家に帰りたい狩りゲー転移

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4章

(3)危惧と無自覚

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 泣きすぎて頭が痛い。

 ズビズビと泣きながら診療所を出ると、後頭部に柔らかい布がぶつけられた。落ちる前に後ろ手でキャッチすると、それはエトロが愛用しているハンカチだった。

「そんな顔で外に出る気か」
「……あんがと」

 目元にハンカチを押し当てて、天井に顔を向けながら濁声と一緒に息を吐く。こんなに泣くのは誕生日を忘れられた子供の頃以来だ。人前で号泣してしまった羞恥心がじわじわと追いついてきて、涙が止まり始めたのにハンカチを顔から剥がせなかった。

 診療所でハインキーたちと別れた後、ミッサとゼンはギルドの方へ、アンリはドミラスの様子を見にばらばらに歩いていった。廊下をのんびり歩いているのは俺とエトロ、シャルだけだ。一気に人がいなくなった分、賑やかさが足りなくて少し落ち着かないような気もした。

 ようやく涙が止まった頃、今度は猛烈な喉の渇きに見舞われた。そういえばヤツカバネと戦闘になってからは、ずっと走りっぱなしで水を飲んでいなかった。アドレナリンのお陰で今まで気にする余裕もなかったが、よく途中でぶっ倒れなかったものだと自分の身体に感心する。研究所を出ればすぐ傍に川があるのでそれを飲んでもいいのだが、なんとなく水を飲むためだけに外に出るのが面倒だ。

 俺は廊下の壁に寄りかかってエトロを振り返ると、ハンカチを折りたたみながら鼻声で言った。

「エトロ。氷食べたい」
「はぁ? まぁいいが……」

 エトロは指先から一口サイズの氷を作り出して、宙に浮かせながら人差し指ごと近づけてきた。今日はやけに優しいな、と俺は呑気な思考のまま、近づいてくる氷を口でキャッチした。

「なっ」

 なぜかエトロは驚いていたが、口の中が程よく冷んやりする心地よさに俺はヘラヘラと笑った。

「あー沁みるわー」
「お前……せめて手で受け取ればいいのに……」
「え?」

 不思議なことを言うエトロに首を傾げていると、横でやり取りを見ていたシャルがバンザイをしながらエトロの前でジャンプした。

「シャルも欲しいのか?」

 こくり、と頷くシャルに微笑み、エトロは先ほどと同じ要領で氷を作り、シャルの手のひらに落としてあげた。シャルは角が丸い氷のブロックを珍しそうに掲げた後、はぐっと口に入れて嬉しそうに飛び跳ねた。

「今日は暑かったもんな」

 豪雨に降られてびしょびしょだった衣服も、村に帰る道中でほとんど乾いてしまった。シャワーを浴びる手間が省けたと狩人たちは笑っていたが、ヤツカバネの悪臭を浴びながら戦い続けていたので、流石にそろそろ風呂に入りたい。しかし空腹で背中と腹がくっつきそうだし、疲労でとてつもない眠気も相まって歩きたくない。誰か俺が寝ている間にすべての人間的活動を代行してくれないものか。

「リョーホ。こんなところで寝るな。泣いてすぐに寝るなんて赤子みたいだぞ」
「それは嫌だ」

 俺は頬を叩いて眠気を覚ますと、口の中の氷でコロコロ遊ぶシャルへ呼びかけた。

「シャル、飯食う前にお風呂行こう。今なら女性狩人もいるからお化けとか怖くないだろ?」

 シャルは声を出さずにきゃらきゃらと笑うと、俺に手招きをしながら元気に研究所の外へと走り出した。

「どこからあんな元気が出て来るんだ……」

 討伐中は下手したら俺よりも暴れ回っていたはずなのに、『雷光』のある俺よりぴんぴんしているなんて、シャルは底なしの体力でもあるのか。俺もそれなりに強くなったと思うが、ああいう守護狩人の姿を見ると、自分はまだまだなんだと少しだけ安心する。

 やっぱり俺は英雄の卵ではなく、少し人が救えるだけの凡人だ。守護狩人になるために強くなりたい気持ちは変わらないが、ほどほどに手を抜いたほうが俺らしい気がする。

 手始めに、明日からは三日ぐらい家でゴロゴロしよう、と心の内で適当な予定を立ててシャルの後を追おうとした。だが、その背中へエトロの純粋な疑問がぶつけられた。
 
「リョーホ。ドミラスはいいのか?」

 俺は踏み出したばかりの足を止めたが、エトロの方を振り返らなかった。対してエトロは、疑念を深めるようにさらに言葉を重ねてきた。
 
「ドミラスが喰われたのは……ヤツカバネの魂凝結晶を砕いた後だろう? 魂を留める結晶がなくなれば、肉体から弾かれた魂はどこに行くんだ? ヤツカバネを倒しても、ドミラスの魂は戻ってくるものなのか?」

