8 / 23
草刈り
しおりを挟む
吉村さんの家に続く最後の砂利道と石段を見上げて、いったん呼吸を整える。石段の上に誰かいる、と思ったが光の加減だったようで、俺は息を吐き、坂を登った。
吉村さんの家の手前で、もう一度石段を見上げる。木の枝の大きな影がてっぺんの古びた木戸に映って、人の影のように見えた。
白茶けた木戸はあちこちひび割れて、地面に近い部分は苔なのか、緑がかった汚れに覆われていた。全体が少し傾いて、今にも朽ち果てそうだ。
玄関先でリュックを下ろし、
「吉村さん、まず門をやっちゃっていいですか?」
と聞くと、黒いTシャツを着た吉村さんは腕組みを解いて、
「何をやるって?」
と欠伸まじりの声を出した。
俺はリュックからレジ袋を取り出し、家から持ってきたスプレー缶を見せた。吉村さんは目を見張り、俺がさらに軍手を取り出すのを見て笑い出した。
「何だお前、そこまで考えてくれたの」
「仕事ですから」
「そのスプレーくらいは、うちにあったのに」
「探すことになるかと思いまして」
「よくわかってんなあ」
錆び付いた門の様子を確かめて、スプレーに長いノズルを取り付けていると、吉村さんが爪先に靴を引っかけ、ぱたぱたと音をさせて出てきた。
「蒸し暑いな」
「陽射しがなくて楽ですよ」
曇り空の日で、朝早いせいか、蝉の声も控えめだった。
・
大きな雨粒がぽつん、ぽつんと落ちたと思う間もなく、ざあっと降り始めた。がらがらとベランダのサッシが開いて、「入れ」と吉村さんが顔を出した。ついさっき電話をかけると言って、中に戻ったのだ。
「玄関回ります」
「ここからでいい」
「汚すので。大丈夫ですよ、片付けてすぐ行きます」
刈った草をとりあえず二つの袋に詰め込んで、玄関に近い軒下まで運んだ。袋は全部で四つになったが、庭は意外に広く、家の裏にはまだ手をつけていなかった。
真っ黒になった軍手を片方だけはずしてドアを開けると、吉村さんがタオルを持って立っていた。
「足だけ拭いて、風呂行け」
「あー、すみません……今日降るって言ってなかったですよね」
濡れた靴下がなかなか脱げなかった。吉村さんが突っ立っているのに気づいて、俺は慌ててタオルに手を伸ばした。
「すみません」
「別に汚していいから。適当に上がれよ」
吉村さんはリビングに戻っていく。
この家は、リビングに二つドアがあり、トイレにも二つドアがあった。
廊下からトイレに入り、反対側のドアを開くと洗面所で、さっきスウェットに着替えた時のまま、俺の荷物が置いてある。その奥が小さな風呂場だった。
知らない場所で裸になるのは、妙な気分だ。
シャワーの栓をひねって、湯の温度が上がるのを待ちながら、窓を覗く。
網戸越しに冷たい雨が吹き込み、ぽつぽつと頬に当たった。庭に生い茂る灌木が、明るい黄緑の葉を一斉に揺らしていた。
すりガラスの扉の向こうに吉村さんが現れ、「タオルと下着置いとく」と言って、すぐに出て行った。
大きなグラスに注がれた麦茶を飲んで、俺は吉村さんとようやく顔を見合わせる。
「ご苦労さま。えらい目にあったな」
「止むんですかね」
雨は一層強まって、声が聞き取りづらいほどだ。俺のアパートも大概ボロいが、木造の一軒家は音の響き方が違う。
食卓の上に吊るされたランプシェードが、細く開けた窓から入る風で動いて、吉村さんの顔に映る影の様子が変わる。
彼が微笑むので、見つめ過ぎたことに気づいた。
「南が、草刈りに慣れてて意外だった」
「子どもの頃、近所の手伝いでやってましたけど、久しぶりですよ」
「体力あるし。なんか運動してる?」
「学生時代は水泳です。今はジム行くぐらいです」
次の連休に晴れたら、また草刈りしに来ます、と申し出ると、暑いし、そのあたりは渋滞でバスが動かなくなる、と吉村さんは考え込み、お前泊まりがけで来るか?と言い出した。
「前の日に、何でも好きなもの食わせるよ。で、うちに泊まって早朝に片付ける」
「お邪魔じゃないですか」
「別に。ただ、朝四時起きとかでやらないと暑くなるからな。早起きできる?」
「します」
だいぶ後になって、あの時、本当に草刈りする気はあったのかと聞くと、よく覚えてない、とはぐらかされた。
吉村さんの家の手前で、もう一度石段を見上げる。木の枝の大きな影がてっぺんの古びた木戸に映って、人の影のように見えた。
白茶けた木戸はあちこちひび割れて、地面に近い部分は苔なのか、緑がかった汚れに覆われていた。全体が少し傾いて、今にも朽ち果てそうだ。
玄関先でリュックを下ろし、
「吉村さん、まず門をやっちゃっていいですか?」
と聞くと、黒いTシャツを着た吉村さんは腕組みを解いて、
「何をやるって?」
と欠伸まじりの声を出した。
俺はリュックからレジ袋を取り出し、家から持ってきたスプレー缶を見せた。吉村さんは目を見張り、俺がさらに軍手を取り出すのを見て笑い出した。
「何だお前、そこまで考えてくれたの」
「仕事ですから」
「そのスプレーくらいは、うちにあったのに」
「探すことになるかと思いまして」
「よくわかってんなあ」
錆び付いた門の様子を確かめて、スプレーに長いノズルを取り付けていると、吉村さんが爪先に靴を引っかけ、ぱたぱたと音をさせて出てきた。
「蒸し暑いな」
「陽射しがなくて楽ですよ」
曇り空の日で、朝早いせいか、蝉の声も控えめだった。
・
大きな雨粒がぽつん、ぽつんと落ちたと思う間もなく、ざあっと降り始めた。がらがらとベランダのサッシが開いて、「入れ」と吉村さんが顔を出した。ついさっき電話をかけると言って、中に戻ったのだ。
「玄関回ります」
「ここからでいい」
「汚すので。大丈夫ですよ、片付けてすぐ行きます」
刈った草をとりあえず二つの袋に詰め込んで、玄関に近い軒下まで運んだ。袋は全部で四つになったが、庭は意外に広く、家の裏にはまだ手をつけていなかった。
真っ黒になった軍手を片方だけはずしてドアを開けると、吉村さんがタオルを持って立っていた。
「足だけ拭いて、風呂行け」
「あー、すみません……今日降るって言ってなかったですよね」
濡れた靴下がなかなか脱げなかった。吉村さんが突っ立っているのに気づいて、俺は慌ててタオルに手を伸ばした。
「すみません」
「別に汚していいから。適当に上がれよ」
吉村さんはリビングに戻っていく。
この家は、リビングに二つドアがあり、トイレにも二つドアがあった。
廊下からトイレに入り、反対側のドアを開くと洗面所で、さっきスウェットに着替えた時のまま、俺の荷物が置いてある。その奥が小さな風呂場だった。
