因習島〜潮の記憶 黒鳥島〜選び直すことは、もうできない。

加茂茶 芽衣

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2 セピア色の残像

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「すみませ━ん……、ごめんください。」

玄関の年季の入った赤い大きな提灯の間を潜り、進んだ先に出迎えたのは、50代半ばくらいのまだ生き生きとした血色漂う物腰の柔らかい熟年の女将だった。光琉の軽い会釈に、女将は幾分艶の含んだほほ笑みで返した。

「いらっしゃいませ。」

女将に促されるまま、歩く廊下は板張りの上に赤い絨毯が敷かれていた。

「この旅館は、……たいしたものは出せませんが、露天風呂が名物で……季節になると、常連客がたくさん泊まりにくるんですよ。」

女将に誘われるままに、案内された2階の松の間に入り、光琉はスリッパに履き替える。

「たくさん……ということは、……今は閑散期なんですね?」

光琉は、閑散とした旅館の中の様子を思い返す。フロントには、人がおらず、何度か呼び鈴を押して漸く奥から主人らしき人が面倒臭そうに出てきたくらいだ。目の奥が若干黒く濁って見えたのは、あのバブル崩壊後の老舗旅館としての苦労のせいだろうか。多くのホテル旅館業は潰れ、生き残った所も大分切り売りしたと聞く。ここも例外ではないのだろう。

遠目からは小綺麗に見えた旅館も、実際中に入ってみると、壁のシミやひび割れといった綻びが目立つ。そして何よりも老舗らしい、湿った、饐えた匂いが鼻についた。

「この島は、いくらかリゾート開発で人の入れ替わりが激しくなったと言っても、土着の風習は、まだまだ根深く残っているんですよ。11月の『祭り』の時期なんて……、あっ、ごめんなさい……、若い方はあまり興味ありませんわよね……、」

「あっ、いえ、僕は、……たまたま見たYouTubeに上がっていた島の様子が気に入って……」

「まあ、今の方は違いますわね。いまお茶を用意しますわね。」と言いながら、ちらっと見えた女将の両目には、何かを警戒するような湿っぽい爬虫類のような目色が窺えた。

「その……、土着の風習とか因習とかに興味があって、全国を回って歩いているんです。」

「あら、もしかしてインフルエンサーとか何かですか?」 

「いえ、ただの趣味ですよ。僕の亡くなった祖父も以前ここに訪れたみたいで……、それで興味が湧いて……」

光琉は大事にしまっている写真を懐から出し女将に見せた。小高い丘の上から海を背後に2人で並んでいるセピア色の色褪せた写真だった。

「この右側が祖父なんです。裏面には11月11日と。」

「11月……?手に取ってもいいですか……」

「これは、祖母が持っていたものです。日付と黒鳥島と祖父の殴り書きで書いてありまして……、それで、一度訪れてみたいと思っていたんです。」

女将は写真を手に取り、じっと見つめていたが、突然弾かれたように目を伏せ、さっと写真を裏返して光琉に突き返した。

「ごめんなさい、私は……よく知りませんわ……」

幾分奥歯に物が挟まったような言い方で、光琉はそのとき妙な違和感を覚えた。

女将の襟元から軽い潮の香りが漂い、光琉の肌を掠める。肌が粟立つような感覚。そのときの女将の目が、何かを隠したいような曇った硝子のようにみえた。

「なにか、聞きたいことがあれば、『桂木さん』をお尋ねになってくださいな。桂木家はここ、島一帯の所有者なんですのよ。」



女将の去った部屋は、急に色が抜けたようで肌寒く感じられた。

セピア色の写真のように、目の前がぼやけていくようで、必死に残った色彩を探すように手の甲に爪を立てた。

「……なっ、ない」

バッグの底に入れたはずのクスリが見つからない。手のひらに脂汗が滲み、指先に若干の震えが走る。

「まただ。どこだ、早く……」

底にへばりつき、なかなか離れようとしないバッタのように、指先から逃げる錠剤シートをようやく摘み出し、震える手でシートを破る。口に放り込むと、苦味が広がり、間もなく夕立後の街並みのような静寂が脳内に訪れた。

光琉は大きく息を吐き、女将が淹れてくれたぬるいお茶でそれを流し込んだ。

落ち着きを取り戻すと、カバンからカモミールティーのティーバッグを取り出し、カップに入れる。

お湯を入れた瞬間に立ち込めるほんわかとした林檎の香りに、祖母の面影を感じた。


「これで、しばらくは大丈夫だ。」

視界が明瞭さを取り戻すと、部屋環境が気になりだした。山を眺望できる大きな窓と、その前には、2人で向き合って座れるくらいのテーブルセットが置いてある。そして、そこを隔てる衝立の隣には最新式の液晶テレビ。

よくテレビで見かける古き良き旅館の佇まいだ。

だが、ふと視線を部屋の隅に向けると、ひっそりと影のように置かれた古い鏡台が鎮座していた。

壁に張り付くように置かれた、古い三鏡台。

黒漆塗りの台座が、なにかを主張しているかのようだった。


「なんで、こんなものが?……意外と骨董品か……」

引き寄せられるように鏡台の下の引き出しに、手をかける。湿気で膨らむ木戸を開けると、その奥には1枚の古紙が隠されるようにひっそりと入っていた。

古い万年筆で几帳面に書かれた達筆、だが送り主の確固たる意志が窺える力強い文字だった。



‘’角田美枝子さま

君がこの名前を忘れていても、島は忘れていない。 三十年ぶりに、祭りが始まる。 外の者は歓迎されない。けれど、君は外ではない。
島は今、灰色の海に沈みかけている。 崖の上の神社は、潮風に削られ、鳥居は片方だけが残っている。 浜辺には、赤い面をかぶった子鬼たちが、誰もいない海に向かって踊っている。 風は止まり、音だけが残る。
来るなら、十一月十一日。日が沈む前に。 来ないなら、それもまた選択だ。 ただし、選ばれた者は、選び直すことはできない。

見波彰人‘’


――なぜ、こんなものが…… 

随分と色褪せたインクに、手紙から漂う遥か昔の匂い。

それに角田?どこかで聞いたような名前だった。

たしか、母方の曾祖母(志野和樹の母親)の旧姓ではなかったか?


「どういうことだ?」

気になりだしたら、どうすることも出来ない。目前で主張しつづける古い三面鏡と色褪せた手紙に頭が頑迷になる。

光琉は淹れたてのティーバッグのお茶を喉に流し込む。甘い蜂蜜も欲しいところだった。

祖父の母親は、祖父がまだ若いころに亡くなったと聞いている。だが昔の記憶ほど当てにならないものはない。

二言三言、祖母と話したのち、スマホを耳から下ろした。祖母からは、目新しい情報を得ることはなかった。付き合ってた頃の祖父は、あまり母親のことは話さなかったようだ。

ピコン

LINEの通知音が鳴る。祖母からの「ゴメンね」というハムスターが、頭をちょこんと下げているスタンプだった。こんなことも出来たのかと、光琉の口元にふと笑みがこぼれた。

スゥーと突然、背後から強い潮混じりの風が吹いた。

──あれっ、

急に誰かに見られている気がし、後ろをふりむいた。窓が少しだけ開いていた。
「これか、」とため息をつき窓を閉め、鍵を掛ける。

──2階の窓の外には誰もいない。そんな当たり前のことはわかっているが。


光琉は、後ろから追いかけて来る不安と焦りを洗い流すため、旅館の浴衣に着替え、名物という露天風呂へと向かった。



つづく

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