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B:劇的変化
しおりを挟む〈クロガネ遣い〉は幼い頃から、不思議でならなかった。
どう考えても、理解に苦しむ。永遠の謎といってもいいだろう。「不況だ、不景気だ」と庶民は嘆いているのに、なぜか路上に小銭が落ちていない日はない。それは、コロコロ太ったホームレスがいるのと同じぐらい、不可解なことだった。
結局、「不況だ、不景気だ」と嘆いている連中は、さほど日常生活が切迫しているわけではないのだろう。ぬるま湯な日々から抜け出そうとせず、ただ不平不満を垂れ流しているだけだ。本当に最低な暮らしを知らないからこそ、そんな無責任なことが言えるのだ。
極めつけの貧乏だった〈クロガネ遣い〉には、そうこき下ろすだけの権利がある。例えば、ゴミ集積場に潜り込み、ゴミの山をかき分けて、その中からカネになりそうなものを探し出す。大半は無駄骨《むだぼね》に終わる作業だが、ほとんどの子供はそんな苦労など経験していないだろう。
当事、資源ゴミという言葉はなかったが、ゴミの中には、まれに意外な宝物が潜んでいるものだ。
端的に言えば、サブカルチャー関連である。一般人にはゴミにすぎなくとも、オタクといった人種には垂涎の的になりうる。捨てられたコミックスや雑誌、ゲームソフトは、しかるべきところに持ち込めば、期待以上に高く売れることがあった。
付け加えるなら、ゴミの山から漁るより、学校の中で探した方が効率的である。クラスの募金箱には手を出さなかったが、教室に持ち込まれたコミックスやゲームソフトは、遠慮なくいただいた。持ち主が校則を破っているのだから、良心は少しも痛まない。
五年生になった春、街外れに古本屋ができた。築50年の木造一軒家に少し手を入れただけの、粗末な店構えだけど、〈クロガネ遣い〉には居心地のよい空間だった。
長髪の若い店主は無口で無愛想だったが、気軽に話せる初めての大人だった。保護者の承諾書を持っていかなくても、気前よく換金してくれたのは、とても有難かった。
買い取り金額が市場価格を大きく下回っていたことは、ずっと後になって知った。ただ、不思議と腹は立たなかった。どうやら、抜け目がないかどうか確かめられていたらしい。
その証拠に、〈クロガネ遣い〉が買い取り金額の値上げを訴えると、店主は笑いながら快く上乗せしてくれた。抜け目がないということは、古本屋の手足として使えることを意味する。〈クロガネ遣い〉は知らないうちに、古本屋の試験に合格していたのである。
そのうち、妙な話を持ちかけられた。
「女子の体操着や水着が手に入らないか? 運動靴や靴下でも構わない。もし、おまえさんが持ってくれば、高く買ってやるよ」
初めて知った、大人の薄汚れた欲望だった。当時は、嫌悪するより不可解なものに感じた。犯罪であることは確かだが、これまでのコミックスやゲームソフトの延長と思えば、さほど良心は痛まなかった。
さすがに、自分のクラスは避けて、他のクラスや学年から〈収穫〉するようにした。女子の体操着や水着は、ゲームソフトより高く売れた。こんなものを欲しがる大人がいることは、〈クロガネ遣い〉にとって新鮮な驚きだった。〈ブルセラ・ショップ〉というワードが生まれた頃の話である。
稼いだカネは、お菓子やジュースの購入に消えていった。すべて、自分自身のために消費した。間違っても、他人に奢ったりはしない。どうせ、嫌われているのだ。奢ったりしたら、向こうも対応に困るだろう。
〈クロガネ遣い〉をとりまく状況に変化はない。相変わらず、クラスの男子からは殴られて、女子からは嫌われていた。
ただ、〈クロガネ遣い〉の内面は、大きな変化を見せていた。
カネを稼ぐ喜びが、心を支える原動力になったのだ。自分で考えて行動する。経験の蓄積は着実に、自信を形成していった。理不尽な迫害を受けても、泣いたりへこんだりはしない。右から左に受け流すだけの強さを手に入れたのだ。
春休みを経て、〈クロガネ遣い〉が六年生になると、内面の変化は表情や身体に如実に現れた。鋭い目つき、引き締まった表情、逞しさを増した肉体。誰の目にも明らかな変化だった。
これといって何もしていないのに、なぜか周囲の状況は一変した。一学期の初日、〈クロガネ遣い〉は男子を蹴散らしたわけでも、女子を威嚇したわけでもないのに、自然と一目おかれる存在になった。
〈クロガネ遣い〉自身と彼を取り巻く環境は、この時、劇的に変化したのである。
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