婚約破棄されましたが、隣国の大将軍に溺愛されて困ってます

有賀冬馬

文字の大きさ
1 / 3

しおりを挟む
その日は、きらきらとした夜会の灯りの下で、始まりました。
 王都の中心にある華やかな大広間。あちこちから音楽と笑い声がこぼれていて、ドレスの裾がふわふわと揺れるたびに、香水と花の香りが舞ってきます。

 わたし、リーナ・エヴァンストンは、その場の片隅にそっと立っていました。
 肩までの栗色の髪をゆるく結い、控えめな水色のドレスを着て。自分でも地味だってわかっています。だけど、わたしはこれしか知らなかったから、仕方なかったのです。

「ねえ見て、あれリーナ子爵令嬢じゃない? また地味~なドレス着てる」

「うそ、ほんとだ。まるで壁みたい。社交界っていうより、お城の装飾品って感じ?」

 聞こえないふりをしても、そういう声はどうしても耳に届いてしまいます。
 笑ってるのは、エドワルドの取り巻きの女の子たち。彼女たちはいつだって、わたしのことを「つまらない令嬢」って呼んでくるのです。

 わたしの婚約者、エドワルド・ベイラント。貴族の中でも有力な家系の若き騎士団長。金髪で背が高くて、ぱっと見は絵に描いたような「素敵な貴族さま」でした。

 でも、ほんとの彼は――。

「リーナ、ちょっと話があるんだ」

 その声がしたとき、胸の奥がひやりと冷たくなりました。
 わたしは彼の顔を見上げました。目が、笑っていませんでした。むしろ、どこかうんざりしているような、冷たい目。

「こんなところで?」

「いいから」

 有無を言わせぬ態度で、わたしは人目の少ない庭園の端へと連れていかれました。
 夜の風が少しだけ冷たくて、思わず肩をすくめます。だけど、エドワルドはそんなこと、全然気にしていない様子で、まっすぐにわたしを見おろしました。

「リーナ、君とは婚約を解消する」

「――……え?」

 声が出ませんでした。
 言葉が、頭の中でうまく形にならなくて、ただ、胸の奥がぎゅっと痛んで、息が止まりそうになったのです。

「君ってさ、平凡すぎるんだよ。どこにでもいる令嬢って感じで、正直つまらない。社交界じゃ君の話題なんて誰もしないし、僕の隣に立つなら、もっと華やかで話題になる女性がいい」

 何それ。
 わたしが何をしたっていうの。
 地味なドレスが悪いの? 控えめにしていたことが? おしとやかでいたことが? あなたのお父さまが決めた婚約を、まじめに守ってきただけなのに。

 ……でも。
 わたしは唇を噛んで、必死で涙をこらえました。

「わかりました。エドワルド様がそうおっしゃるのなら」

「え? ……ああ、そう。まあ、そういうとこが“つまらない”って思うんだけどね」

 ひとこと、ひとことが、心を削るみたいに痛かった。
 でも、泣きたくなかった。
 こんな人の前で、涙なんて見せたくなかった。

「じゃ、そういうことで。僕はもう次の相手を決めてるからさ。あ、あとで正式な書類は送るよ」

 そう言い残して、彼はさっさと背を向けて行ってしまいました。
 わたしのことなんて、最初からいなかったかのように。

 ……バカみたい。
 何年も彼の婚約者として、ちゃんとふるまってきたのに。
 信じてたのに。

 でも――きっと、これでよかったんだと思う。
 だって、あんな人と結婚してたら、わたし、一生「地味でつまらない妻」って言われ続けていたんだもの。

「……ふふ。よかったわね、エドワルド様。これで、もっと“話題になる女性”とやらと、好きに騒げるじゃない?」

 ぽつりとつぶやいた声に、誰も気づかない。
 満月の下、わたしの影は細く長く伸びていて――その先に、まだ見えない未来があるように感じました。

 そのときは、まさか自分が隣国の大将軍に見初められて、全く違う人生を歩むなんて、少しも想像していなかったけれど――。







 馬車の車輪が、ガタガタと揺れながら小さな村道を進んでいく。
 窓から差しこむ風は、王都よりずっと冷たくて、まるで季節がひとつ早く巡っているようだった。

「ラステリア行きの乗り合い馬車は、こっちだよ、お嬢さん」

 そう言って手を差し出してくれたのは、白髪まじりの親切な御者のおじいさんだった。
 わたしは、王都の屋敷を出るとき、あまりにあっけないくらいすぐに荷物をまとめた。
 小さな鞄に詰められたのは、最小限の着替えと、家族の記念のペンダント。それから――誰にも見せたことのない日記帳。

