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第1章
二人の家族
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日本には住神島《すみじま》と呼ばれる島がある。
その島は春に満開の桜が咲き、夏には鮮やかなひまわりが咲き、秋は紅葉、冬は一面がシクラメンの色に染まる。
その島を発見した者は神様が住む島、住神島と名付け日本中に広めた。
現在、この島では年に一度、日本中の人々が参加する芸術を披露する祭典がある。
その祭典は日本が誇る芸術文化の一つであり、参加者は毎年五千人を超える。
人々はその祭典を秋芸祭《しゅうげいさい》と呼ぶ。
今日は目覚まし時計が鳴るよりも早く目が覚めた。
外を見なくても豪雨とわかるほど騒がしい音は、私の睡眠を妨げて気分を悪くさせる。
雨は嫌いだ。
特に今日みたいな大雨は大嫌い。
ベットに横たわったまま窓の反対側を見ると額縁に入った賞状が六つ見える。
長野葵《ながのあおい》。
私の名前が大きく書いてある。
あれは小学生の時に描いた絵が評価され、金賞を取ったときの賞状だ。
その隣の写真には、青い髪の幼い私が写っている。
初めて入賞したときに撮ったものだ。
その手にはしっかりと賞状が握られている。
そういえば今日は何日だっけ。
重い体を起こし、眠い目を擦りながらカレンダーを見る。
二〇二四年六月三日の月曜日。
一番梅雨が騒がしい時期だ。
着替えを済ませて一階に降りるとお父さんがテーブルに突っ伏して眠っている。
近くには焼酎のビンとお母さんの写真。
また夜遅くまで飲んでいたのだろう。
適当に朝食と二人分のお弁当を作ってお父さんを起こす。
「おはよう。もうこんな時間か」
寝癖がひどくて髭も剃っていない。
お母さんがいなくなってから、お父さんから活気というものが感じられない。
「ちゃんと準備して仕事行ってね。行ってきます。」
そう言って私は学校に向かった。
父はまだ眠そうな声で行ってらっしゃいと言った。
私は軽く手を挙げて返事をしてから自転車を走らせた。
私は自転車の通学の時間が好きだ
海の潮風を感じて好きな曲を口ずさみながら走るのはとても気持ちがいい。
でも今日みたいな雨の日は合羽を着て通学をしなきゃいけない。
雨の日の通学はまったく楽しくない。
昔は雨の日になるとお母さんが車を出してくれていた。まだ一年も経っていないのに懐かしく感じる。
****************************************************
去年の十月、騒がしい雨の日だった。
その日、私のお母さんは亡くなった。
新しくできたデパートの一部が崩れて下敷きになった。
お母さんはとても優しくてすごく強い人だった。
幼稚園に行っていた頃、私は山下君という子に毎日からかわれていた。
私の青い髪の毛を珍しがって笑ったり、周りの子たちに見せていた。
幼い頃の私は繊細でからかわれるのがとても嫌だった。
さらに周りの友達はみんな髪の毛が黒い。
だからこそ異質な自分が嫌になる。
いつものように嫌な思いをした日、幼稚園から帰ってきた私の表情を見たお母さんは、すぐに私の感情を理解してくれた。
そしてある朝、私が幼稚園に行く準備をしているとお母さんがやってきた。
「今日は幼稚園をお休みして海に行こう。」
お母さんは驚いている私の手を取って車に向かった。
移動中はいつも通りのお母さんだった。
なんで幼稚園を休んだのかは教えてくれない。
お母さんは口笛を吹きながら運転していた。
家から二十分ほど走ると海が見えてきた。
誰もいない平日の昼間。
私たちは車から降りて砂浜まで一緒に歩いた。
そして砂浜に座るとお母さんは私の方を向いて言った。
「葵は海好き?」
私は好きだよと答えた。
それを聞いたお母さんはゆっくりと、私の言葉を嚙みしめるように二回頷いた。
「何か悩んでいたらお母さんに相談していいからね。」
その瞬間、私は全てが許されたような気がした。
