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C:バトル・オン・ウォーターフロントⅡ④
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カノンの絶体絶命と時を同じくして、狗藤も比企田教授に追い詰められていた。
「いいか、君は何も考えなくていい。いや、明確に命じておこう。どうか、何も考えてくれるな。ただ、僕の言う通りにしていればいい」
教授はそう言って、テーブルを人差し指で叩いた。
「今すぐ、ここで、【弁天鍵】を使いたまえ。僕の指示通りに打ち込むんだ」
教授は普段のさわやかな笑顔をかなぐり捨てていた。我執と欲望がむきだしになり、守銭奴特有の醜い相貌に変わっていた。
狗藤は少し躊躇っていたが、教授の気迫に負けて、右手に【弁天鍵】を出現させた。
教授は狗藤の前に、A4サイズの用紙を一枚滑らせる。十名の人物の氏名が横書きで並んでいた。狗藤の知らない九名の氏名の下に二重の線が引かれていて、さらに、その下に書かれた十人目の指名は、「比企田正樹」だった。
狗藤は知る由もないが、比企田教授以外の九名は、超絶富裕層の面々だった。
超絶富裕層とは世帯の純金融資産、つまり現金,預貯金などの金融資産から負債を引いた資産が、100億円以上である層のことを指す。ちなみに、これはW総合研究所の条件設定である。
「あのう、どういうことなんでしょう」
「何度、同じ事を言わせたいんだい?」
教授の手が震えているのは、怒りと苛立ちのせいだということぐらいは、鈍感な狗藤でも察しがついた。
「これから、その九人の方々から、それぞれ14億円ずつもらいうける。やり方はわかるだろう。【浮遊端末】を呼び出して、【請求書】に九人の氏名と14億という金額を書き込むんだ。ただ、それだけででいい」
「じ、14億!?」狗藤は思わず、素っ頓狂な声を上げた。
「誤解しないでくれ。これは九人にとって、悪い話じゃない。それどころか、大きなメリットのある話でね。いいかい、こいつはいわゆる、足のつかない不正財テクなのさ。受け取る窓口は僕になっているが、あくまで通過点にすぎない。すぐに他所に回してしまうからね。次から次へ、我々のシステムの流れにのせて循環させる。カネはできるだけ分散して、極限までリスクを散らす。その過程で、莫大な利子を生み、賄賂に姿を変え、脱税さえ可能となる。断じて、僕の私利私欲を満たすためじゃない。わかるだろう。そんなことをしたら、神様に気づかれて、天罰を受ける羽目になるからね」
「……」早口でまくしたてる教授に、狗藤は圧倒されていた。
「さぁ、納得したのなら、さっさと記入したまえ」
「……ううっ」
狗藤は腹を押さえて、苦悶の表情を浮かべた。
「何だ、どうした?」
「す、すいません、ちょっと失礼して、行かせてください」
「行くって、どこへ?」
「ううっ、トイレに行かせてください。あまりに金額がでかすぎて、すっかりビビってしまって。どうも、お腹に来たみたいです」
「さっさと行ってこい」教授は呆れ顔で、手を振った。
「すいません、すぐ戻ります」
狗藤は前屈みの格好で、ヨタヨタとトイレに向かう。過剰なストレスで腹痛になったのは嘘ではないが、本当は、少し考える時間が欲しかったのだ。蓋を下ろした便器の上に座り込み、必死に頭を働かせる。
何を考えるのか? もちろん、目の前の問題にどう対処するかだ。
狗藤の手には、【弁天鍵】という万能ツールがある。これを使って、うまく立ち回ることはできないだろうか? 懸命に頭を絞ったが、良いアイデアは浮かばない。
なら、教授に言われるままに、【請求書】を書くのか? それはどうにも、気が進まない。仮にそうしてしまったら、おそらく良心の呵責にさいなまれる。
社会正義とかモラルの問題を度外視したとしても、カノンの警告が耳に蘇る。やはり、天罰があるのではないだろうか? 教授は「天罰など受けるわけがない」と断言しているが、それが正しいという保障はどこにもない。
天罰。その言葉を聞くだけで、狗藤は身のすくむ想いだ。
イメージとしては、雲をつくような神様の巨大な掌が空から降ってきて、虫けらのように叩きつぶされる。そんな悲惨で救いようのない映像を想像してしまう。
こっそり逃げることを考えて、一旦トイレを出てみた。厨房を覗いてみたが、期待したような裏口は見当たらない。おそらく、奥の方の山積みの段ボールか食器棚の陰にあるのだろうが、もたつかずにそこまで辿りついて、店外に出られる自信がなかった。
居酒屋の店員たちは大物常連客である教授の言いなりだし、もし狗藤が不審な振る舞いを見せれば、屈強な彼らに否応なしに捕らえられてしまうだろう。
結局、打開策を思いつかぬまま、トイレ手前の洗面台に戻る。なにげなく、近くにあった掲示板に見ると、そこに手書きのポスターが貼られていた。標語の内容とイラストの出来から判断して、近所の小学生が描いたものなのかもしれない。
だが、そんなことはどうでもいい。ポスターの標語を見た瞬間、狗藤は閃いたのだ。もしかしたら、〈神からのメッセージ〉かもしれない。
それはまさに、〈天啓〉だったのだ。
狗藤がテーブルに戻ると、教授は仏頂面で迎えた。大学でつけている仮面は、すっかり脱ぎ捨てていた。もはや、柔和で面倒見の良いキャラクターを演じるつもりはないらしい。
教授は冷たい声音で告げた。
「僕は時間の浪費が何よりも大嫌いでね。さぁ。さっさと済ませてしまおうじゃないか」
