死にたくない兵士

みずうし

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死にたくない兵士

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 「置いていかないで...」

 目の前で一人の兵士が息絶えようとしていた。
 全身に銃撃を浴び、穴だらけになった彼女はただ虚げに目を開けている。

 「ねぇ...どこ...?」
 「どうして...」
 「何か言ってよ...ねえ...」

 衛生兵の呼び掛けにも応じず、ただそう垂れ流すだけの彼女はもう、目も耳も感覚さえも無くしているようだった。
 戦場にロクな治療施設なんてあるわけもなく、そして単なる一兵卒に過ぎない彼女はこのまま死を待つだけだろう。
 頭から、口から、腹部から、手から足から流れる鈍い赤色が地面を染めていく。
 戦場ではありふれた、よくある光景だった。

 そんな光景を私はただ呆然と眺めていた。
 信じられなかった。
 この現実が信じられなかった。

 ヒューヒューと息を漏らす彼女は、ついさっきまで隣で軽口を叩いていた戦友だったのだ。戦場で出会い、死線を共にし、親友のように感じていた戦友だった。

 彼女の名前はサリーと言った。
 26歳。地元の街で雑貨屋の店員をやっていたという明るく元気な彼女は、私と同じく後方基地の予備兵士として徴兵された身だった。

 思えば私と彼女は最初から気が合っていたのだろう。
 偶然同じ隊に配属され、初めて会話を交わした時から私たちはまるで親友のようだった。
 好きな音楽から子供の頃の大好物まで、まるで一緒だった。生き別れの姉妹じゃないかと疑いあった日もあった。

 ある日、私が基地の台所からこっそりとチーズを拝借し、部屋に持ち帰ったときも、サリーは「チーズのお供にいるでしょう?」とビスケットを拝借していた。
 一心同体。
 私たちの関係はそう表現するのが相応しかっただろう。
 私もサリーも、このまま基地で笑い合っていくのも悪くはないと思っていた。戦争はいずれ終わる。終わるまで後方基地で笑い合っていようと。
 死は遠い場所にあった。

 しかし、やがて私たちも前線に召集されることになった。
 もう何十年も戦争をやっている前線には、戦意を保つためにローテーションで兵士が回されるのだ。
 そこには男も女も関係ない。強いて言えば、雑用をこなす女性は重宝される。それだけだ。
 誰も戦力なんて求めていない。前線も戦争も、終わることのないハリボテ舞台だ。ただそこで動く人形が必要とされていた。

 初めて私たちが前線に加わった日、私は頭をかち割った。
 側にあったレンガの壁が爆撃で吹き飛んで私に直撃したのだ。おかげで危険な偵察任務に出かけずに済んだが、その代償に死の恐怖が身体に染み込んだ。

 人間は簡単に死ぬ。
 銃弾に貫かれればそりゃ死ぬし、レンガが飛んできても死ぬ。階段から落ちても死ぬし、壁に当たっただけでも運が悪ければ死ぬ。

 私は運が良かった。
 私は死ななかった。
 死ぬ恐怖は味わったが、死にはしなかった。

 死にたくない。私は死にたくない。
 死ぬという実感が死にたくないという私の意思を強くする。
 こんな所で死ぬなんてまっぴらだ。こんな形で死ぬなんてまっぴらだ。

 サリーは頭から血をダラダラ流す私を見て笑っていた。
 全く不運なのねえ、とケラケラ笑っていた。
 命に別状はない程度の怪我だったので気を紛らわせてくれたのだろう。その日はずっとスイカと呼ばれた。
 しかし夜になれば、頭が痛んで眠れない私にサリーは一晩中付き合ってくれた。血が流れれば包帯を変え、痛みに顔を歪めれば手を握っていてくれた。

 「ずっと任務に行かなくていいから治らなくていいわよ」

 とサリーは冗談のように私に言っていた。
 戦場にはバディ制度がある。
 戦場を共にする二人組のことだ。精神安定のためだったり作戦単位となったりするため、バディの片方が怪我をすれば待機になり、バディの片方が死ねば後方基地送りになる。
 サリーは私のバディだったので彼女も任務に参加せずに済んでいたのだ。

 サリーがバディでなんと良かったことだろうか。
 いくら信頼関係を結ぶバディと言えども、一晩中怪我人に付き合ってくれる人間はいないだろう。
 彼女はまるで天使のようで、常に明るい太陽のようだった。サリーを嫌いな人間はこの世に存在しないに決まっている。


 私の怪我が治ると、ついに戦場に出ることになってしまった。
 と言っても決められた順路を巡回するだけで、運悪く敵兵と出くわしてしまっても条件次第では見なかったことにする、そんな暗黙の了解もあるらしい。

 「私たち、運悪く銃撃戦になりそうよね!」
 「縁起の悪いこと言わないでよサリー...」

 そんな会話をして向かった初めての巡回は、やっぱり銃撃戦になった。
 まあ運の悪いことに先行部隊が先にドンパチやってしまっていたために巻き込まれてしまったのだ。

 初めての銃撃戦は気が気じゃなかった。
 いつ死ぬかわからない。
 目を閉じた次の瞬間には死んでいるかもしれない。
 頭を出した瞬間に銃弾が頭を貫いているかもしれないのだ。
 怖くてとても銃を構えられなかった。
 壁の後ろにただひたすら隠れ、銃撃音が止むのを待っていた。

 気の遠くなりそうなほど時間が経ち、壁の後ろで腰が抜けてへたりこんでいるとサリーが焦ったように私を探しているのが見えた。
 銃撃を受けて死んだ味方の顔を覗き込んではホッと息を吐いている。
 果たして私が死んだと思っているのだろうか。