流れてくる涙を必死に拭ったけれどちっとも止まらない。
なんとかお母さんの方を向いて私は一度座り直す。
そして勇気を振り絞って大きく息を吸いこんだ。
「私、髪の毛が青いの嫌だ。お友達からたくさん馬鹿にされる。もう幼稚園行きたくない。」
少ない言葉でもゆっくりお母さんに伝わるように説明した。
お母さんはまた小さく頷いた。
そして立ち上がるといつもの優しい声で私に言った。
「ねぇ、葵。海が何で青いのかわかる?」
私は首を横に振った。
「海はね、いろんなものを吸収しちゃうんだよ。その中に色も入ってる。たくさんの色も海は吸収しちゃうんだ。でもね、こんなに大きな海なのに一つだけ吸収できない色があるの。それが青色。さっき葵は海が好きって言ったよね?」
私はもう一度頷いた。
「葵だけじゃない。海も葵のことが大好きなんだ。お母さんはね、海が吸収できない色を葵が代わりに吸収してくれてるのかなって思ったよ。そのご褒美に上手な絵と可愛いお顔、優しい心を貰ったんじゃないかな?」
難しい話だけどお母さんの言葉で私は救われた気がした。
今まで嫌いだった自分が一瞬で大好きに変わった瞬間だった。
****************************************************
それ以降、私はからかわれて嫌な気持ちになっても、自分を嫌いになることがなくなった。
お母さんが亡くなったときはとても悲しかったけれど、今はお父さんほど引きずってはいない。
雨が止んで空が晴れ渡った頃、長い道を走り抜けてようやく学校にたどり着いた。
学校に着くと教室には誰もいなかった。
始業時間よりも四十分以上早いから当たり前だ。
でもこのひとりの時間も悪くない。
毎日たくさんの人がこの教室を使っている。
でも今の時間だけは二年一組のこの教室が私だけのものに感じる。
しかしその優越感を味わう時間も一瞬で終わってしまう。
私の前の席の男の子が入ってきた。
その子の名前は中島晴樹《なかじまはるき》。
普段は人と話すことが少ない静かな人。
彼の描く絵はとても芸術的で秋芸祭では高く評価され、高校生初の最優秀賞を取っていた。
その絵は教室の後ろの黒板に大きく飾られている。
彼は休み時間になるとすぐに絵を描き始めて放課後も時間を忘れたように描き続けている。
私がおはようと言っても中島君は会釈をするだけ。
いつものことだ。
私は今日提出の課題を取り出す。
昨日終わらせていたので机に出して中島君の後ろから絵を盗み見ていた。
始業時間前になるとみんながぞろぞろと教室に入ってきた。
「葵おはよ~。」
隣の席から眠たそうな声が聞こえた。
声を聞けばすぐにわかる。
高橋夢《たかはしゆめ》だ。
彼女は小説を書くのが好きで、今までたくさんの小説を書いてきた。
勉強が苦手で前回の中間テストでは現代文の赤点を取っていた。
それでも小説を書く能力はとにかくすごい。
いくつか読ませてもらった小説はどれも起承転結がはっきりとしていて、感動して涙が出てくるような物語も書くことができる。
また書くスピードも早く、半月もかからずに長編の小説を仕上げてくる。
ただ性格に似合わずネガティブな小説しか書いていない。
そんな少し変わった子だ。
私はおはようと返して昨日終わらせた課題を渡した。
夢は嬉しそうにそれを受け取ってすぐに自分のプリントに書き写す。
相変わらずその作業は手慣れている。
そして夢が課題を終わらせたと同時にチャイムが鳴った。
眠そうな顔の担任の先生が教室に入ってきて課題の提出を促した。
今日も長い一日が始まる。
将来役に立つのかわからない古文の授業を聞き流していると、すぐにお昼の時間になった。
いつも私は夢と二人でご飯を食べる。
中島君はいつも私の前の席で一人でご飯を食べている。
前に何度かご飯に誘ったことがあるけど一人のほうが気楽で良いと全て断られている。
夢はご飯を頬張りながら思い出したように私を見た。
「そうだ葵!今週末、港のホテルに泊まりに行くから準備しておいてね。」
急な提案に驚きつつも詳細を聞く。
「一泊三十万?」
