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ルネは使い慣れたマグカップに柑橘系の香りがする紅茶を淹れてくれた。乾いた喉が潤い、暖まった身体は疲労を訴えている。
不調をおして、ことを済ませた反動が来ているのだと自覚した。
「お相手の年齢が気になるのでしたら、次回は吸血鬼のお店にしませんか?」
息をかけて冷ましながら、半分ほど飲み進めた辺りでルネが切り出してくる。
数百年前は人間と敵対していた種族だが、現在は相互理解が進み友好関係を築いていた。
「吸血鬼って、不老不死なんだろう? エルフと似たようなものじゃないか?」
アシャは有名な伝説を引き合いに出し、首を傾げる。詳しく知らないがゆえの大雑把な区分をルネは責めなかった。
「確かに彼らも長命種ですけれど、第二都市には百歳以下の若者しか所属出来ない人気店がありますの。人間族の間で、吸血鬼は結婚相手としても申し分ないと評判ですわよ」
「えっ? ど、どうして?」
関わりを持たず具体性に欠ける噂話しか知らずにいたため、恋愛対象として見る目すら持っていなかった。困惑を隠せないアシャにルネは補足説明を加える。
「血を分けられた元人間族の方が多く、共感しやすい。血液が主食だから食事で揉めることが少ない。主夫として家庭を守ってもらえる。主にそのような意見をお聞きしています」
指折り数えつつ並べられた良点はどれも地に足がついており、生活感さえ漂ってくる。
「何だか……ものすごく実利的だね」
恋に恋する夢見がちな華やかさが一つもないように思えて、アシャは反応に困った。
笑うのも悲しむのも正しくない気がして、表情を作りかねる。
「昔の殿方が、若い女性に家事を任せたがっていたのと同じではないですか? もちろん、吸血鬼の伴侶の生活に合わせて夜型に切り替えた方もおられますわ。事情は人それぞれですもの」
ルネは中立的な言い回しで締めくくり、紅茶を口に含んだ。
ゆっくりと嚥下した後に小さく息を吐く。
「いかがでしょう。興味はありまして?」
最終的な決断を委ねられたアシャは、しばしマグカップの中の鮮やかな茶褐色を見つめた。揺れる水面に、鏡の如く自分の顔が映り込んでいる。
「……考えておくよ」
内心は少し乗り気であったけれど、今までのような即決をしかねて曖昧な表現を使った。
アシャの迷いを知ってか知らずか、ルネは頷きを返す。
「今後は、しばらく迷宮にかかりきりですものね。落ち着いてからにいたしましょう」
彼女の言葉で所属パーティで地下迷宮に挑む予定があるのを思い出し、急速に冒険者としての日常へ戻っていく感覚がした。
王都に帰ってからやらなければならない準備や雑事が幾つも脳裏をよぎり、アシャは頭を振る。
馬はともかく、また揺れる船に乗るのは憂鬱だ。島という立地自体に考えが及んだ時、素朴な疑問が浮かんできた。
「ところで……結婚相手として人気があるなら、どうして最初に吸血鬼を勧めてこなかったんだ? 確かに第二都市は遠いけど、この島よりは近いし、移動費も安く済んだはずだよ」
王都に引けを取らない発展を遂げた地続きの街は一大観光地としても知られ、馬車の値段が抑えられている。
利便性の高さは無視できないはずだ。
しかしルネは、あっさりと言ってのけた。
「だって、処女は入店出来ませんもの」
「は……?」
あまりにも根本的な理由を告げられて思考が停止する。静寂が場を支配し、再び口を開くのに十秒ほどかかった。
「ふ、風俗店でしょ? 何でそんなことになってるの?」
掘り下げればそれだけ現実を突きつけられると分かっているのに、聞かずにはいられない。
ルネはうーん、と小声で唸り腕を組んだ。
「以前お話を伺った方の意見によれば、吸血鬼にとって処女の血は最高のご馳走だそうです。ですので、自由恋愛の結果でもないのに処女を奪うのは……」
