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家飲み 2(司)

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仕事の話や血液型など他愛もない話に花が咲く。
お互いAB型ってところが笑えた。

因みに今話しているのは、部屋が綺麗になって気持ちが良いって事。
お礼を言うと、数子ははにかむような笑顔を見せた。

俺はこの表情にかなり弱いらしく、思わず見入ってしまった。

「そう言えば、先生って外国に住んでたんですか?」

「ん? あ、えぇと、ああ……」
不意を突かれ、ドギマギと間抜けな声で返す。

「海外で撮った感じの写真がいっぱいあったから」

写真は、テレビ台やカウンターの隅に無造作に置きっ放しになっている。
掃除中に嫌でも目がいったのだろう。

「最先端の医療現場で経験を積みたくて、医師免許取って直ぐアメリカに行ったんだ」

「日本の医師免許って、海外でも通用するんですか?」

数子はちょっと驚いた声を出したが、俺の方は、話しながらも水のようにコップ酒を呷るお前に、かなりビックリして目が釘付けだ。

「いや通用しないよ。ただイチから大学に入り直さないと駄目な訳でも無くて、すっごぉく簡単に言うと、必要な書類を提出して、日本とアメリカで何回か試験受けて合格したら、辛~い研修や実習を経て一人前の医者になれるって感じかな」

なんて答えながらも、あ、また手酌、ホント新橋のサラリーマンかよ! 

喉まで笑いが込み上げてくるが、笑ったら数子は恥かしがって、飲むのをためらうかも知れない。

リラックスしてくれるのは嬉しいし、無防備で可愛い。それに楽しい。

兎に角この雰囲気を壊したくなくて、俺は吹き出しそうになるのを堪えた。

「で、二年前に帰国した」

「先生ってやっぱり優秀なんですねぇ……」

感心したように言ってくれる顔は、ほんのりピンクに色付いている。

「ああ、自慢じゃないが顔だけでなく、俺はそうとう頭が良い! しかぁし、高二の最初までは、九九もまともに言えない程のアホだった」

「えっ?」
数秒間を置いて、
「でも先生が出たのって『あさこう(朝岡台高校)』ですよねえ? 父が『あさこう時代の教え子』ってぇぇー、今言いながら思ったんですけど、もしかして私が中学の頃に廃校になった朝岡台工業の方ですかっ!?」

目を丸くして小さく叫んだ数子に、俺はビシッと人差し指を向け「正解!」

数子は驚いた拍子に鬼ころしを喉につかえさせたようで、ゴホゴホと咳き込んだ。

大丈夫か? と声をかけると、コクコクと頷く。
そして水薬を飲むようにまたコップ酒。
俺はくすりと笑って、何事も無かったかのように口を開いた。

「俺が出たのは偏差値七十越えの方じゃなくて、毎年大幅な定員割れを記録し続けた、名前さえ書ければ誰でも受かるでお馴染みだった、不良の溜まり場の『あさこう(朝岡台工業高校)』の方だ」

「……」

「俺、小学校時代は不登校で、中学では立派なヤンキーだったから、勉強とは無縁だったんだよ。ま、高2からは結構勉強したけど」

「父が先生のこと、『あさこう始まって以来の天才で努力家だった』って褒めてましたけど、すごく深い意味があったんですねぇ……」

数子は溜め息交じりに言った。

「天才なんかじゃないさ」
海老沢先生がいてくれたからだ。

『珍しく謙虚な事を言っている』と、数子の目が言っている。

俺はクリクリの目を見つめながらわざと鼻先で笑って、片眉と顎を上げ、
「大天才、いや神と言え」

冗談めかした横柄な声に数子は吹き出し、俺達は前々からの友達のように顔を見合わせて笑い合った。

酒が入って警戒心が弱まったのだろうが、数子がだいぶ打ち解けてくれた事が単純に嬉しかった。

ま、相変わらず『先生』だが……。

「先生は、どうしてお医者さんになったんですか?」

ほらまた

数子はリラックスした表情で、スモークしたウズラを口に放り込んだ。

「病気で苦しんでいる人を助けたかった、っていうのは表向きで、本当は、お前のおやじにジャックナイフで脅された恨みを、メスで合法的に晴らす為だな。いやぁ、まさかあんなに早くその機会が来ようとは」

ハハハと時代劇の悪役のように芝居がかった笑い方をすると、
「先生って、もしかして照れ屋さんですか?」

数子はくすりと笑いながらまた鬼ころしを喉に流し込み、貝ひもを齧っている。
気付けば目の前のボトルの中身は四分の一以下に減っていた。

数子が酔っ払う前に

俺は冷蔵庫へ行き、缶入りの葡萄サワーと必要な物をあれこれ取り出し、テーブルへ戻った。



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