完全犯罪小説家

roos

文字の大きさ
上 下
2 / 18
1章

(2)

しおりを挟む
 開口一番に物騒なことを言えば、人の本性が現れるはず。

 字良はそう信じて、初対面から人殺しの質問をしたのに、彩葉丹の反応は普通だった。しかもコーヒーを馳走すると自ら申し出て、字良のために玄関でスリッパまで出してくれる徹底ぶりだ。

 こんな人が本当に人を殺すのか? 

 いくら字良でも、無実の人間に殺意を向けるのは気が引ける。だが騙されてはいけない。『足切り』の描写は本物としか思えないほどの完成度で、他のシリーズでも過去の事件と類似したストーリー展開がいくつも散見されたのだ。絶対に証拠があるはず。

 ……でも、彩葉丹が犯罪者でなかった場合、やはり先ほどの態度は失礼だったのでは?
 
 字良が悶々としているうちに、易々と敵の本拠地であるダイニングへ通されてしまった。モデルハウス並みに整頓された内装は、つい感嘆するほど綺麗だった。

 彩葉丹の家は普通の一軒家だ。リビングとダイニングが繋がった間取りで、二階がない代わりに天井がやたらと高い。リビングの向こうには二つほど部屋があるようで、開けっぱなしのドアからはホテルのようなベッドが見えた。

 一人暮らしでこの広さ。両親の死に様を綴って稼いだその金で、この家を買ったとでも言うのか。

 字良は奥歯を噛み締めたまま、椅子の上でじっと身を強張らせた。今は感情に振り回されている場合ではない。敵のプライベート空間に入ってしまえば、いくらでも証拠を見つけられるのだから。

 手始めに、家の中を見て回る口実を作る。話はそれからだ。

「すぅ……」
 
 字良が深呼吸をすると、狭いキッチンからコーヒーサーバーの稼働音が聞こえてきた。遅れて、戸棚から二人分のカップを用意する音と、服の擦れる音が響いてくる。

 他人の生活音を聞いていると、口の中があっという間に乾いていった。思えば、他人の家にお邪魔するのは大学を卒業して以来だ。

「どうぞ。熱いので気をつけて」
 
 ことり、とソーサーの上に陶器のカップが乗せられる。淹れたてのコーヒーからは芳醇な香りがして、字良の逆立った気分が幾らかマシになった。

 真っ黒なコーヒーには、顔色の悪い自分の顔が映っている。黒髪をポニーテールにまとめた、その辺りによくいるOLの風貌だ。

 嫌いな自分の顔を睨みつけた後、字良は彩葉丹へと顔を上げた。

「……すみませんが、砂糖とミルクも頂けますか」
「どうぞ」

 さっと所望したものを用意されて、字良はますます拍子抜けした。だらしない格好とは裏腹に、彩葉丹は気が利く男らしい。言葉遣いも丁寧で、向かいに座る所作からも育ちの良さが伺えた。

 彩葉丹は優雅にコーヒーカップを傾けると、落ち着いた低い声で世間話を振ってきた。

「字良さんは、甘いものがお好きですか」
「ええ、まあ」
「奇遇ですね。僕も実は甘党なんです。前の編集者は辛党だったので、カフェ巡りに全く付き合ってくれなかったんですよ。貴方は餡子とクリーム、どちらも平気ですか?」
「それなりに」
「なるほど。貴方とは仲良くやれそうです」
「それは良かったです」

 吐き気がする。両親を殺しておいて仲良くしたいだなんて良くもまあ言えたものだ。まるで自分が殺した人間なぞいちいち覚えていないというような彩葉丹の態度に腹が立つ。いや、本当は殺していないのかもしれないが。

