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【龍馬カクテル】⑤

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「僕が伊吹さんと最後に会ったのは、亡くなる半年前です。すっかり内臓が弱くなってしまって顔色は土気色でしたが、傍若無人ぶりは変わっていませんでしたね」

 伊吹巌さんの人となりは、よくわかった。では、肝心要の問題については?

「桐野さん、伊吹さんの人柄や性格から、【龍馬カクテル】の正体に想像がつきませんか?」
「もちろん、想像がつきますよ。むしろ、つきすぎるほどです」 

「ええっ、そうなんですか」
「坂本龍馬がらみのウンチクは伊吹さんの十八番でしたし、仕事中に嫌というほど聞かされましたよ。もちろん、伊吹さんの創作カクテルの癖や傾向も、充分把握しています」

「もしかして、【龍馬カクテル】の正体もわかっているんですか?」
「あくまで仮説ですが、五つほど創作カクテルを思いつきました」

 何だ、そうだったんだ。
「それなら、リオナさんの御都合を聞いて、【龍馬カクテル】お披露目の日時を決めましょう」
「いえ、それは早すぎます。まだ一つに絞りきれていません。もしかしたら、六番目の創作カクテルがこれから降ってくるかもしれない」

「降ってくる?」
「失礼。僕はインスピレーションが閃くことを、〈天から降ってくる〉と表現しているものですから」

 なるほど、ベタに言えば、〈アイデアが浮かぶ〉ということだろう。
「絞りきれないのなら、二,三通りの【龍馬カクテル】をリオナさんに味わってもらうのは、いかがですか?」

「それは、ダメでしょう」
 あっさり一蹴された。
「【龍馬カクテル】が二つも三つもあったら、興醒めです。唯一無二でなければ、【龍馬カクテル】という、せっかくのネーミングが台無しですよ」

 そうだろうか? こういう時、桐野さんを外国の人のように感じてしまう。アーティスト的というか、クリエーター的というか、こだわりすぎというか……。思い切って言ってしまえば、頑固でわがままなのだ。

「桐野さん、私はそうは思いませんよ。二つか三つの候補作を味わってもらって、リオナさんに【龍馬カクテル】を選んでもらう、それがベストのように思うですが」

 でも、桐野さんは首を横に振って、自分の考えを押し通す。

 私は確かに、“桐野さんの考え方とやり方を尊重します”と約束したけれど、何でも言いなりになるつもりはない。私には経営者としての責任がある。問題の優先順位を決めて、桐野さんと相談しながら進めていく。私はそのつもりだ。
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