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22 なにしろ連合艦隊

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       戦艦〈加賀〉艦上 連合艦隊司令部

 すっかり日も落ちて、部屋の中を照明が薄ぼんやりと照らしている。
「北の海は日が沈むのが早いねぇ」
 連合艦隊司令長官榎本中将はそうぼやいた。
「冬至の頃はまったく日が昇らないそうですよ」
 副官の鯨波がお茶を勧めると榎本長官は音を立てて呑む。あまり行儀は良くない。
「寒いし日が沈むし気が滅入るねぇ」
 司令室内の空気も、けして明るいものではなかった。
「いやぁ、せっかく〈加賀〉の40㎝砲が火を噴いたのに、四斉射で霧が濃くなって逃げられるとはねぇ」
 ロシア製旧式戦艦のネヴァ級四隻との戦いは、高尾と愛宕の奮戦で数の差を覆して互角以上に渡り合えていた。そこに〈加賀〉が加勢すれば一気にけりが付く。誰もがそう信じていた。
 しかし〈加賀〉が戦闘参加した辺りで霧が濃くなってしまい、結果敵艦隊を取り逃がしてしまった。負けたわけではないが、どうにも消化不良であった。
「魚雷の方は大丈夫?」
「浸水はバルジで止まっています。注排水で傾斜も復旧したので二十四ノット発揮可能です」
 海戦の最中に〈加賀〉は魚雷を一発貰っていた。
「ちょっと水差されちゃったねぇ。多分潜水艦だよ。僕は詳しいから判るんだ」
 恐らく遠距離からの苦し紛れの一発だったのだろうが、おかげで潜水艦を恐れて艦隊をひとかたまりで運用する羽目になっていた。
「しかし、明日からどうするかねぇ。烏丸君。アイスランドに殴り込みはかけられないかな」
 向こうで報告書類を幾つも並べていた烏丸参謀長に声をかける。
「この霧では危険です。叩いたとはいえ敵の海上戦力は未だ健在です。ネヴァ級だけでなく、〈ビスマルク〉も霧に紛れて接近するかもしれません」
「じゃあアイスランド上陸は?」
「現状ではお勧めできません。航空隊の報告では塹壕などの陣地が確認されていますし、レイキャビックだけでなくケフラビックにも飛行場がある模様です。一個連隊程度駐留しているとなれば、生半可な支援では返り討ちに遭う恐れがあります。なお、気象班の予報に寄れば明日の航空支援は難しいとのことです」
「ダメだってさぁ、ちぇっ」
 親にお菓子を買うのを反対されたような口調で連合艦隊司令長官は愚痴をこぼした。そんな様子を見て烏丸参謀長の顔が僅かに怒りの表情を覗かせたのが、副官の鯨波には判った。
 連合艦隊司令長官の希望に逆らって見せた鬼の参謀長。傍から見ればそうなのだろうが、おそらく参謀長の言葉は榎本長官の望み通りだったのだろう。鉄仮面のような生真面目な参謀長に厳しい意見を云わせて、渋々それに従う。あれはそういう演技なのだろう。参謀長もその役割を十二分にこなしていた。
 しかしそういう役目を、おそらく言葉では伝えてないのではないだろうか。頭がいいから参謀長は気づいてくれるだろう。そんな甘えた態度に、どうも参謀長は腹を立てているのではないだろうか。鉄仮面と云われる烏丸参謀長の内面を、鯨波はそう推し量っていた。
「当方の損害が少ない内に引き上げて、来春以降に仕切り直しをすべきです」
 もともと慌てて開始された作戦である。場当たり的にやってきたからこそ、慎重にならざるを得ない。
「にしてもねぇ、手ぶらで帰るって訳にもいかないしなぁ。バーデンとボロジノ級空母一隻と、ネヴァ級一隻は頂いたかな。これで国民の皆さんが許してくれるといいんだけど」
 海戦の成果としては充分であるはずだった。しかしそれで収まるぐらいなら、そもそもこの作戦を始めていない。
「あの、失礼します」
 扉を開けたら空気がよどんでいるので通信士官が戸惑った様子だった。
「〈翔覽〉より、フェロー諸島を保護したとの報告が」
