こんなつもりじゃなかったのに

茶野森かのこ

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こんなつもりじゃなかったのに38

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ライブを終えると、蛍斗けいとはいの一番に澄香すみかに連絡をした。澄香はすぐに電話に出てくれて、蛍斗は楽屋を飛び出した。
観客が会場を後にする様子を見ながら、こっそりと澄香の姿を探す。関係者入口の側、木の影にいる澄香を見つけた。

「澄香さん!」

声を掛けつつ駆け寄ると、澄香は顔を上げ、帽子を抑えつつほっとした様子で表情を崩した。

「蛍斗、」
「こっち」

もしかして耳が出そうなのかと思い、蛍斗は挨拶もそこそこに澄香の手を引っ張った。
より人気のない建物の影へ連れて行くと、足を止め澄香を振り返った。途端、ドキリと胸が震えた。
澄香がいる、改めてそう思えば、先程までの浮き足立った気持ちが一気に緊張に変わってしまった。
澄香は、いつもの帽子に、お尻まですっぽり覆われた長めの上着を着ている。少し髪が伸びただろうか、久しぶりに見る澄香は、記憶の中の澄香より何故か可愛く見えて困った。

「あの、ありがとうございます、来てくれて」
「ううん、えっと、格好よかったよ」

照れくさそうな澄香を前に、何を話して良いか分からなくなる。伝えたい事はたくさんある筈なのに、言葉が思いだけを心に残し、体からすり抜けていくみたいだった。

「…あの、どうして来てくれたんですか?」
「あ、聞いてない?ベースの子が誘いに来てくれたんだ」
「…は?」

聞けば、ロマネスクに来た際、孝幸たかゆき真実まみから澄香を紹介して貰ったそうだ。
「お願します!あいつと何があったか分からないけど、もしまだ嫌いじゃないなら、ライブ観に来て下さい!」と、頭を下げてチケットを澄香に差し出したという。

「…あいつ」

蛍斗は軽く頭を抱えた。ライブ前のやり取りが頭に蘇る。孝幸は知っていただけでなく、自分の為に動いてくれていた、それを知ったら恥ずかしさもあるが、それよりも孝幸を疑った事を改めて申し訳なく思った。
澄香の体質の事までは知らないかもしれないが、相手は男だ。それを知っても、孝幸は頭を下げてくれた。

「良い友達だな」
「…はい」

素直に頷いた蛍斗に、澄香は僅かに目を瞪り、それから嬉しそうに微笑んだ。だがそれも束の間、澄香は躊躇いがちに視線を俯けた。

「でも…、その、断っちゃって、」
「え?」
「その…観るくらい許されるかなって思って、その時はもうチケット買った後でさ」
「え、自分で?」
「…うん、やっぱり引く?」
「まさか!…でも、…兄さんはいいんですか」

すると、澄香はやや目を瞪り、それから苦笑って顔を上げた。

「何度も言ったろ?仁とは別れたんだってば。俺達も、終わっちゃったけど…俺は、その…諦めきれなくて、」

澄香は帽子をぎゅっと掴んで、再び俯いた。赤くなる頬を、蛍斗はどこか呆けて見つめている。

「俺、もっとしっかりしないとって、蛍斗に面倒かけないようにするから、その」
「ま、待って!」
「え?」
「そ、そんな事言われたら、期待しますよ」

突き放したのは自分なのにと、今日だって、自分から会いに行く筈だった、それがまさか、澄香が来てくれてるとは夢にも思わなかった。
その上、澄香は蛍斗の心を更に揺さぶってくる。
孝幸は、蛍斗の事が嫌いじゃないならライブに来てと、チケットを渡しに行ったと言っていた。
つまりそれは、澄香が自分を嫌っていないという事で、お試しと名前のついた関係を、まだ求めてくれているというのか。
まさか、と否定する自分を期待が上回り、混乱していく。
そんな蛍斗に、澄香は思い切って顔を上げると、蛍斗のシャツを握った。

「き、期待してくれないと、俺が困る!」

まっすぐな瞳に、蛍斗が映った。

「俺の事、いい加減呆れたろ?ずっと煮え切らない態度ばっかで。蛍斗がいたから父親とも会えたのに、俺、本当バカなんだ、蛍斗と会えなくなって、蛍斗じゃなきゃ駄目だって、お前だけは失いたくないって、」

澄香はぎゅっとシャツを掴む手に力を込めた。

「…側に居ちゃ、駄目かな」

まさか、澄香がまだ自分を必要としてくれているなんて、思いもしなかった。

俯いたまま、震える指が訴える。蛍斗はその手を掴み、シャツから手を放させると、澄香の体をゆっくり反転させた。澄香は戸惑った様子で振り返ろうとしたが、蛍斗が溜め息を吐いたので、びくりと肩を揺らして動きを止めた。

「俺が、言おうと思ってたんだ」
「…え?」
「本当は、澄香さんの事手放したくなかった。他にも伝えたい事いっぱいあるんだ、でも何から話せば良いか」
「…ゆっくり、聞かせてよ」
「無理だよ、あんたの事抱きしめたくてしょうがないんだから」

すると、澄香はぴくっと体を跳ねさせたかと思うと、慌てて帽子を掴み、絵に描いたかのようにあたふたとし始めた。
どうしたのかと思ったが、それはすぐに照れているからだと分かった。暗がりでも分かる、赤い頬に触れたくて堪らなくなり、蛍斗はそっとその頬から視線を逸らした。

「じゃ、じゃあさ、蛍斗の家で待っててもいい?嫌なら帰、」
「待ってて!すぐ帰る!」

背中越しに勢い込んで言われ、澄香は思わず笑ってしまった。

「はは、打ち上げとかあるでしょ?ゆっくりで良いから」
「…だから、出来ないって言っただろ」
「それとこれは、」

言いかけた言葉が、小さく震えて途切れた。蛍斗の手が、少し伸びた澄香の後ろ髪に触れた。摘まむ指先が髪先へと辿る中、思いの外熱い指先が首筋に触れた。髪に触れている筈なのに、まるで指の背で首筋をなぞられてるような気になって、澄香はぎゅっと帽子を押さえたまま、勢いよく背筋を伸ばした。

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