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見える奴
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最初は吉村さんだと思った。だが、ベッドの脇に立っていたのは、女だった。
そんなにはっきり見えたのか、とあとから吉村さんに聞かれて、あらためて思い出すと、顔つきまではよくわからない。
髪が長くて、白い服に皺が寄って、細い両腕が力なく下がっていた。
体を起こそうとしたが動けず、よく見ようと瞬きをするうちに、それは消えた。
耳を覆った何かが外れたような感覚で、はあはあという自分の激しい呼吸音が突然聞こえてきた。
同時に体がどっと重くなり、俺は目を開けたり閉じたりしながら、息を整えた。
かなり経って、恐る恐る枕から頭を上げる。
吉村さんがコンドームとローションを入れている古い箪笥が暗がりに浮かび上がって、その前に立っていたはずの女はもちろんどこにもいない。
首の後ろが汗で湿っていた。
一階のリビングは暗いままだ。俺は廊下を戻り、玄関脇にある仕事部屋のドアをノックした。
返事を聞くか聞かないかで開けると、吉村さんはなぜか床に座り込んでいた。片膝を立て、デスクの引き出しに背中を預けた姿勢で、俺を見上げる。
「どうした」
「……吉村さんこそ」
彼の横にあった椅子をどけ、群青色のカーペットに膝をついて、嫌がられるかもと思いながら、頭に手を置いた。
「どしたんですか、こんなとこ座って」
吉村さんは何も言わず、うつむいた。
「あのさ、この家、お化け出ます?」
巻き毛になっているあたりを指で引っ張りながら聞くと、目を挙げた。何だよ、出るのかよ。
「さっき、白い服着た女が部屋に立ってたんですが」
お、と言って、彼は微笑む。
「お、じゃないっしょ。勘弁してください」
「お前、やっぱりそういうのが見えんだなー」
「見えませんよ。ああ、すげえやだ、寝ぼけてたんだって言ってくれると思ったのに」
彼は声を出さずに笑い、俺が隣に座ると、遠慮がちにもたれかかってきた。
何でそんなに寂しそうなんですか、宮田圭悟のことですか、と聞いて、そうだと言われても、違うと言われても、どうしようもないから聞かなかった。
そのうち、気を取り直したという様子で、吉村さんは俺の肩から頭を上げた。
「母親が、うちには女の子がいるって昔言ってた」
「またお母さんですか、お化け確定じゃないすか」
「大昔、俺が子供の頃だけどな。そういうことは、親父が嫌がるから言わなくなった」
「吉村さんは、家の中で何か見たことありますか」
「ないね」
彼はごそごそ動いた。肩に回した手をどかさずにいると、首をかしげて俺の顔を覗き込む。
「あの、上の門に影が見えるっていうのはどうなった、まだ見えるのか」
「あれは、そうですね、今日来る時は頭いっぱいで、忘れてました」
「なんで頭いっぱい?」
「宮田圭悟のことで、焦って」
吉村さんがかしげたままの頬にキスして、かえって恥ずかしくなり、軽く唇を合わせた。
「好きです、吉村さん」
彼は何も言わなかったが、
「吉村さんは、まだ全然、宮田さんを好きかもしれませんけど」
と続けると、口をゆがめて笑い、俺の腕から逃げるように体を起こした。
「そんな話は、したつもりない」
「俺の勝手な推測です」
彼は膝を抱えたまま、小さく息を吐く。
「それより、怖くて寝室戻れないんで、一緒に行ってくれません?」
吉村さんは、驚いたように俺を見返った。
「お前、あの部屋で眠れる?」
「吉村さんが一緒に寝てくれるなら、別にいいです」
「本当に?」
「吉村さんがいてくれたら、ほぼ何でもオーケイです」
この時、二階の寝室に戻って、吉村さんが箪笥側になるように寝る位置を変えて、灯りをつけて喋っているうちに、旅行に行こう、という話になったのだ。
付き合い始めって旅行に行くもんですよ、と俺が言うと、吉村さんは、そういうもんか?と言った。
