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自死遺族であることを告白しているだけの話

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 後になんで掲載したか分からないまま保存されていたのを消さないで公開したので気にしないで。
↓(アメブロより掲載)


 親に、「やってみてダメかもしれないけれど諦めちゃダメだよ」って言われてな。わたくしの中で諦めるっていうのは自殺のことなんだよ、つまり諦めるということは死を意味する。
 つまり自ら死ぬ選択が浮かばない限りはチャレンジなんだよ。志半ばで亡くなるヤツもいる。でもそれは諦めじゃない。常に可能性がある。可能性があった。いつ何に目覚めるかも分からない・・・だからこそ人生ってのは都合主義にならない分フィクションより奇妙奇天烈なのかもしれないですわ・・・

2016.5.5

本文



 控えめにいうと、自死遺族であります。もう15年近く前から。とはいえ近い親戚なのでそうめちゃ近い血縁ではないのですが、でも葬式の時に棺の両脇に座る範囲の親戚です。

 さらにいうと「開胸」(当エッセイ掲載済)っていうお話を明言してしまうのですが、同級生もまた自殺してしまいました。何故「自死遺族」と表現したのかは個人的に受けるインパクトの問題で。自殺は自殺なんですけど、何となく自分に向けて使う場合はどうしても「自死遺族」と言ってしまう。
 
 わたくし自身はそうつらくないのですが、遺書とかはなくてもう推測するしかないんですよ。なんで自殺したのかということを。それでさらにはあれですよ、親類の緊迫した感じね。 

 わたくしはもうほぼ自慰みたいにこのページを綴ります。

 わたくしは、その親戚が自死したことを知らないふりして生きてゆかねばならないのという感じがあるのですわ。
 その親戚が或いは他の親戚とごたついて死を選ばなければならなくなってしまったことも、知らないふりをして、わたくしは当人が死んだことよりも、その当人が死んだことで死別したわたくしの間近な親戚がいたことにちょっとした死体蹴り的な憤りを覚えてしまっていたのですわ。

 「死んだらいけない」というフレーズを聞くと、捻くれた考えが「それならお前が奴の不安因子を取り除いてくれるのか」と思っていた節もありました。でも死なれることでもっと間接的に…いや、そんなことまでいちいち考えろよなんて言いませんわ。どこで何が繋がっているかなんて分からないし、自死をガチめに考えている人間がそこまで考える余力があるとは思わない。ほんっとに人の世は柵(しがらみ)で出来てますわ。
 
 わたくしには正直、自傷の痕があるんですわ。死にたかったわけではない。ただなんとなくなんですわ。もう恥ずかしくって仕方がない。根が弱い人間だから、自傷の痕=弱い人間みたいな構図が根付いていて、わたくしはこの傷がほんとうに、恥ずかしい。自分が弱い人間だと打ち明けるのは簡単なくせにまだ弱い人間であることを素直に認められないでいる。左利きのカッターナイフを右手でやったものだから、変に切れていたせいで、薄い膜になってるんですわ。バレーボールが好きなのですが、赤くなると白く浮かび上がるんですよ。


 自分で死ぬってどういう気分なんだろう、よりも、もしめちゃくちゃ近い人間が自殺しちゃったらどんな気持ちになるんだろう、が最近は先行してしまう。わたくしはまだ死を理解しきれていなくて、高校時代に顔も知らない先輩が交通事故で亡くなった時花を手向けにいきましたわ。でもここで死んだんだと言われても何か不思議な感じがあった。修学旅行でガマに入るのを拒んだのも、ここで人が亡くなったと考えると何か時空の捻じれみたいな感じがあって、けれど母親に「現代を生きている以上見てくる義務がある」と説得されて、たまにそういう口からでまかせみたいなこというからどこまで本気か分からないけど入って来たんですわ。(ちなみにガチで怖いとか「視えちゃう」先輩は入らなくてもよかったらしい)

 凶悪事件とかもよく調べてしまうし一時期は下された判決が気に入らなくて法律関係の仕事に就こうと思ったこともありました。下った判決はもう覆らないとかなんとか、そんなことは気にも留めず。

 話めちゃくちゃ脱線してるわ。何がいいたいのか分からなくなってきた。

 分かった気になっているだけだと思うんだけれど、同級生の自殺のほうはなんとなく分かってしまう節があって。彼の身に本当に何があったのかは分からないけれど、ただ彼はどこか聡さがあった。少し抜けているというか変な部分もあったけれど、聡さがあった。何かこう、分かってしまった感じ。ただの気持ちの投影かもしれない。不変になってしまった彼に馳せて。将来の虚無感を分かってしまった感じがあった。彼に。他の素行不良児たちよりももっと顕著な素行不良ともいえない反抗期みたいなのがあって。それで分かってしまった。初期の段階はまだ普通に話せていた。でもそのうち何も言わなくなってしまった。
 結局彼は死亡推定が1年前ということだけを残して終わった。

 その話はいい。親戚の自死はまだ禍根を残していて。色々複雑な事情があるけれど、その人はほぼ孤立していたけど一応親戚には可愛がられていて。その親戚と、わたくしの家族の、死んだ当人への忖度が違った。死人に忖度って変だな。どうして遺書もなく、何の言伝もなく突然自死したのかを慮ったつもりが、別の親戚とは解釈が違ったんだな。

 「葬式で泣いてくれたやつがその人の価値」みたいなフレーズを聞いたことがあって。気持ち悪い。もう色々通り越して泣けないやつだっている。心で泣いてるやつって意味?気持ち悪い。人の価値ってなんだよ。価値の有無まであるのか。ALL or NOTHING?パーセンテージ制?

