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第二幕
④
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旗を掲げながらアルタはチラリと後ろを見た。馬の速度は既に落としている。背後にはロサ・エスファナの大集団が続いていた。クリスタリスが追ってくる気配は見られない。
「アルタ様!」
ヴァルルがラクダを操りながら集団の先頭に立つアルタに近づいてきた。
「ヴァルル! エズは」
「ご安心を。クリスタリスは追っ払いました。後から追いつかれるそうです」
「そう、よかった。安心したわ」
「ヴァルル様!」
アルタのそばに従っていた従者の一人が声をかけた。ヴァルルの下仕えをしているレナスという色黒の青年だ。騎士に使える家系の一人であり、養子として騎士になったヴァルルを軽んじることなく慕ってくれている。
「「長」達がなんとか追いつきました……人々も少し落ち着くでしょう」
長というのはロサ・エスファナを構成する「村」のまとめ役だ。
頂点にアルタ、その下に騎士とその従者、そして長が人々を率いる。
ロサ・エスファナの王であるアルタの言がこの国の絶対だが、人々の心はそう容易いものでもない。時には不満も出る。よってその調整をするのが長の役目だ。そういう意味では騎士より長がロサに最も忠実かもしれない。
「ご苦労。皆疲れている……、あとは野営でもできる場所があればいいのですが」
「でも、見渡す限りそんなものは見えないわね……あら」
アルタは足元の砂利だらけの地面にいくつも転がる石に気付いた。砂にまみれて茫洋としているが、それは色とりどりの鉱石だった。アルタは馬を止める。
「まあ……雨花石」
珍しい石だ。こんなところに……気が付かなかった。
「ん?」
くん、とヴァルルが鼻をひくつかせた。
「これは……」
「水の匂いだわ」
そうアルタが言い終わらないうちにとどこからともなく水が流れてきた。ちょろちょろと、そしてあっという間に水量が増えて大きなうねりになる。
「「川」だ、「川」がきたぞーっ!」
誰かが叫ぶ。エズだった。追いついたのだ。アルタが笑顔で手を振るとエズは頷いた。
「もっと左へ! 左へ誘導せよ! 水嵩はまだ増える。これは大きな流れとなるぞ!」
人々から歓声が上がった。
水。
結晶世界の遥か北には雪の積もる山脈があり、時としてそこから雪解け水が砂漠を横切って流れてくることがある。
運が悪いと結晶化して途絶えてしまうが、まぬがれればそれは止まることなくやがて一時的な大河となり、枯れた大地の奥に眠る草花の種を芽吹かせ、草原を生む。植物が虫を呼び、虫が鳥を呼び、鳥は獣たちを呼ぶ。人は獣を狩り食料を得られる。生き残る術が生まれる。
「川」は何よりの僥倖なのだ。
「もっと移動しましょう」
アルタは旗を再び振って喜びに湧く人々を導く。川からは湯気が湧きたっている。砂漠の温度に水が茹っているのだ。ロサを平原より上の位置へ移した後、ヴァルルがエズに笑いかける。
「これほどの水にはしばらく出会えていませんでした……ありがたいです!」
「うむ、川が消えるまでここにいれば色々と困ることも無い」
クリスタリスが出現する可能性もあるが、植物が生い茂る場所にクリスタリスはあまりやってこないことを経験からエズは知っていた。
(アルタ様が向かった先で川に出会う……やはりアルタ様は特別なお方だ)
エズがアルタの方を見ると、アルタは馬から降りて川の中へと入っていくところだった。
「アルタ様、流れが速いですお気をつけて!」
「大丈夫よエズ!」
川は膝下まで水の勢いが増していた。