「……こんなに、簡単に出て行けるんだね」

 思わず、ぽつりと声に出していた。
 あんなにがんばって、貴族らしくふるまおうとした王都での日々。あれは何だったんだろうって、ひとりで笑えてきた。

 わたしの行き先は、隣国ラステリア。
 母の遠縁にあたるおばさまが、小さな町で暮らしているという手紙を昔もらったことがあって……それだけが、今のわたしのたより。

「ご無沙汰しております、って、ちゃんと伝えられるかな……」

 少し不安で、でも、少し楽しみで。
 王都で“地味でつまらない”って言われてきたわたしにとって、ラステリアはまるで別の世界みたいに思えた。

 

 ――けれど。

 運命って、たまにほんとうに、びっくりするようなことをしてくる。

 

 馬車が深い森を抜けるころ、突然、ガタッと車体が揺れて、御者のおじいさんが慌てた声をあげた。

「なっ、なんだ!? ……あれは……っ!」

「なに?」

 わたしも身を乗り出して外をのぞきこむ。
 そのとき――道の先に、数人の男たちが立っていた。顔の下半分を布で隠し、手には鈍く光る剣。

 ……まさか、山賊!? こんな場所で……!

「止まれー! 荷物を全部置いてけぇ!!」

 男のひとりが叫びながら、こちらに駆けてくる。
 御者のおじいさんが手綱を引いて馬車を止めたけど、わたしの心臓はどくどくと鳴って、手足が冷たくなっていった。

「どうしよう……どうすれば……っ」

 逃げ道もない。助けもいない。わたし一人じゃ、きっと――

 そのときだった。

 ずどんっ!!!

 まるで雷みたいな音が響いて、男たちが次々に倒れていった。

 ……え? なに? いったい何が――

「……下がっていろ、嬢ちゃん」

 その声は、低くて、どこかやさしい響きがあった。
 現れたのは、馬にまたがったひとりの男の人。長い黒髪を風になびかせ、漆黒の鎧をまとい、背中には……大きな剣。

 わたしは、目を奪われた。

 ただ、ただ、見とれてしまったのだ。

「よく無事だったな。……怖かったろう」

 彼が近づいて、手を差しのべてくれた。
 その大きな手に触れた瞬間、心の中の恐怖がすぅっと引いていくのがわかった。

「……あ、あの。ど、どなた……ですか?」

 声がうわずってしまって、自分でも恥ずかしかった。

「グレイ・コーディア。ラステリア王国の将軍職を仰せつかっている」

 ……しょ、将軍……!?
 わたし、そんなすごい人に助けられたの!?

「こんな道に、貴族の娘がひとりで旅をしてるなんて……何か、わけがあるんだろう?」

 彼はそう言って、わたしの目をまっすぐに見つめた。
 その目が、まるで全てを見抜いているようで、わたしは思わず、目をそらしてしまった。

「……事情があって、ラステリアへ向かっていたんです」

「そうか。なら、ラステリアにある俺の屋敷に来い。それに道中は危険だ。ここから先は、護衛が必要だ」

「えっ、でも……そんな、大将軍さまにご迷惑は……!」

「助けたんだから、最後まで責任を持たせてくれ」

 彼は、にかっと笑った。
 その笑顔は、ちょっと子どもみたいで、でもどこか頼りがいがあって。――胸が、少しだけ温かくなった。

 わたしは、その手を、ぎゅっと握り返した。

「……ありがとうございます。よろしくお願いします、グレイ様」

 こうして、わたしの旅は、大きく変わっていく。
 遠い国で、偶然出会ったひとりの男の人。
 ――後に、わたしの人生をまるごと変える人になるなんて、このときのわたしは、まだ知らなかった。







 ラステリアの都は、思っていたよりもずっと大きくて、そして優しい街でした。
 王都ほどキラキラはしていないけれど、道を歩く人たちの表情が明るくて、笑い声が自然で……なにより、空がすごく広くて。

