あじさいの咲く庭で

茶野森かのこ

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あじさいの咲く庭で15

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「…やっぱり、もう、会えないのかな」

踞る縁側の床の上、重い体は、思考も深く暗い方へと落ち込ませるみたいだ。頭まで重くて、正幸は滲み始める視界に、雨が降ってきたのだろうかとぼんやり思った。それは、正幸の瞳に涙が幕を張り出したからなのだが、どうにも上手く頭が回らないようだ。

雨が降ったなら、まだ、トガクに会える可能性は残ってるのかな。

揺らめく視界の中、溺れそうな紫陽花が、あの日と同じようにただそこに佇んでいるような気がした。あの日、飛ぶ鳥もいない雨の中、トガクは現れた。鬱々と繰り返す日々が一変した瞬間。まるで、あの日のようだと、ぼんやりする頭で正幸は思う。

いや、もしかしたら、あの日に戻ったのかもしれない。

「正幸!」

焦った声と共に、駆ける足音が聞こえてくる。正幸はその声にはっとして、すぐさま声のした方へ視線を向けようとしたが、それは叶わず、ずるずるとそのまま床に伏してしまった。

どうしよう、体が動かない。聞こえた声は幻聴だろうか、そんな筈はない、確かに彼の呼ぶ声が聞こえたのに、確かめたいのに体が言うことを聞いてくれない。

「おい!何ぶっ倒れてんだよ、しっかりしろ!」

今度はその声が間近に聞こえ、大きな手が、体を揺さぶる。正幸は、うつらと瞼を持ち上げたが、視界はまだ雨に濡れているみたいで、その姿がはっきりしない。けれど、まさか間違う筈がない、この声は、この温もりは、トガクのものだ。

「誰か、…そうだ、さっきあの女…、駄目だ、店に追い出したんだった」

そんな後悔の滲む呟きが聞こえてくる。何のことだろうかと思いはしたが、変わらずぼんやりした頭では、考えることなんて出来やしない。それよりも、ちゃんと顔を見たい、話をしたい、会いに行こうとして諦めたことを謝りたい、誰かの引いた線を自ら受け入れてしまったこと、今はとても後悔しているんだと、どうかもう離れて行かないでと。

「お前、熱があるんじゃないか?とりあえず寝床に運ぶぞ」

焦りながらも、その腕は逞しく正幸を抱き上げる。しかし、正幸はようやく見上げたその顔に、見えたその風貌に違和感を覚えた。いつもトガクは黒い着物を着ていたのに、今の彼はスーツを着ていて、その顔も、記憶の中のトガクとは少し違うように思う。トガクが成長したら、こんな感じだろうか、正幸は、まるで自分の同年代に見えるその姿に、あれ、と、思考を止め、それから、はっとした。

トガクは以前、妖は人間とは生きる長さが違うと言っていた、見た目だって、いつまでも若いままだと。それなら、トガクと自分の見た目が、こんな風に同じ速度で、重なる日は来るのだろうか。

徐々に靄が晴れていく視界と共に、思考もはっきりとしてくる。浮かんだ疑問は、その視線を現実と向き合わさせる。
その姿をよく見てみれば、噂が広まっている不審者と、その見た目がどうにも合致するではないか。襟足を結んだ黒い髪はトガクのように長くないし、それに黒いサングラスに、派手なシャツに黒いスーツ。


この人は、本当に、トガクなのだろうか。


「は、放して、」

そう思ったら、ぞっとして、危機感や嫌悪感が一瞬にして体を巡り、正幸は力の入らない腕で、男の胸を突っ張り、その腕から逃れようとした。

「え?ちょ、待て、すぐにベッドだから」

その言葉に、ぞわぞわとした恐怖心が襲ってくる。ベッドってどういうことだ、まさかこの男は、例の変質者は、本当に自分を狙ってつきまとっていたのだろうか。
つきまといなんて、勘違いでなければ嫌がらせか、イタズラ程度のものだと思っていた。それがまさか、自分に対してこんな暴力的な思いを抱く人物がいたなんて。自分はオジサンだからと軽く見ていないで、もっと周りに気をつけていれば良かった、もっと危機感をもって、皆の話を真面目に聞いていれば良かった。
何より、こんな人間をトガクと間違えるなんて。自分の愚かさに嫌気がさしてくる、まさか、自分がこんな目に遭わされるなんて思いもしない。けれど、同時に思う、ここで恐怖にしり込みしてはいられないと。正幸は弱った心を奮い立たせた。

「は、放せ!トガクさん、助けて、トガク!」

ばたばたと、混乱する頭で出来うる限りの抵抗をすれば、それに虚をつかれたのか、男はバランスを崩して、正幸の体ごと、側にあったソファーに突っ伏してしまった。


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