驚いて持っていたお箸を落としてしまった。
大きな声が出てしまったせいでクラスの人たちから注目される。
私は顔を隠しながらお箸を拾う。
「なんで急にそんなとこ行くことになったの?」
私が小声でそう聞くと、夢は笑顔で答えた。
「今ね、お金持ちの男の子が主人公の小説を書いてるんだけど、ホテルのスイートルームってどんな感じかわかんないじゃん!だから勉強をしに行きたいなって。」
理由はわからないけれど夢は、男性が主人公の作品しか書いていない。
でもどんな物語になるのかすごく楽しみ。
それにしても費用が高すぎる気がする。
でも夢からの誘いなら頑張る。
お年玉とお小遣いで貯めたお金もあるしそれを使おう。
夢と今週末の約束をしてから午後の授業に向かった。
午後の授業は美術だ。
小さい頃は少しでも空いた時間があると、お気に入りの色鉛筆とお絵描きノートを取り出して絵を描いていた。
絵を描いているときは自分に正直になれる気がした。
小学生の頃は毎年賞をもらっていたけれど、中学生になってからはいくら頑張って絵を描いても賞がもらえなくなった。
私はその賞がないことで、自分が誰にも認められていないと感じて、休み時間や休日に絵を描くのをやめた。
それでも授業の時間に絵を描くのは好き。
誰かと比べられるわけじゃないから、気持ちが楽になる。
今日の美術は創作人物画だ。
肖像画と違って目の形も服装も好きにデザインできる。
中島君はスーツを着た男性を描いていた。
いつもみたいにスラスラと描いている。
中島君が楽しそうに筆を動かしているところを見ると、オーケストラの指揮者のように見える。
音を感じながら指揮棒を振るように一度も手を止めていなかった。
私は何も考えずラフから描き始めた。
何も指定がない絵を描くときはいつも設定を作る。
今回は秋の夜に読書をする女の子を描こうと決めた。
その中でも女の子の髪型、服装、表情、本のタイトルまで考えることはたくさんある。
中島君はどうやってスラスラと書き上げているんだろう。
ラフを描き終えて設定を考えているうちに授業終了のチャイムが鳴った。
まだ描いていたいと思う気持ちと家に帰れる喜びが混ざって変な感じがする。
帰ってから少し絵を描こうかな。
学校からの帰り道、私はお父さんの職場に寄った。
職場の駐車場にお父さんの車があることを確認して、今日も仕事に行けたかどうかを把握する。
父親は建物を建てるために現場に出て、作業員をまとめ、管理をする施工管理という仕事をしている。
毎日頭を使ってたくさんの人と接しているからか、家に帰ってくる頃にはとても疲れ果てている。
それでもお父さんがいないと工事の進みがかなり遅れるくらいには活躍しているらしい。
お父さんの職場を見た後、スーパーに行って食材を買って家に帰る。
家に着いてすぐにご飯を作ろうとしたとき、玄関のドアが開いた。
「ただいま。」
お父さんが元気な声で言った。
帰ってくる時間がいつもよりも二時間くらい早い。
私が驚いた顔をしているとお父さんが着替え始めた。
「葵、海に行こう」
そういってお父さんは車に向かった。
もっと私のペースに合わせてくれても良いのに。
お父さんは仕事ができても家族との接し方はとても不器用だと思う。
せっかちで怒りっぽくて、でも優しくて人一倍心配もする人。
私はそんなお父さんのこともお母さんと同じくらい大好き。
車の中で今日の出来事やお父さんの仕事について話した。
「そういえばなんで海に行くの?」
私が聞くとお父さんは少し悩んだ後に、笑顔で気分転換だと言った。
海に着くとお父さんは車から降りて砂浜に座った。
こうして久しぶりにまじまじと見ると、昔よりもだいぶしわが増えて筋肉が減ったように感じる。
お父さんは缶コーヒーを片手に持ちながら遠くの海を眺めている。
私もお父さんの真似をして水平線を見つめていた。
波の音を聞きながら遠くを見ているとお父さんが隣で深呼吸をした。
「葵。申し訳ない。」
お父さんは海を見ながらそう言った。
「なんでお父さん、謝ってるの?」
