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彼の誕生日と、レディ・スカーの悲劇
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~右口さん~
その日、私は少しだけ早めに家を出て、ケーキ屋さんに立ち寄った。先輩の辻田さんへのプレゼントを選ぶためだ。
明日は彼の誕生日なのだ。正確に言うと、あと十三時間と十五分ほどだ。
「かわいいですね、これ」
私がそう言うと、店員さんは、そうでしょうと自信たっぷりにほほ笑んだ。
じゃあこれとそれをください、箱はこれで。メッセージ? や、別にいいです。リボンだけ。
私と彼は、まだ付き合っているわけではない。ただの同僚なのだ。いきなりメッセージ付きというのは、距離感がわかっていないやつのすることだ。
そもそも、こっちの心の準備だって追っつかない。ケーキではなくわざわざクッキーを選んだのも、そのためだ。
待っている間、店員さんのあだ名を考えてあげた。焼きたてのあんぱんを組み合わせたような造形だったので、太美さんと命名した。気に入ってくれるだろうか。
太美さんはてきぱきとクッキーをまとめ、ラッピングをしていった。起き抜けの私の眼ではとても追いきれず、きれいさっぱり置いてけぼりだ。
釣銭を受けとる際に、つい昔の調子で、左手を伸ばしてしまった。欠けた人差し指は空を切り、かわりに中指の爪がカツンと皿のふちを叩く。私は慌てて指を丸め、ごまかした。
気恥ずかしさから、硬貨を握りしめたままで店を出る。自動販売機を見つけ、それをそのまま投入する。
がとん、ごとと。
眠い目を擦りつつ、ぷしりと右手で缶を開ける。
仕事前にケーキ屋さんに寄るなんて慣れないことをしたために、中途半端に時間が空いてしまった。
早く行ったところで、どうせ辻田さんの出勤時間は夜なのだ。コーヒーを飲みながら、どうやってこれを渡したものかと思案する。
辻田さんは私が誕生日を知っているなんて、思ってもいないはずだ。彼が他の同僚と話していたのを、隣で聞いていただけだから。つい先月のことだけど、私はできる女なので、忘れないようにメモしておいたのだ。
服装は少しだけ悩んだけれど、中途半端に女の子を演出したところで、油の臭いが邪魔するだけだ。あきらめて、髪型を少し変えるだけにしておいた。
さて、買ったはいいけど、この袋をいつ渡そうか。私と彼とは勤務時間が違うため、そのままだとすれ違ってしまう。小さな工場なので、二人きりになること自体は簡単だ。引継ぎ時間に機械室にいるのは、私と彼だけなのだから。問題は、切り出すタイミングなんだよなあ。
考えているうちに、最近会社に流れている妙なうわさ話を思い出す。
深夜に物音がするので行ってみると、女の子が一人で泣いているのだ。場所は色々で、コンプレッサー室の前だったり、屋上に続く階段そばだったり。共通するのは、体のどこかが足りていないこと。右目が無いだとか、左腕のヒジから先が無いだとか。
声をかけると、その後の展開もまた人それぞれだ。
穏やかな方だと、そのままさっと消えたり逃げだしたり。追いかけられたという人もいるし、けんかっ早い上津さんは、逆に蹴り飛ばしたらしい。まったく物騒な話だ。
うーん、怖いから更衣室までついてきてくださいって、言ってみようかな。その流れで、誕生日おめでとうございますって言いながら、自然に渡せればいいんだけど。
妄想しつつも冷静に考える。怖いから、かあ。私のタイプじゃないかなあ。そもそも人差し指の先がない私は、どっちかっていうとやつらの仲間なんですけどね。
もっとも、私の場合は、単に金型に挟まれちゃっただけなんだけど。
空き缶を勢いよくリサイクルボックスに投げ込むと、会社へ向かう。
出勤し、いつも通りの仕事が始まる。バタバタと走り回っているうちに、あっという間に彼の来る時間だ。
