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第3話:穴あき靴下のトムは、思い出さなくていい噂を思い出す
しおりを挟む海が歌わなくなったのは、いつからだったか。
♪Row or row を刻んでいたはずの波が、気づけば拍を外し、ずるりと間延びした音を立てている。
誰も口に出さない。
だが全員、同じ違和感を踏んでいた。
「なあ」
穴あき靴下のトムが言った。
甲板の端で、意味もなくロープを弄びながら。
この船で「なあ」は危険な合図だ。
だいたい余計な話が続く。
アクセルは振り向かない。
「噂か?」
「噂」
即答だった。
トムは一度だけ喉を鳴らし、軽く笑う。
笑い方がロックじゃない。
だからこそ、嫌な予感がした。
「昔、港で聞いた話なんだけどさ」
レムが舵を握ったまま、耳だけ向ける。
短い脚が、無意識に踏ん張った。
「この海域、歌が合わなくなるって」
ピンがマストの上で動きを止めた。
高すぎる場所で、風を読むのをやめる。
「合わなくなる?」
ボルトが眉をひそめる。
先に撃つボルトが、まだ撃たないでいる。
トムは頷く。
「船の歌と、海の歌が。リズムがズレて、声が浮く。で、浮いた声から――持ってかれる」
「何に」
フックが包丁を止めずに聞く。
「猫じゃないものに」
一瞬、船が軋んだ。
モスが反射的に船体を叩く。
「縁起でもねぇ」
「そう。だから誰も本気にしなかった」
トムは肩をすくめる。
穴の空いた靴下みたいな態度だ。
「ただな、その噂、続きがあって」
アクセルが、ようやく振り向いた。
「言え」
トムは、少しだけ声を低くした。
「歌う船ほど、狙われる」
風が変わる。
ほんの一瞬、帆が鳴らなかった。
レムが言う。
「今の、聞こえた?」
「聞こえなかったのが問題だな」
アクセルは笑う。
だが牙は見せない。
♪Row or row
♪Row and row
誰かが小さく歌い始める。
だが続かない。
拍が合わない。
「……やめとけ」
アクセルが言う。
歌が止まる。
止まった瞬間、海が一段、静かになった。
ピンが叫ぶ。
「前方! 海の色が違う!」
水平線の一角だけが、黒い。
夜でも嵐でもない、濡れた黒。
ボルトが砲に手をかける。
「撃つ?」
「何に撃つつもりだ?まだだ」
アクセルは前を見る。
トムが、ぽつりと言う。
「な? ロックだろ」
誰も笑わなかった。
笑えない噂ほど、よく当たる。
船はその黒い海へ、ゆっくり近づいていく。
歌わないまま。
止まりもしないまま。
アクセルは操舵輪を踏みしめる。
「いいぜ」
低く、確かな声。
「吠える相手が、やっと決まった」
船は答えず、ただ深く、軋んだ。
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