家に帰りたい狩りゲー転移

roos

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3章

(10)旧友

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 静かなギルド長室の中で、分厚い判子が朱肉を剥ぐ音が聞こえる。赤い判を押された紙はぺらりとつままれ、隣の書類の山へと寝かされた。

 午前中から事務作業を繰り返したおかげで、テーブル上の書類がようやく半分まで減ってきた。ロッシュはもう一枚だけ判を押すと、シュイナが出かける前に淹れてくれた紅茶を一気に飲み干した。紅茶らしい華やかな香りもなく、キレもなく、ただの苦い液体が喉を落ちる。

「……後で茶葉も取り寄せますか」

 ロッシュはざらりとした後味を無理やり飲み込むと、数時間ぶりに椅子から立ち上がった。

『リョーホさん。シャルのことをよろしくお願いします』
『任せてください』

 ふと、袖口の鈴からリョーホと巫女の会話が聞こえてきた。

 無数に聞こえる『響音』の雑音を取り除きながら聞き耳を立てると、つぅ、とロッシュの鼻から血が流れ出る。遅れて、米神が引き絞られるように痛みだした。ロッシュは素早く瓶を取り出し、極小の薬を三錠一気に飲み込んだ。

 この薬はパリュム草とお酢を溶かした鎮痛薬だ。巷では『バカにつける薬』と揶揄されているが、その由来はどんな暴れん坊でもこの薬を飲めば驚くほど穏やかになるからである。摂取し過ぎれば脳に深刻なダメージが出るが、容量を守ればどんな痛みも一瞬で消える。今ではこの薬がなければ日常生活を送ることすら難しい。

 二十四時間、休むことなく『響音』を使い続けているロッシュの脳は常に酷使され、聴覚に至ってはほとんど機能していない。それでも音を聞き取れるのは、菌糸による骨伝導のおかげだった。

 ハウラの結界が失われてしまった分を取り返すため、ロッシュは『響音』の取得範囲を拡大したままだった。鼻血が出たのもそのせいだろう。シュイナに見られていたらまた小言を言われるところだった。

 鎮痛剤が効くまでじっと目を閉じた後、ロッシュは鼻を抑えながら本棚の紙箱へ歩き出した。

「ついにベアルドルフを見つけたようだな」

 背後から楽しそうな旧友の声がして、ロッシュは塵紙で鼻血を拭きながら振り返った。

 断りもなしに窓から入ってきたのは、国王に呼び出され中央都市にいるはずのドミラスだった。背負っている荷物は小さなリュック一つだけ。そして窓の縁に、新築のギルドにあるまじき泥の足跡をべったりと残していた。

 ドミラスはそのまま部屋に入ってくると、我が物顔でロッシュの椅子に腰かけた。

「三ヶ月ぶりだな。元気にしてたか」
「貴方の顔を見るまで絶好調でしたよ。ドアから入れと何度も言っているでしょう。あとそこは僕の椅子です」
「たかが椅子でムキになるなよ。それとも、この中に見られたくないものでもあるのか?」

 とん、とドミラスの指先がテーブルを撫でた瞬間、呆れ返っていたロッシュの気配がガラリと変わった。ロッシュの指先から鋭い鈴の音が鳴り、窓や棚が引き絞られたように震え始める。
 
