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第四章 三つの世界の謎

助け舟

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 不快なハウリングが室内にこだまして、リオは焦って龍を見る。獣のくせに警戒心が薄いのか、結構なもの音にもまだ、彼は起きる素振りを見せない。
「あっちの世界の入り口まで行ったけど、沙蘭は見つからなかった。先に言っとくが、俺は切れかけ寸前だぜ。お前がたった一人で、あいつを浚ったなんて思っちゃねえが、誰か手びきした奴がいるはずだ。さっさと白状しろよ。先に言っとくが、寝言は聞かねえぜ。本当の事を言え」
 矢継ぎ早に投げかけられる一星の言葉に、リオは、無言で首を振った。口を開いて、紅龍を起こしてしまうのが怖かったし、事実は昨日からずっと伝えている。なのに信じてもらえないのだ。もう、どうしていいかわからなかった。
「そういう態度か。よくわかったぜ。今からお前の処遇について皆と話し合う事になってる。沙蘭は俺の嫁だが、この町の者にとっても、奴は必要な人物なんだ。あいつがいないと、町は滅びる。こいつらの中には、お前を紅龍への生贄にしろなんて過激な意見の奴もいるんだぜ。なあ、お前、龍の嫁になるか?」
「いや……」
 リオは涙ぐんだ。
「どうやら、紅龍はお前が相当気に入ったらしいから、きっと喜んでもらってくれるぜ。夕べはお前もずいぶん楽しんでたじゃねえか。この部屋で、そいつと一緒に暮らすんだ。沙蘭が戻ったら、出してやるよ」
「やだったら……」
 意地悪な言いように、リオはぐずぐずと泣き始めた。声をこらえようと頑張れば、背中がひくひくと動いてしまう。龍が、少し身体を捩る。起こしてしまったらと思うと、恐怖心で余計にしゃくりあげは酷くなる。
「……もう、そのへんにしといてやれよ。可哀相だろ」
 ざわつきに混じって、苦虫をかみ殺したような声が聞こえてきた。京だ。リオは上を向いた。一星は窓に背を向けて誰かと向き合っているようだった。窓ガラスに金髪の後ろ姿が反射している。
「何が可哀相だ。シティに単独で乗り込んでくる奴だぜ」
「龍と一晩とじこめられても口を割らないんだ。実際にその子は何も知らないんじゃないのか?」
 荒ぶる声に、たしなめるような声が続く。
 場にそぐわぬ、どこかのんびりとした話し方は、間違いなく京だ。リオは泣くのをやめて、二人の会話に耳をすませる。
「んなわけあるか。言っとくが、部屋の前には見張りがいたんだ。そいつらの言う事が事実なら、沙蘭を運んでから、一度も誰の出入りもなかった。それなのに、沙蘭は消えて、こいつがいたんだぜ」
 一星の語気が強まる。
「尋常じゃねえだろ。あいつは……実際悪魔かも知れないぜ」
「違うもん……」
 我慢出来ずに、リオは訴える。
「俺……悪魔なんかじゃ……ほんとに何も知らないんだもん……」
 どうしてわかってくれないのだろう。全てを仕組んだのは沙蘭なのだ。
 紅龍はぴくりと髭を動かした。今度こそ起こしたかもしれない。目を覚ませば、紅龍はすぐに昨日の続きを始めるだろう。リオの両目から大粒の涙がはらはらと落ちる。
「ああ、もう見てられねえよ」
 舌打ちと共に京は呟き、どうやら会話は打ち切られたようだ。
 それっきり雑音ばかりの拾うマイクに、とうとう見捨てられてしまったと、絶望で涙が止まらない。一星はまだ後ろを向いたままだ。皆と、リオのこれからについて話し合っているのかもしれない。龍の生贄なんて残酷な提案を、彼らが下すとは思わないが、一星が望めばわからない。恐怖で、また身がすくんでしまう。
 その時、がちゃがちゃと金属の触れ合うような音がして、次いで誰かの足音が聞こえてきた。
 はっとして音のする方に顔を向けると、左手の壁の奥から、カーキ色の制服を来た京が現れた。
「京ちゃん……」
「しっ。静かに」
 京は、唇に人差し指を当て、龍へと注意を促した。京の手には、鍵の束が握られている。助けてくれるつもりなのだ。リオの目が期待に輝く。
 案の定、京はこちらに近づいてきて、
「ほれ、手を出せよ」
 小声で囁き、突き出された手錠に鍵の一つを差し込んだ。
 かちゃりと音がして、両手が自由になる。
「次はこっちだ」
 そして男は足元に跪き、リオを全ての枷から開放する。
「ゆっくり……そこから抜け出すんだ……面倒だから紅龍を刺激するんじゃねえぞ。しっかし……、近くで見るとグロテスクだな。お前よく一晩も我慢できたな。偉いぜ」
 励ますような優しい言いように、リオの心のダムは決壊した。
「えっ……えっ……」
 しゃくりあげが止まらない。
 激しく嗚咽する少年に
「ば、馬鹿、静かにしろって言ったろ」
 京は狼狽した様子で目前の獣を見る。リオが泣きながら片足を踏み出した時、紅龍の片目がふいに開いた。
「やばい。走れ」
 京がリオの肩を抱え込むのと、紅龍の目が怒りに赤く染まるのとがほとんど同時だった。獣は、身体をそらせて雄叫びを上げる。衝動のままに浮いた後、お気に入りをとられてはならじと、紅龍はハイスピードで二人を追ってきた。
 ごう、と飛行機が空を横切る時のような音が聞こえる。
 格子を抜けた時、二人ははあはあと、荒い息をついていた。
 壁に、何かが当たるような音がする。
 そして、怒っているような、悲しんでいるような悲痛な咆哮が、中から響いてきた。
「……やばかったな。もう少しで食われちまうところだった」
 膝に両手を当てて息を整えながら、京は何故かリオににやりと笑ってみせた。
 涙と鼻水にまみれた顔で、リオも少しだけ泣き笑う。京は、天井に向かって声をはりあげた。
「一星。聞いてるんだろ? この子は俺が部屋に連れて帰る。いいよな」
「……駄目だ。沙蘭の居場所を俺達は知る必要がある」
 いきなりの一星の声に、リオはびくびくと周囲を見回した。だが、あたりに自分達以外の姿はなく、どうやらこれも、スピーカーからの声らしい。
「俺が聞いとくよ。子供の相手は得意なんだ。任せとけ」
 そう言うと
「さて決まり」
 京は、リオに向き直る。
「俺の名前は京。お前はリオだな。ここでは、ほんの数時間で大概の人間の名前は消えてしまうんだ。まだ残ってるって事は、お前も、多分他の連中とは違う何かを持ってるんだろう。まあ、一星の手前もあるし、そのあたりの事は部屋で洗いざらい、しゃべってもらうぜ」
 制服の上着を脱いで、ほらよ、と渡しながら、男は、少しだけ厳しい顔をした。
 そうだ。京はまだ自分の事をよく知らないのだと、リオは思いつく。この世界にそもそも自分を運んだのは、京なのに。
 京の上着は、リオの太股までの長さがあって、怪物の唾液で汚れた傷だらけの身体を隠してくれた。広い背中におぶさり運ばれながら、リオは無言で京の懐かしい匂いを吸い込む。
 アンダーシャツ越しの温かさは、八方塞がりな状況を、少しだけ和らげてくれるような気がした。
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