 唐突な内容に、室内の誰もが数秒間理解できなかった。アイスランドの偵察情報あたりだと思っていたのに。そもそもフェロー諸島とは。
「それだ!」
 そんな困惑した空気を吹き払うように榎本長官と、そして烏丸参謀長が立ち上がって叫んでいた。参謀長は咳払いを一つして何事もなかったように通信文を受け取った。
「〈翔覽〉航空隊の紅宮大尉が、フェロー諸島を保護下に置いたとの事です。この文面だけでは詳細は判りかねますな」
 一読してから通信文を長官に渡す。
「〈翔覽〉に隊内電話つながるかな。紅宮大尉に直接訊きたい、ああ、僕が話す」
 通信員が壁に掛かった電話でしばらくやりとりをした後、受話器を長官に渡した。
「あ、紅宮くん、久しぶり。榎本だよ榎本」
 室内の過半数の膝がくだけそうになるしゃべり方だった。
「榎本、ほら、綺羅君が兵学校の頃の校長。先生今ちょっと連合G艦隊F長官やっててね」
 奇妙な縁が奇妙な二人の間を取り持っていた。
「そうそう、フェロー諸島の件なんだけど、うんうん、不時着してみたら、なるほどなるほど。いやぁでかした。勲章ものですよこれは。いよっ、総督」
 軽薄に褒めちぎりながら榎本は事情を聞き出していた。
「はあ、総督は紅宮公で、綺羅君はあくまでその代理と。なるほどねぇ。そういう形にしたのか。なるほどなるほど」
 榎本は少しだけ考え込んだ。
「そうだなぁ、やっぱり一回正式な叙任式やらないとかなぁ。僕も出たいから。だから綺羅君ももう一度。……大丈夫大丈夫、一回だけ、一回だけだから」
 どうやら紅宮大尉が執拗に抵抗しているらしい。
「こちらも優秀なパイロットを手放すわけがないじゃないか。安心してくれたまえ。紅宮大尉。この度の働き、まことにお見事。では」
 電話を切って、榎本は幕僚達に向き直った。
「というわけで、デンマーク領フェロー諸島が保護を求めてきた。調整の結果、紅宮公がフェロー諸島総督と云うことになった。陸兵を送りたいが、行けるかな烏丸参謀長」
 打って変わって連合艦隊司令長官らしくなった榎本に、すでに計算を終えていた烏丸が応える。
「連れてきた陸軍の内、二個大隊を駐留させましょう。現地の状況は不明ですが手持ちの物資だけで二月までは持たせられます。補給線は小樽から確保します。アイスランド攻略用にこれは手配済みです。それと工兵の派遣を陸軍に打診しましょう」
「そうだね、不時着できる場所があるって事は飛行場も作れるね。航空隊も駐留させたいな。アイスランドへの牽制として、このフェロー諸島は最適な場所にある」
 榎本は戦況図へと歩み寄った。そこには朝からの艦隊の軌跡が描かれていた。北方のネヴァ級四隻の艦隊に、東の〈ビスマルク〉と〈バーデン〉の艦隊。そしてその間にぽつんと浮かぶ小さなフェロー諸島。ついさっきまで誰も気にも留めてなかった島が、これほど重要な意味を持つとは。
 一番上に自分が書かせた「アイスランド沖海戦」の文字の一部を、榎本は二本線を引いて書き直した。
「フェロー諸島への駐留を持って、本作戦の全目標は達成される。かくして『フェロー諸島沖海戦』は我が軍の大勝利となった。いやぁめでたいめでたい。みんなのお陰だ、ありがとう」
 まるで始めからそのような作戦であったかのように、榎本は振る舞った。何という面の皮の厚さかと副官の鯨波は心の中であきれ果てた。
 しかしまあ、それが誰も彼もを幸せにする策ではあった。海軍としては国民に勝利を報告できる。陸軍もそれなりに花は持たせられた。政府としても一安心であろう。本命のアイスランドは来年の春先以降であろうが、そのためにも強力な足がかりを確保できた。
 そういう意味ではちょうどいい場所にあったこのフェロー諸島に、そしてその存在を見落としていたブランドル軍にも感謝すべきなのかもしれない。彼らは地図上のフェロー諸島を眺めた。
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