桜餅

サクラ

文字の大きさ
上 下
33 / 44

☆32 大人になること

しおりを挟む
桜は、先生に「アイドルになる」と言ったらしい。
俺も覚悟を決めて医者になりたい事を言った。

正直桜と離れるのはしんどい。
でも桜が、俺が夢を叶えることを望むならば。
俺は、何がなんでもその夢を叶えたい。

そんなことを考えているのを知っているかのように、桜は言う。



『桜餅』なんだから。



大人って面倒臭い。
色々なしがらみが俺達を縛って、自由を奪う。
でも、桜なら言うんだろうな。

『それを全部受け止める事が、大人になる事なんだよ』って。

桜は、難しいことだって全部簡単に言ってしまう。











ぼうっとしていた俺の耳に、インターフォンの音が聞こえる。
誰かと思いつつ、ドアを開く。
そこには、風呂あがりらしき桜が立っていた。

髪の毛がツインテじゃなくて下ろしている。
心なしか頬が赤い。
眠そうな声で桜は俺に言う。

「一緒にいても、いい?」
「……ん、入れよ」

無言でらしくない桜は、静かに俺の後ろをついてくる。
そして椅子に座らせると、俺は桜に問いかける。

「もう寝る所だったんじゃねーか?」
「何て言うか、エルケンに甘えておきたいなって思って」

そういう事言われると、なんかしてやりたくなる。
不意に、桜が髪を下ろしている事に気付いて言う。

「髪、結んでやろうか」
「じゃあ、お願い」

桜がくるりと後ろを向く。
さらさらした絹みたいな髪の毛を、手櫛でなぞるようにかき分けていく。

桜のために買っておいたリボンを、取り出して髪につける。
赤いリボンがピンク色の髪の毛に良く映えて綺麗だ。

つい可愛くて、後ろからぎゅっと抱き締めてしまう。

「急に甘えたいとか言われたら………。反則だろ、そんなの」
「ん~?あのね、大人になって離れたら出来なくなるからねっ。だから私、今の内に出来ることしとくんだ。私、頭良いでしょ?」
「離れてても、呼び出してくれたら行くぜ?」

桜がくすくすと笑いを溢す。
そして、またも眠そうな声で俺に言う。

「えるけん、私、眠い………」
「帰んなくて良いから、姉ちゃんの部屋で寝ろ。家具は全部そのままだから」

こくりと頷き、また俺の後ろについてくる。
コイツこんだけ眠いのに、何で俺の家に来たんだよ。
………甘えるため?

ドアを開いて桜を中に入らせる。
なんか目の焦点がずれてる気がすんぞ。

「休みなんだから、ゆっくり寝ろよ?」
「うん、ありがと。おやしゅみ、えるけん………」

本当に大丈夫か?
ろれつが回ってない。
まあ、布団には入ったから大丈夫だろう。

布団に入った桜を見送って、部屋の電気を消した。
俺も、寝るために布団に入った。










「……けん、エルケン。起きて~」
「んん、後ちょっとだけ………」

朝。
わざわざ起こしてくれる桜の声に返事しながら、俺は寝返りをする。
すると桜は起きない俺に痺れを切らしたのか、耳元にこそりと囁いてくる。

「起きなきゃ………キスしちゃう、ぞ」
「………………っっ!!」

その声を一瞬スルーしそうになった。
が、その後に冷静に考えた俺は勢いよくがばりと起き上がる。

待て、それは本当に反則だ!

しかも、このまま寝ててもいいやと少し思った俺がいる。
もうずっと大人になんかなんなきゃいいのに。
そうしたら、ずっとこんな風に過ごせるのにな。

珍しく俺の顔を見下ろす桜(いつもは身長的に俺が見下ろす感じになる)が、にこりと笑って自分の頭上を指差した。

「エルケン、昨日のリボンありがとう。しばらくつけてるね?」
「あぁ、リボンか。似合ってるぞ」

それから桜は、弾けるような笑顔で言う。

「あのね、勝手に朝ごはん作ったよ!……いいお嫁さんになれるかな?」
「いーよお前はそのまんまで。俺の嫁にするから」
「へっ……?あ、じゃ、じゃあ私準備してるからっ」

突然顔を赤くして、桜は去っていく。
俺が何か変なこと言ったか?

……………待て待て。
思いっきり言ってた。
無自覚って、そろそろヤバくないか? 

服を着替えて桜の所まで行く。
桜が作った朝ごはんは、ザ・朝食って感じの和食セットだ。
味噌汁が、無駄に美味い。

と、そこで携帯がバイブで振動した。
ちらりと見て、俺は携帯を手のひらから落とした。
桜が心配そうな顔をするが、俺はすぐ口には出来ない衝撃がある。

「エルケン?だ、大丈夫?」
「親が……親が帰って来るらしい」

ずっと帰って来なかった親が、この家に。
その時両親は、一体どんな顔をするのだろうか。

桜が、空を掴んでいた俺の手をぎゅっと握る。

「エルケン、顔……恐いよ?」
「わりぃ桜……」
「お父さんとお母さん、帰って来るんだね。エルケンは、自分の両親が恐いの………?」

優しい慈しみの目で、桜がそう柔らかく語りかけてくる。
ぐるぐるする頭の中が、少しだけ治まる。

「恐い、訳じゃねえけど。………あんまり、好きじゃねーんだ」
「そっかぁ。でも大丈夫だよ、私がいるもん」

頼りがいがなさそうだけどな。

「ところでお前、なんであんな眠たげだったのにウチに来たんだ?」
「だから、…………甘えるために」





俺は今すぐ大人になりたい。
全部全部、受け入れられるように。


大人になることは、思っているよりも難しい事だ。
しおりを挟む

処理中です...