そう聞くとお父さんは覚悟を決めたような表情で私を見た。
その瞳には涙が浮かんでいる。
「実は母さんが被害にあったデパートを建てたのは俺なんだ。俺の管理不足で、母さんを殺しちゃったんだ。」
そう言ってお父さんは辛そうに下を向いた。
「でもお父さんは隣の売店の工事を管理していたんじゃないの?」
優しく聞いてもお父さんは違う、違うんだと言って自分を責め続けた。
お父さんは私が知っている通り、デパートの隣の売店を担当していた。
デパートの方は別の会社が担当していたけれど、工事に関しての相談は全てお父さんにしていたらしい。
だからお父さんはお母さんが亡くなった日から、今もずっと自分を責め続けている。
「それでも私はお父さんのこと責めようなんて思わないよ。お父さんが元気じゃないのが嫌だよ。私たち二人でお母さんの分まで生きようよ。」
私がそう言うとお父さんは泣きながら何度も頷いた。
「前に母さんに言われたことがあってな。」
お父さんは遠くを見つめながらそう言った。
私はじっと次の言葉を待つ。
「葵と真剣に話したいときは海で話すと良い。俺は母さんからそうアドバイスされたんだ。理由はわからなかったけど不思議とその通りにしてよかったなって思うよ。」
私はお母さんと海で話したあの日のことを思い出した。
「やっぱりお母さんはすごいね。私たちのこと、亡くなった今でも繋いでくれてる。」
太陽が水平線に隠れて見えなくなった頃、私たちは家に帰ることにした。
ご飯とお風呂を済ませて自分の部屋に戻る。
帰ってきてからお父さんは少しすっきりしたようで表情が明るくなった気がする。
安心した私はすぐに眠りについた。
私には一つ気になっていることがある。
それは私のクラスの出席番号一番の子。
その子の名前は朝比奈日向《あさひなひなた》。
小学校のころから一度も見たことがない。
この島は人口が少なくて高校も行きたい人は試験無しで自由に行くことができる。
だから高校は自然と皆が行く。
けれど朝比奈さんは入学してから一度も学校に来ていない。
クラスで朝比奈さんのことを知る人は誰もいないみたいで、話題にすらならない不思議な人だ。
私は勝手に魔法使い、絶世の美女、天使のような子と妄想を膨らませている。
今日も楽しく妄想をしているところに邪魔が入った。
「葵、ついに明日だよ!」
夢が輝きすぎた目で私に抱きつく。
「はいはい、明日だね。」
私は少しだるそうに返した。
そして今日が金曜日なことに気づく。
一週間はとても不思議で水曜日までは長く感じるのに、木曜日からはあっという間だったなと感じる。
少し拗ねた顔をした夢が悲しそうに私を見つめる。
「もちろん楽しみだよ。」
そう言うと夢はまた笑顔に戻った。
今週最後の授業を終えてから、家に帰ってご飯の準備をする。
最近のお父さんはよく食べるから早めに作り始めるようにしている。
お父さんは毎晩お母さんの写真に向かって、俺たちは二人で頑張ってるぞと声をかけている。
今までよりも生き生きしたお父さんを見ると、私まで元気になってくる。
ご飯をセットしてお風呂の準備をする。
それからご飯作りを始めると、夜ご飯が完成すると同時にお父さんが帰ってきた。
「ただいま~。」
疲れたような声でそう言った。
「今日もお疲れ様。」
そう言って私はご飯の準備をする。
いつもはすぐに着替えるお父さんが今日は着替えずに和室の方へ向かっていった。
いつもと違うお父さんを不思議に思いついていくと、お父さんは仏壇のお母さんの遺影の前に正座をした。
「俺、やっと工事の最高責任者を任されたよ。今までよりも責任があるけど、ちゃんとやり遂げるよ。」
お父さんは涙を浮かべながら誇らしげにそう言った。
無意識のうちに私の体が動き、拍手を始めた
お母さんの分も込めて強く強く。。
お父さんの努力を称えてずっとずっと。
次第にお父さんの涙が止まらなくなった。
そしてお父さんは立ち上がり大きく息を吸い込んだ。
「どうだ、かっこいいだろ。工事長になったぞ!」
汚い服で泣きながらそう言った。
一般的に見たらかっこよくない。
