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A:カネのなる木②

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 狗藤は黒之原をさがすために、カノンと一緒にキャンパスへとUターンした。
 黒之原の姿を求めて、寮、比企田研究室、大教室、食堂、カフェと見て回る。しかし、こういう時にかぎって見つからない。そのうち、カノンが文句を言い始めた。

「おい、これ以上は時間のムダや。私の大事な時間を奪うんやない。それよりも、さっきの続きや。【弁天鍵】の使い方を教えるから、さっさと【浮遊端末】を呼び出してみぃ」

 どうやら痺れを切らしたらしい。何ともせっかちな神様である。
 狗藤は仕方なく、「ビル」と呟いた。目の前にフワリと【浮遊端末】が現れる。

「一度しか言わへんからな。まず打ち込むのは、請求先と請求金額や」
 狗藤は人差し指一本で、モニターに現れた二つのスペースに、それぞれ「黒之原兼夫」「2万35円」と打ち込んだ。
「エンターキーで確定」
 言われた通りにした。
「最後に、【弁天鍵】のトリガーを引く」

 なるほど、左手首の裏側の位置に、拳銃のような引き金があった。狗藤は【弁天鍵】右手の人差し指を添えて、一度深呼吸をする。そして、思い切って引いた。

 鍵を鍵穴に突っ込んで、クルリとひねるような手応えがあった。歯車の山と山がぴったり噛み合って、錠が解ける。ガッコン。どこかで間の抜けた音がした。
 狗藤は、重いドアが開くような手応えを感じた。

「はい、完了。ビル・インプット・エンター・トリガー。どうだ、簡単だろ」
「ええ、そうですね。それでカノンさん、僕の2万35円は、一体どこに?」
「ああ、それなら、ここにあるで」
 きれいな細い指先で、狗藤の胸の真ん中をチョンと突く。

 カノンは右手を引いて、ふわりと閃かせると、狗藤の胸の中に勢いよく突き入れた!

「ぐおおおっ!」

 激痛が狗藤の全身を貫いた。七転八倒の苦しみ。しかし、胸を押さえた時には、すでにカノンの右手は引き抜かれていた。一瞬の早業はやざわだ。二枚の一万円札が二本の指先に挟まれている。足元には、35円分の小銭がこぼれ落ちていた。

 神の右手は物質を透過するのか、【DOG】は三次元を凌駕りょうがするのか、狗藤の服に穴は開いていない。胸だってまったくの無傷だし、わずかな出血もない。

「どうや、わかったか? 他人の【未来金庫】から奪ったカネは、おまえの【未来金庫】の中に入ってくるんや。それぐらい、おまえの頭でもわかるやろ。もし、100万円と書き込めば、100万円が入ってくる。請求金額は無制限や。好きなように書けばええ。奪えば奪うほど、おまえの金庫は満たされるわけや。カネ以外の資産だってOKやで。株券、有価証券、小切手でもええし、宝石や金銀財宝でも構えへん」

 まさか、これって……。
「僕の左手は、〈カネのなる木〉になったの? これってマジ、〈打出の小槌〉なのか? 金銀財宝、思うままなのか?」
「まぁ、そういうことやな」
「マジでぇ!」胸の激痛など一気に吹っ飛んだ。「これさえあれば、もうカネのことで悩まなくていい。僕が望めば、簡単に大金持ちになれる。そういう理解でいいのかっ!」

「【未来金庫】は握り拳サイズやけど、膨大なスペースを内包しているんや。いくらでも詰め込める。外車、船舶、自家用ジェット、高層マンション、どんな巨大なものでも、OKや。【弁天鍵】で奪い取って、【未来金庫】の中に仕舞っておける」
 カノンはあっさり言ってのけた。

「マ、マジ、今日まで生きててよかった。さちの薄い貧乏人だって、毎日がんばっていれば、いつか陽の目を見るんだ」
 狗藤は嬉しさのあまり、眼に涙をにじませた。

 生まれついての下僕体質。明るい未来像など到底思い描けず、人生をやり直す気概きがいもない。これまでの狗藤は、投げやりに無気力な日々を送ってきた。だが、それも終わりだ。

「これで人生が変わるよ。ありがとう、カノンさん」
「そのリアクションだと、私が弁天堂で言ったことを、まるっきり信用していなかったみたいやな」
 カノンは呆れ顔で吐き捨てた。

 とにもかくにも、こうして、狗藤の人生は一変することになる。ただし、狗藤自身の予想とは、まったく違う形で。

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