さようなら、私を「枯れた花」と呼んだ貴方。~辺境で英雄を救って聖女と呼ばれたので、没落した元婚約者の謝罪は受け付けません~

阿里

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森で見つけた傷だらけの彼を、ボロボロの別荘まで運ぶのは、本当に大変なことでした。
自分の何倍もある体格の男性を肩に担ぎ、ぬかるんだ土に足を取られながら、私は必死に歩きました。
王都にいた頃の私なら、きっとすぐに諦めて泣き言を言っていたかもしれません。でも、不思議と力が湧いてきたのです。この人を死なせてはいけない、その一心でした。

別荘のベッドに彼を横たえ、私は休む間もなく薬草の準備に取り掛かりました。
傷口は塞がり始めていましたが、問題は彼の体を蝕んでいる「呪い」です。
彼の肌には、時折黒い稲妻のような紋様が浮かんでは消え、そのたびに彼は苦しそうにうめき声を上げていました。

「……う、……くっ……」

熱に浮かされる彼に、私は新しく調合した煎じ薬を飲ませようとしました。
すると、彼は微かに目を開け、私の手首を驚くほど強い力で掴んだのです。

「……お前、は……。何、を……」

掠れた、けれど低く響く心地よい声でした。
彼の瞳は深い紺碧色で、まるで見透かされるような鋭さを持っています。
私は驚きながらも、優しく声をかけました。

「気がつきましたか? 大丈夫ですよ。私はセレナ。ここで薬草を育てている者です。あなたは森で魔獣に襲われて倒れていました。今は、呪いの毒を中和する薬を飲ませようとしているところです。怪しい者ではありませんから、どうか信じてください」

彼は警戒するように私をじっと見つめていましたが、私の目の中に敵意がないことを悟ったのか、ゆっくりと手の力を緩めました。

「……そうか。助けられた、のか。……恩に着る。俺は……ライアンだ。……だが、関わらない方がいい。この呪いは、普通の医者や魔導師には治せない。お前まで、穢れに当てられてしまうぞ」

彼はそう言って顔を背けましたが、私は思わず身を乗り出して言い返しました。

「そんなこと、関係ありません! 目の前で苦しんでいる人を放っておくなんて、私にはできません。それに、普通の薬で治らないなら、私が新しい薬を作ります。私は……薬草のことなら、誰にも負けない自信があるんです」

ライアンさんは驚いたように目を見開き、それからふっと、自嘲気味に口角を上げました。

「……ハ、威勢のいい令嬢だな。……なら、好きにしろ。どうせ、失うものなど……俺にはもう何もないのだから」

---

それから、私とライアンさんの奇妙な共同生活が始まりました。
彼の呪いは想像以上に深く、一進一退の状況が続きました。
私は毎日、朝露が消えないうちに森の奥深くへ入り、魔力をたっぷりと含んだ珍しい薬草を探し回りました。
崖の隙間に咲く花を採るために泥だらけになったり、棘のある草で腕を傷つけたりすることもありましたが、少しも苦ではありませんでした。

別荘に戻ると、採ってきた草をすり潰し、温度を細かく調整しながら煮詰めます。
この作業をしている間、私はアレクさまに言われた「地味で無能」という言葉を、すっかり忘れている自分に気づきました。

「セレナ。……また、そんな泥だらけになって。お前は公爵家の令嬢なのだろう? なぜ、そこまでして見ず知らずの俺のために尽くすんだ。お前のその手は、もっと宝石を愛でたり、刺繍をしたりするためにあるのではないのか?」

ベッドに上半身を起こせるようになったライアンさんが、調合に没頭する私を見て不思議そうに尋ねました。
私は薬草をかき混ぜる手を止めずに、少しだけ照れくさそうに笑って答えました。

「宝石も刺繍も、私には似合いません。アレクさま……かつての婚約者様にも、私は『枯れた花』のようだと言われました。私は地味で、華やかさがなくて、家の恥だと。でも、薬草たちは違います。私が手をかければかけるほど、誰かを救うための強い力を分けてくれる。だから私は、この香ばしい土の匂いがする手の方が好きなんです」

すると、ライアンさんはしばらく沈黙した後、これまでに聞いたこともないような真剣なトーンでこう言ったのです。

「……枯れた花だと? その男の目は節穴だな。セレナ、俺にはお前が、どんな宝石よりも眩しく見えるぞ。誰かのために泥にまみれ、一生懸命に命を救おうとするお前の姿は、誇り高い。……その手は、汚れてなどいない。世界で一番、美しい手だ」