けれど私はすごくかっこいいと思った。
写真の中の笑顔のお母さんがいつもよりも笑っている気がした。
その島は春に満開の桜が咲き、夏には鮮やかなひまわりが咲き、秋は紅葉、冬は一面がシクラメンの色に染まる。
その島を発見した者は神様が住む島、住神島と名付け日本中に広めた。
現在、この島では年に一度、日本中の人々が参加する芸術を披露する祭典がある。
その祭典は日本が誇る芸術文化の一つであり、参加者は毎年五千人を超える。
人々はその祭典を秋芸祭《しゅうげいさい》と呼ぶ。
今日は目覚まし時計が鳴るよりも早く目が覚めた。
外を見なくても豪雨とわかるほど騒がしい音は、私の睡眠を妨げて気分を悪くさせる。
雨は嫌いだ。
特に今日みたいな大雨は大嫌い。
ベットに横たわったまま窓の反対側を見ると額縁に入った賞状が六つ見える。
長野葵《ながのあおい》。
私の名前が大きく書いてある。
あれは小学生の時に描いた絵が評価され、金賞を取ったときの賞状だ。
その隣の写真には、青い髪の幼い私が写っている。
初めて入賞したときに撮ったものだ。
その手にはしっかりと賞状が握られている。
そういえば今日は何日だっけ。
重い体を起こし、眠い目を擦りながらカレンダーを見る。
二〇二四年六月三日の月曜日。
一番梅雨が騒がしい時期だ。
着替えを済ませて一階に降りるとお父さんがテーブルに突っ伏して眠っている。
近くには焼酎のビンとお母さんの写真。
また夜遅くまで飲んでいたのだろう。
適当に朝食と二人分のお弁当を作ってお父さんを起こす。
「おはよう。もうこんな時間か」
寝癖がひどくて髭も剃っていない。
お母さんがいなくなってから、お父さんから活気というものが感じられない。
「ちゃんと準備して仕事行ってね。行ってきます。」
そう言って私は学校に向かった。
父はまだ眠そうな声で行ってらっしゃいと言った。
私は軽く手を挙げて返事をしてから自転車を走らせた。
私は自転車の通学の時間が好きだ
海の潮風を感じて好きな曲を口ずさみながら走るのはとても気持ちがいい。
でも今日みたいな雨の日は合羽を着て通学をしなきゃいけない。
雨の日の通学はまったく楽しくない。
昔は雨の日になるとお母さんが車を出してくれていた。まだ一年も経っていないのに懐かしく感じる。
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去年の十月、騒がしい雨の日だった。
その日、私のお母さんは亡くなった。
新しくできたデパートの一部が崩れて下敷きになった。
お母さんはとても優しくてすごく強い人だった。
幼稚園に行っていた頃、私は山下君という子に毎日からかわれていた。
私の青い髪の毛を珍しがって笑ったり、周りの子たちに見せていた。
幼い頃の私は繊細でからかわれるのがとても嫌だった。
さらに周りの友達はみんな髪の毛が黒い。
だからこそ異質な自分が嫌になる。
いつものように嫌な思いをした日、幼稚園から帰ってきた私の表情を見たお母さんは、すぐに私の感情を理解してくれた。
そしてある朝、私が幼稚園に行く準備をしているとお母さんがやってきた。
「今日は幼稚園をお休みして海に行こう。」
お母さんは驚いている私の手を取って車に向かった。
移動中はいつも通りのお母さんだった。
なんで幼稚園を休んだのかは教えてくれない。
お母さんは口笛を吹きながら運転していた。
家から二十分ほど走ると海が見えてきた。
誰もいない平日の昼間。
私たちは車から降りて砂浜まで一緒に歩いた。
そして砂浜に座るとお母さんは私の方を向いて言った。
「葵は海好き?」
私は好きだよと答えた。
それを聞いたお母さんはゆっくりと、私の言葉を嚙みしめるように二回頷いた。
「何か悩んでいたらお母さんに相談していいからね。」
その瞬間、私は全てが許されたような気がした。
流れてくる涙を必死に拭ったけれどちっとも止まらない。
なんとかお母さんの方を向いて私は一度座り直す。
そして勇気を振り絞って大きく息を吸いこんだ。
「私、髪の毛が青いの嫌だ。お友達からたくさん馬鹿にされる。もう幼稚園行きたくない。」
