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十八 用心棒
しおりを挟む煙は架けてあった自分の長刀をとり、腰に閂差しにすると、相楽のことはもう見ずに背中で訊いた。
「相楽さん、あんたも馬鹿でないなら、二十両貰っておいたほうが得だということくらい判るな? さて、もう時間が無い、返事を貰おうかね」
少しのあいだ相楽は無言で煙を見ていたが、「うん、悪くはないですな、二十両というのは」と云って立ち上がり、自分の腰に大刀を差さす。
「しかしこの家の主人もさぞや驚くことでしょう」
煙がちらりと自分をみたのに気付きながら相楽は続けて、「なにせ用心棒だと思って雇っていた者が、実は泥棒だったというのですからなあ。用心棒と泥棒とでは、同じ棒でも大違いだ」
そう洒落た相楽は、ふふっと独り笑ってみせたものだ。
鮎川がその相楽の笑いにむっとしたものか、「下手な洒落を云ってないで応えろ!」と気色ばむと、相楽は鮎川を一瞥しただけで煙に振り向く。
「本当を云うとわたしは、用心棒の仕事が嫌いなのです、それ故この仕事をやめることに吝かではないのですが……しかし残念ながら、泥棒はもっと嫌いなようです」
「泥棒ではないと云ったはずだが?」
「まあ、もうよしましょう煙さん、わたしはあと三日は約束の用心棒でいることに決めましたよ」
そう云った相楽の顔は何とも複雑で、己の運命を嘆くようでもあり、また楽しむようでもある。
「ならば、それもよかろう」
煙はわずかに指先を刀の柄のほうへと動かしながら、「何を選ぶも、そこもとの勝手だ」と、すでに興味もないという目で相楽を見据えた。
相楽はその煙の指先の動きを見逃してはいない。咄嗟に居合いをかけられるのを警戒した相楽は、間髪いれずに庭へふわりと飛び降りる。
するとその時だ、まるで相楽を待っていたかのように、沈丁花の香りが自分を包み込んできた事に気がついた。
(──やあ、織枝)
べつに考えてそう云ったのではない。相楽の口がごく自然にそう動いただけの事である。
(ふふ、そう、心配するな)
相楽が盗みの手伝いを拒否したからには、当然三人を斬らねばなるまい。自分の潔白を証明するには、最早その道しか残されてはいないのだ。
だがもちろん、煙を相手に勝ちを望むのは難しいだろう。それでも相楽は今こうして笑っていられる自分が嬉しかった。
(俺もまだ捨てたものじゃないようだな)
相楽が自分の死を前に置き、こうして笑っていられるのは、織枝の死を受け入れた自分を赦せた事にあるかもしれない。
また赦さねば、夫婦で幸せにと願って生きていた織枝が悲むだろう。
もう二度と織枝を悲しませるわけにはいかぬのだ。それゆえ相楽は幸せと向き合わねばならぬと決心した。
むろん、いまでも相楽の中で生きている織枝と共に──
相楽のその想いが行き着いた先にみた幸せとは、やはり武士として恥ずかしくない自分でありたいと云う事であったようだ。
(もういちど、自分なりに一生懸命生きてみるよ)
心の中の織枝にそう約束したことを、いま相楽は思い出している────
「用心棒の仕事には、泥棒の撃退もあったことはご存知ですな」
相楽は庭から三人を見上げながら、「そういう事ですので」とわざわざ断りを入れた。そして刀を鞘から抜き、腰をゆっくりと沈めて足の位置を決める。
「では……まいりましょうか」
その言葉に対して、歯を剥き出して吠えたのは鮎川であった。
「死ぬか、若造!」
鮎川が大刀を抜き放ちながら庭へ降りてくると、木刀を手にした次太郎も同時に、素早い動きで相楽の後ろへと廻り込む。二人に挟まれた容となった相楽であったが、別に慌ててはいない。霰がいつのまにかに止んでいることにも気がついているほどに。
