未完結短編集

結局は俗物( ◠‿◠ )

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スカイブルーめろんぱん  恋愛/BL含む/ラブコメ(?)()

スカイブルーめろんぱん 3

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 自分と同じくらい大事だと思っていた人がいる。陰ながら守ろうと思った。陰ながら守って、その人の綺麗な笑みを見ていられたらそれでよかったのだけれど。
「海森くんと岬くん、再婚で兄弟になるんだって」
 友人たちの会話で聞いた事実に司は頭が真っ白になった。
「タイプも全然違うよね」
「それ、本当なの?ただの噂じゃないよね?」
 素行が悪くて口も悪くて、女子にも物言いがきついクラスメイトの海森宙来が苦手で苦手で仕方ない。もし彼と兄弟になるのが海森宙来以外だったなら。
「ただの噂じゃないと思うよ。だって岬くんと海森くん、一緒に職員室入っていったし」
 

 冗談じゃない。冗談じゃない。冗談じゃない。司は怒りと悔しさで身体が熱くなるのを感じた。彼の傍を離れず、じっと彼を見つめ、彼を見るものを睨む。
 司が彼に贈った折り畳み傘も絆創膏ものど飴も全てすべてあの騎士ナイト気取りの男が捨てた。今日買ってきたメロンパンだって、1つ彼が彼のために使っただけで残りはあの忌々しい男の手によって捨てられるのだろう。分かってやったことだけれど、惨めな思いに視界が滲み、友人の誘いを断って昼食は1人で摂ることにした。
「1人でうろうろするなよ。変なのに狙われてるんだから」
 彼と騎士気取りの義兄の会話が耳に届いた。どうやら彼は変なのに狙われているらしい。それは彼が危険に晒されるということか。顔を上げて彼を見ていると、騎士気取りの義兄と目が合う。露骨に嫌な表情で、口元が動いた。人を煽るのが趣味なのだろうか、司は目を逸らす。
「さんじょぉさぁん!」
 情けない声がうるさく響き、勢いよく背中に温かいものがぶつかり、ごはんが上手く飲み込めず咽る。
「三条さん三条さん三条さん」
 少し前に出会った転校生だ。帰るところがないと泣き出し、一度だけ家に泊めてしまってから付きまとうようになった、外見だけは不良かぶれの駄犬。物理的には存在しない尻尾を大きく振るこの男子生徒は十河良平和そごうらぴすという。ふざけた名前に理不尽な怒りが込み上げる。
「学校では関わってこないでって何度言ったら!」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
 にこにこ情けない満面の笑みを浮かべて尻尾を振り、後ろから抱き付いている良平和に苛立ち、手を振りほどく。体温が高く、人の肌の温もりが苦手な司には不愉快そのものである。良平和が司の席の前に回り込んで座ると、千切れた右の耳朶が視界に入り、グロテスクな画像を見てしまったかのような不快感に眉を顰める。
「三条さんの好きな人の友達かっこいいネ」
「好きな人じゃないし、友達じゃないよ。義理の兄弟だって」
弁当の中のエビフライを見つめているので、それを食べると、肩を落とす。
「え、義理の兄弟?」
 少し焦げたベーコンのアスパラ巻きを良平和の口に放り込み、そう、と頷いた。
「メロンパン、喜んでくれた?」
 そういえばこいつにもメロンパン買うの手伝わせたんだっけ。司は思い返し、首を振った。無いはずの耳と尻尾が垂れ下がるのが見えて、良平和は項垂れた。
「そっかぁ。残念だったネ」
「別に。結果は分かってたし」
 視線を離れてグループを作っている増山に移す。談笑しながらメロンパンを齧っている。彼が想いを寄せている人が食べているのなら、それも無駄ではない。
「健気だネ。でもそんな三条さんもステキ」
「口説きに来たなら帰れば」
 良平和を見ればまた右の千切れた耳朶が目に入り、同情心からもう1つベーコンのアスパラ巻きを口に放り込んでやった。
「美味しい」
「冷凍食品のメーカーにそう電話するといいよ」
 アスパラが噛まれる音を聞きながら、空になった弁当箱を司はしまう。
「三条さん自炊しないの?三条さんの料理食べたい」
 司は良平和を睨んで、席を立つ。
「どこに行くの?」
「あんたのいないところ」
「待って!」
 容赦なく良平和は司を後ろから抱き締める。飼い主から離れられない大型犬を思わせる。教室から出ていく際に司はあの義兄弟を一度だけ見た。騎士気取りの義兄と視線がかち合い、火花が散る。遠慮なしに体重を預けてくる良平和の煩わしさも全く気にも留まらず、視界から消えるまでそれは続いた。
「くっつかないでよ。邪魔」
「女神のお義兄にいちゃんと仲悪いの?すごく睨んでた」
 向き合って、軽くぽすっと良平和の腹部を殴る。ノリよく良平和は呻いて、司の手を包んだ。
「女神様以外に興味がないのよ。それ以外は敵なんでしょう。忌々しい」
 彼を守るのは自分だけ。彼を守れるのは自分だけ。唇を噛みしめ、脳裏を占める騎士気取りの彼の義兄に腸が煮えくり返る。良平和の指親が司の唇に触れ、噛みしめないよう添えられる。
「女神様が増山さんと話すことだって邪魔しようとして!許さない!どうして女神様の幸せを阻もうとするの?」
「うーん。じゃあオレは女神のお義兄にいちゃんを女神と引き離せるよう頑張るよ。ね?三条さん」
 司に抱き付いて、背中を叩く。飼い主の匂いが心地よい。
「余計なお世話」
 司には、プリンなのかバニラっぽい甘ったるい匂いが鼻に届いて、癪に障った。
「元気出して。気にしなくていいんだから。女神を守れるのは三条さんだけ」
 司は良平和を剥がす。冷たくあしらってもへらへら笑っている。
「もっと三条さんといたいけど、三条さん1人になりたいなら行くね!」
 バニラの匂いが鼻に残り、良平和は去っていく。司には千切れた右の耳朶だけが視界に映る。
「バカみたい」
 バニラの匂いを消すように良平和が触れた場所を払う。廊下の窓から見上げた空の遠くは濃い灰色になっていた。朝は天気がよかったから、彼は傘を持ってきていないはずだ。置き傘もないことを知っている。この日のために買っておいた折り畳み傘を下駄箱に入れておかなければ。司は口の端を吊り上げるように笑った。淡い水色に白雲や虹がプリントされている、かわいい折り畳み傘。彼を想って選んだのだ。彼が濡れないように。雨の日でも楽しくなるように。

