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ホラー創作とはわたくしにとってなんぞという話 2018.5.20

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 ブログから転載。


 アルファポリスさんのところでホラー大賞をやっていて、前からホラー創作に手を出してみたくてホラーとはなんぞやと放置していたホラー小説や洒落怖やホラー小説の書き方講座などを読み漁っていたのですが、なんだかんだ一番怖かったのは、ニュースで見た漫画喫茶で無差別に男性が刺殺された事件ですよ。現実ですからね。紙や画面を介したものではなく、目の前で起こった可能性が、自身が被害者家族、加害者家族、当事者になっていた可能性があることですから。
 
 理不尽が常に付きまとうんですよね。その「理不尽」ですら人間の作った概念で。家族や友人を失って悲しい、社会的立場を危険に晒されて悲しい、突然人生を奪われて悲しい。それすら結局は人間の内在的なものであって。時折思うのが、自分以外は自分の人生のエキストラであると。考えを持たずただ疑似的に動き、自分の人生を阻むなり支援するなりの存在で、そこには表面的な感情があり、その人の歴史はあくまで「設定」である、みたいな。恐ろしいですよ。呪いよりも心霊よりも、人間や蜂や感染症やダニ・ノミやアレルギーのほうがずっとずっと怖い。わたくしはわたくしが目指すホラー創作は出来ないな、と自身の限界を作りました。そして感じた。だから多分今少しずつ書いている「ホラー創作にしたかったもの」は「ホラー」ではありませんね。カテゴライズするときは「ホラー」に分類されるかも知れませんが、わたくしは今書いている創作を自分で「ホラー」だとは思えないな。
 

2018.5.20
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