「奪うのは?」
珍しく言い淀んだのを気にしつつ、続きを促す。
「例えるなら、保存庫から高級ワインを勝手に持ち出して栓を開けるような行為にあたるようです。取り返しのつかない、弁償しかねる真似ということですわね」
人間をワインに見立てて食料扱いしているのではなく、種族特有の感覚を他種族にも伝わる形で言語化したにすぎない。
姦通に対する忌避とも異なる独自の視点は、読み解けば理解が可能だった。
「伝説の一角獣じゃあるまいし……」
つい、そう口走りたくなる話ではあったが。
「吸血鬼という種族自体が人間族に好評を得ているのは確かですわ。私はあいにくと入店を断られてしまいましたから、実体験はしていませんけれど」
何でもないことのように明かされた話に、アシャはまた驚かされる。
「聖職者は出入り出来ないの?」
ルネは声にせず頷き、意味ありげに押し黙った。
眉をひそめた苦い表情から、アシャは宗教がらみの問題ではと脳内で仮説を立てる。
ルネが我が主と呼ぶ神は多くの民から信仰を集め、他の宗教とも共存共栄の道を歩んでいる。
それでも、水面下で異なる宗徒同士の対抗意識は存在するだろう。
吸血鬼と聖職者。いかにも仇敵同士といった響きだ。
アシャが一人で結論づけていると、ルネはおもむろにため息をついた。
「……半獣人の血は青臭さと生臭さが強調されて、かすかな体臭でも無理だそうです。半エルフはロゼワインだ何だと誉めそやしますのに。ひどい話でしょう?」
早口で言い終えるやいなや、酒の代わりのように紅茶をあおる。
飲み干したマグカップが軽く音を立ててテーブルに置かれた。
当時の状況は知る由もないが、よほど腹に据えかねる出来事であったらしい。
「いい匂いがするのにね」
アシャは的外れなことを言わずにいて良かった、と思いつつ、席を立って傷心の友を慰める。
肩を抱けるほど側にいても、ルネからは石鹸と緑の香りしか嗅ぎ取れない。
食事に関わるとはいえ過敏すぎる鼻を持つのも考えものだと、深く知らぬ異種族へ思いを巡らせた。
不調をおして、ことを済ませた反動が来ているのだと自覚した。
「お相手の年齢が気になるのでしたら、次回は吸血鬼のお店にしませんか?」
息をかけて冷ましながら、半分ほど飲み進めた辺りでルネが切り出してくる。
数百年前は人間と敵対していた種族だが、現在は相互理解が進み友好関係を築いていた。
「吸血鬼って、不老不死なんだろう? エルフと似たようなものじゃないか?」
アシャは有名な伝説を引き合いに出し、首を傾げる。詳しく知らないがゆえの大雑把な区分をルネは責めなかった。
「確かに彼らも長命種ですけれど、第二都市には百歳以下の若者しか所属出来ない人気店がありますの。人間族の間で、吸血鬼は結婚相手としても申し分ないと評判ですわよ」
「えっ? ど、どうして?」
関わりを持たず具体性に欠ける噂話しか知らずにいたため、恋愛対象として見る目すら持っていなかった。困惑を隠せないアシャにルネは補足説明を加える。
「血を分けられた元人間族の方が多く、共感しやすい。血液が主食だから食事で揉めることが少ない。主夫として家庭を守ってもらえる。主にそのような意見をお聞きしています」
指折り数えつつ並べられた良点はどれも地に足がついており、生活感さえ漂ってくる。
「何だか……ものすごく実利的だね」
恋に恋する夢見がちな華やかさが一つもないように思えて、アシャは反応に困った。
笑うのも悲しむのも正しくない気がして、表情を作りかねる。
「昔の殿方が、若い女性に家事を任せたがっていたのと同じではないですか? もちろん、吸血鬼の伴侶の生活に合わせて夜型に切り替えた方もおられますわ。事情は人それぞれですもの」
ルネは中立的な言い回しで締めくくり、紅茶を口に含んだ。
ゆっくりと嚥下した後に小さく息を吐く。
「いかがでしょう。興味はありまして?」