少ない言葉でもゆっくりお母さんに伝わるように説明した。
お母さんはまた小さく頷いた。
そして立ち上がるといつもの優しい声で私に言った。
「ねぇ、葵。海が何で青いのかわかる?」
私は首を横に振った。
「海はね、いろんなものを吸収しちゃうんだよ。その中に色も入ってる。たくさんの色も海は吸収しちゃうんだ。でもね、こんなに大きな海なのに一つだけ吸収できない色があるの。それが青色。さっき葵は海が好きって言ったよね?」
私はもう一度頷いた。
「葵だけじゃない。海も葵のことが大好きなんだ。お母さんはね、海が吸収できない色を葵が代わりに吸収してくれてるのかなって思ったよ。そのご褒美に上手な絵と可愛いお顔、優しい心を貰ったんじゃないかな?」
難しい話だけどお母さんの言葉で私は救われた気がした。
今まで嫌いだった自分が一瞬で大好きに変わった瞬間だった。
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それ以降、私はからかわれて嫌な気持ちになっても、自分を嫌いになることがなくなった。
お母さんが亡くなったときはとても悲しかったけれど、今はお父さんほど引きずってはいない。
雨が止んで空が晴れ渡った頃、長い道を走り抜けてようやく学校にたどり着いた。
学校に着くと教室には誰もいなかった。
始業時間よりも四十分以上早いから当たり前だ。
でもこのひとりの時間も悪くない。
毎日たくさんの人がこの教室を使っている。
でも今の時間だけは二年一組のこの教室が私だけのものに感じる。
しかしその優越感を味わう時間も一瞬で終わってしまう。
私の前の席の男の子が入ってきた。
その子の名前は中島晴樹《なかじまはるき》。
普段は人と話すことが少ない静かな人。
彼の描く絵はとても芸術的で秋芸祭では高く評価され、高校生初の最優秀賞を取っていた。
その絵は教室の後ろの黒板に大きく飾られている。
彼は休み時間になるとすぐに絵を描き始めて放課後も時間を忘れたように描き続けている。
私がおはようと言っても中島君は会釈をするだけ。
いつものことだ。
私は今日提出の課題を取り出す。
昨日終わらせていたので机に出して中島君の後ろから絵を盗み見ていた。
始業時間前になるとみんながぞろぞろと教室に入ってきた。
「葵おはよ~。」
隣の席から眠たそうな声が聞こえた。
声を聞けばすぐにわかる。
高橋夢《たかはしゆめ》だ。
彼女は小説を書くのが好きで、今までたくさんの小説を書いてきた。
勉強が苦手で前回の中間テストでは現代文の赤点を取っていた。
それでも小説を書く能力はとにかくすごい。
いくつか読ませてもらった小説はどれも起承転結がはっきりとしていて、感動して涙が出てくるような物語も書くことができる。
また書くスピードも早く、半月もかからずに長編の小説を仕上げてくる。
ただ性格に似合わずネガティブな小説しか書いていない。
そんな少し変わった子だ。
私はおはようと返して昨日終わらせた課題を渡した。
夢は嬉しそうにそれを受け取ってすぐに自分のプリントに書き写す。
相変わらずその作業は手慣れている。
そして夢が課題を終わらせたと同時にチャイムが鳴った。
眠そうな顔の担任の先生が教室に入ってきて課題の提出を促した。
今日も長い一日が始まる。
将来役に立つのかわからない古文の授業を聞き流していると、すぐにお昼の時間になった。
いつも私は夢と二人でご飯を食べる。
中島君はいつも私の前の席で一人でご飯を食べている。
前に何度かご飯に誘ったことがあるけど一人のほうが気楽で良いと全て断られている。
夢はご飯を頬張りながら思い出したように私を見た。
「そうだ葵!今週末、港のホテルに泊まりに行くから準備しておいてね。」
急な提案に驚きつつも詳細を聞く。
「一泊三十万?」
驚いて持っていたお箸を落としてしまった。
大きな声が出てしまったせいでクラスの人たちから注目される。
私は顔を隠しながらお箸を拾う。
「なんで急にそんなとこ行くことになったの?」