心臓が、どくんと大きく跳ねました。
王都では、誰も私をそんな風に見てくれませんでした。
父も、母も、姉さまたちも、そして婚約者だったアレクさまでさえも。
私の努力はいつも「変な趣味」と一蹴され、私の存在そのものが否定されてきました。
なのに、この人は。
出会ったばかりのこの人は、私のありのままを、一番大切にしている部分を「美しい」と言ってくれたのです。

「……あ、ありがとうございます。ライアンさんにそう言ってもらえると……なんだか、今まで頑張ってきて良かったなって、思えます。……さあ、薬ができましたよ。今日は特別に、喉に優しい蜂蜜を混ぜておきました。さあ、飲んでください」

顔が熱くなるのを隠すように、私は慌ててカップを差し出しました。
ライアンさんは少し照れたように笑いながら、それを一気に飲み干してくれました。

---

数週間が経ち、季節が少しずつ移り変わる頃。
セレナ特製の薬が効を奏したのか、ライアンさんの体に変化が現れました。
肌を覆っていた黒い呪いの紋様が薄くなり、代わりに彼の体から溢れるような力強い魔力が感じられるようになったのです。

ある晴れた午後、彼はついに一人で庭を歩けるまでになりました。
彼は庭のベンチに座り、遠くの山々を眺めながら静かに話し始めました。

「セレナ。……そろそろ、俺の正体について話さなければならないな。ずっと黙っていて済まなかった。俺は、この辺境を統治する辺境伯の嫡子だ。王家からこの地の守護を任されているのだが、遠征中に魔獣の王と対峙し、禁忌の呪いを受けてしまった。父上や家臣たちに迷惑をかけたくなくて、一人で森へ身を隠したのだが……お前に出会わなければ、俺の命はあそこで尽きていただろう」

私は驚きで言葉を失いました。
辺境伯の嫡子といえば、王都でもその武勇は有名です。
そんな立派な方が、なぜこんな名もない私に助けられたことを感謝してくれるのでしょう。

「……そんな、私なんて、ただ追放されただけの身ですから。ライアンさんのような素晴らしい方を助けられたのなら、それだけで光栄です」

私が俯くと、ライアンさんは立ち上がり、私のすぐ目の前まで歩み寄ってきました。
彼は私の両手をそっと包み込み、優しく顔を覗き込んできました。

「いいや、違う。身分や肩書きなど関係ない。俺を救ったのは、公爵家の令嬢という地位ではなく、セレナ、お前という一人の女性だ。……お前が信じてくれたから、俺は再び剣を握る勇気を持てた。お前の薬草の知識は、地味な趣味などではない。絶望の淵にいる人間を連れ戻す、奇跡の技術だ」

ライアンさんの大きな手の温もりが、私の心にじわりと広がっていきました。
それは、アレクさまが私に与えた冷たい氷のような孤独を、ゆっくりと溶かしていく陽だまりのようでした。

「セレナ。お前がよければ、この呪いが完全に消えた後、俺と一緒に来てくれないか。お前の才能は、こんな場所で腐らせていいものではない。俺の領地には、苦しんでいる民がたくさんいる。お前の力が必要なんだ。……そして、何より、俺がお前の傍にいたい」

彼の告白は、あまりにも唐突で、けれど真っ直ぐで。
私は、涙が溢れそうになるのを必死に堪えました。
私を必要としてくれる場所がある。
私という人間を、まるごと愛してくれる人がいる。

「……はい。私でよければ、喜んで。……ライアンさんのお役に立てるように、もっともっと勉強しますね」

私は初めて、自分から彼の胸に飛び込みました。
彼の鎧のような硬い胸板から、力強い鼓動が聞こえてきます。
辺境の厳しい風の中でも、二人の間には、優しくて温かい春のような風が吹き抜けていました。

かつて私を捨てたアレクさまは、今頃王都で何をしているのでしょう。
でも、もうどうでもいいことでした。
私は今、かつてないほど自分の人生を愛おしく感じていたのです。

けれど、運命は私たちをこの静かな場所には留めておきませんでした。
王都から届いた不穏な噂——原因不明の疫病の蔓延。
それが、私たちの「逆転劇」の幕開けになることを、この時の私はまだ知らなかったのです。

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