知らない場所で裸になるのは、妙な気分だ。
シャワーの栓をひねって、湯の温度が上がるのを待ちながら、窓を覗く。
網戸越しに冷たい雨が吹き込み、ぽつぽつと頬に当たった。庭に生い茂る灌木が、明るい黄緑の葉を一斉に揺らしていた。
すりガラスの扉の向こうに吉村さんが現れ、「タオルと下着置いとく」と言って、すぐに出て行った。
大きなグラスに注がれた麦茶を飲んで、俺は吉村さんとようやく顔を見合わせる。
「ご苦労さま。えらい目にあったな」
「止むんですかね」
雨は一層強まって、声が聞き取りづらいほどだ。俺のアパートも大概ボロいが、木造の一軒家は音の響き方が違う。
食卓の上に吊るされたランプシェードが、細く開けた窓から入る風で動いて、吉村さんの顔に映る影の様子が変わる。
彼が微笑むので、見つめ過ぎたことに気づいた。
「南が、草刈りに慣れてて意外だった」
「子どもの頃、近所の手伝いでやってましたけど、久しぶりですよ」
「体力あるし。なんか運動してる?」
「学生時代は水泳です。今はジム行くぐらいです」
次の連休に晴れたら、また草刈りしに来ます、と申し出ると、暑いし、そのあたりは渋滞でバスが動かなくなる、と吉村さんは考え込み、お前泊まりがけで来るか?と言い出した。
「前の日に、何でも好きなもの食わせるよ。で、うちに泊まって早朝に片付ける」
「お邪魔じゃないですか」
「別に。ただ、朝四時起きとかでやらないと暑くなるからな。早起きできる?」
「します」
だいぶ後になって、あの時、本当に草刈りする気はあったのかと聞くと、よく覚えてない、とはぐらかされた。
0
あなたにおすすめの小説
経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!
中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。
無表情・無駄のない所作・隙のない資料――
完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。
けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。
イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。
毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、
凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。
「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」
戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。
けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、
どこか“計算”を感じ始めていて……?
狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ
業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
イケメン後輩のスマホを拾ったらロック画が俺でした
天埜鳩愛
BL
☆本編番外編 完結済✨ 感想嬉しいです!
元バスケ部の俺が拾ったスマホのロック画は、ユニフォーム姿の“俺”。
持ち主は、顔面国宝の一年生。
なんで俺の写真? なんでロック画?
問い詰める間もなく「この人が最優先なんで」って宣言されて、女子の悲鳴の中、肩を掴まれて連行された。……俺、ただスマホ届けに来ただけなんだけど。
頼られたら嫌とは言えない南澤燈真は高校二年生。クールなイケメン後輩、北門唯が置き忘れたスマホを手に取ってみると、ロック画が何故か中学時代の燈真だった! 北門はモテ男ゆえに女子からしつこくされ、燈真が助けることに。その日から学年を越え急激に仲良くなる二人。燈真は誰にも言えなかった悩みを北門にだけ打ち明けて……。一途なメロ後輩 × 絆され男前先輩の、救いすくわれ・持ちつ持たれつラブ!
☆ノベマ!の青春BLコンテスト最終選考作品に加筆&新エピソードを加えたアルファポリス版です。
オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?
中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話
タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。
瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。
笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。
バイト先に元カレがいるんだが、どうすりゃいい?
cheeery
BL
サークルに一人暮らしと、完璧なキャンパスライフが始まった俺……広瀬 陽(ひろせ あき)
ひとつ問題があるとすれば金欠であるということだけ。
「そうだ、バイトをしよう!」
一人暮らしをしている近くのカフェでバイトをすることが決まり、初めてのバイトの日。
教育係として現れたのは……なんと高二の冬に俺を振った元カレ、三上 隼人(みかみ はやと)だった!
なんで元カレがここにいるんだよ!
俺の気持ちを弄んでフッた最低な元カレだったのに……。
「あんまり隙見せない方がいいよ。遠慮なくつけこむから」
「ねぇ、今どっちにドキドキしてる?」
なんか、俺……ずっと心臓が落ち着かねぇ!
もう一度期待したら、また傷つく?
あの時、俺たちが別れた本当の理由は──?
「そろそろ我慢の限界かも」
完結|好きから一番遠いはずだった
七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。
しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。
なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。
…はずだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる