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アシャは花束を片手に預け、空けた手の甲で乱暴に目尻を拭った。
成長過程で家族愛を与えられなかったからこそ強く欲し、求めてやまないのだとしたら。
店でかりそめの夜を過ごすたび充足していたのは、繋がりを得たような錯覚に浸れるからか。
口に出してようやく自分の本心の一端を知り、涙を落としているのに不思議と胸が空いていく。奇妙な心地だった。
「おかしくなどない。誰しも、気を休める場所を求めるものだ」
スイの返しは単なる慰めではなく、当然のことを何故思い悩むのか、という疑問の念が含まれている。
どうあれ心配されているのだ。
「ありがとうございます。あたしの身の上話なんかが、少しでもスイ様を楽しませられたのなら良かったです」
アシャは赤くなった目元を気にしながら快活な笑い声を出すよう努めた。
しかしスイはあからさまに眉をしかめ、帽子のつばを掴む。
「アシャ」
「は、はい……っ?」
予期せぬ時に名前を呼ばれ、ぎくりとした。
彼の喉を通すと、真名と定めた仮名すら馴染みのない響きに聞こえる。
「過剰な卑下をするな。必死にお前を生かし、財を分け与えた者たちがいるのだろう。それだけの価値があるのだと、誇りに思うべきだ」
重みのある明瞭な声には迷いなく射られた矢のような鋭さがあった。
「そう……ですね。何だか、癖になってしまって……あはは、耳が痛いです」
言い返す余地もない正論をぶつけられ、背を丸めて口ごもる。
曖昧な笑いで場を流せる相手ではないと分かっていても、慣れたやり過ごし方を選んでしまう。
スイはより小さくなったアシャの後頭部を眺め、短く吐息を漏らした。
「咎めているわけではない。顔を上げてくれるか」
「あ、す……すみません」
反射的な謝罪の良し悪しは指摘されなかった。
同じベンチに腰を据えてなお高い位置にある、輝石のような青緑色がじっとアシャの目を見つめてくる。
至近距離にいて初めて、彼が蛇に似た縦型の瞳孔をしていると気付いた。
万物の頂点、最強の捕食者との呼び声高い竜族の眼であるのに、本能的な畏怖よりも美しさへの情感が湧いてくる。
「ど……どうしたんですか?」
悪意を持って睨んでいる訳ではないようだが、無言で視線を合わせるばかりでは間が持たない。
行動の理由を訊ねられたスイは片手で眉間を押さえた後、首を横に振った。
「吉報を言えればと思ったが……やはり、意図的な先読みは叶わぬらしい。悪趣味な覗きでしかないようだ」
「覗き? 一体、何が視えたんです?」
無軌道な予知の持ち主はアシャの問いに答えず、薄い朱唇を歪めるだけ。
広場で話を始めてから、最も長い沈黙が訪れた。
植えられた樹木の葉がそよぐ音、飛び立っていく鳥の羽音。噴水が規則的にあげる水飛沫。
普段は気にも留めない些細な物音が際立ち、耳へ届く。
気まずい空気に耐えかねて、アシャは口を開いた。
「あの……言いたくなければ、無理をしなくても」
「水浸し」
「えっ?」
喋っている折に差し込まれたのは、ひどく端的な呟きだった。
アシャが意味を掴みかねていると悟ったスイは目をすがめ、喉を整えるように咳払いする。
「足のつく浅瀬で泳ぎ、大魚の……鱗に触れる。我が伝えられるのは、そこまでだ」
季節柄、冒険の合間にどこかの海へ遊泳に行く機会があってもおかしくはないが、やけに迂遠な言い回しだ。
魚と遭遇するだけならば何故、彼はほんのわずかに頬を染めているのだろう。
アシャが疑問を投げかける前にスイはベンチから立ち上がり、軽く肩を回す。
鞭のように揺らめく竜尾を目で追いそうになるが、礼を欠く行動だと思い直し、顔を上げるに留めた。
「……お前の眼には星が宿る。いつか、欲するものを手に入れるだろう」
すらすらと語られた言葉は、先ほどの予知とはいささか性質が異なっていた。
内容を素直に読み解けば、先行きへの不安に駆られた友を一時安心させるための、論証のない優しい励ましだ。
アシャに自信をつけさせるべく、強い確信を持った言い方を選んでも不思議はなかった。
「あ、あの……ありがとうございます!」
花束を胸に席を立ち、相手からつむじが見えるほど深く頭を下げる。
難解な言い回しの全てを把握出来た訳ではない。しかし、その奥に宿る純粋な善意だけはひしひしと感じ取れた。