相楽は足先を開き、やや重心を後ろにおいた恰好で刀を青眼にとった。それに対して鮎川は、いきなり上段に刀を構え、じりじりと間合いを詰めはじめる。
「貴様、ずいぶんと嬉しそうな顔をしているが、そんなに死ぬのが嬉しいか?」
相楽は青眼にとった刀の切先を、念流においては芯と呼ばれる眉間のあたりに合わせ、鮎川の動きを抑え込む。
「そうですな、願わくば美しく死にたいものです」そう云って、相楽はわずかに口角をあげた。
二人の間合いはまだ大分ひらいているようだ。すると煙が鮎川に云う、「油断するな、其許と同等にはつかう男だぞ」
鮎川はわずかに頷いたかとおもうと、唾を飛ばしながら大声で気合をいれる。それに合わせて肩の筋肉が一層もりあがってきた。
(あの豪腕で振り下ろす刀をまともに受けたら、手が痺れて動かなくなるかな……)
相楽は心の中でそう呟きながら、同時に背後の次太郎が動く気配をも感じていた。だが動いただけで、まだ打ち込んでこれる間合いではない。
正対している鮎川もその間合いを自分のものにするために、全神経を集中させて動いている。そして相楽にとってもこの間合いこそが生命であった。
このまだ斬り込むには早いと思える距離を、一気に飛んで相手の虚を突く。相楽の神速ともいえる体捌きはそれを可能にし、まさに一瞬の躊躇もなく、相楽は鮎川めがけて跳躍した。
「むっ!」
鮎川にはやはり相楽が消えたように見えたであろう。あっと思った時には相楽の大刀が自分の脾腹めがけて喰い込もうとしていた。
「キシャアアアアッ」
物凄いような気合声が庭中に響いたかとおもうと、鮎川は相楽の神速の一刀を上段から振り下ろして弾きかえす。
その衝撃で体勢が崩れそうになった相楽は、あやうく後ろへ飛びのき間合いを作り直した。
(あれを弾くとは……相当につかう)
鮎川は肝をつぶしたものか、大きく息を吐き出すと相楽に向かって云った、「なかなかの業前じゃないか」
相楽はそれには応えずに、後ろの次太郎にたいして気合をとばし、牽制するかのようにちらりと見た。おそらく次太郎はいまの剣戟のあとに隙をみたのであろう、相楽との間合いを大分につめており、いつでも打ち込めるくらいには近くなっている。
相楽は正対している鮎川を誘うように、ゆっくりと青眼に構えていた刀を水平に構え直した。
それに釣られたわけではなかろうが、鮎川が相楽の動きに合わせて一歩踏み込んだ時、相楽の背後から次太郎が見かけによらぬ力強さで木刀を振り下ろしてきた。
相楽は瞬間くるりと後ろを向いて次太郎へと身体をすべらせると、その木刀を両断した勢いそのままで次太郎の首を深々と斬った。いや、そのはずだった。
(むっ、しまった)
相楽がそう思った時、金属のガチリッという音が鳴ったのだ。迂闊にも次太郎の木刀に金属が仕込まれているかもしれないという事を、相楽は失念していた。そのため木刀を両断できなかったぶん、剣速が僅かに遅れてしまったらしい。
たしかに次太郎の首からは血が吹き出している。だがこの剣速の鈍りは、そのまま鮎川の剣戟に対しての受けが、一瞬遅れる事を意味していた。
果たして鮎川は相楽にめがけて刀を振り下ろしている。当然そう動くことを予期していた相楽は、その一ノ太刀を流して避けようと思っていた。だが最早それはできまい。またそれを許す鮎川ではない。相楽の一瞬の遅れは鮎川の大刀をまともに受けるだけで精一杯である。刀と刀がぶつかる音がし、金属の火花が飛んだ。
(ちっ、馬鹿力め)
