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ルイと和真の出会いは、数ヵ月前に遡る。
ある日、人間から溢れる感情の欠片を求め、こっそりと町に出ていたルイは、花の香りに誘われ、花屋の前で足を止めた。それが、“フラワーショップあおい”、和真の家の前だった。
前でと言っても、商店街の壁沿いに身を隠しながら進んできたので、店の端に置かれた鉢植えの裏だ。
人間の目を盗みながら出歩くのもすっかり慣れていたし、ルイがこの商店街で、人間に見つかりそうになった事もない。
だから、油断してしまっていた。瑞々しい花の香りに気を取られ、運悪く、店の手伝いをしていた和真に見つかってしまったのだ。
突然、目の前に現れた人間に、ルイの体は硬直し、咄嗟に逃げるなんて出来なかった。咄嗟に脳裏に過ったのは、幼い頃から幾度となく聞かされた、人間とは恐ろしい生き物だという教えだ。
妖精が生きていくには、人間の感情の欠片が必要だが、それでも、人間は妖精の命を弄ぶ恐ろしい生き物、だから絶対に妖精の存在を知られてはいけない、ルイ達はそう言い聞かされて育ってきた。
だから、そっと和真に両手で囲われた時は、見せ物にされるか、それもとホルマリン漬けかと青ざめたルイだったが、和真は和真で、目の前の現実を受け止めきれずに困惑していた。
和真からしてみれば、妖精は空想上の生き物で、それがどういう訳か目の前に居るのだ、どんなに頭を働かせても、ルイの存在が上手く処理出来ず、和真は呆然とするばかりだった。
これはなんだ、妖精か、いや、妖精なんている筈ない。では、これは一体何なんだ。
手の平に乗せて良く見ても、その重さを、その体温を手の平に感じても、どうにも現実とは思えない。
そんな具合に、答えの出ない疑問を必死に頭の中で繰り返していた和真だが、やがてはっとした様子で、鉢植えの影にその手を伸ばした。ルイが、怯えた表情を浮かべているのが分かったからだ。
「ご、ごめんな!」
小声でそう言いながら、和真は迷い込んだ小鳥をそっと窓の外へ放すように、ルイの体を優しく地面に降ろしてやった。
大きな手から解放されたルイは、きょとんとして和真を見上げた。
逃がしてくれたのか、一度その手に捕まえたのに。
それが信じられず、ルイは思わず声を掛けていた。
「あの、」
「え、しゃ、喋った!?」
和真は驚きのあまり、盛大に尻餅をついた。その瞬間、側に立て掛けてあった箒が倒れ、その横に置いてあった水の張ったバケツまでひっくり返したものだから、店内にいた母親は物音に驚き、何事だと慌てて店先に飛び出て来た。
「和真!?何、どうかした!?」
「あ、こ、転んじゃって…!」
あはは、と苦笑いながら、和真は鉢植えの前に寝転んでいる。それは、母親からルイを隠す為、咄嗟に身を投げた結果なのだが、母親からしてみれば、店先で優雅に寝転んでいるとしか見えないだろう。本当に転んだとして、立ち上がりもせずに何故寝ているのかと、疑問に思われても仕方ない体勢となってしまったが、母親は不可解そうに眉を寄せてはいたが、「早く掃除しちゃってね」と、呆れた様子を見せて再び店内に戻って行った。和真はそれにほっとして上体を起こすと、ルイと向き合う為、再び背中を丸めた。
「君が何か知らないけど、見つかる前に行きな」
こそこそと話し、他の人に見つからないよう逃してくれようとするその姿に、ルイは、再び信じられない思いで和真を見上げた。人間は好奇心の塊で、見つかったらおしまいだと言い聞かされてきた。それがどういう事だろう、和真は自分の体を大事に扱い、守ってくれた。
ルイは、きゅっと胸元を握りしめた。
じわじわと、胸の奥から広がる気持ち。それは、次第に体をぽかぽかと温めて、怯えた心を優しく撫で、包んでいく。
人間は、怖くない。優しい生き物なのかもしれない。
そう思ったら、今度は胸の奥がむずむずと疼いてくる。人間がどんな生き物なのか、誰かの教えではなく、自分の目で見て知りたいと思った。
その日は、和真の母親の目もあるので、これ以上人目につかないよう、急いで店を後にしたが、ルイの好奇心は膨れ上がるばかりだった。
翌日、ルイは再び“フラワーショップあおい”を訪れた。まずは、人間を観察してみようと思い立ち、物陰に潜みながら和真の後をこっそり追いかけて、学校にも着いて行った。校舎内に入るのはさすがに危険だと判断して、窓から教室を盗み見たり、和真が校庭にいる時は、木や花壇の影から様子を窺ってみたり。
そして、和真が自室で一人過ごしている時を狙って、思いきって会いに行った。もし叶うなら、一度、人間と話がしてみたかったのだ。
人間にとって妖精は空想上の存在、だが妖精にとって人間は、生きる上で必要不可欠な存在だ。妖精は、人間と同じように食事もするが、物を食べなくても、人間から溢れる感情の欠片さえあれば生きていける。逆に、感情の欠片を摂取しないと体が弱り、羽も萎れてしまうという。
だからルイは、人間を恐れながらも、ずっと興味を抱いていた。
本当に人間は、恐ろしいだけの存在なのか。ならば何故、妖精は、そんな人間を頼りに生きているのだろうと。人間の心が妖精の栄養源になっているのなら、妖精の体や心は、恐ろしい人間によってつくられていると言っても、過言ではないのではないか。
妖精も人間も、元を辿れば同じところに行き着くとしたら、それなら、人間は恐ろしいばかりではないのではないか。だって妖精の自分達は、優しさや慈しみを感じられる心を持っている。それは、人間だってきっと同じ筈だ。
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