感謝を伝えるのが最も大切だと判断したのだが、スイからは突飛な行動に映ったのか、頭上からかすかに笑い声がした。
成長過程で家族愛を与えられなかったからこそ強く欲し、求めてやまないのだとしたら。
店でかりそめの夜を過ごすたび充足していたのは、繋がりを得たような錯覚に浸れるからか。
口に出してようやく自分の本心の一端を知り、涙を落としているのに不思議と胸が空いていく。奇妙な心地だった。
「おかしくなどない。誰しも、気を休める場所を求めるものだ」
スイの返しは単なる慰めではなく、当然のことを何故思い悩むのか、という疑問の念が含まれている。
どうあれ心配されているのだ。
「ありがとうございます。あたしの身の上話なんかが、少しでもスイ様を楽しませられたのなら良かったです」
アシャは赤くなった目元を気にしながら快活な笑い声を出すよう努めた。
しかしスイはあからさまに眉をしかめ、帽子のつばを掴む。
「アシャ」
「は、はい……っ?」
予期せぬ時に名前を呼ばれ、ぎくりとした。
彼の喉を通すと、真名と定めた仮名すら馴染みのない響きに聞こえる。
「過剰な卑下をするな。必死にお前を生かし、財を分け与えた者たちがいるのだろう。それだけの価値があるのだと、誇りに思うべきだ」
重みのある明瞭な声には迷いなく射られた矢のような鋭さがあった。
「そう……ですね。何だか、癖になってしまって……あはは、耳が痛いです」
言い返す余地もない正論をぶつけられ、背を丸めて口ごもる。
曖昧な笑いで場を流せる相手ではないと分かっていても、慣れたやり過ごし方を選んでしまう。
スイはより小さくなったアシャの後頭部を眺め、短く吐息を漏らした。
「咎めているわけではない。顔を上げてくれるか」
「あ、す……すみません」
反射的な謝罪の良し悪しは指摘されなかった。
同じベンチに腰を据えてなお高い位置にある、輝石のような青緑色がじっとアシャの目を見つめてくる。
至近距離にいて初めて、彼が蛇に似た縦型の瞳孔をしていると気付いた。
万物の頂点、最強の捕食者との呼び声高い竜族の眼であるのに、本能的な畏怖よりも美しさへの情感が湧いてくる。
「ど……どうしたんですか?」
悪意を持って睨んでいる訳ではないようだが、無言で視線を合わせるばかりでは間が持たない。
行動の理由を訊ねられたスイは片手で眉間を押さえた後、首を横に振った。
「吉報を言えればと思ったが……やはり、意図的な先読みは叶わぬらしい。悪趣味な覗きでしかないようだ」
「覗き? 一体、何が視えたんです?」
無軌道な予知の持ち主はアシャの問いに答えず、薄い朱唇を歪めるだけ。
広場で話を始めてから、最も長い沈黙が訪れた。
植えられた樹木の葉がそよぐ音、飛び立っていく鳥の羽音。噴水が規則的にあげる水飛沫。
普段は気にも留めない些細な物音が際立ち、耳へ届く。
気まずい空気に耐えかねて、アシャは口を開いた。
「あの……言いたくなければ、無理をしなくても」
「水浸し」
「えっ?」
喋っている折に差し込まれたのは、ひどく端的な呟きだった。
アシャが意味を掴みかねていると悟ったスイは目をすがめ、喉を整えるように咳払いする。
「足のつく浅瀬で泳ぎ、大魚の……鱗に触れる。我が伝えられるのは、そこまでだ」
季節柄、冒険の合間にどこかの海へ遊泳に行く機会があってもおかしくはないが、やけに迂遠な言い回しだ。
魚と遭遇するだけならば何故、彼はほんのわずかに頬を染めているのだろう。
アシャが疑問を投げかける前にスイはベンチから立ち上がり、軽く肩を回す。
鞭のように揺らめく竜尾を目で追いそうになるが、礼を欠く行動だと思い直し、顔を上げるに留めた。
「……お前の眼には星が宿る。いつか、欲するものを手に入れるだろう」
すらすらと語られた言葉は、先ほどの予知とはいささか性質が異なっていた。
内容を素直に読み解けば、先行きへの不安に駆られた友を一時安心させるための、論証のない優しい励ましだ。
アシャに自信をつけさせるべく、強い確信を持った言い方を選んでも不思議はなかった。
「あ、あの……ありがとうございます!」
花束を胸に席を立ち、相手からつむじが見えるほど深く頭を下げる。
難解な言い回しの全てを把握出来た訳ではない。しかし、その奥に宿る純粋な善意だけはひしひしと感じ取れた。
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