 雨は5限の途中で降り始めた。どしゃ降りだ。クラスメイトの落胆の声が授業中にも関わらず教室内を支配する。教科担当の先生も急な雨に溜息を漏らした。司は黙って窓を見つめ、一度だけ彼を見た。騎士気取りの義兄の前の席で、頬杖をつきながら窓を見つめている。さらさらの髪が手の甲を滑った。撫でてみたいけれど、実際司は彼とそんなに会話をしたことがない。
「深里、傘持ってきた?」
 うるさい教室内でたまたま声を拾う。
「ううん。だって天気予報でも雨降るっていってなかったし」
 増山は動揺した様子もなく隣の席の友人の問いに答えている。彼に視線を移せば、思った通り彼は増山の会話を聞いていたようだ。
 考えてなかった。増山のことまでは考えていなかった。司は自分の犯した失態に、頭を抱えた。増山が傘を持ってきていないことを、あの優しい彼は気に病むだろう。司はやってしまった、と肩を落とす。何故考えが至らなかったのだろう。
6限が終わってすぐに司は増山をつかまえた。
「増山さん!」
 水道にいた増山に、司は声を掛ける。増山とは親しい関係ではない。クラス内の派手な女子たちのグループとはまた別にある地味な女子の集いにいる。司は増山のいるグループとは違うところにいたし、単独行動を好んでいたため増山とは本当にただの級友でしかない。
「あ、三条さん。どうしたの」
 後頭部の上のほうで束ねた栗色の髪が揺れる。派手さはないがよく見ると目が大きくかわいらしい。
「傘、あたし、2本持ってるから、よかったら使って!」
 ロッカーに入れておいた予備の折り畳み傘を増山に差し出す。淡い桃色に赤いハート柄の折り畳み傘だ。増山は驚いた表情をする。
「さっき持ってないって、言ってたでしょ?」
「え・・・あ、ありがとう」
 増山が戸惑ったように目を泳がせ、それから折り畳み傘を受け取る。司は教室に戻りながら、内心ガッツポーズした。増山と話すのに緊張した。いまだに心臓がうるさい。