「……うわぁ……」

 ぽつりとつぶやいたその声に、となりを歩く彼――グレイ・コーディア将軍が、ちらりとこちらを見ました。

「驚いたか?」

「はい。こんなにのびのびした街、初めてです」

「そうか。……気に入ってもらえたなら、よかった」

 その言葉を聞いて、ふっと胸があたたかくなった気がしました。

 ……こんなふうに、わたしの気持ちをまっすぐ聞いてくれる人。
 王都には、いなかったな。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 グレイ様の屋敷は、都の中心から少し離れた丘の上にありました。
 高い石の門と広い庭があるけれど、どこか素朴で、重すぎない雰囲気。

「……おじゃまします……」

 扉をくぐった瞬間、緊張でつい背筋がぴんと伸びてしまって。
 でも、すぐに出迎えてくれたのは、ふわふわの白い犬と、やさしそうなメイドさんたち。

「まあまあ、なんて可愛らしいお客様でしょう!」

「将軍様がご自分から“屋敷に迎える”なんて、珍しいですねぇ」

「お嬢さん、道中お疲れだったでしょう。すぐにお風呂の準備を――」

「ちょ、ちょっと待ってくださいっ!?」

 矢継ぎ早に世話を焼かれて、びっくりしてしまいました。
 王都では、誰もこんなふうに、わたしを“歓迎”してくれたことなんてなかったから。

 グレイ様は、それを見て、くすっと笑って。

「悪いな。うちの連中、気に入った客がくるとちょっと浮かれすぎるんだ」

「い、いえ……その、うれしいです。とても……」

「そうか。なら、もっと甘えていいんだぞ」

 ……“甘えていい”なんて。
 そんな言葉、わたしの人生で誰かに言われたの、初めてかもしれません。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 お風呂をいただいて、ふわふわのナイトドレスに着替えて、温かいスープを飲んだころ――
 わたしの心も、ほんのすこしだけ、ほどけてきました。

「……なあ、リーナ。ひとつ、聞いてもいいか?」

「はい?」

 グレイ様は、湯気の立つ紅茶を持ったまま、まっすぐにわたしを見つめていました。

「王都から、どうして出てきたんだ?」

 その声はやさしくて、強くて、でも押しつけがましくなくて。
 だから――わたしも、ゆっくりと口をひらきました。

「婚約破棄、されたんです」

「……そうか」

「“君は平凡でつまらない”って言われました。……貴族の令嬢なのに、地味だって。……笑われてました、ずっと」

 言ってるうちに、涙が出そうになってきて。
 だけど、ぐっとこらえた。

「でも、あんな人に傷つけられて、悲しんでる自分が、もっと嫌で。……それで、出てきたんです」

 グレイ様は、何も言わずに、ただ黙って聞いてくれていました。
 その沈黙が、なぜだか、わたしにはうれしかった。

 やがて、彼は一言だけ、こう言いました。

「……よく来てくれたな、リーナ」

 その言葉だけで、涙がぽろりとこぼれてしまった。

 グレイ様はあわててティーカップを置いて、わたしに近づいてきました。

「す、すまない! 嫌なこと思い出させたか!? 泣かせるつもりじゃ――」

「ちがうんです……ちがうの……」

 わたしは首をふって、袖でぬぐいました。

「うれしかったの、です。……こんなふうに、ちゃんと話を聞いてくれて、信じてくれて……」

 そう。
 ただ、それだけのことが、わたしには今までなかった。

「君は、何ひとつ“つまらなく”なんかない。むしろ、よくぞ今まで耐えてきた。偉いな」

 グレイ様のその言葉が、どれだけ胸に染みたか……言葉にはできません。

 その晩。
 わたしは初めて、夢も見ずに、ぐっすり眠りました。
 心のどこかに、あたたかいものを抱えたまま。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

殿下から「華のない女」と婚約破棄されましたが、王国の食糧庫を支えていたのは、実は私です

水上
恋愛
【全11話完結】 見た目重視の王太子に婚約破棄された公爵令嬢ルシア。 だが彼女は、高度な保存食技術で王国の兵站を支える人物だった。 そんな彼女を拾ったのは、強面の辺境伯グレン。 「俺は装飾品より、屋台骨を愛する」と実力を認められたルシアは、泥臭い川魚を売れる商品に変え、害獣を絶品ソーセージへと変えていく! 一方、ルシアを失った王宮は食糧難と火災で破滅の道へ……。