最終的な決断を委ねられたアシャは、しばしマグカップの中の鮮やかな茶褐色を見つめた。揺れる水面に、鏡の如く自分の顔が映り込んでいる。
「……考えておくよ」
内心は少し乗り気であったけれど、今までのような即決をしかねて曖昧な表現を使った。
アシャの迷いを知ってか知らずか、ルネは頷きを返す。
「今後は、しばらく迷宮にかかりきりですものね。落ち着いてからにいたしましょう」
彼女の言葉で所属パーティで地下迷宮に挑む予定があるのを思い出し、急速に冒険者としての日常へ戻っていく感覚がした。
王都に帰ってからやらなければならない準備や雑事が幾つも脳裏をよぎり、アシャは頭を振る。
馬はともかく、また揺れる船に乗るのは憂鬱だ。島という立地自体に考えが及んだ時、素朴な疑問が浮かんできた。
「ところで……結婚相手として人気があるなら、どうして最初に吸血鬼を勧めてこなかったんだ? 確かに第二都市は遠いけど、この島よりは近いし、移動費も安く済んだはずだよ」
王都に引けを取らない発展を遂げた地続きの街は一大観光地としても知られ、馬車の値段が抑えられている。
利便性の高さは無視できないはずだ。
しかしルネは、あっさりと言ってのけた。
「だって、処女は入店出来ませんもの」
「は……?」
あまりにも根本的な理由を告げられて思考が停止する。静寂が場を支配し、再び口を開くのに十秒ほどかかった。
「ふ、風俗店でしょ? 何でそんなことになってるの?」
掘り下げればそれだけ現実を突きつけられると分かっているのに、聞かずにはいられない。
ルネはうーん、と小声で唸り腕を組んだ。
「以前お話を伺った方の意見によれば、吸血鬼にとって処女の血は最高のご馳走だそうです。ですので、自由恋愛の結果でもないのに処女を奪うのは……」
「奪うのは?」
珍しく言い淀んだのを気にしつつ、続きを促す。
「例えるなら、保存庫から高級ワインを勝手に持ち出して栓を開けるような行為にあたるようです。取り返しのつかない、弁償しかねる真似ということですわね」
人間をワインに見立てて食料扱いしているのではなく、種族特有の感覚を他種族にも伝わる形で言語化したにすぎない。
姦通に対する忌避とも異なる独自の視点は、読み解けば理解が可能だった。
「伝説の一角獣じゃあるまいし……」
つい、そう口走りたくなる話ではあったが。
「吸血鬼という種族自体が人間族に好評を得ているのは確かですわ。私はあいにくと入店を断られてしまいましたから、実体験はしていませんけれど」
何でもないことのように明かされた話に、アシャはまた驚かされる。
「聖職者は出入り出来ないの?」
ルネは声にせず頷き、意味ありげに押し黙った。
眉をひそめた苦い表情から、アシャは宗教がらみの問題ではと脳内で仮説を立てる。
ルネが我が主と呼ぶ神は多くの民から信仰を集め、他の宗教とも共存共栄の道を歩んでいる。
それでも、水面下で異なる宗徒同士の対抗意識は存在するだろう。
吸血鬼と聖職者。いかにも仇敵同士といった響きだ。
アシャが一人で結論づけていると、ルネはおもむろにため息をついた。
「……半獣人の血は青臭さと生臭さが強調されて、かすかな体臭でも無理だそうです。半エルフはロゼワインだ何だと誉めそやしますのに。ひどい話でしょう?」
早口で言い終えるやいなや、酒の代わりのように紅茶をあおる。
飲み干したマグカップが軽く音を立ててテーブルに置かれた。
当時の状況は知る由もないが、よほど腹に据えかねる出来事であったらしい。
「いい匂いがするのにね」
アシャは的外れなことを言わずにいて良かった、と思いつつ、席を立って傷心の友を慰める。
肩を抱けるほど側にいても、ルネからは石鹸と緑の香りしか嗅ぎ取れない。
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