クリスマス・デス ~25歳で死ぬ病~

坂本 光陽

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ラストデイ④

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 恭介の声が追いかけてきたが、詩織は止まらなかった。衝動的に突っ走ってしまったが、後悔はしていない。

 ただ、冷静さを失ってはならない。詩織の発する言葉は、クリムゾンカード内蔵の盗聴チップを介して、ライズ財団に筒抜けになっている。軽はずみなことを口にできない。

「あれ、深原さん、どうしました? 忘れ物ですかぁ?」

 陽気な声の主は、公園の前にいた海老丸だった。詩織は見向きもせずに、海老丸の脇を走り抜ける。筋肉男は、まだ先にいた。彼は公園を出て、詩織たちと反対方向へと歩き出していたのだ。

 ゆっくりとした歩調である。自分を誘っているのだ、と詩織は察した。みるみる、筋肉男の背中が近づいてくる。

 恭介が追いかけてくるかもしれない。そう思って後ろを振り向くと、彼は海老丸の前で立ち止まっていた。何事か話しかけられている。

 その間に、詩織は筋肉男に追いついた。走るのを止めて、筋肉男の横に並ぶ。二人は肩を並べて、ゆっくりと歩きはじめた。

「そのままでいい。黙って、俺の独り言を聞いてくれ」筋肉男は前を向いたまま、静かに語り始めた。「俺がこんな風になったのは誰のせいでもない。俺自身の責任だ。借金まみれで警察官は免職寸前だし、自暴自棄になっていた。もう失うものなど何もない。そう思っていたよ。バカけたバイトに申し込んだのも、死んだ風を装って唯一の家族をだましたのも、俺自身の考えだ。すべて俺が悪かったんだ」

 筋肉男は自嘲する。
「すぐルール違反を犯して、OMに殺されそうになった。今なら、おとなしく死んでいた方がよかったと思う。けど、あの女に言われたんだ。説明会で会っただろう、真壁マキナだ。“もし殺されたくないなら、殺す側に回ってみない? 君はその才能に恵まれているよ” あれは、悪魔の囁きだったな。失うものなど何もないはずなのに、命だけは捨てられなかった。俺は生に執着しちまったんだ。我ながら場当たり的で、バカさ加減に呆れかえる」

 筋肉男は自分の両手を見つめる。
「俺はこの手で、十八人の命を奪った。十八人だぞ。今朝も一人葬ってしまった」
 西尾さんを殺したのだ、と詩織は思った。

「俺はすっかり変わっちまった。家族の知っていた俺は、死んじまった。今、ここにいる俺は別人だ。身も心もボロボロで、棺おけに足を半分突っ込んだ大バカ野郎だ。だから、俺のために復讐なんて絶対に考えるな。ライズ財団から手を引け。クリムゾンカードを捨てて、どこか遠くに逃げるんだ」

 筋肉男は立ち止まり、詩織の顔を見つめる。
「頼むから、自分のことだけを考えてくれ。身勝手で無責任な俺のことは、とっとと忘れろ」

「そんなこと、できるわけないでしょ」詩織は伏せていた顔を上げた。「私がどれだけ苦しんだか、わかっているの、兄さんっ」

 三つのルールも、尾白恭介も、〈アンチ・ライズ〉のことも、すべて詩織の頭から吹き飛んでいた。死んだと思っていた兄に、こうして会えたのだ。もうどうなってもいい、とさえ考えていた。

「逃げるんなら、兄さんも一緒にっ」

 ずっと我慢していたのに、二度も「兄さん」と呼んでしまった。

 これで、詩織の正体がバレた。いや、筋肉男を詩織に差し向けた時点で、ライズ財団は詩織の正体を把握していた、と見るべきだろう。おそらく、詩織は泳がされていたのだ。

「ダメだ、夕呼ゆうこ。それはできない」筋肉男は苦笑して、肩をすくめる。

 森山夕呼、それが詩織の本名である。〈アンチ・ライズ〉に加入した時に捨てて、二度と呼ばれるとは思わなかった名前だ。

「今すぐタクシーを拾って、赤京区から出るんだ。クリムゾンカード内蔵のGPSがなければ、いくらか時間が稼げるはずだ。運がよければ、奴らから逃げ切れる」
 筋肉男は右手を差し出した。
「ほら、カードを渡せ」
 詩織は素直に、クリムゾンカードを手渡した。

「じゃあな、俺のことは忘れてくれ」
 筋肉男があっさり背を向けて、先程までいた公園へと戻り始める。海老丸と恭介がいる方に向かって歩いていく。

 詩織は呆然と立ち尽くす。せっかく会えたのに、これで終わり? 終わりなの? そんなの、絶対に嫌だ。
「待って、私も一緒に行く」

「バカヤロー、絶対についてくるんじゃないっ!」
 筋肉男は振り向いて、詩織を怒鳴りつけた。
「よく聞け。俺の身体は、マジで危険なんだ。OMが勝手に暴走したり、逃げたりしないように、俺たちの身体にはデバイスが埋め込まれている。指先サイズの爆弾が心臓にくっついているんだ。ありがたいことに、いつ爆発するかわからん」

「そんな……」
「素直に言うことを聞け。おまえに悲惨な最期を見られたくないんだ」
「……」
「わかったら、おまえは絶対に来るな。さっさとタクシーを拾って、赤京区から出ていけっ」

「兄さんは、どうするつもりなの」
「やるだけやってみるさ。所詮、悪あがきだがな」

 筋肉男は公園の方に走り出す。二度と振り返らない。兄の背中は頑なに妹を拒んでいる。
 詩織は黙って見送るしかなかった。

                 *

 筋肉男は走りながら、カードの盗聴チップに語りかける。

「聞いてんだろ、真壁マキナ。俺は今、すごく後悔している。おまえから誘いを受けた時、なぜ拒否しなかったか。たった今から俺は、おまえらの敵だ。殺したかったら、さっさと殺せ。心臓を爆発させろ。場所は、この公園でどうだ。幸い無人だし、周りに迷惑をかけず済む。いや、バラバラになった遺体をかき集めないとならないんだ。どこで死んでも迷惑な話だよな。とにかく、派手な打ち上げ花火といこうぜ」

 筋肉男にとって、最後の戦いが始まる。勝てる見込みがなく、絶望的な戦いになることは彼自身が最もよくわかっていた。

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