「地味な眼鏡女」と婚約破棄されましたが、この国は私の技術で保たれていたようです

水上
恋愛
【全11話完結】 「君は地味で華がない」と婚約破棄されたリル。 国を追放されるが、実は王国は全て彼女の技術で保たれていた! 「俺の世界を鮮やかにしてくれたのは君だ」 目つき最悪と恐れられた辺境伯(実はド近眼)に特製眼鏡を作ったら、隠れた美貌と過保護な愛が炸裂し始めて!? そして、王都では灯台は消え、食料は腐り、王太子が不眠症で発狂する中、リルは北の辺境で次々と革命を起こしていた。

「華がない」と婚約破棄されたけど、冷徹宰相の恋人として帰ってきたら……

有賀冬馬
恋愛
「貴族の妻にはもっと華やかさが必要なんだ」 そんな言葉で、あっさり私を捨てたラウル。 涙でくしゃくしゃの毎日……だけど、そんな私に声をかけてくれたのは、誰もが恐れる冷徹宰相ゼノ様だった。 気がつけば、彼の側近として活躍し、やがては恋人に――! 数年後、舞踏会で土下座してきたラウルに、私は静かに言う。 「あなたが捨てたのは、私じゃなくて未来だったのね」

婚約破棄された令嬢、気づけば王族総出で奪い合われています

ゆっこ
恋愛
 「――よって、リリアーナ・セレスト嬢との婚約は破棄する!」  王城の大広間に王太子アレクシスの声が響いた瞬間、私は静かにスカートをつまみ上げて一礼した。  「かしこまりました、殿下。どうか末永くお幸せに」  本心ではない。けれど、こう言うしかなかった。  王太子は私を見下ろし、勝ち誇ったように笑った。  「お前のような地味で役に立たない女より、フローラの方が相応しい。彼女は聖女として覚醒したのだ!」

離婚寸前で人生をやり直したら、冷徹だったはずの夫が私を溺愛し始めています

腐ったバナナ
恋愛
侯爵夫人セシルは、冷徹な夫アークライトとの愛のない契約結婚に疲れ果て、離婚を決意した矢先に孤独な死を迎えた。 「もしやり直せるなら、二度と愛のない人生は選ばない」 そう願って目覚めると、そこは結婚直前の18歳の自分だった! 今世こそ平穏な人生を歩もうとするセシルだったが、なぜか夫の「感情の色」が見えるようになった。 冷徹だと思っていた夫の無表情の下に、深い孤独と不器用で一途な愛が隠されていたことを知る。 彼の愛をすべて誤解していたと気づいたセシルは、今度こそ彼の愛を掴むと決意。積極的に寄り添い、感情をぶつけると――

地味令嬢の私ですが、王太子に見初められたので、元婚約者様からの復縁はお断りします

有賀冬馬
恋愛
子爵令嬢の私は、いつだって日陰者。 唯一の光だった公爵子息ヴィルヘルム様の婚約者という立場も、あっけなく捨てられた。「君のようなつまらない娘は、公爵家の妻にふさわしくない」と。 もう二度と恋なんてしない。 そう思っていた私の前に現れたのは、傷を負った一人の青年。 彼を献身的に看病したことから、私の運命は大きく動き出す。 彼は、この国の王太子だったのだ。 「君の優しさに心を奪われた。君を私だけのものにしたい」と、彼は私を強く守ると誓ってくれた。 一方、私を捨てた元婚約者は、新しい婚約者に振り回され、全てを失う。 私に助けを求めてきた彼に、私は……

婚約破棄された夜、最強魔導師に「番」だと告げられました

有賀冬馬
恋愛
学院の祝宴で告げられた、無慈悲な婚約破棄。 魔力が弱い私には、価値がないという現実。 泣きながら逃げた先で、私は古代の遺跡に迷い込む。 そこで目覚めた彼は、私を見て言った。 「やっと見つけた。私の番よ」 彼の前でだけ、私の魔力は輝く。 奪われた尊厳、歪められた運命。 すべてを取り戻した先にあるのは……

地味子と蔑まれた私ですが、公爵様と結ばれることになりましたので、もうあなたに用はありません

有賀冬馬
恋愛
「君は何の役にも立たない」――そう言って、婚約者だった貴族青年アレクは、私を冷酷に切り捨てた。より美しく、華やかな令嬢と結婚するためだ。 絶望の淵に立たされた私を救ってくれたのは、帝国一の名家・レーヴェ家の公爵様。 地味子と蔑まれた私が、公爵様のエスコートで大舞踏会に現れた時、社交界は騒然。 そして、慌てて復縁を申し出るアレクに、私は……

処理中です...