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第二話:目は口ほどに物を言う《unopened》

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 在塚ありつか 有梨ゆりという少女のことを、代理人、こがらし 風凪ふうなが視認したのは二月十四日の木曜日、世に言うバレンタインデーのことだった。

 視認したという言い方は、それはある種の一方性、つまり、在塚の方からは風凪のことを視認することはできなかった、という背景情報を意識したうえでの表現である。
 そんな風に言ってしまうと、風凪が透明人間になってしまったかのような――僕が風凪と同居しているのは彼女を誰からも記憶されない透明人間にしないためであったわけだが――物言いになってしまうけれど、決してそういうわけではなない。


 風凪自身は、物理的にはあるいは光学的には視認可能だ。

 だから、視認できなかったのは在塚の方に存在する事情ゆえであった。




 在塚 有梨は、全盲の少女である。


 その瞳は完全に視力を失っている。




 目元を包帯で覆われたその姿は、非常に痛ましく、そして、誰もが彼女を守らなくては、と感じるものであった。

 そんな彼女を、我らが主人公――他人のことであれども何にでも首を突っ込む、トラブルメイカーならぬトラブルテイカーの凩 風凪が放っておくというのが土台無理な話であった。

 しかし、今回に関しては僕もその場に居合わせなかったというわけではない。それにも関わらず今回の物語が発生することを回避できなかったというのは、僕としては非常に不本意ではあるのだけれど、しかし、起こってしまったことは仕方がない。

 それに、その場に居合わせたところで、またしても僕が何かをできたわけではない。
 ただ風凪のそばで、その事件の一部始終を見届けただけである。


 だが、一応の解決を見た幕上 日暮を中心とした「舌切り雀」にまつわるケースと比較して、今回の在塚 有梨のケースに関しては、およそ解決と呼べるものが提示できないことを思うと、僕が関わったこと自体が在塚にとって不幸なことだったのではないかと思ってしまう節はある。


 それは単なる被害妄想、というよりは加害妄想なのかもしれないけれど、そもそも風凪が自身の存在証明のためにルールに縛られることになったのも、元はと言えば僕が彼女に関わったことに端を発しているのだから、僕にはそういった「歪みバイアス」があるのではないか、とさえ思ってしまう。


 周囲を巻き込んで、台無しにしてしまう。誰かの努力や理想、希望のようなものを無に帰してしまう。そんな「歪み」が。


 そう思ってしまうと、やはり不本意なのは、今回の物語が発生することを回避できなかったことなんかよりも、そもそも僕がこの物語の中に居合わせてしまったということ自体なのかもしれない。

 風凪の悪い特性が、何にでも首を突っ込むことなのだとすれば、僕の持つ悪性は、気付かなくてもいいことに気付いてしまうことなのだと、僕は自分なりに理解していた。



 気付かなくてもいいこと――もう少しはっきり言うならば、気付いても仕方がないこと。気付いても誰も救われないこと。



 そして、例に漏れず、在塚の一件についても、僕は気付かなくていいことに気付いてしまったが故に、この物語はどうしても後味の悪いものになってしまった。始末が悪いものになってしまった。



 しかし、だからと言って、僕はこの物語を語らないわけにはいかない。


 僕にできるのは、凩 風凪が目撃し、そして明日語あすがたり 飛鳥あすかが読み解き、解き明かした物語を、傍観者として、語り手として語ることだけなのだから。




 話をもとに戻すと、在塚は全盲であるがゆえに、風凪からは視認できたとしても、在塚からは、少なくとも視力に頼る形においては風凪を認識できなかったわけである。もちろん、そこに居合わせた僕のこともまた、彼女は見ることはない。

 だから、この物語は、全盲の少女に対して風凪と僕が相対しているという前提で、僕は語らねばなるまい。
 幕上 日暮の件については、話のほとんどが風凪による伝聞であるという制約を持って語っていたが、今回は風凪や僕が見ているものを、在塚 有梨には見えていないということに留意して語らねばならない、ということだ。


 それにしても、味覚を消失した青年、幕上 日暮に続いて、視覚を失った少女、在塚 有梨と関わることになったというのは、何かしら因果めいたものを感じるところではあるのだが、先んじて言ってしまうと、彼女が視覚を失ったのは「歪み」によって生じた超常現象ではない。
 その点で言っても、幕上 日暮と在塚 有梨のそれぞれが体験したエピソードというのは、それほど似通ったものではなかったりする。



 そもそも、「歪み」に関する物語というのは、その人物がどのような人生を歩んできたのか、ということを発端にして生じるものであって、その「歪み」によって生じた結果が似たようなものだからと言って、その元となった「歪み」までもが似たようなものであるということにはならないのだ。
 それを忘れてしまっては、「歪み」を受け止め、受け入れることなどできない。


 だから、「歪み」に都合をつける回帰式、明日語はその全知とも言えるキャラクター性を以て、彼女の「歪み」を知るのである。



 彼女の盲いた目が、それまでどんな世界を映していたのか。
 そして、見えていたはずの世界が見えなくなったしまった彼女は何を求め、何を欲したのか。
 目は口ほどに物を言う、とは言うけれど、彼女の隠された目は僕らに何を語ろうとしたのか。あるいは、語ろうとしなかったのか。
 その答えが、どこまでも行き場のない、袋小路の閉じてしまったものだったとしても。
 知らなければ、終わらない――終われない。



 この物語を通して、他人が歩んできた人生について知るということは、決して前向きなことばかりではないのだと、風凪と僕は改めて思い知ることになる。それは、明日語がどういうものと向き合っているのか、もう少し言えば明日語がどういう人間なのかを、改めて思い知ることであるとも言えた。


 またもや、ぐだぐだと言い訳を続けてきたが、そろそろ語り始めなければなるまい。


 在塚 有梨という全盲の少女が、どういう人物だったのかという話を。
 そして、彼女を中心として僕たちが巻き込まれた、「軍隊蟻」の話を。
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