家に帰りたい狩りゲー転移

roos

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2章

ある少女の過去 1

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 まだ一歳のころ、シャルは父親に捨てられた。
 彼女の面倒を見てくれたのはダウバリフだけで、母親も兄弟も、親戚すらいなかった。

 物心ついた時から、シャルを取り巻くのは古い石造りの家と、物々しい武器と、血の匂いばかりだった。ドラゴンは出会ってすぐに殺してしまうし、動物は血の匂いをまき散らすシャルに怯えてすぐに逃げてしまう。唯一生きているもので触れるのは、無口ですぐに怒り出す恐ろしい老人だけだった。

 時々里に下りて、大勢の人々の傍を通り過ぎる機会はあった。
 だが誰もシャルに触れようとはしなかった。

 シャルの瞳は父親と良く似ているらしく、その目でエラムラの人々を見つめると誰もが目を背け、忌々し気に眉をひそめた。

 どうして誰も自分の事を見てくれないのか。
 ダウバリフに尋ねても、帰ってくるのは怒鳴り声だけだ。
 言葉を認識するよりも、怒られたという衝撃のせいでシャルには何も伝わらない。

 父の話。自分の話。ともかくシャルに関係のある事を話題にすれば、ダウバルフは恐ろしい剣幕でシャルにつかみかかった。ひとしきり大声を出して、それでも気が済まない時は家の裏手にある倉庫にシャルを閉じ込めた。

 次第にシャルは、自分が孤独な理由を聞くのを恐れた。
 下手なことを言ってダウバリフを怒らせぬよう、できるだけ喋らないように生きることにした。

 ドラゴンの死体を持ち帰るだけで、ダウバリフはほんの少しだけ機嫌が良くなった。
 料理を作ってあげれば、荷物を持ってあげれば、ダウバルフの怒りが収まっていくのを肌で感じた。それでも、毎日ダウバルフのために心を砕くと、だんだんと彼の機嫌を取るのが難しくなる。だからダウバリフの役に立てる新しい事を次から次に探さなければならない。

 シャルは乾いてひび割れていく自分の中身を潤してやるために、ほぼ毎日ドラゴンの死体を持ってくることにした。大きければ大きいほど、苦労するほど強いドラゴンほどダウバリフの機嫌がよくなる。笑みの一つでも目にできれば、シャルは強張った体をようやく解すことができた。



 ラビルナ貝高原と英雄の丘の境にある、エラムラ山道の荒野でのこと。
 そこでシャルは、同い年ぐらいの子供がドラゴンに襲われているのを見つけた。採集の帰り道で襲撃されたらしく、子供の周りにはドラゴンに食い殺された人間の死体が散らばっていた。シャルはそれを事務的に確認しながら、今まさに子供を噛み砕かんとするドラゴンへと殴りかかった。

 武器すら買い与えられていないシャルの武器は、自分の肉体と菌糸能力だけだ。シャルの腕には常人の五倍の菌糸が織り込まれているため、素手で打撃を生み出しても無傷でいられる。

 重力操作で何倍にも重くし加速をつけたシャルの鉄拳は、跡形もなくドラゴンの骨肉を粉砕した。

 血の雨が降る中、シャルは子供を見下ろした。
 子供は黒い髪で、特徴があまりない顔をしていた。髪が短かったので気づくのが遅れたが女の子だったらしい。彼女の傍には納品用鞄が落ちており、中から鉱物の破片が零れ落ちていた。

「どうして……」

 黒髪の少女はシャルの紫色の瞳に怯えながら、激しい怒りで全身を戦慄かせた。

「なんでもっと早く来てくれなかったの!? みんな死んじゃったし! アンタのせいでいなくなっちゃった! アンタが死ねばよかったのに! なんでよ! どうしてよぉ!」

 ダウバルフとの会話を放棄していたシャルは、当時彼女が喚き散らす言葉をうまく理解できなかった。
 辛うじて、自分のせいで彼女を泣かせてしまったのだと理解した。

 だから、ダウバルフに怒られたときと同じように、頭を下げて小さく謝った。

「ごめん……ナサイ……」

 悪いことをしたらこうしなさい、と教わった。
 それ以外にどうしたらいいのか、シャルは誰にも教えてもらっていない。

 少女は憎しみを剥き出しにしたまま中途半端に目を見開いた。
 そして、立ち上がりざまにシャルの顔目掛けて何かを投げてきた。

「謝ったって、しょうがないじゃない! ふざけないで! アンタなんか消えちゃえ!」

 飛んできた固いものがシャルの額を切る。少女が投げつけてきたのは、採集で使う泥だらけの小さなナイフだった。はらりと前髪が落ちて、目の片方だけ視野が開ける。しばらくすると眉毛の上を添うように血が流れて、やがて片目をふさいだ。

