さよならのプロポーズ

茶野森かのこ

文字の大きさ
73 / 73

さよならのプロポーズ73

しおりを挟む



不意に夜風が吹いて、ヤチタカの木がさわさわと揺れる。青々と茂る葉に、本土の土でも変わらず成長を続けてくれている事を感じ、純鈴すみれの気持ちをそっと落ち着けてくれる。
ヤチタカの事だって、全てが消えてなくなった訳ではない、表面的には消えてしまっても、寄せる思いは消えない。きっと、全て消すなんて不可能だ、まだ島は生きて、ヤチタカの人々も生きて、その思いは誰かに受け継がれて生き続いていくのではないか、そんな風に思えてくる。

ランと共に生きる事を、この木は祝福してくれるだろうか。この木は、長いヤチタカの歴史を見てきた筈、ヤチタカの島で、ランの家族と共に。

ヤチタカの島は、ヤブキや迅の尽力で保護活動が進んでいるという。ランが高屋たかやの仕事に慣れてきたら、純鈴達も定期的にあの港町へ、島へ向かおうと話している。

「…上陸を拒まれたりしないよね」

ランを救った島の不思議を聞いているので、伴侶に相応しくないと思われたらどうしようと、あり得ない事を考えてしまう。だが、あり得ない事を体験し続けているので、普通の概念が既にあやふやでもある。

ぼんやりとそんな事を考えていると、ランが小脇に箱を抱えて戻ってきた。そのまま純鈴の隣に腰かけるかと思いきや、ランは縁側を下りて、純鈴の足元に跪いてしまった。

「え、どうしたんですか?」

きょとんとする純鈴に、ランは少し照れくさそうにしながら、その箱の蓋をそっと開けた。

「…あなたと再会してから、こっそり作ってもらっていたんです」
「え、」

箱から取り出したのは、綺麗な靴だった。ヒールはなく、歩きやすく足にも負担のない作りだそうだが、シックながらリボンを取り巻いたようなデザインは、芸術品のように美しかった。

「…ヤチタカには、女性に履き物を贈る文化があるんです。あの島では、さすがにこういった靴は作れませんけど」

それから、ランは戸惑う純鈴をそのままに靴を履かせてくれる。思いがけない事に純鈴は固まってしまったが、その靴の美しさに見惚れ、それから自分の身なりに目を止めると、少し申し訳ない思いにかられた。
部屋着は洒落っけのないTシャツにズボン姿、靴だけが綺麗で、自分には相応しくないと言われているみたいだ。

「…私にはもったいないよ」
「いいえ。あなたは綺麗ですよ」

そっと微笑まれれば、どっと胸が苦しくて、純鈴はあたふたと視線を巡らせた。島から戻ってきて信一しんいちも変わったが、ランも随分変わってしまったのではと、純鈴は思う。

「…靴を贈る意味は、あなたと共に生きたいという願いです」

柔らかな声に、純鈴は赤くなりながらもランに視線を向けた。逸らされる事のない瞳が、きらきらと細やかな輝きを放って甘く揺れる。まるで、星屑浮かぶ夜空を独り占めしているみたいだ。

「僕からも、ちゃんと言わせてほしかったんです」

それから仕切り直すように居ずまいを直し、ランはそっと純鈴の手を取った。

「純鈴さん、僕と一緒に生きて下さい」

まっすぐと届く思いに、じんわりと胸が熱くなる。あんなにランを連れ帰ろうと必死だったくせに、ランからいざ思いを伝えられたら、何だか心が震えて、嬉しくて泣き出してしまいそうで、純鈴は思わず視線を外した。

「…本当にいいんですか?ケガとか、気にしてるなら、」
「ケガのせいじゃありませんよ」

ランはまたおかしそうに笑った。今更しおらしくなる自分がおかしかったのかもしれない、純鈴はそう思ったが、柔らかな眼差しを見てしまえば別の思いが感じられて、ますます顔を上げられなくなった。

「僕はあなたと一緒なら、普通の人間でいられるんです。あなたには大変な思いをさせると思います、この足の怪我よりも苦しい思いをさせてしまうかもしれませんが」

そっと膝に触れて目を伏せるランに、純鈴は慌ててその肩に触れて顔を起こさせた。

「苦しくなんてなりませんよ!一緒にいれば、どんな事だってなんとかなるんですから!」
「…はい、その通りですね」

純鈴の勢いにランは笑って、それからひょいと純鈴を横抱きに持ち上げた。

「え、ちょ、!」
「ヤチタカの人間は、嬉しい事があると踊るんです」
「はは、嘘ですよ、それ」
「嘘じゃありません」
「あはは!重いから、いいってば」
「重くないよ」

くるりと回るランに、純鈴は笑って抱きついた。包まれる温もりに、幸せを分かち合う。ランがふと足を止めるので、純鈴が顔を起こすと、甘やかな瞳にただ一人映し出される。

「結婚しましょう、純鈴さん」

普通とか、誰かの基準は関係ない。ただ、ランがいて、共に生きられる未来がある。それを、ランがくれた。それだけで、ただ胸がいっぱいになる。

「…はい」

純鈴はまた泣いてしまいそうで、ランの首元に顔を埋めて頷いた。

捨てる覚悟を翻したプロポーズ、偽物でしかなかった指輪が本物になる。
きっと、苦しい未来がやって来ても、二人でいれば塗り替えていける。
そう信じて。


優しく見つめるヤチタカの木が、夜風に揺れる。さわさわと重なるその葉の音は、まるで歩き出す二人を祝福するかのように、優しくその夜を包み込んでいた。











しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

処理中です...