「立ちなさい。今すぐ」

 旧友同士と思えぬほどの殺気がギルド長室を圧迫した。ドミラスは無表情でロッシュを見上げた後、足を組みながらひらひらと手招きした。
 
「くくく……立たせてみろよ」

 刹那、ロッシュは袖から仕込み杖を抜き、ドミラスの米神へ叩き込んだ。

 杖はドミラスに触れる寸前で静止した。見ればたった一本の糸に阻まれており、押しても引いてもびくともしなかった。

「まだ衰えるって歳でもないだろうに、弱くなったな」

 ドミラスが指を振ると、ロッシュの杖が弾かれた。ロッシュはしかめ面で腕を下ろすと、杖を折りたたみながら目を伏せた。
 
「……建て替えたばかりのギルドを壊すわけにはいきませんので」
「それは悪かった」
 
 ドミラスは機嫌良く笑い、ようやく椅子から立ち上がる。だがロッシュは泥だらけになった椅子に座る気分になれず、汚れを取るべく新しい塵紙を取ろうとした。

「……?」
 
 不意に、ロッシュの視界の端で何かが光った気がした。発生源を辿ると、泥だらけだった窓の縁や椅子が、いつのまにか真っ新になっていた。
 
 目を見開きながらドミラスの足元を見る。彼の靴もまた、粘っこい泥だけが綺麗に消えていた。

「まだ健全な里の運営なんてやってんのか?」

 固まっているロッシュに、ドミラスのお気楽な声が飛んでくる。また新薬か新技術の実験体にされたのだろうとすぐに察し、ロッシュは平静を装いながら窓の縁を撫でた。
 
「当たり前でしょう。里に私情を挟めばただの独裁です」
「真面目だな。さっさと私物にしてしまえ生臭坊主」
「坊主じゃありません。僕は歴としたダアト教です!」

 テーブルを叩きながら反論するロッシュを、ドミラスは心底面白そうに眺めた。

 二十年来の付き合いになるこの男は、ことあるごとにロッシュの神経を逆撫でするのが趣味だった。幼いころは能力の実験に付き合わされ、崖から落とされたり簀巻きにされたり、とにかく散々な目にあった。守護狩人に昇進したら少しはまともになるかと思ったが、ドミラスの暴走はさらに悪化した。

 一番酷かった時期は、二人で古代遺跡の研究に勤しんでいた時だ。テララギの里の白骨遺跡は思い出したくないほど最悪な大剣をして、テラベド鏡湖の遺跡に至っては記憶が飛んでいる。当時はよく生き残れたものだと、ロッシュは過去の自分を褒め称えた。

 そして今日、ドミラスのにやけた顔を見てロッシュは確信した。

 また面倒ごとに巻き込まれるのだと。

「帰ってもらえません?」

 単刀直入に言うが、ドミラスは全く意に介さず、客用ソファにゴロリと寝転がった。汚れたズボンの裾が肘掛けに乗るのを見て反射的に舌打ちが出る。

「帰らないなら要件を。早く」
「お茶は?」
「……チッ」

 今度こそ盛大に舌打ちし、今日の不味い紅茶を準備してたっぷりカップに注ぐ。がちゃん! とカップをテーブルに叩きつけると、ドミラスはのそりとソファから身を起こした。
 
「リョーホに通行証を渡してよかったのか? 復興でかなりの金が飛んだだろうに」

 まるで昨日のギルド長室でのやりとりを見てきたような口ぶりだ。ロッシュが『響音』で遠い場所の出来事を知れるように、ドミラスもまた盗み聞きの手段があるのだろう。
 
「資金については何も問題ありません。どちらにしろ、彼とは協力関係を築いておきたいので」
「予言書の通りに、な」

 ドミラスは混ぜ返すように言い、悠々と紅茶に口をつけた。すると、ドミラスの眉間の皺が深くなった。

「……何を飲ませた」
「紅茶です」
「お前……ついに味覚もイカれたか」
「僕をなんだと思っているんですか?」
「オーバードーズ異端殉教者」
「吊しますよ」

 ロッシュがすかさず拳を鳴らすと、ドミラスは咳払いをしてからカップをソーサーに戻した。
 
「ゲホッ……お前も知ってるだろうが、俺も少し前に国王に呼ばれて中央都市に行ってきた。あの腹黒狸、予言書の通りに鍵者が見つかって大喜びだったぞ」
「でしょうね。国王が一番鍵者の到来を待ちわびていましたから」
「ああ。この調子なら、エラムラに流れ込む国家予算も一気に増えるだろう。しかもベアルドルフに勝利を収めて、新たな英雄も誕生して、里にも箔がついた。観光客もなだれ込んで、冬になったらお前たちの目標人数に達するはずだ」
「……それがどうしたと言うんですか」

 遠回しな口ぶりに痺れを切らすと、ドミラスは初めて剣呑な目つきになった。
 
「――国王の望み通りに、民を差し出すつもりか?」

 ぴきり、とドミラスの持つカップの取手に罅が入る。
 
 ロッシュは波打つ紅茶の表面を眺めながら、押し殺すように告げた。
 
「僕は僕のやり方でこの里を守ります。これ以上深入りするのであれば、憲兵隊を使ってでも貴方を排除します」
「ほう、脅しか?」
「……昔のよしみです。僕の邪魔をしないのであれば見逃します」
「お前ではなく、国王の邪魔だろう?」
「否定はしませんよ」