砂漠で溺死なんて洒落にならないわね、と思いながらアルタは川の様子をうかがう。ロサの人々の目の前で自ら川の安全性を確かめなくては惣領の器とは言えない。靴を脱ぎ、濁った水の中に足を入れると温かい。足にあたった石ころを手で探って掬い上げた。
「……綺麗……!」
アルタが手にした雨花石は濡れてその美しさを存分に引きだしていた。
雨花石は瑪瑙の一種なのだが、様々な地層が重なって流麗な風景画の様な模様が表面に浮きだす珍しい石なのだ。まるで石の中に別の空間があって、そこに古代の人々が見た緑の庭園があるかの様だった。
「……」
アルタが手にした雨花石は白が基調の瑪瑙の中に黄緑の色が散っていて、それは遥か昔アルタが幼いころ育った「王国」を思い出させた。乳白色の岩壁を削りつくられた城。城の周りの庭園にはみずみずしいシトラスの果樹園がいくつも茂り、アルタはそこで弟のヴランシュと幼少期を過ごした。
まだ父が存命だった頃、ロサ・エスファナは一時的に住処を得て居城を構えていた。豊かなオアシスが近くにあったため長く腰を据えていたのだ。双子の母は産褥ですぐに亡くなっていたので、父は双子をよく愛した。オアシスが枯れ、「王国」から離れるまでアルタはシトラスの匂いの中で暮らし、人々に「姫」さまと額づかれた。
奇跡的に残っていた甘酸っぱい果樹園の恵みと白い宮殿はアルタにとって幸福に満ちた思い出の一片となった。この雨花石はその記憶を切なく思い起こさせる。
ああ、あの頃に戻りたい。
ロサを率いる重責もなく、弟と果樹園の中を走り回っていた日々。
ふと、アルタはあることを思い出した。
アルタは昔「神様」に出会ったことがあったのだ。
弟のヴランシュと共に……いや、本当に神様なのかはわからないが……でもやはりアルタにとって「彼」は神様だった。
だって「彼」はあっというまにクリスタリスをやっつけてしまったから。
クリスタリスを倒すことができるなど人間のなせる業ではない。だから、アルタは彼の人を神様だと思っている。
もう一度神様に会えないだろうか。
どうか再び救いをください――せめてその術を。
アルタは苦笑した。
どうかしている。そんな祈りはこの結晶世界で無意味だ。
「アルタ様!」
ヴァルルがラクダを操りながら集団の先頭に立つアルタに近づいてきた。
「ヴァルル! エズは」
「ご安心を。クリスタリスは追っ払いました。後から追いつかれるそうです」
「そう、よかった。安心したわ」
「ヴァルル様!」
アルタのそばに従っていた従者の一人が声をかけた。ヴァルルの下仕えをしているレナスという色黒の青年だ。騎士に使える家系の一人であり、養子として騎士になったヴァルルを軽んじることなく慕ってくれている。
「「長」達がなんとか追いつきました……人々も少し落ち着くでしょう」
長というのはロサ・エスファナを構成する「村」のまとめ役だ。
頂点にアルタ、その下に騎士とその従者、そして長が人々を率いる。
ロサ・エスファナの王であるアルタの言がこの国の絶対だが、人々の心はそう容易いものでもない。時には不満も出る。よってその調整をするのが長の役目だ。そういう意味では騎士より長がロサに最も忠実かもしれない。
「ご苦労。皆疲れている……、あとは野営でもできる場所があればいいのですが」
「でも、見渡す限りそんなものは見えないわね……あら」
アルタは足元の砂利だらけの地面にいくつも転がる石に気付いた。砂にまみれて茫洋としているが、それは色とりどりの鉱石だった。アルタは馬を止める。
「まあ……雨花石」
珍しい石だ。こんなところに……気が付かなかった。
「ん?」
くん、とヴァルルが鼻をひくつかせた。
「これは……」
「水の匂いだわ」
そうアルタが言い終わらないうちにとどこからともなく水が流れてきた。ちょろちょろと、そしてあっという間に水量が増えて大きなうねりになる。
「「川」だ、「川」がきたぞーっ!」
