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1 沸騰する世論

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萬和ばんな十年(一九四〇年)九月二十日

豊秋津皇国 三重県二見飛行場宿舎

「白昼夷狄に帝都を跋扈される」
「なんたる怠慢、なんたる怯懦。天孫降臨以来の恥辱」
 どの新聞に手を伸ばしても殴られた様な気分になる。二機の大型爆撃機に帝都を爆撃されてから五日経つが、新聞の論調は強くなるばかりだった。海軍三等飛行軍曹丹羽洋一たんばよういちは、文字の形をした鉄拳制裁に耐えながら新聞を読み進める。
「陸軍は何をしていたか。海軍は何をしていたか。軍艦も大砲も惰眠をむさぼり、むざむざと玉座を宸襟せしめた。一体この責任を如何に取るつもりか」
 苛烈な言葉に、爆撃機の迎撃戦に参加していた洋一は腹の辺りをえぐられているような気分になる。自分がもう少しうまく立ち回れていたら、もっと被害は抑えられていただろうか。
 ここまで新聞が政府や軍を攻撃するのは珍しいことだった。二機の大型爆撃機、Tu-3イリヤ・ムロメッツの投弾した爆弾は久屋町辺りに着弾し死者八名、重軽傷二十二名、家屋損壊十六軒ほどだった。けして少なくはないが、欧州での激戦に比べればたかがしれている。しかしその爆弾がもたらした衝撃はこの秋津皇国を大きく揺るがした。
 開戦時の舞鶴を除けば新聞を賑わす地名は欧州大陸であったがために、どこかよその話のように思われていた戦争が、急に帝都に降って現れたのである。冷や水を浴びせられた国民は始めは恐れおののき、そして次第に阻止できなかった軍部に対しての怒りへと変化していった。
 まあ新聞の論調がことさら厳しいのは、破壊された建物の一つが新聞社の事業所であったかららしいが。
「此度も紅宮あけのみや大尉により一矢報いる。姫君独りにいくさをさせるつもりか」
 紅宮あけのみや綺羅きらの名前が出てくると、洋一としては何だか少しこそばゆい。
 紅宮綺羅。皇族にして海軍の戦闘機乗り。輝ける美貌と類い希なる飛行の才能を持ち、そして丹羽洋一の上官であった。先ほどの戦いでも一応彼女の手伝いが出来たという意味では自分も役だったのだろうか。
 国民感情をなだめるためか昨日辺りから紅宮綺羅の戦果であると明らかにされたが、それも果たしてどの程度効果があるのやら。
 それと洋一が少し気になっているのは、いつの間にか爆撃したのは三機になっていることだった。そして海軍の紅宮機が一機は良いとして、アイスランド方面に逃走したのが一機、さらに陸軍がもう一機を撃墜したことになっていた。自分が目撃したのは二機だけで、綺羅様以外の攻撃は残念ながら陸海軍とも有効では無かったと報告したはずなのだが。
 しかも記事によっては陸軍は体当たりで撃墜したことになっている。
「なんだよ、俺死んでることになってるのかよ」
 丸岡とか云った陸軍の飛曹長のぼやきが聞こえてきそうな内容だった。陸軍にも手柄が無いと面子に関わると云う奴だろうか。つまらないことをするものだ。
 新聞をめくる洋一の指がふと止まる。中京毎々新聞のとあるページを前にして、何度も開きかけてはまた戻しを繰り返してしまう。
 思い切って紙面を開く。四分の一ほどを占める新聞小説のような部分に嫌でも目が向いてしまう。
「実録紅姫様空戦記」と妙な題目タイトルがついている。洋一にはまったく身に覚えがない。しかし本文の方は恥ずかしながら身に覚えがある。何を隠そう、これを書いているのはこの丹羽洋一なのだ。
 なぜだか判らない流れで、国民的人気の紅宮綺羅の活躍を、部下である洋一の視点の体験記を新聞に書く羽目になってしまった。週一回の連載で、今回が記念すべき第一回だった。
 自分の書いた体験記が全国に晒されるのはどうにも落ち着かない。読者が求めているのは綺羅様のことだが、視点者である以上は自分のことも書かないわけには行かない。親しまれやすいように、ちょっとした失敗談なんかいいですねと編集には云われているが、好き好んで失敗談を書く趣味はあまりない。
 毎々新聞としては肝いりの記事らしく、タイトルを多色刷りにしたりと派手にしている。協力している海軍も、この記事で国民の支持を取り付けられればといろいろ力を入れているらしい。理屈は判るが、それに自分が巻き込まれてしまうのは勘弁して欲しかった。
 果たしてどうなるのやら。新聞の連載も、戦況も。洋一にはどうにも気が重かった。
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