 少女は全く動じないシャルに引き攣った悲鳴を上げると、手足をばたつかせるようにして逃げ出した。滅茶苦茶な走り方をする少女は何度も転びかけて、泣き叫びながら里に続く岩山を下っていった。

 少女の後ろ姿が見えなくなった後、シャルは放置された人間の死体へ意識を向けた。

 手足の長さからして、殺されたのは自分と同じ子供だ。
 エラムラの里に住む子供たちは、よく列になって採集任務をこなしに出歩いていた。だからこの五人の死体も、子供隊列の成れの果てだろう。

 羨ましいと思っていた隊列がこうして無残な遺体となっているのを見て、シャルはその場から動くことができなかった。人間の死体を目にするのは初めてで、見ているだけで目の奥が痛くなり、胸が苦しくなる。

 離れてしまいたい。家に帰って藁のベッドの上で眠って、今日のことを忘れてしまいたかった。しかしそれと同じぐらいに、動かなくなった子供たちに何かしてやれることがないかと、言葉にしがたい複雑な思いが溢れていた。

 数十分、下手をすると一時間近くシャルはそこに留まった。

 すると、血の匂いに釣られてきたドラゴンが山道の向こうからのそのそと近づいてきた。無数の針状の岩を背負っている、カエルの形をしたドドックスだった。

 ドドックスは死体を見つけるなり、長い舌でドラゴンの肉片を食らった。それから、前菜のように散らばった子供の死体も絡めとって口に含んだ。

 その瞬間、シャルは無意識に走り出していた。

 何も考えていなかった。
 多くの言葉を持ちえないシャルならではの、言語化する必要のない情動が小さな身体を突き動かしたのだ。

 次に瞬きをした時には、ドドックスはひしゃげて動かなくなっていた。

 数分もしないうちに、新たな死体に釣られて別のドドックスが近づいてくる。

 シャルはドラゴンの胃袋から子供の死体を取り返し、他の子供たちと同じ場所に並べてから、再び疾駆した。

 殺せば殺すほど、山道にドラゴンの新鮮な血が流れていく。血の匂いに引かれて、一匹ずつだったドラゴンの来襲が、二匹、三匹と数を増やしていった。

 やがて雨が降り始め、エラムラの里に続く道に真っ赤な川が流れだした。

 もうすぐ夜になる。
 明かりの乏しい山道はあっという間に真っ暗になり、ドドックスとの距離感や輪郭が曖昧になっていく。無傷だったシャルの身体にもドドックスたちの攻撃が届くようになり、徐々に彼女は追い詰められていった。

 初めて自分が狩られる側になると思った。

 幼いころから狩人だったシャルだからこそ、死の匂いには敏感だった。自分の掌の向こうで停止する肉の感覚がいざ自分に訪れると思うと急に夜の訪れが恐ろしくなる。

 死ねば、眼球から光が消えてみるみる表面が乾いていく。口の中からは血と腐った匂いが流れ始めて、虫と菌糸に食われてぼろぼろと崩れて、跡形もなくなっていく。殺された子供たちと同じように、シャルの小さな体はドラゴンの剛腕によってバラバラにされるのだ。

 周囲が暗くなればなるほど、シャルの脳裏では嫌な想像が肥大化していった。

 完全に夜のとばりが落ちた。

 恐怖と焦燥に駆られてシャルが精彩を欠いた瞬間、背中にドドックスの舌が叩きつけられた。
 激しく地面を転がり、湿った何かにぶつかって止まる。目を凝らしてみると、脇に避けておいた子供の死体だった。雨のせいですっかり血を失って冷たくなっている。