誰かが叫ぶ。エズだった。追いついたのだ。アルタが笑顔で手を振るとエズは頷いた。
「もっと左へ! 左へ誘導せよ! 水嵩はまだ増える。これは大きな流れとなるぞ!」
人々から歓声が上がった。
水。
結晶世界の遥か北には雪の積もる山脈があり、時としてそこから雪解け水が砂漠を横切って流れてくることがある。
運が悪いと結晶化して途絶えてしまうが、まぬがれればそれは止まることなくやがて一時的な大河となり、枯れた大地の奥に眠る草花の種を芽吹かせ、草原を生む。植物が虫を呼び、虫が鳥を呼び、鳥は獣たちを呼ぶ。人は獣を狩り食料を得られる。生き残る術が生まれる。
「川」は何よりの僥倖なのだ。
「もっと移動しましょう」
アルタは旗を再び振って喜びに湧く人々を導く。川からは湯気が湧きたっている。砂漠の温度に水が茹っているのだ。ロサを平原より上の位置へ移した後、ヴァルルがエズに笑いかける。
「これほどの水にはしばらく出会えていませんでした……ありがたいです!」
「うむ、川が消えるまでここにいれば色々と困ることも無い」
クリスタリスが出現する可能性もあるが、植物が生い茂る場所にクリスタリスはあまりやってこないことを経験からエズは知っていた。
(アルタ様が向かった先で川に出会う……やはりアルタ様は特別なお方だ)
エズがアルタの方を見ると、アルタは馬から降りて川の中へと入っていくところだった。
「アルタ様、流れが速いですお気をつけて!」
「大丈夫よエズ!」
川は膝下まで水の勢いが増していた。
砂漠で溺死なんて洒落にならないわね、と思いながらアルタは川の様子をうかがう。ロサの人々の目の前で自ら川の安全性を確かめなくては惣領の器とは言えない。靴を脱ぎ、濁った水の中に足を入れると温かい。足にあたった石ころを手で探って掬い上げた。
「……綺麗……!」
アルタが手にした雨花石は濡れてその美しさを存分に引きだしていた。
雨花石は瑪瑙の一種なのだが、様々な地層が重なって流麗な風景画の様な模様が表面に浮きだす珍しい石なのだ。まるで石の中に別の空間があって、そこに古代の人々が見た緑の庭園があるかの様だった。
「……」
アルタが手にした雨花石は白が基調の瑪瑙の中に黄緑の色が散っていて、それは遥か昔アルタが幼いころ育った「王国」を思い出させた。乳白色の岩壁を削りつくられた城。城の周りの庭園にはみずみずしいシトラスの果樹園がいくつも茂り、アルタはそこで弟のヴランシュと幼少期を過ごした。
まだ父が存命だった頃、ロサ・エスファナは一時的に住処を得て居城を構えていた。豊かなオアシスが近くにあったため長く腰を据えていたのだ。双子の母は産褥ですぐに亡くなっていたので、父は双子をよく愛した。オアシスが枯れ、「王国」から離れるまでアルタはシトラスの匂いの中で暮らし、人々に「姫」さまと額づかれた。
奇跡的に残っていた甘酸っぱい果樹園の恵みと白い宮殿はアルタにとって幸福に満ちた思い出の一片となった。この雨花石はその記憶を切なく思い起こさせる。
ああ、あの頃に戻りたい。
ロサを率いる重責もなく、弟と果樹園の中を走り回っていた日々。
ふと、アルタはあることを思い出した。
アルタは昔「神様」に出会ったことがあったのだ。
弟のヴランシュと共に……いや、本当に神様なのかはわからないが……でもやはりアルタにとって「彼」は神様だった。
だって「彼」はあっというまにクリスタリスをやっつけてしまったから。
クリスタリスを倒すことができるなど人間のなせる業ではない。だから、アルタは彼の人を神様だと思っている。
もう一度神様に会えないだろうか。
どうか再び救いをください――せめてその術を。
アルタは苦笑した。
どうかしている。そんな祈りはこの結晶世界で無意味だ。
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