花の姫君と狂犬王女

化野 雫

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第32話 空から舞い降りる戦乙女

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 今、カタリナが見上げる星空の先、周りの星々とは明らかに違う輝きを放つ物が見えていた。それは少しづつ、しかし確実にその輪郭をはっきり、そして大きくしている。

「姉さん……なんて美しい……」

 カタリナの目には、翼を広げこちらに舞い降りて来る静の姿が月明かりを浴びてかなりはっきりと見えていた。いや、月明かりだけではない。その背中から広がった翼自体が光り輝きその姿を漆黒の夜空に浮かび上がらせているのだ。

 カタリナは最初、その鬼の姿を見た時、恐れを感じた。

 のっぺりとした仮面に隠され見えない表情。全身を覆う青く光る幾何学模様の刺青と金属の様なメタリックに輝くその体。何よりそれを『鬼』と誰もに感じさせる頭から生えた二本の長い角。その全てが見る者に『この世のモノならざるモノ』として恐れを感じさせるに十分すぎる物だった。

 その後、その鬼に救われ、その正体が静である事を知った。それでそれが何者であるかが分からぬ恐怖はなくなったが、それでもどことなく不安感の様な物がぬぐい切れなかった。まだ、自身が慣れ親しんだその素顔を晒している時は良いが、あののっぺりとした仮面をつけている時は特にだった。

 しかし、今、夜空から光の翼を広げて舞い降りるその姿には今までの様な恐怖心はない。いや正確に言えば、畏れの感情はある。しかしそれは『恐れ』ではない『畏れ』なのだ。その姿はあまりに神々しく美しい。まるで天使が空から舞い降りて来る様に見える。それは人知の及ばぬ存在に対する畏怖の感覚だった。

 もはやそれは『鬼』ではない。『天使』だ。いや、あの戦い方、あの力を見た今ははっきりと言える。それは北欧神話に語られる『戦乙女ヴァルキリー』と言うべきだとカタリナは夜空を見上げながら思った。

「何が『魔女サイレン』よ、姉さん。
 今のあなたは紛うことなき『戦乙女』じゃないの……」

 カタリナは思わずそう呟いた。

「事情を知っている者は皆、そう言ったのですよ。
 でも静様はご自身の事を……
 『私はそんな神々しい物じゃない。
  私は人の道を外れた存在してはいけない物。
  そう今の私は忌み嫌われる『魔女』であるべきなのだ』
 ……と仰ってあのお姿を『魔女サイレン』と呼ばせたのです。
 でもそう言った静様は当時まだ中学生になったばかりでした」

 その呟きに、同じ様に夜空を見上げながらカタリナが感慨深げに答えた。

「僕もあの姿の姐御は『戦乙女』と呼びたいんだけどね。
 どうせ姿も自由に変えられるんだから、
 それこそ戦乙女と聞いて誰もが想像するあの姿で居れば良いのにってね」

 マックスも夜空を見上げながらそう笑いながら言った。

「まったく、あなたと言う人は。
 誰もがあなたみたいにアニメファンじゃないんですからね。
 それじゃアニメファンのコスプレみたいでしょ」

 マックスの言葉に、すぐさまクローディアが突っ込みを入れた。

「でも絶対に今の姿より似合ってると思うんだよねぇ。
 ロングスカートのスリットから覗く綺麗な素足なんて、
 男心をわし掴みでファンクラブが出来そうだよ」

 それでもマックスはまだ残念そうな顔でそう呟いた。

「それはあなたの個人的で特殊な性癖でしょ」

 するとクローディアは呆れ顔でそう言った後、とても小さな声でそっと呟いたのをカタリナは聞き逃さなかった。

「そんなにそれが良いなら、私が着てあげるから用意して来なさい」

 そんな二人の会話を聞いていると、やはりこの二人は密かに付き合っているのではないかと言う思いがカタリナの胸に沸いて来た。いや、最後のクローディアの呟きからすればそれは確信に近い物になっていた。この事件が終わったら、その事をクローディアに問い詰めてやろうとカタリナは心に誓った。


 そんな中でも静の姿は急速に大きくなっていた。それは、背中の翼を広げてもまだかなりの速度で降下している事を表している。

 みるみる大きくなる静の姿は、すでにカタリナ達のかなり近くまで降りて来ていた。

 今まで垂直に降下していた静が、今はスキージャンプ台の様なスロープを描きながらやや離れた位置からこちらへ向かって来ていた。今までは落下に近い降下だったが、今の静は滑空と言う方が正しいだろう。

 しかし、それでもその速度は進行方向が垂直方向から水平方向に変わって来ただけでかなり高い事には変わりはなかった。あの速度で垂直離着陸機専用のこのヘリポートに着地するのは至難技だとカタリナは思った。いや至難の業と言うより無理難題と言う方が正しそうだった。

「姉さん……」

「大丈夫ですよ、姫様」

 一度は安心しながらやはりまた心配になり思わずそう呟いたカタリナにクローディアが優しく微笑みながら言った。隣でマックスはまるで何かのショーを見ているか様に鼻歌を歌いながらその光景を楽しんでいた。

 それを見て、この二人は自分よりはるかに静の事を理解し信頼しているのだとカタリナは思い知らされた。静は例え腹違いの姉とは言え間違いなく血の繋がった姉なのだ。それなのに表面上の事だけに囚われて静の本心を理解しようとしなかった自分。静の過去を知っているなら自分さえその気になれば、この二人と同じ様に静の本心や本当の姿を知る機会はもっと早くにあったはずだ。自身の頑なすぎる正義感や潔癖症が姉との距離を縮める障害になっていた。『水清くして魚住まず』そんな日本のことわざをカタリナはこの時ふと思い出した。同時に自身の口元に自虐的な笑みが浮かぶのが分かった。

「私はあの人の事、本当は何も知らなかった……」

 同時にカタリナはそう呟いていた。

「大丈夫です、姫様。今から知れば良いのです。
 それ知るには決して遅すぎると言う事はないのですよ」

 カタリナの呟きにこちらへ向かって滑空する静を目で追いながらクローディアがそっと言った。


 こちらへ一直線に、しかもかなりの速度を保ったまま滑空してくる静の姿がみるみる大きくなる。そして、もう間もなくこちらに到着すると思われたその瞬間、静の姿が三人の視線から一瞬消えた。

 そう三人が思っていた軌道よりも静がたどった軌道が下方へずれていたのだ。あのままなら確実にホテルの壁面に衝突する。三人は思わずヘリポートの端まで行こうと駆け出していた。

 その時だった。

 彼らの前方、星空を写す様な漆黒の海を背景に静の姿がゆっくり浮き上がって来た。そして、そのまま、背中の翼をはためかせると、まるで鳥が着地をする様にふわりと彼らの目の前に降り立った。ヘリポートに降り立つと同時に、静の背中から生えていた光の翼はかき消すようにその姿を消した。
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