薄墨桜が染まるまで

茉莉花しろ

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第三話『夏に見た予知夢』

3-1

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夏の蝉が騒がしく求愛している。

ひんやりとした水は数分経つと、生ぬるいお湯もどきへと変化していた。真っ白な服と、見慣れたウスズミ様の服を洗濯板に擦り付ける。冬とは違い、ヒリヒリとした感覚がないので夏の水仕事は楽しい。
じゃぶじゃぶと水と泡が混ざり合っているのを見ていると、「桃ちゃん」と私の名前が呼ばれる。

「ウスズミ様。すみません、もうすぐ洗濯物が終わりますので」

「いやいや、いいんだよ。急かしていないからね」

洞窟から出た山の中で、のそりのそりと木が動く。
どこからどう見ても異様な光景なのだが、二度目の夏ともなると違和感がほぼない。心のどこかで感じていた仄暗い気持ちは薄れたのか、危機感がなくなってきたのか。どちらが正解なのか分からないが、心を許してきたと言ってもいいのだろう。

名前を呼ばれた理由が分からない私は、止めた手を前掛けで拭いた。

「華ちゃんからの返事が来ていたんだ」

「! す、すぐ終わらせます!」

「はは、ゆっくりで大丈夫だからね」

胸踊る名前を聞いて、のんびりと冷たい水で癒されている場合ではなかった。
ひらひらと手を振っているウスズミ様はどこか嬉しそうで、近くの切り株の上に座った。お風呂を沸かすために必要な薪割りの場所。ここに嫁ぐ前はそれも私の仕事の一つだったのだが、ウスズミ様は『そんなことはわたしがやるからね』と手に持っていた斧をそっと離させた。

嫁としてそんなことはさせられないと、何度も食い下がった。最終的には『お嫁さんは、大事にしたいから』と首をほんのり赤く染めたウスズミ様により決着がついたのだ。

「よしっ これで終わりかな」

ひらひらと太陽の下で布たちが泳いでいる。心地よさそうに見えるのは、先月書いた手紙の返事が来たからだけではないはず。
暑い日々が続く夏を嫌な季節だと思っていたのも懐かしく、軽くなった洗濯かごを手に持ってウスズミ様のいる方へと向かう。

「ずいぶん暑くなってきたねぇ。夏も本番と言ったところかな」

「そうですね。村にいる頃は夏が大嫌いでしたが、ここに来てから夏が好きになりました」

「そっか。それは良かったよ」

しわしわの手が、私の頭の上に乗せられる。ずしっとのしかかってくる重さと撫でられる心地よさに、目を細くする。撫でられる感覚は最近慣れてきたようで、手を挙げる動作を見ても心がざわつくことが減ってきた。

「ほら、手紙だよ」

「ありがとうございます」

頭の上にあった重みは消え、差し出された封筒を受け取る。淡い桃色をした封筒は、私を想像して選んでくれているだとか。時折街に降りる時、買いに行っていると何度目かの手紙に書かれていた。
それだけでも心が躍るのに、今年の夏は素敵な約束が私を待っている。
ここで開けて読んでいいのか分からず、ウスズミ様と手紙の間を視線が行き来する。

「わたしは気にしないから、ここで読みなさい」

「い、いいのですか」

「ああ、もちろんだとも。内容は見ていないからね。ほら、隣においで」

ぽんぽん、と大きな切り株の端っこを叩いている。樹齢何年か分からない切り株は、大柄なウスズミ様でも余白があった。
瞬間、体が悩み始めたのだが、「おいで」と言われる声に誘われるようにちょこんと座った。一回りも二回りも大きいウスズミ様は、器も広々としているようだ。

端から端までみっちり封をされている筒を慎重に開ける。みし、みし、と紙が破れる音。綺麗な封筒はそのまま保存しておきたい。ただでさえ文通をしたことのない私がもらえる数少ない手紙だ。ぐしゃりと形が崩れてしまったら悲しくなる。
最後の端っこまで開いたことを確認し、ほっと胸を撫で下ろす。厚みのある便箋を中から取り出し、上質であろう紙を手で感じながら目を通した。

「……え」

スルスルと視線が文字の列をなぞっていく。ピタッと視線が止まったのは、とある言葉が目に入ってきたからだった。

読み書きができるようになったのは半年前ほど。文通を始めた時はウスズミ様に書いてもらっていたのだが、何度かやり取りをしている間に『自分で書いてみないかい?』と言われたのがきっかけだった。
何度も練習をして、人様に見せれるようになった時に初めて自分自身で手紙を書いてのを覚えている。緊張して何度も間違えていたけど、自分で書くとこんなにも違うものなのかと感動した。

「何かあったのかい?」

「あ、えっと、夏祭りが、来週あるって書いてありまして」

「ああ、去年その話をしていたねえ。もうそんな時期か。もちろん、一緒に行くだろう?」

「華ちゃんも、そう言っているのですが」

語尾が小さくなると、生ぬるい風が私たちの間に吹き抜けた。
水によって冷えていた手も生ぬるくなり、首筋に汗が流れていく感覚がする。初めて会った時に約束したことは、昨日のことのように覚えている。彼女もそのことを覚えてくれていたようで、紙を越して伝わってきた。
だが、私の心の中で迷いが出てきている。

「私なんかが、なんて思ってないかい?」

「え」

「顔に、書いてあるよ」

ツンツン、と頬を突かれた。指が触れたところが熱くなり、「すみません」と謝罪の言葉が口から溢れた。
ゴシゴシと擦ってみるが、何も変わらないらしくクスクスと笑われてしまった。穴が入ったら埋まりたい。

「約束したのだから、一緒に行こう」

「そう、ですね。……華ちゃんは、私と一緒で、いいのでしょうか」

「彼女がそう言っているのだから、いいんだ。それに、断ってしまったらあの子も悲しいんじゃないのかな」

手紙を握りしめている私の手をそっと包み込んだ。
歴史が刻まれた硬い手は、出会った当初に感じていたものと変わらない。グシャリと握りしめられている紙の間に華やかな文字が見えた。彼女の気持ちも踏みにじっている気がして、力を緩める。

「何にせよ、返事は書かないといけないだろう? 来週まで迫っているんだ。こちらから向かうと書いておくれ」

「は、はい。分かりました」

よろしくね、と先ほどまで握られていた手が頭の上に乗せられた。宝物を扱うように撫でられる感覚に心がほっこりとする。

手紙を便箋の中に入れているのを見届けたウスズミ様は、「中にいるね」といつもの洞窟へと入っていった。軽く返事だけをして、ハタハタと元気よく動く布を見つめる。この時間が尊く感じるのは、紛れもなくウスズミ様のおかげだ。生きる価値のない人生だと思っていたものが、輝きを取り戻し始めたのも。

「……大丈夫、大丈夫」

あの頃の暮らしに比べたら。心の中で繰り返す。

手に汗を握る感覚。何かに追われている訳でもないのに、焦りが私の罪悪感を増やしてくる。声に出してみた魔法の言葉も、ほとんど効果がない。どんなに辛い時でもこの言葉を呟いてどうにかなってきたのに。
ふーっと深い息を吐いた。

せっかく誘ってくれたのだ。こんな私を受け入れてくれた、優しい友人。同じ穴の狢として仲良くしてくれたとしても、私にとってはこの上ない幸せだから。
側に置いていたカゴを持ち、ウスズミ様と同じ洞窟の中へと入って行った。
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