私が小声でそう聞くと、夢は笑顔で答えた。
「今ね、お金持ちの男の子が主人公の小説を書いてるんだけど、ホテルのスイートルームってどんな感じかわかんないじゃん!だから勉強をしに行きたいなって。」
理由はわからないけれど夢は、男性が主人公の作品しか書いていない。
でもどんな物語になるのかすごく楽しみ。
それにしても費用が高すぎる気がする。
でも夢からの誘いなら頑張る。
お年玉とお小遣いで貯めたお金もあるしそれを使おう。
夢と今週末の約束をしてから午後の授業に向かった。
午後の授業は美術だ。
小さい頃は少しでも空いた時間があると、お気に入りの色鉛筆とお絵描きノートを取り出して絵を描いていた。
絵を描いているときは自分に正直になれる気がした。
小学生の頃は毎年賞をもらっていたけれど、中学生になってからはいくら頑張って絵を描いても賞がもらえなくなった。
私はその賞がないことで、自分が誰にも認められていないと感じて、休み時間や休日に絵を描くのをやめた。
それでも授業の時間に絵を描くのは好き。
誰かと比べられるわけじゃないから、気持ちが楽になる。
今日の美術は創作人物画だ。
肖像画と違って目の形も服装も好きにデザインできる。
中島君はスーツを着た男性を描いていた。
いつもみたいにスラスラと描いている。
中島君が楽しそうに筆を動かしているところを見ると、オーケストラの指揮者のように見える。
音を感じながら指揮棒を振るように一度も手を止めていなかった。
私は何も考えずラフから描き始めた。
何も指定がない絵を描くときはいつも設定を作る。
今回は秋の夜に読書をする女の子を描こうと決めた。
その中でも女の子の髪型、服装、表情、本のタイトルまで考えることはたくさんある。
中島君はどうやってスラスラと書き上げているんだろう。
ラフを描き終えて設定を考えているうちに授業終了のチャイムが鳴った。
まだ描いていたいと思う気持ちと家に帰れる喜びが混ざって変な感じがする。
帰ってから少し絵を描こうかな。
学校からの帰り道、私はお父さんの職場に寄った。
職場の駐車場にお父さんの車があることを確認して、今日も仕事に行けたかどうかを把握する。
父親は建物を建てるために現場に出て、作業員をまとめ、管理をする施工管理という仕事をしている。
毎日頭を使ってたくさんの人と接しているからか、家に帰ってくる頃にはとても疲れ果てている。
それでもお父さんがいないと工事の進みがかなり遅れるくらいには活躍しているらしい。
お父さんの職場を見た後、スーパーに行って食材を買って家に帰る。
家に着いてすぐにご飯を作ろうとしたとき、玄関のドアが開いた。
「ただいま。」
お父さんが元気な声で言った。
帰ってくる時間がいつもよりも二時間くらい早い。
私が驚いた顔をしているとお父さんが着替え始めた。
「葵、海に行こう」
そういってお父さんは車に向かった。
もっと私のペースに合わせてくれても良いのに。
お父さんは仕事ができても家族との接し方はとても不器用だと思う。
せっかちで怒りっぽくて、でも優しくて人一倍心配もする人。
私はそんなお父さんのこともお母さんと同じくらい大好き。
車の中で今日の出来事やお父さんの仕事について話した。
「そういえばなんで海に行くの?」
私が聞くとお父さんは少し悩んだ後に、笑顔で気分転換だと言った。
海に着くとお父さんは車から降りて砂浜に座った。
こうして久しぶりにまじまじと見ると、昔よりもだいぶしわが増えて筋肉が減ったように感じる。
お父さんは缶コーヒーを片手に持ちながら遠くの海を眺めている。
私もお父さんの真似をして水平線を見つめていた。
波の音を聞きながら遠くを見ているとお父さんが隣で深呼吸をした。
「葵。申し訳ない。」
お父さんは海を見ながらそう言った。
「なんでお父さん、謝ってるの?」
そう聞くとお父さんは覚悟を決めたような表情で私を見た。
その瞳には涙が浮かんでいる。
「実は母さんが被害にあったデパートを建てたのは俺なんだ。俺の管理不足で、母さんを殺しちゃったんだ。」
そう言ってお父さんは辛そうに下を向いた。