「泊まるのは新しめのホテルでもいいですか。老舗の大旅館とか、出そうなとこは避けて」
「避けても、どこにでもいるだろう」
「どこにでもって、吉村さん見えないのに、そういう考えなの?」
吉村さんは、天井を見ながらしきりに右目を拭っていた手を止めた。
「俺はお化けだなんだ信じないけど、お前が嘘ついてるわけじゃないだろ。おふくろだって別に嘘はつかない」
「そうですね」
「だから、死んでも何かが消えずに残ってる場合があって、それが見える奴には見える、見えない奴には見えない」
「何かって」
「気持ちとか、思いとか。元々目に見えないもの。目に見えてるものは消滅するからな」
吉村さんは、俺の方を見て、にやっと笑った。
「その理屈で言うと、お化けはそこら中にいるはずだろ」
「怖がらせようとしてますね」
「まあね」
そして、また右目を手の甲でこすり始めた。
それ、吉村さんのことだ。
相手に気持ちが通じなくて、会わなくなって、しかも相手には他の誰かがいて(順番は知らないが)、自分もそのうち、他の誰かと親しくなる。
でも、気持ちだけ残る。
宮田圭悟も吉村さんも、この世にいるから厄介だ。
そんなにはっきり見えたのか、とあとから吉村さんに聞かれて、あらためて思い出すと、顔つきまではよくわからない。
髪が長くて、白い服に皺が寄って、細い両腕が力なく下がっていた。
体を起こそうとしたが動けず、よく見ようと瞬きをするうちに、それは消えた。
耳を覆った何かが外れたような感覚で、はあはあという自分の激しい呼吸音が突然聞こえてきた。
同時に体がどっと重くなり、俺は目を開けたり閉じたりしながら、息を整えた。
かなり経って、恐る恐る枕から頭を上げる。
吉村さんがコンドームとローションを入れている古い箪笥が暗がりに浮かび上がって、その前に立っていたはずの女はもちろんどこにもいない。
首の後ろが汗で湿っていた。
一階のリビングは暗いままだ。俺は廊下を戻り、玄関脇にある仕事部屋のドアをノックした。
返事を聞くか聞かないかで開けると、吉村さんはなぜか床に座り込んでいた。片膝を立て、デスクの引き出しに背中を預けた姿勢で、俺を見上げる。
「どうした」
「……吉村さんこそ」
彼の横にあった椅子をどけ、群青色のカーペットに膝をついて、嫌がられるかもと思いながら、頭に手を置いた。
「どしたんですか、こんなとこ座って」
吉村さんは何も言わず、うつむいた。
「あのさ、この家、お化け出ます?」
巻き毛になっているあたりを指で引っ張りながら聞くと、目を挙げた。何だよ、出るのかよ。
「さっき、白い服着た女が部屋に立ってたんですが」
お、と言って、彼は微笑む。
「お、じゃないっしょ。勘弁してください」
「お前、やっぱりそういうのが見えんだなー」
「見えませんよ。ああ、すげえやだ、寝ぼけてたんだって言ってくれると思ったのに」
彼は声を出さずに笑い、俺が隣に座ると、遠慮がちにもたれかかってきた。
何でそんなに寂しそうなんですか、宮田圭悟のことですか、と聞いて、そうだと言われても、違うと言われても、どうしようもないから聞かなかった。
そのうち、気を取り直したという様子で、吉村さんは俺の肩から頭を上げた。
「母親が、うちには女の子がいるって昔言ってた」
「またお母さんですか、お化け確定じゃないすか」
「大昔、俺が子供の頃だけどな。そういうことは、親父が嫌がるから言わなくなった」
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「ないね」
彼はごそごそ動いた。肩に回した手をどかさずにいると、首をかしげて俺の顔を覗き込む。
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「あれは、そうですね、今日来る時は頭いっぱいで、忘れてました」
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