 ムッとしているとサリーはようやくこちらを見つけて安堵の笑みを浮かべていた。
 どうやら激戦だったために、不運な私は死んでしまったと思ったらしい。もちろん、腰抜けなので生きている。
 
 帰り道、サリーは三人倒したと自慢していた。敵味方共に多数の死傷者が出たが、結果的に敵が逃げてこちらの勝ちになったようだ。
 敵にスナイパーがいなくて良かったとサリーは笑顔で言っていた。

 私にはそんなことどうでも良かった。
 生きているだけでいい。
 人を殺さなくてもいい。
 私は死にたくないのだ。
 こちらが負けても私が生きていればそれでいい。
 
 サリーもそうは思わないのだろうか。
 あんな戦闘をずっと続ければ、いずれは自分が死ぬと。
 そう思わないのだろうか。
 しかしサリーの屈託ない笑顔に、そんなことは言えなかった。

 前線基地に戻ると上官がサリーを誉めていた。どうやら個人の功績は何らかの形で記録されているようだ。

 「お前ももっと敵を殺せ。そうすれば早く家へ帰れるぞ」

 そう上官に言われた。
 敵を倒せば倒すほど、1年の前線任期が縮まるようだ。
 
 敵を殺す。
 それはあの弾幕の中で頭を出すということだ。
 次の瞬間には死んでいるかもしれない、その未来を受容するということだ。
 頭が真っ白になる。考えるだけで嫌になる。
 腑抜けと言われても、何と罵られても死ぬかもしれない未来に自分から飛び込むのは嫌だった。
 
 「こういう時のバディ制度じゃない?私が頑張れば一緒に帰れるもんね」

 サリーは私にそんなことを言ってくれた。
 私は彼女の勇気と気遣いに感謝する前に、しかし胸の奥から疑念が浮かび上がってきていた。
 
 なぜサリーは銃を構えられるのだろうか。
 なぜサリーは死ぬかもしれない未来に飛び込めるのだろうか。
 それは勇気なのだろうか。
 私には勇気がないのだろうか。

 ずっと考えても答えは出なかった。

 2回目の巡回も3回目も4回目もそれ以降も私は壁の後ろでジッと隠れていた。一人だけ卑怯だと後ろ指を刺されても私はずっと隠れていた。
 何回考え直しても、死ぬ自分を受け入れられなかった。

 その間、サリーは上官も目を見張るほどの数の敵を殺していた。
 一年の前線任期はバディの私とともに2ヶ月縮まった。

 それでもまだ、あと4ヶ月あった。

 4ヶ月もあった。


 9回目の巡回がやってきた。
 その日はサリーの功績が考えられて先行隊に選ばれていた。
 今までは先人の足跡に続いていた道のりを、私とサリーが足跡をつけていく。
 先行隊には敵兵との交戦権がある。先行隊が交戦すればその日はずっと戦いだ。代わりに敵兵と暗黙のうちに見逃せば、平和に帰れることになる。

 順路に異常はなかった。異様なほどに静かだった。
 無言で歩く私とサリーの足音だけが耳に届く。

 突然、サリーが立ち止まった。
 ちょいちょいと裾を引っ張られ、前方を見ると茂みに敵兵の姿があった。
 間違いなく銃口はこちらを向いている。私たちより早く敵に気づかれていたのだ。
 恐らく、敵兵が私たちを殺そうと思えば一瞬のうちに出来るだろう。

 しかし、その時は訪れない。
 バクバクと爆発するような心臓を宥めながら、サリーの方を見るとゆっくりと頷いた。
 どうやら敵もサリーも、今回は交戦しないと決めたらしい。

 サリーが後ろを向くと、敵兵は頷いて何か言葉をかけた。そこに敵意はなかった。同情の言葉だろうか。
 敵も人を殺したいわけではないのだろう。
 私たちはゆっくりと敵兵と距離を取り始める。

 私は生きた気がしなかった。
 人に命を握られているというのはこんな感覚がするのかと肝が冷えた。足は震え、頭がガンガンと鳴り、心臓は鐘のように鳴っている。体中の液体という液体を吐きそうだった。
 胃がギュッと縮んで今にも倒れそうだった。
 こんな思いなんて二度とごめんだった。

 私は死にたくない。
 こんな場所で死にたくない。
 鉄の塊でなんて死にたくない。
 戦争なんて狂っている。
 この場所は狂っている。

 「今回はちょっと危なかったね」

 サリーはヘラッと笑った。
 その信じ難い言葉を聞いて私は凄まじい怒りを覚えた。

 ちょっと?
 あの状況が?
 死んでいたかもしれないあの状況が?
 ちょっと危ない?

 その時、何かが切れた音がした。
 抱え込んでいた緊張の糸が。
 戦場に来てからずっと燻っていた我慢の糸が。
 この生活があと4ヶ月も続くその事実に耐え切れなかった。
 自分の命が危険に晒される、この現実に耐え切れなかった。
 私は死にたくない。
 死にたくなかった。

 ただ、それだけなのだ。


 『敵兵だ!』


 そんな声がどこからか聞こえた。
 向かい合うサリーの顔が驚きで歪んだ。

 同時に、耳をつんざくような銃撃音が響き、サリーの身体に穴が空いた。サリーの額に、目に、胸に、肩に、腹に、腕に、足に、穴が空いた。

 私の目の前で、力なくサリーが倒れる。

 頭がガンガンと鳴っている。
 私は呆然とそれを眺めていた。

 目の前で一人の兵士が息絶えようとしている。
 全身に銃撃を浴び、穴だらけになったサリーはただ虚げに目を開けている。

 信じられなかった。
 その現実が信じられなかった。

 ああ、やっと私は帰れるんだ。
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