 それはわたくしの個人的な愚痴だとして。

 その例の親戚は、自死した親戚の葬式をおおっぴらにやりたかったらしい。色んな人に来てもらうのがいいと思ったみたい。
 まぁ葬式は、一括で別れを告げる式みたいな、そいつという存在の生前でのことにある種の区切りをつけるためだと思っていて。生きている人間のためのものだと思っているんですけど。

 なんであの人は何も言わずひとり死んでいったのか分かっていない感じがあった。見つけたのだって郵便屋なわけで。
 
 それで昨年の墓参りで一悶着あって。

 当時のことを記した記事(自分語り大好きだな)



 よくあるよくあっちゃ困る親戚のゴタゴタというか死者の解釈違いで前に揉めたんすよ。もしかしたらもうこのまま墓場かもな。亀裂。うん十年の複雑な遺族のなかなか面倒臭い繊細で脆い関係の亀裂よな。よくあることよ。よくあると困るんだけど。墓場で会ってしまって氷点下。わたくしは墓場探検してたんですけど、避難してきた母ちゃんと合流してハグロトンボ探したりした(お前いくつだよ…)画像は、肉眼では確認出来るのにカメラではなかなか探せず、やっと探しても羽根を閉じてばかりで幾度か開閉するんですけどシャッターが間に合わず…墓場から例の親戚が帰るまで母といたんですけど、わたくしはじっと待って開閉を待っていました。
 
 ハグロトンボ(別名:ホソホソトンボ)っていう細身で羽が真っ黒いトンボがまためちゃめちゃ綺麗なんですよ。何が美しいわけでもないんですけどね、反射して光るとかでもなく。ただなんか吸い込まれるんですわ。普通のトンボと多分羽根同じ成分かもしれないんですけど、模様のせいか質感がビロードみたいに見えるんすよ。だから光が吸収されるような。アゲハ蝶やカラスアゲハも好きなのですが、ついハグロトンボにはまた別の意識が行ってしまいますね。
 
 (ハグロトンボを見つけたという話)
 
 墓参り行って真っ先に墓場探検はじめて始終ハグロトンボを眺めて親戚のゴタつきも受け流して最後に線香ちょろっと上げただけって何しにきたんだ…
 
 
 
 わたくしの家ってそもそも信心深くなくて。宗教も墓も法事も仏事も葬式も結局は死者への仮定による忖度なんじゃないかと。生きてるやつらがそれなりに割り切るためのもので、盆はあまり詳しくかけないっすけど、バレンタインデーにチョコ渡す習慣がついたような、こう、企業戦略じゃないですけど、まぁあれですね。
 

 
 だって“成仏”させたつもりならなんでまた現世(うつりよ())に帰って来るんすか…地のずっとそこ、溶岩だらけの核の上層だか下層だかどこにあるのかも分からない地獄だか、大気圏の上下層どっちにあるのかも分からん天国だかでずっと暮らしてればいいじゃないっすか…死者のために争って生きてる人たちがキィ!ってスキール音顔負けに怒って憤死したり寿命縮めたんじゃ仕方なくないっすか、煉獄か。生きている者たちこそ煉獄だ。苦界よな。いうほど死は綺麗なもんじゃないけど、生きても矜持や価値観が邪魔するから寝ても覚めても醜態を晒すしかない。
 
(アメーバブログ2018年8月23日付)


 多分答えないけど、あの人っつーか伯父なんですけど、わたくしはこう、人生の大きな陰って言うか。わたくしはそのために絶対に自殺したくない・出来ないという感まであって。

 わたくしはでも、何故伯父は死んだのか疑問を露わにしてはいけないし、知らないふりをして生きていくし、自殺はしてはいけない。

 ドラマとかでその自殺法と同じ自殺シーンとかあると、だからわたくし1人ならいいんですけどエロシーン以上に家族は戦慄するんじゃないかと思ってプルる(ぷるぷる揺れたり震えたりすること)
 
 
 「どれだけ止めたって死ぬ奴は死んでしまう」が根底にあって。自殺教唆はできないけど、ただやめろと言ったって何も出来ない。自殺を盾にしてくるやつは最低だ。ただ自殺する・自殺するといったって本当に自殺するやつはすると思う。

 正直、自殺という単語に萌えてしまう。それは自分が自死遺族であるとかないとかは関係なく。興味が湧いてしまう。自殺にではなく、自殺が起こったということに。口にしてはいけないけれど、でも出来るだけここでは自己欺瞞は避けたい。いつか自分が何書いたかよく分からない時に過去の自分を疑いたくないのだ。


 この辺りの葛藤ってほどではないけど、なんか色々考えたことは創作にも織り交ぜてしまうと思う。全てが消費コンテンツだよ、多分。不謹慎すら消費コンテンツで、背徳感すら。
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