「でもお父さんは隣の売店の工事を管理していたんじゃないの?」
優しく聞いてもお父さんは違う、違うんだと言って自分を責め続けた。
お父さんは私が知っている通り、デパートの隣の売店を担当していた。
デパートの方は別の会社が担当していたけれど、工事に関しての相談は全てお父さんにしていたらしい。
だからお父さんはお母さんが亡くなった日から、今もずっと自分を責め続けている。
「それでも私はお父さんのこと責めようなんて思わないよ。お父さんが元気じゃないのが嫌だよ。私たち二人でお母さんの分まで生きようよ。」
私がそう言うとお父さんは泣きながら何度も頷いた。
「前に母さんに言われたことがあってな。」
お父さんは遠くを見つめながらそう言った。
私はじっと次の言葉を待つ。
「葵と真剣に話したいときは海で話すと良い。俺は母さんからそうアドバイスされたんだ。理由はわからなかったけど不思議とその通りにしてよかったなって思うよ。」
私はお母さんと海で話したあの日のことを思い出した。
「やっぱりお母さんはすごいね。私たちのこと、亡くなった今でも繋いでくれてる。」
太陽が水平線に隠れて見えなくなった頃、私たちは家に帰ることにした。
ご飯とお風呂を済ませて自分の部屋に戻る。
帰ってきてからお父さんは少しすっきりしたようで表情が明るくなった気がする。
安心した私はすぐに眠りについた。
私には一つ気になっていることがある。
それは私のクラスの出席番号一番の子。
その子の名前は朝比奈日向《あさひなひなた》。
小学校のころから一度も見たことがない。
この島は人口が少なくて高校も行きたい人は試験無しで自由に行くことができる。
だから高校は自然と皆が行く。
けれど朝比奈さんは入学してから一度も学校に来ていない。
クラスで朝比奈さんのことを知る人は誰もいないみたいで、話題にすらならない不思議な人だ。
私は勝手に魔法使い、絶世の美女、天使のような子と妄想を膨らませている。
今日も楽しく妄想をしているところに邪魔が入った。
「葵、ついに明日だよ!」
夢が輝きすぎた目で私に抱きつく。
「はいはい、明日だね。」
私は少しだるそうに返した。
そして今日が金曜日なことに気づく。
一週間はとても不思議で水曜日までは長く感じるのに、木曜日からはあっという間だったなと感じる。
少し拗ねた顔をした夢が悲しそうに私を見つめる。
「もちろん楽しみだよ。」
そう言うと夢はまた笑顔に戻った。
今週最後の授業を終えてから、家に帰ってご飯の準備をする。
最近のお父さんはよく食べるから早めに作り始めるようにしている。
お父さんは毎晩お母さんの写真に向かって、俺たちは二人で頑張ってるぞと声をかけている。
今までよりも生き生きしたお父さんを見ると、私まで元気になってくる。
ご飯をセットしてお風呂の準備をする。
それからご飯作りを始めると、夜ご飯が完成すると同時にお父さんが帰ってきた。
「ただいま~。」
疲れたような声でそう言った。
「今日もお疲れ様。」
そう言って私はご飯の準備をする。
いつもはすぐに着替えるお父さんが今日は着替えずに和室の方へ向かっていった。
いつもと違うお父さんを不思議に思いついていくと、お父さんは仏壇のお母さんの遺影の前に正座をした。
「俺、やっと工事の最高責任者を任されたよ。今までよりも責任があるけど、ちゃんとやり遂げるよ。」
お父さんは涙を浮かべながら誇らしげにそう言った。
無意識のうちに私の体が動き、拍手を始めた
お母さんの分も込めて強く強く。。
お父さんの努力を称えてずっとずっと。
次第にお父さんの涙が止まらなくなった。
そしてお父さんは立ち上がり大きく息を吸い込んだ。
「どうだ、かっこいいだろ。工事長になったぞ!」
汚い服で泣きながらそう言った。
一般的に見たらかっこよくない。
けれど私はすごくかっこいいと思った。
写真の中の笑顔のお母さんがいつもよりも笑っている気がした。
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