わかってはいたけれど、妄想ってものは思い通りにならないもので、たいていが空回りに終わるのだ。
夜。帰り際、私は不安そうな声を作り、辻田さんにお願いした。
「お願いですから着替える間だけでいいんで、ちょっとだけ休憩室に来てくださいよー」
「そんなこと言って、その間に女の子がふらふら逃げ出したら、どうするのさ」
困ったように言う辻田さんに、少しだけ罪悪感が頭をもたげた。
まあ、仕方ない。彼は作業中なんだし、無理を言っているのはこちらなのだから。
「うー、もういいです、作業服のまま帰りますから!」
そうだ、彼は責任感が強いのだ。仕事をほっぽって私のところに来てくれるなんてありえないし、そういうところに惚れたのだ。忘れていた私がばかだったのだ。
思い直したところで、更衣室はがらんとしていて、寂しさは埋まらない。
とはいえ、この紙袋はどうしたものか。
少し悩んだけれど、男子更衣室にお邪魔することにした。彼のロッカーを開け、クッキーの紙袋をそっと置いておく。
彼のロッカーはむだなものがほとんど入っておらず、さっぱりとしていた。
そういえば、男の人は誕生日をあまり気にしない人も多いらしい。もしかしたら、あと二時間とちょっとで誕生日を迎えるということも、頭に無いのかもしれない。
帰る前に少しだけ声をかけようと、機械室へ寄り道した。
小窓から中を覗くと、彼が女の子と作業をしていた。
女の子が、彼と作業をしていた。
てきぱきと動くところを見ると、前世の記憶持ちの製品だろうか。
私は深く息を吸い込む。樹脂の焼ける臭いが鼻を突き、私の熱を冷ましていく。
落ち着こう。あいつはどうせ不良品だ。熱いうちにあんなに動いたら、関節部分が割れやすくなるに違いないのだ。
彼だって、誕生日の夜にもめ事なんて、きっと望んでいないはずだ。
私は小窓から少し離れ、じっくりと二人の作業を見ていた。弱味というと言葉は悪いが、これが彼と付き合うきっかけになるかもしれない。そうだ、いつだってピンチとチャンスは裏表だ。
私は少しだけわくわくする心を落ち着かせつつ、二人の作業にじっと見入った。
その日、私は少しだけ早めに家を出て、ケーキ屋さんに立ち寄った。先輩の辻田さんへのプレゼントを選ぶためだ。
明日は彼の誕生日なのだ。正確に言うと、あと十三時間と十五分ほどだ。
「かわいいですね、これ」
私がそう言うと、店員さんは、そうでしょうと自信たっぷりにほほ笑んだ。
じゃあこれとそれをください、箱はこれで。メッセージ? や、別にいいです。リボンだけ。
私と彼は、まだ付き合っているわけではない。ただの同僚なのだ。いきなりメッセージ付きというのは、距離感がわかっていないやつのすることだ。
そもそも、こっちの心の準備だって追っつかない。ケーキではなくわざわざクッキーを選んだのも、そのためだ。
待っている間、店員さんのあだ名を考えてあげた。焼きたてのあんぱんを組み合わせたような造形だったので、太美さんと命名した。気に入ってくれるだろうか。
太美さんはてきぱきとクッキーをまとめ、ラッピングをしていった。起き抜けの私の眼ではとても追いきれず、きれいさっぱり置いてけぼりだ。
釣銭を受けとる際に、つい昔の調子で、左手を伸ばしてしまった。欠けた人差し指は空を切り、かわりに中指の爪がカツンと皿のふちを叩く。私は慌てて指を丸め、ごまかした。
気恥ずかしさから、硬貨を握りしめたままで店を出る。自動販売機を見つけ、それをそのまま投入する。
がとん、ごとと。
眠い目を擦りつつ、ぷしりと右手で缶を開ける。
仕事前にケーキ屋さんに寄るなんて慣れないことをしたために、中途半端に時間が空いてしまった。
早く行ったところで、どうせ辻田さんの出勤時間は夜なのだ。コーヒーを飲みながら、どうやってこれを渡したものかと思案する。
辻田さんは私が誕生日を知っているなんて、思ってもいないはずだ。彼が他の同僚と話していたのを、隣で聞いていただけだから。つい先月のことだけど、私はできる女なので、忘れないようにメモしておいたのだ。