 ロッシュは笑みを浮かべ、喉の奥から込み上げる酸っぱいものを飲み込んだ。

 エラムラの里を守るためならば、ロッシュは手段を選ばない。ベアルドルフの襲撃で大勢の民が死んでしまったのは痛手であるが、国王との約束した人口には十分に足りる。ドミラスの言う通り、冬まで耐え切ればエラムラの里は救われるのだ。

 例えそれで、他の里が滅亡することになるのだとしても。

 ドミラスは気味が悪そうにロッシュを一瞥したのち、膝の上で手を組みながら背もたれに沈んだ。
 
「お前もレオハニーも頭が固い。少しは予言書に頼らずにいられないのか」
「いくら努力しようとも、予言書の最後のページは変えられません。全員が破滅する道を突き進むのは愚者のすることです」
「それで? 助かるのが選ばれた人間だけと言うのも胸糞悪いだろうが」
「予言を下手に変えてしまえば、より最悪な結末を迎えるかもしれないんですよ」
「予言書がなくとも未来は自分で決める」

 キッパリとしたドミラスの答えに、ロッシュは即座に反駁しようとした。しかし、鈴から聞こえる大勢の民の声に引き戻され、歯を食いしばりながら深呼吸をした。
 
「……レールを外れて道を切り開けるのは、途方もない努力を重ねた人間か、天才だけです。せめて僕とエラムラは巻き込まないで頂きたい」
「お前は努力しないのか」
「僕にも限界がある。君と違って」

 ロッシュはドミラスの視線に耐えきれず背を向けた。窓の外では、汗水垂らしながら元の景色を取り戻そうとする人々で溢れかえっている。弾けるような子供たちの笑い声が、鈴越しでなくとも聞こえてきそうだ。

 無言で賑やかな窓を見つめ続けていると、ドミラスの方から落胆に満ちた声がした。
 
「言っておくが、俺は天才ではない」
「……それを決めるのは自分ではないんですよ」

 窓から流れ込む風に目を閉じると、ドミラスがソファから立ち上がる気配がした。ロッシュは体温が抜けていくような感覚を覚えながら、振り返らずに口を開いた。

「最後に一つお聞きしたい。昨日、予言書のページを変えたのは貴方ですか」
「愚問だな」

 短い答えを最後に、ドアの開閉音がして足音が遠ざかっていく。

 ロッシュは嘆息したのち、よろけるように椅子に腰かけた。テーブルの上にはまだまだ仕事が残っているが、今すぐ再開する気にはなれなかった。代わりにテーブルの引き出しを開け、すでに不要になった紙を取り出して内容を俯瞰する。
 
 アーク、イルドーラ、シエット……ニヴィ、シャル、ベアルドルフ……ハウラ。

 それは、先のエラムラ防衛戦で死ぬはずだった人々の名簿だった。

 さらにその紙を捲れば、別の紙が現れる。予言書の内容が書き換えられる前に、一ヶ月前の自分が残したメモだ。

 『エラムラの里は、冬を迎える前に滅びを迎える』

 そう書かれていたのを、ロッシュは確かにこの目で見た。しかし、昨日リョーホたちと共に予言書が書き換わる光景を見た時から、その一文はきれいさっぱり消え失せていた。

「やはり、君は天才ですね」

 リョーホもドミラスも、ロッシュの目の前で容易く人々の運命を変えてしまった。英雄というものは、なろうと思ってなれるものではないのだと痛感させられる。

 ロッシュは名簿ごとメモを破り捨てると、塵箱の中に乱雑に放り込んだ。

 それからなんの気もなしにドアの方を見ると、床に泥だらけの足跡・・・・・・・があった。部屋に入ってきて、ぐるりとロッシュの椅子まで回って出ていく足跡は、どう考えてもドミラスのものである。

 しかし、ドミラスは窓から入ってきたはずだ。ドアから入ってきた足跡があるのは不自然である。それに、ドミラスの靴にこびりついていた泥は、途中で消えていたように見えたのだが。

 あるはずのものがなく、ないはずのものがある。

 ロッシュは引っ掛かりを覚えたが、手掛かりを思い出そうとするうちに、自分が何を求めていたのかすら分からなくなっていった。
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