 放課後も雨は元気を失わず振り続けた。4時過ぎとは思えないほど暗い。校庭には巨大な水溜りをつくっている。
 彼は折り畳み傘を使ってくれるだろうか。司は急いで下駄箱に向かった。彼が来るのは随分遅かった。彼には友達やファンが多いから、きっと話し込んでいたんだろう。彼は優しいし、話し上手で聞き上手で、対応がいいから。そう司は思っているけれど、彼と話してみたいとは少しも思わなかった。彼は女神であるから。太陽であるから。
「あ」
 下駄箱を開けた彼の声がした。心臓が大きく鳴る。使ってくれるだろうか。使ってくれるだろうか。使ってくれるだろうか。
「どうした」
 不機嫌そうな騎士気取りの義兄の声に司は舌打ちした。騎士気取りの義兄は彼の下駄箱を覗く。それから舌打ちをした。同じ仕草をしてしまったことに司は苛立ちを覚える。
「折り畳み傘が入ってて。この前のもまだ返せてないんだけれど・・・同じ人かな」
 少し困惑の色が窺え、司は胸を抉られるような気分だ。彼を困らせるつもりは全くなかった。
「気持ち悪ぃな。俺の置き傘使おうぜ」
「でも、2人じゃ狭いでしょ。使わせてもらっていいのかな」
 司が入れた折り畳み傘に手を伸ばそうとした彼を、義兄が制した。
「気持ち悪ぃからやめとけよ。・・・空柄って、なおさら気持ち悪い」
 目の前が白黒になる。彼の名前を思わせる柄で司自身気に入っていた。だから押し付けがましいけれど使ってほしかった。気持ち悪い。確かに。司はカバンを落としてしまった。ファスナーを閉めなかったせいで、携帯電話が床に叩きつけられ、滑っていく。
「お前細いから2人くらい入る」
「あれ・・・三条さん」
 呆然と司は立ち尽くした。騎士気取りの義兄が訝しんだ視線で司を刺す。
「雨宿りかな。暫く止まないみたいだよ」
 彼はにこりと笑いかける。
「コレ使ったらいいだろ」
 騎士気取りの義兄が彼の下駄箱から折り畳み傘を出して司に投げた。胸に当たって落ちる。
「ひどいよ、投げることないだろう」
 彼は軽く義兄を非難した。それから司に歩み寄って、落ちた折り畳み傘を拾って司に差し出した。
「でももし傘ないなら・・・もらった物だけど、使ってよ」
「あ、あっ・・・ありがとう」
 間違いなく自分が選んだ傘が自分の手元に戻ってきた。彼が話しかけてくれたのは確かに嬉しいけれど。
「強くなる前に帰るか」
「そうだね」
 手の中の折り畳み傘を握り締めた。気持ち悪い。確かに。彼もそう思っただろうか。彼を困らせてしまったのだろうか。
「増山さん、傘ないって言ってたけど大丈夫かな」
「ピンクの傘持ってたぜ。大丈夫だろ」
「よく見てるなぁ」
 大好きな声と憎い声が遠くなって雨音に掻き消されていく。彼を完全に傘に入れるため、肩を濡らして騎士を気取っている。言いようのない敗北感に、司は拳を握りしめた。人通りのある廊下から去りたくて、行くあてもなく走りだす。落としたカバンも携帯電話も折り畳み傘も、全てどうでもいい。
 