 ……ダメだ。早く殺人教唆の証拠を見つけなければ、絆されてしまう。

 そもそも、彩葉丹が人畜無害そうな顔をしているのがいけない。犯罪者なら犯罪者らしい顔をしろ。

 字良は甘ったるいコーヒーと共に、腹の底から湧き上がる困惑を飲み干した。

 一方の彩葉丹は、字良の引き攣った表情を全く意に介さず、テーブルに置かれたクッキーを摘み上げた。

 いつのまにか字良と彩葉丹の間には、白い皿の上にボックスクッキーが並べられていたようだ。美しく滑らかな縁とバターの香りが、字良の空腹を優しく刺激してくる。

 窓からは小鳥の囀り。麗らかな午後の日差しと、小綺麗な部屋。

 これでは単なるお茶会だ。

「このクッキー、今朝焼いたばかりなんです。味には自信があるので、お一つどうぞ」

 彩葉丹はクッキーを口に入れ、膨らんだ頬からザクザクと音を鳴らした。CMに使ったら売り上げが伸びそうな音である。

 字良は忌々しげにその様子を睨みつけていたが、やがて甘味の魅力に耐えきれずに、彩葉丹に倣ってクッキーを口に入れた。

 表面は硬く、力を込めればホロリと砕けた。舌先から鼻腔までバターの香りが駆け抜けて、後からココアと砂糖の甘みがじんわり広がってくる。

「美味しいでしょう」
「……はい。とても」

 渋々返事をすると、彩葉丹は人付きの良い笑顔を浮かべ、まるで急所でも晒すかのように首をかたむけた。

「改めまして、僕は彩葉丹空門です。歓迎しますよ、字良さん」
「新しく担当編集に携わる字良雪花です。これからよろしくお願いしますね。彩葉丹先生」

 白々しい自己紹介の後、彩葉丹はメガネを外しながら前髪を横へ退けた。赤紫の目がより顕になり、字良の視線も自然とそちらへ集中する。

「やはり、僕の目が珍しいですか」
「……ええ。目が悪いとお聞きしましたが」

 彩葉丹の瞳は、生まれつき色素が薄いせいで赤紫色になっているらしい。そのせいで光にも弱く、ブルーライトカットのメガネが手放せないとか。

「ご心配なく。文字を書くだけならなんの問題もありませんよ。ただ、すれ違っても貴方と気付けないと思うので、それだけは覚えて帰ってください。以前、無視されていると勘違いした方がいらっしゃったので」

 彩葉丹は淡々と語って、焦点の合わない双眸を字良に向けた。

「それにしても、新しい編集者がすぐに決まるなんて珍しいですね。僕の担当なんて、選ばれた人たちはみんな阿鼻叫喚だったのに」
「彩葉丹先生は社内でも嫌われているのですね」
「そうなんですよ。ほら、僕の周りって殺人事件が多いでしょう? 何かに呪われているんじゃないかって噂になっているんです。誰しも死ぬのは恐ろしいものですから、僕を避けるのは当然ですがね」

 その噂なら字良もよく聞いていた。

 赤紫の瞳は
 彼に顔を覚えられた者は、一年以内に必ず死ぬ。

 これは決してただの噂ではない。

 実際に、彩葉丹の友人や担当編集者からも死人が出ているのだ。

 これまで彩葉丹の編集者となった人間は七人。事件、事故、病死、災害、行方不明など。極めて多彩な死に様で全滅した。

 被害に遭うのは編集者だけではない。彩葉丹が旅行や買い物に行く先々では、ほとんど必ず何かが起きる。彩葉丹も事件に巻き込まれるが、彼だけはいつも無傷で帰ってきた。

 ここまで来ると、彩葉丹自体が呪われているとしか思えない。

 だからこそ、字良は黒い笑みを深めた。
 
「もし彩葉丹先生の呪いが本当なら、興味があります」
「どうして?」

 字良は空になったコーヒーカップを置くと、あえて探る様な目を向けた。

「貴方が本当に呪われているのなら、真っ先に先生が死なないとおかしいでしょう?」

 含みのある言い方に、彩葉丹はただ困ったように微笑む。
 
「僕を不幸にするための呪いなら、周りが真っ先に傷つくのも当たり前ですね」
「では、呪われるようなことをした自覚があるのですね」

 そう畳み掛ければ、彩葉丹は人畜無害の笑みを浮かべた。

「誰しも完璧な人間ではいられません。世の中は必ず不特定多数の誰かに恨まれるようにできているんです」
「だから世の中の人間はみな呪われるようなことをしていると?」
「ええ。例えば、すれ違うときに少し肩をぶつけただけで怒鳴りつけるような人間がいるでしょう? もっと言えば、挨拶を返さなかったというだけで通り魔をするような人だっているんです。だったら、僕が誰かに恨まれているのだって、なんらおかしいことではないでしょう」
「屁理屈ですよ。周りが死んでしまうほどの呪いなんて、誰かの尋常でない執着でもなければ、絶対にあり得ませんから」

