人ならざるはオムファタル

坂本雅

文字の大きさ
51 / 54

49

 アシャは花束を片手に預け、空けた手の甲で乱暴に目尻を拭った。
 成長過程で家族愛を与えられなかったからこそ強く欲し、求めてやまないのだとしたら。
 店でかりそめの夜を過ごすたび充足していたのは、繋がりを得たような錯覚に浸れるからか。
 口に出してようやく自分の本心の一端を知り、涙を落としているのに不思議と胸が空いていく。奇妙な心地だった。
「おかしくなどない。誰しも、気を休める場所を求めるものだ」
 スイの返しは単なる慰めではなく、当然のことを何故思い悩むのか、という疑問の念が含まれている。
 どうあれ心配されているのだ。
「ありがとうございます。あたしの身の上話なんかが、少しでもスイ様を楽しませられたのなら良かったです」
 アシャは赤くなった目元を気にしながら快活な笑い声を出すよう努めた。
 しかしスイはあからさまに眉をしかめ、帽子のつばを掴む。
「アシャ」
「は、はい……っ?」
 予期せぬ時に名前を呼ばれ、ぎくりとした。
 彼の喉を通すと、真名と定めた仮名すら馴染みのない響きに聞こえる。
「過剰な卑下をするな。必死にお前を生かし、財を分け与えた者たちがいるのだろう。それだけの価値があるのだと、誇りに思うべきだ」
 重みのある明瞭な声には迷いなく射られた矢のような鋭さがあった。
「そう……ですね。何だか、癖になってしまって……あはは、耳が痛いです」
 言い返す余地もない正論をぶつけられ、背を丸めて口ごもる。
 曖昧な笑いで場を流せる相手ではないと分かっていても、慣れたやり過ごし方を選んでしまう。
 スイはより小さくなったアシャの後頭部を眺め、短く吐息を漏らした。
「咎めているわけではない。顔を上げてくれるか」
「あ、す……すみません」
 反射的な謝罪の良し悪しは指摘されなかった。
 同じベンチに腰を据えてなお高い位置にある、輝石のような青緑色がじっとアシャの目を見つめてくる。
 至近距離にいて初めて、彼が蛇に似た縦型の瞳孔をしていると気付いた。
 万物の頂点、最強の捕食者との呼び声高い竜族の眼であるのに、本能的な畏怖よりも美しさへの情感が湧いてくる。
「ど……どうしたんですか?」
 悪意を持って睨んでいる訳ではないようだが、無言で視線を合わせるばかりでは間が持たない。
 行動の理由を訊ねられたスイは片手で眉間を押さえた後、首を横に振った。
「吉報を言えればと思ったが……やはり、意図的な先読みは叶わぬらしい。悪趣味な覗きでしかないようだ」
「覗き? 一体、何が視えたんです?」
 無軌道な予知の持ち主はアシャの問いに答えず、薄い朱唇を歪めるだけ。
 広場で話を始めてから、最も長い沈黙が訪れた。
 植えられた樹木の葉がそよぐ音、飛び立っていく鳥の羽音。噴水が規則的にあげる水飛沫。
 普段は気にも留めない些細な物音が際立ち、耳へ届く。
 気まずい空気に耐えかねて、アシャは口を開いた。
「あの……言いたくなければ、無理をしなくても」
「水浸し」
「えっ?」
 喋っている折に差し込まれたのは、ひどく端的な呟きだった。
 アシャが意味を掴みかねていると悟ったスイは目をすがめ、喉を整えるように咳払いする。
「足のつく浅瀬で泳ぎ、大魚の……鱗に触れる。我が伝えられるのは、そこまでだ」
 季節柄、冒険の合間にどこかの海へ遊泳に行く機会があってもおかしくはないが、やけに迂遠な言い回しだ。
 魚と遭遇するだけならば何故、彼はほんのわずかに頬を染めているのだろう。
 アシャが疑問を投げかける前にスイはベンチから立ち上がり、軽く肩を回す。
 鞭のように揺らめく竜尾を目で追いそうになるが、礼を欠く行動だと思い直し、顔を上げるに留めた。
「……お前のまなこには星が宿る。いつか、欲するものを手に入れるだろう」
 すらすらと語られた言葉は、先ほどの予知とはいささか性質が異なっていた。
 内容を素直に読み解けば、先行きへの不安に駆られた友を一時安心させるための、論証のない優しい励ましだ。
 アシャに自信をつけさせるべく、強い確信を持った言い方を選んでも不思議はなかった。
「あ、あの……ありがとうございます!」
 花束を胸に席を立ち、相手からつむじが見えるほど深く頭を下げる。
 難解な言い回しの全てを把握出来た訳ではない。しかし、その奥に宿る純粋な善意だけはひしひしと感じ取れた。
 感謝を伝えるのが最も大切だと判断したのだが、スイからは突飛な行動に映ったのか、頭上からかすかに笑い声がした。
 
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

新人メイド桃ちゃんのお仕事

さわみりん
恋愛
黒髪ボブのメイドの桃ちゃんが、働き先のお屋敷で、旦那様とその息子との親子丼。

世間知らずな山ごもり薬師は、××な騎士団長の性癖淫愛から逃げ出せない

二位関りをん
恋愛
平民薬師・クララは国境沿いの深い山奥で暮らしながら、魔法薬の研究に没頭している。招集が下れば山を下りて麓にある病院や娼館で診察補助をしたりしているが、世間知らずなのに変わりはない。 ある日、山の中で倒れている男性を発見。彼はなんと騎士団長・レイルドで女嫌いの噂を持つ人物だった。 当然女嫌いの噂なんて知らないクララは良心に従い彼を助け、治療を施す。 だが、レイルドには隠している秘密……性癖があった。 ――君の××××、触らせてもらえないだろうか?

私も処刑されたことですし、どうか皆さま地獄へ落ちてくださいね。

火野村志紀
恋愛
あなた方が訪れるその時をお待ちしております。 王宮医官長のエステルは、流行り病の特効薬を第四王子に服用させた。すると王子は高熱で苦しみ出し、エステルを含めた王宮医官たちは罪人として投獄されてしまう。 そしてエステルの婚約者であり大臣の息子のブノワは、エステルを口汚く罵り婚約破棄をすると、王女ナデージュとの婚約を果たす。ブノワにとって、優秀すぎるエステルは以前から邪魔な存在だったのだ。 エステルは貴族や平民からも悪女、魔女と罵られながら処刑された。 それがこの国の終わりの始まりだった。

【完結】精霊に選ばれなかった私は…

まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。 しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。 選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。 選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。 貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…? ☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

ボロ雑巾な伯爵夫人、やっと『家族』を手に入れました。~旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます2~

野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
 第二夫人に最愛の旦那様も息子も奪われ、挙句の果てに家から追い出された伯爵夫人・フィーリアは、なけなしの餞別だけを持って大雨の中を歩き続けていたところ、とある男の子たちに出会う。  言葉汚く直情的で、だけど決してフィーリアを無視したりはしない、ディーダ。  喋り方こそ柔らかいが、その実どこか冷めた毒舌家である、ノイン。    12、3歳ほどに見える彼らとひょんな事から共同生活を始めた彼女は、人々の優しさに触れて少しずつ自身の居場所を確立していく。 ==== ●本作は「ボロ雑巾な伯爵夫人、旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます。」からの続き作品です。  前作では、二人との出会い~同居を描いています。  順番に読んでくださる方は、目次下にリンクを張っておりますので、そちらからお入りください。  ※アプリで閲覧くださっている方は、タイトルで検索いただけますと表示されます。