服装は少しだけ悩んだけれど、中途半端に女の子を演出したところで、油の臭いが邪魔するだけだ。あきらめて、髪型を少し変えるだけにしておいた。
さて、買ったはいいけど、この袋をいつ渡そうか。私と彼とは勤務時間が違うため、そのままだとすれ違ってしまう。小さな工場なので、二人きりになること自体は簡単だ。引継ぎ時間に機械室にいるのは、私と彼だけなのだから。問題は、切り出すタイミングなんだよなあ。
考えているうちに、最近会社に流れている妙なうわさ話を思い出す。
深夜に物音がするので行ってみると、女の子が一人で泣いているのだ。場所は色々で、コンプレッサー室の前だったり、屋上に続く階段そばだったり。共通するのは、体のどこかが足りていないこと。右目が無いだとか、左腕のヒジから先が無いだとか。
声をかけると、その後の展開もまた人それぞれだ。
穏やかな方だと、そのままさっと消えたり逃げだしたり。追いかけられたという人もいるし、けんかっ早い上津さんは、逆に蹴り飛ばしたらしい。まったく物騒な話だ。
うーん、怖いから更衣室までついてきてくださいって、言ってみようかな。その流れで、誕生日おめでとうございますって言いながら、自然に渡せればいいんだけど。
妄想しつつも冷静に考える。怖いから、かあ。私のタイプじゃないかなあ。そもそも人差し指の先がない私は、どっちかっていうとやつらの仲間なんですけどね。
もっとも、私の場合は、単に金型に挟まれちゃっただけなんだけど。
空き缶を勢いよくリサイクルボックスに投げ込むと、会社へ向かう。
出勤し、いつも通りの仕事が始まる。バタバタと走り回っているうちに、あっという間に彼の来る時間だ。
わかってはいたけれど、妄想ってものは思い通りにならないもので、たいていが空回りに終わるのだ。
夜。帰り際、私は不安そうな声を作り、辻田さんにお願いした。
「お願いですから着替える間だけでいいんで、ちょっとだけ休憩室に来てくださいよー」
「そんなこと言って、その間に女の子がふらふら逃げ出したら、どうするのさ」
困ったように言う辻田さんに、少しだけ罪悪感が頭をもたげた。
まあ、仕方ない。彼は作業中なんだし、無理を言っているのはこちらなのだから。
「うー、もういいです、作業服のまま帰りますから!」
そうだ、彼は責任感が強いのだ。仕事をほっぽって私のところに来てくれるなんてありえないし、そういうところに惚れたのだ。忘れていた私がばかだったのだ。
思い直したところで、更衣室はがらんとしていて、寂しさは埋まらない。
とはいえ、この紙袋はどうしたものか。
少し悩んだけれど、男子更衣室にお邪魔することにした。彼のロッカーを開け、クッキーの紙袋をそっと置いておく。
彼のロッカーはむだなものがほとんど入っておらず、さっぱりとしていた。
そういえば、男の人は誕生日をあまり気にしない人も多いらしい。もしかしたら、あと二時間とちょっとで誕生日を迎えるということも、頭に無いのかもしれない。
帰る前に少しだけ声をかけようと、機械室へ寄り道した。
小窓から中を覗くと、彼が女の子と作業をしていた。
女の子が、彼と作業をしていた。
てきぱきと動くところを見ると、前世の記憶持ちの製品だろうか。
私は深く息を吸い込む。樹脂の焼ける臭いが鼻を突き、私の熱を冷ましていく。
落ち着こう。あいつはどうせ不良品だ。熱いうちにあんなに動いたら、関節部分が割れやすくなるに違いないのだ。
彼だって、誕生日の夜にもめ事なんて、きっと望んでいないはずだ。
私は小窓から少し離れ、じっくりと二人の作業を見ていた。弱味というと言葉は悪いが、これが彼と付き合うきっかけになるかもしれない。そうだ、いつだってピンチとチャンスは裏表だ。
私は少しだけわくわくする心を落ち着かせつつ、二人の作業にじっと見入った。
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