 例えば私のように、と内心で付け加える。

 編集者になるにあたって、字良は彩葉丹の小説を全て読んだ。
 
 彩葉丹の小説に出てくる殺人事件は、どれも実際に起きた事件をベースにしてある。その裏付けには数少ない友人や探偵を使ったし、実際に事件の被害者から話を聞いたので間違いない。

 であれば、彩葉丹を恨んでいる人間も、字良だけとは限らない。字良のような被害者遺族の誰かが、彩葉丹に呪いをかけたとも考えられる。

 もっとも、字良は呪いなんてこれっぽっちも信じていない。だが彩葉丹を動揺させられるなら、どんな手段でも利用する。

 字良は蛇のような微笑みを湛えて、そっと前のめりになった。

「彩葉丹先生。もう一度よく思い返してみてはいかがですか。呪いの原因、もしかしたらこの家の中に残っているんじゃありません?」

 流石の彩葉丹も、笑顔を繕う気が失せたらしい。狐のようにスンと感情を落として、足を組みながら顎を上げた。
 
「新しい編集者は当たりが強いな。君の恨みも、僕はどこかで買ってしまったんだろうね?」
「さあ、どうでしょうね」
「申し訳ないけれど、僕には全く心当たりがない。よければ教えてくれるかな?」
「貴方の思い当たる節を全て白状して頂ければお教えしますが」
「じゃあ覚えてないね。けど……」

 彩葉丹は再び笑顔を貼り付けると、頬杖をついて数センチほどまで字良との距離を詰めた。

「人を殺す呪いがあるのなら、とても興味深い」

 ただでさえ鋭い彩葉丹の目が、至近距離でひたりと字良に標的を定める。並々ならぬ眼力に気圧され、字良の頬がひくついた。

 たった数分、言葉を交わしただけ。なのに字良は、彩葉丹がどのような人間なのか分からなくなってしまった。

 最初は礼儀正しく優しい人だった。
 ダイニングでは飄々とした変人に。
 そして今は、テロリストや連続殺人鬼のような顔つきに豹変した。

 やはり、自分の勘は間違っていなかった。この男は異常だ。

 確信と興奮で身体が震える。同時に恐怖が爪先から背骨の裏へと駆け上り、全身に鳥肌が立った。

 不意に、彩葉丹が身を乗り出し、字良の耳元で子供を諭すように囁いた。

「君はどこからどこまでを呪いとする?」
「どこから、どこまで?」

 この男はどこまで気づいて、どこまで知らぬふりをしているのだろう。字良が関係者だと既に察しているはずなのに、やけに遠回しな話題ばかりで核心に踏み込んでこない。

 煙に巻かれている。あるいは会話を楽しんでいる。

 振り回されるな。
 字良は浅く舌を噛みながら、赤紫の瞳を睨み返した。

「どこからどこまでを呪いとするかは、これからの貴方を見て決めます」

 最初から確証らしい確証なんてなかった。ただ、彩葉丹の小説と自分の経験を頼りに、点と点を繋いだ拙い推理だけでここまで来たのだ。

 今はせいぜい、呪いのせいで勝手に周りが死んだだけだと言い訳すればいい。証拠さえ手に入ればこちらのものだ。
 
 字良がニヒルに口を歪めると、彩葉丹は呼応するように冷笑しながら、首を吊られるようにゆらりと席を立った。
 
「ちょうどいい。これから呪いに詳しい小説家と食事に出かける予定なんだ。君にも紹介しておきたいんだけど、どう?」
「……同行しましょう」
「返事が固いね。タメ口でもいいのに」
「仕事と私情は分ける主義ですから」
「ふぅん?」

 彩葉丹はわざとらしく首を傾げると、空っぽになったカップを回収してキッチンへ入った。

 それから、緩く蛇口を捻る音が静かな部屋に反響する。

「僕は着替えがあるからね。五分ぐらいそこで待っていてくれるかな」

 カウンター越しに話しかけられ、字良は無表情で答えた。

「分かりました。よければ私が車を出しますが」
「いいや、歩いて行こう。初日で交通事故を起こされては堪らない」
「心中なんてしませんよ」

 字良は失笑しながらそう答えて、ちらりと自分の手提げを一瞥した。黒い無地の手提げの中には、前任の編集者から引き継がれたファイルと、メモ、筆記用具、そして小型のスタンガンが入っていた。
しおりを挟む

処理中です...