「三条さぁん」
 屋上へ繋がる扉の前の踊り場で蹲っていた。雨が容赦なく屋上を叩く。
「どうしたの~。帰りましょ~」
 駄犬がやって来た。一緒に帰る約束などしていない。2人分のカバンを肩に掛け、折り畳み傘と携帯電話を手に持っている。へらへら笑って司の前に屈んで座った。
「勝手に帰ればいいでしょ。一緒に帰る約束なんてしてないんだから」
「うーん、じゃぁ今約束する」
 駄犬は小指を突き出す。司は顔を逸らした。熱っぽい手が司の手を取って、小指に絡めようとする。要らない優しさに司は駄犬の手を弾いた。
「さっさっと帰ってよ。放っておいて。どうして付きまとうの」
「三条さんのイヌだから」
 情けない笑みを浮かべて、カバンと携帯電話、折り畳み傘を司の前に置くと、駄犬は立ち上がる。
「じゃぁ放っておくね。下にいるから」
 階段を下りていく汗で濡れているらしいシャツの背中を見つめた。
 気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。彼も気持ち悪いと思っただろうか。彼に不快感を抱かせてしまっただろうか。こうなることは分かっていた。以前折り畳み傘を送ったときだって、絆創膏を送ったときだって、のど飴を送ったときだってあの騎士気取りが全てダメにした。こうなることは分かっていたけれど。何故か今回ばかりは胸が痛む。頭から離れない。
 いつもより期待していたからだろうか。彼ならあの空柄を喜んでくれると。目が染みる。じわじわ視界が滲む。大嫌いな騎士気取りの義兄の言葉に縛られる。瞬きをすると頬を水滴が伝った。目の前にある空柄の折り畳み傘を掴んで壁に投げつけた。立ち上がって踏んだ。踏んで踏んで、壊した。そして蹲って泣いた。
 

「あ、もう帰るの」
 踊り場のすぐ下の階段の2段目に駄犬は座っていた。無視して司は玄関へ向かった。駄犬は司についてくることはなく入れ違うように屋上前の踊り場に上がっていく。
 司は大雨の中歩き出した。制服や靴下の色が変わっていく。青空よりよほど曇天のほうが自分に似合っている。司は拳を握りしめた。
「待って」
 駄犬の声と、走ってくる音と水音。駄犬の言葉など聞かなかったふりでそのまま歩き続ける。
「待ってったら」
駄犬の言葉を聞く義務はない。雨音で聞こえなかったフリをしてもいい。
「あ、オレが追い付けばいいんだよね?」
 走る速度を上げたらしい。音で分かった。真後ろから首に腕を回され抱き締められる。司の足に跳ねた水がかかって、駄犬を睨んだ。
「へへへ、追い付いたもんね」
  頭や肩にぶつかる雨の感覚がなくなり、小気味いい音が耳に届く。
「汗臭いし、離れて」
 雨の日は好きだった。けれど傘に嫌な思い出ができてしまった。
「ごめんごめん」
 熱っぽい手がまた司の手を取り、駄犬が持っていた傘の柄を握らせる。
「要らない」
「うーん、オレ今臭いから、三条さんと離れなきゃでしょ。傘持ち係できないの」
 司は上に視線をやる。白地に水色の大きい水玉模様の傘だった。
「傘持ってあげられなくてごめんね。怒ってる?」
 駄犬の顔から雨水が滴る。汗で色の変わっていた背中も目立たないくらいにシャツも色を変えている。
「あんたの傘でしょ。あんたが使えば」
「オレは~この傘もらう。だめ?」
 右の千切れた耳朶からも雨水が滴る。
「壊れてるでしょ。見て分からなかったの」
「いいの。三条さんが選んだ傘なら壊れててもいいの」
 上手く開かない傘を差して、ばかみたいに駄犬は笑っている。
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