、そう言う連中だからこそ、そんな破天荒な静に従ったのかもしれない。また、普通なら女性としては決定的なマイナス点である彼女の特異な容姿も、そう言う場合は逆に相手に恐れを抱かせる特徴的な彼女のトレードマークになっていた。

 静が高校に上がる頃には、少なくともエドワード島内では、静の事を知らぬ者は居なくなった。この頃には、かつて静がまだ美しかったころに持っていた『ラマナスに咲く花の姫君』と言う二つ名は完全に過去のものとなっていた。そして、不良集団内での彼女の通り名だった『ラマナスの狂犬王女マッドドックプリンセス』の名を一般国民までも陰で口にする様になっていた。そんな静とは逆に、日々素直に可愛らしく成長して行く異母妹のカタリナの方を人々は、かつて静が呼ばれていた『ラマナスに咲く花の姫君』の名で呼ばれる様になっていった。

 素行の悪さは目に余る物があった静だが、学校での成績は常に全教科学年トップだった。その上、彼女自身が持つあまりに過酷で悲し過ぎるほどの過去の為に、国民の多くが彼女の事を見て見ぬふりをしていた。実際には、静の過去の事だけでなく、静が街の不良達を束ねる様になってからは一般人への迷惑行為などの被害が目に見えるほど減った事もあった。彼らは、縄張りとする特定の場所などでは勝手気まましていたが、一般人には手を出さなくなっていたのだ。それはまるで昔の日本にあった統率のとれた任侠集団の様なものだと言う人も居た。

 しかし、それも静が20歳になり大学を出るまでだった。20歳になっても依然、素行の悪さが治らないだけでなく、相変わらず義理の母でもあるマリアと腹違いの妹であるカタリナを目の敵にして人前でも公然と罵っていた。その態度は、さすがに実父であるフレデリックでも我慢ならぬものがあったのだろう。

 ついに静は20歳の誕生日に、ラマナス海洋王国国王『フレデリック=ラマナス』から公に『王位継承権の剥奪』を宣言されてしまった。これは事実上、第一王女の廃位宣言であり、この宣言によりカタリナが『第一王位継承権』を得て事実上の『第一王女』の立場になった。

 この事で、静と、父フレデリック、義母マリア、それに腹違いの妹であるカタリナとの仲は完全に修復不可能な状態になった。かろうじて、王族として最低限の特権と王宮に住む事だけは許された静だったが、王宮内でも父親たち三人とはまるで他人の様な態度で接していた。そして、相変わらず街ではいかがわしい連中と付き合い、やりたい放題を続けた。

 そして、その異常な状態は今現在2070年、静が29歳、カタリナが17歳になったこの日まで続いていた。
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