案の定ものすごい豪腕で振り下ろされた大刀は、相楽の手を痺れさせた。相楽は間合いをとろうと後ろへの跳躍を試みたが、鮎川は間髪をいれない剣戟を続けざまに被せてきてそれを防ぐ。
「死ねやあ、死ね、死ねっ!」
鮎川の気合もろともの鋭い太刀筋を、すべて受け流すように避けている相楽であった。斬り返したくとも痺れて握力のないこの手では、もし鮎川にその一刀を受けられたならば、間違いなく刀を叩き落されるだろう。そうならないためには一太刀で仕留めねばならぬのだが、鮎川はその隙を容易くくれるほど甘い剣士ではない。
(この手の痺れが弱まるまでは守勢でいるしかないか……)
すると鮎川が油断なく相楽の間合いから外れて、大きく息継ぎをした。
「ふうーっ、しぶといのお、普通にしてたら息が続かんわ」
相楽はそれをみて素早く構えを変えた。足を前後で大きく八の字に開き、重心を後ろにおいて刀をへその位置に構える。そしてその切先を鮎川の眉間につけた。すなわちこれを『体中剣』と云い、身体を大木に刀を枝にと例えた、念流における絶対防御の構えである。
「ほう、構えを変えたか……だが無駄じゃっ!」
鮎川は肺腑が大きく膨らむほどに息を吸い込むと、再び気合を大音声で発し、一気呵成にその剛剣を打ち込んできた。
「セイッ、セイッ、セイッ、セイッ!」
相楽の学んだ念流はもともと守勢には強い。鮎川はその剛力で相楽を身体ごと弾き飛ばそうと刀を叩き込むが、なるほど大木を相手にしているかの様で相楽はびくともしない。
「まだまだーっ!」
しかしこの鮎川の連打による斬撃を、一度でも流せずまともに受けてしまったら、手の痺れはさらに酷くなる。下手をすれば刀を落としてしまうかもしれない。
(とにかく耐えろ、勝機は必ずくる)
相楽はその全神経を守りに集中させ、斬撃を途切らせることなく続けてくる鮎川の太刀筋を凝視し隙を待つ。
「セイッ、セイッ、セイッ!」
鮎川の身体からは、もうもうと湯気が立っている。相楽はその息をもつかせぬ打ち込みを防ぎきってはいたものの、一合ごとにその息は容赦なく刈り取られていく。果たして相楽の肺腑はいま、焼けるように熱くなっていた。
(くっ、息が……持たぬ……)
すると一瞬のことであった。鮎川の打ち込んでくる太刀筋が単調となったのだ。その油断は鮎川の疲れが生んだものか、それとも捌き続けている相楽に根が負けたのか、どちらかはわからぬ。だが確かなことは、相楽がそれを見逃さなかったということである。
(ここかっ!)
単調となった鮎川の太刀筋は、相楽に次の一刀の起こりを読まれた。すかさず身体を低く沈み込ませ、そして低い姿勢のまま鮎川へと駆けた。あたかもそれは燕が上から降りて地上すれすれを滑っていくかのように。
「させるかよっ!」
虚を突かれた鮎川の目の中にある残像には、大木のように構える相楽が残っているのみである。そして何かが自分の横を抜けていったかと思ったときに、自分の肋骨が断たれ、内蔵が斬られた『どぶっ』という音を聞いたのが最期だった。
つまり即死である。
しかし鮎川はやはり非凡な剣士であったようだ。相楽が鮎川の胴を薙いだとき、まったく無意識に刀がそこへ斬り込んでいたのだから驚く。そしてその刃は相楽の右の太腿を斬っていた。骨に達するようなものではないが、決して浅くはない。
もしかしたら相楽のまだ残っていた手の痺れが、剣速を鈍らせての結果かもしれないが、いまさらそれを考えたところで仕方がなかろう。
右腿からの出血はその脈動にあわせて、どくんどくんと溢れでていた。
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