 その近くでは黒髪の少女が置いていった納品用鞄があった。鞄から零れ落ちた鉱物が、暗い中でも微かな光を吸って瞬いているのが見え、無意識に謝罪が漏れ出た。

「……ごめん……なさい……」

 シャルはしびれて言うことをきかない腕で、無理やり身体を起こした。

 間髪入れず、シャルの首にドドックスの舌が絡まり気道を締め上げた。上では別のドドックスが不気味な笑い声をあげて、シャルを押しつぶさんと落下してくる風音がする。

 避けようともがくが、冷たい雨粒が衣服を濡らして重く圧し掛かって動きが鈍る。身体の芯もすっかり冷え切っており、長時間の戦いで磨り減った小さな闘志の炎が、この瞬間でついに消え失せた。

 愛されていない。

 ダウバリフは常にシャルを邪険にしていた。
 何をしても褒めてくれることはなく、一番聞いた声は怒鳴り声だけ。
 数少ない優しい声色も自分に向けられたものではないような気がした。

 自分が消えてもダウバリフは悲しまない。
 会ったことのない父は、自分の存在を知っているだろうか。

 なんで、一度も会いに来てくれなかったのだろう。

 瞼を降ろすと、己の意識が夜と同化するのを感じる。

 狭まった気道から小さなうめき声を出しながら、シャルは即死の攻撃を受け入れた。

 刹那、乾いた発砲音が山道に響き渡り、真っ暗な空に光の雨がはじけた。
 閃光弾だ。

 明るく照らされた戦場に、男たちの雄たけびと鈍色の武器が押し寄せてくる。シャルの首をねじ切ろうとしたドドックスの舌は目の前で千切られ、夜のあちこちでドラゴンたちの悲鳴が響き渡った。

 圧倒的な数の暴力だ。ついさっきまでシャルを囲んでいたドドックスと見慣れぬドラゴンたちが、守護狩人たちによってあっけなく瞬殺されていく。

 目の前で繰り広げられる殺戮を呆然と見守っていると、降り注ぐ閃光弾の粒子の向こうから誰かが走ってきた。

 鋭い光に照らされたのは、昼間に山道から逃げ出した黒髪の少女だった。

 少女は息を切らしながらシャルの前で立ち止まると、滂沱の涙を流しながらシャルを睨みつけていた。シャルはなぜ彼女が怒っているのか理解できず、ふと思い出して、死体と一緒にまとめておいた鞄を手に取った。

「……ん」

 ギルドへの納品物は、狩人の信用に関わる大事なものだ。
 以前ダウバリフと一緒にエラムラの里を訪れた時、近くの狩人がそんなことを子供に教えているのを聞いた。意味はよく理解できていないが、ともかく納品用鞄は持ち主に返すべきだろうと思って、子供の死体と一緒に守っておいた。

 鞄を目の前に差し出された少女は、泣き止むどころかますます顔をしわくちゃにしてシャルを怒鳴りつけた。

「アンタ馬鹿よ! さんざん酷い事言ったのに、どうしてそんなボロボロになるまで戦ってるの!? さっさと逃げればいいじゃない! 私たちは、アンタのこと化け物だって言ってたのに!」
「……ごめんなさい」
「謝るんじゃないわよ! 私は……私が、馬鹿みたいじゃない! アンタなんか、大っ嫌い!」

 少女は甲高く叫ぶと、差し出されていた鞄を無視してシャルに飛び掛かった。

 ぎゅっと目をつぶって殴られる準備をする。

 しかし待っていたのは痛みではなく温かい抱擁だった。

 シャルの頬に触れる少女の濡れた髪や、顎に当たった肩は、自分と同じ形だ。なのに自分より軽くて柔らかくて、泣きそうなほど優しかった。

 固い拳しか知らない。冷たい平手しか知らない。

 シャルの背中に触れる少女の手は滑らかで、肉刺だらけで固くなった自分とは似ても似つかない。

 急に両目が熱くなって、下瞼に吸い出されたそれが雨に交じって流れていく。慌てて指で拭ってみるが血ではなかった。痛くないのに透明なものが目から流れ続けて止められない。

 耳元で泣き叫ぶ少女にされるがまま、シャルはドラゴンの殲滅が終わるまで座り込んでいた。
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