「はい、あの、すいません。少しだけ、お時間をもらっていいですか?」
「この期に及んで何だね?」教授は苛々と、指先でテーブルを叩き始める。
「いいか、君は何も考えなくていい。いや、明確に命じておこう。どうか、何も考えてくれるな。ただ、僕の言う通りにしていればいい」
教授はそう言って、テーブルを人差し指で叩いた。
「今すぐ、ここで、【弁天鍵】を使いたまえ。僕の指示通りに打ち込むんだ」
教授は普段のさわやかな笑顔をかなぐり捨てていた。我執と欲望がむきだしになり、守銭奴特有の醜い相貌に変わっていた。
狗藤は少し躊躇っていたが、教授の気迫に負けて、右手に【弁天鍵】を出現させた。
教授は狗藤の前に、A4サイズの用紙を一枚滑らせる。十名の人物の氏名が横書きで並んでいた。狗藤の知らない九名の氏名の下に二重の線が引かれていて、さらに、その下に書かれた十人目の指名は、「比企田正樹」だった。
狗藤は知る由もないが、比企田教授以外の九名は、超絶富裕層の面々だった。
超絶富裕層とは世帯の純金融資産、つまり現金,預貯金などの金融資産から負債を引いた資産が、100億円以上である層のことを指す。ちなみに、これはW総合研究所の条件設定である。
「あのう、どういうことなんでしょう」
「何度、同じ事を言わせたいんだい?」
教授の手が震えているのは、怒りと苛立ちのせいだということぐらいは、鈍感な狗藤でも察しがついた。
「これから、その九人の方々から、それぞれ14億円ずつもらいうける。やり方はわかるだろう。【浮遊端末】を呼び出して、【請求書】に九人の氏名と14億という金額を書き込むんだ。ただ、それだけででいい」
「じ、14億!?」狗藤は思わず、素っ頓狂な声を上げた。
「誤解しないでくれ。これは九人にとって、悪い話じゃない。それどころか、大きなメリットのある話でね。いいかい、こいつはいわゆる、足のつかない不正財テクなのさ。受け取る窓口は僕になっているが、あくまで通過点にすぎない。すぐに他所に回してしまうからね。次から次へ、我々のシステムの流れにのせて循環させる。カネはできるだけ分散して、極限までリスクを散らす。その過程で、莫大な利子を生み、賄賂に姿を変え、脱税さえ可能となる。断じて、僕の私利私欲を満たすためじゃない。わかるだろう。そんなことをしたら、神様に気づかれて、天罰を受ける羽目になるからね」
「……」早口でまくしたてる教授に、狗藤は圧倒されていた。
「さぁ、納得したのなら、さっさと記入したまえ」
「……ううっ」
狗藤は腹を押さえて、苦悶の表情を浮かべた。
「何だ、どうした?」
「す、すいません、ちょっと失礼して、行かせてください」
「行くって、どこへ?」
「ううっ、トイレに行かせてください。あまりに金額がでかすぎて、すっかりビビってしまって。どうも、お腹に来たみたいです」
「さっさと行ってこい」教授は呆れ顔で、手を振った。
「すいません、すぐ戻ります」
狗藤は前屈みの格好で、ヨタヨタとトイレに向かう。過剰なストレスで腹痛になったのは嘘ではないが、本当は、少し考える時間が欲しかったのだ。蓋を下ろした便器の上に座り込み、必死に頭を働かせる。
何を考えるのか? もちろん、目の前の問題にどう対処するかだ。
狗藤の手には、【弁天鍵】という万能ツールがある。これを使って、うまく立ち回ることはできないだろうか? 懸命に頭を絞ったが、良いアイデアは浮かばない。
なら、教授に言われるままに、【請求書】を書くのか? それはどうにも、気が進まない。仮にそうしてしまったら、おそらく良心の呵責にさいなまれる。
社会正義とかモラルの問題を度外視したとしても、カノンの警告が耳に蘇る。やはり、天罰があるのではないだろうか? 教授は「天罰など受けるわけがない」と断言しているが、それが正しいという保障はどこにもない。
天罰。その言葉を聞くだけで、狗藤は身のすくむ想いだ。
イメージとしては、雲をつくような神様の巨大な掌が空から降ってきて、虫けらのように叩きつぶされる。そんな悲惨で救いようのない映像を想像してしまう。
こっそり逃げることを考えて、一旦トイレを出てみた。厨房を覗いてみたが、期待したような裏口は見当たらない。おそらく、奥の方の山積みの段ボールか食器棚の陰にあるのだろうが、もたつかずにそこまで辿りついて、店外に出られる自信がなかった。
居酒屋の店員たちは大物常連客である教授の言いなりだし、もし狗藤が不審な振る舞いを見せれば、屈強な彼らに否応なしに捕らえられてしまうだろう。
結局、打開策を思いつかぬまま、トイレ手前の洗面台に戻る。なにげなく、近くにあった掲示板に見ると、そこに手書きのポスターが貼られていた。標語の内容とイラストの出来から判断して、近所の小学生が描いたものなのかもしれない。
だが、そんなことはどうでもいい。ポスターの標語を見た瞬間、狗藤は閃いたのだ。もしかしたら、〈神からのメッセージ〉かもしれない。
それはまさに、〈天啓〉だったのだ。
狗藤がテーブルに戻ると、教授は仏頂面で迎えた。大学でつけている仮面は、すっかり脱ぎ捨てていた。もはや、柔和で面倒見の良いキャラクターを演じるつもりはないらしい。
教授は冷たい声音で告げた。
「僕は時間の浪費が何よりも大嫌いでね。さぁ。さっさと済ませてしまおうじゃないか」
「はい、あの、すいません。少しだけ、お時間をもらっていいですか?」
「この期に及んで何だね?」教授は苛々と、指先でテーブルを叩き始める。
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