 魂凝結晶は、人間から吸い出した魂を閉じ込める力を持つ。それは同時に、肉体から離れた魂を保護する力もあるのだ。

 保護されずに空中へ散った魂がどうなるか。俺は大方の予想がついていたが、頭をガリガリと掻きながら笑顔で言った。

「あー、大丈夫だろ。俺もヤツカバネにトドメを刺す前に滅茶苦茶ブレス浴びてたけど、今は大丈夫だろ? だからドミラスも大丈夫だ」
「リョーホ……自分を騙すのはやめろ。お前だって気づいていたんだろう? でなければ、臆病者のお前があそこまで無茶な戦いをすると思えない」

 ……俺が嫌いだと言っていたくせに、こういうことだけはよく見ている。
 
 俺は深く肺を膨らませた後、エトロを振り返って外へ促すように顎をしゃくった。

「シャルが待ってる。歩きながら話そう」

 エトロは納得いかなそうに眉を顰めていたが、渋々俺の隣に並んだ。俺たちはそのまま研究所を出て、兎のように階段を駆け上がっていくシャルの後に続いた。一年中川の水飛沫を受けている最下層の階段は渓谷と同化しており、縁の辺りが苔むして少しだけ滑りやすい。夕暮れ時の谷底は夜のように暗く、ここから見上げる空は黒い画用紙にオレンジの折り紙を張り付けたようだった。

 絵画と現実の境目に立っているような暗い道に、ぽつぽつと明かりが灯り始める。バルド村中に生えているキノコライトが、明暗を感じ取って自動的に点灯し始めたのだ。やがてバルド村全体が幻想的な光に包まれ、暗く沈んでいた階段が今ならはっきりと見渡せるようになる。

 俺は機械のように淡々と階段を上りながら、頭の中でようやくまとまった内容を口にした。

「……ヤツカバネの捕食方法は、実は二種類ある。敵を殺すついでに捕食するためのものと、殺すために魂を壊すもの。ドクターを殺した攻撃は、魂を壊す方だ」
「じゃあ、ドミラスの魂は壊されてしまったのか? だとしたらヤツカバネを討伐しても……」
「そうだ。ヤツカバネが死んでも、ドクターの魂が戻るわけじゃない。けど助かる可能性は残ってる」

 俯けていた顔を上げ、俺は階段の上を見上げながらさらに続けた。

「魂は壊されても、肉体から一時的に離れるだけで消えるわけじゃない。だから肉体さえ残ってれば時間をかけて戻ってくるよ。……心臓とか、頭が壊れていなければの話だけど」
「……どういうことだ」

 今にも掴みかかってきそうなエトロの気迫に、俺は小さく手で牽制しながら目を逸らした。
 
「魂の濃度は、実は均等に全身を満たしているんじゃなくて、人体の急所に集まっているんだ。当然、濃度が高い場所を破壊されたら、失われる魂の量も多くなる」
「つまり、頭を失ったドミラスは、魂の大部分を失った……ということか?」
「そうだ。しかもドクターの魂はヤツカバネの魂凝結晶に吸収されなかったから、そのまま空中を漂うことになる。肉体へ戻るまでの長い時間に、魂が何かに混ざったり、損傷していないとも限らない」

 肉体と魂の関係は、バケツと水のような形だ。バケツから溢れた水が、水蒸気となって空気中に溶け込んだ後、雨になってまたバケツに戻る。ヤツカバネはその一連のサイクルを、逆鱗の咆哮によって強制的に行わせるのだ。

 空中に散った魂は簡単に姿を変えてしまう。雨が酸性雨になるように、またはバケツとは程遠い場所で海に帰ってしまうように。だから、空中に散ったドミラスの魂が純粋な姿で帰ってくると限らない。

 たとえ戻ってきたとしても、次に目覚めたドミラスは、はたしてドミラスと言えるだろうか。

「正直言うと……今はドクターの顔を見たくないんだよ」
「なぜだ。会いたくないのか?」
「……友達の死んだ顔は見たくないだろ。誰だって」

 ドミラスと俺の付き合いは、エトロよりも短い。だが、異世界に来たばかりの俺にとっては最初の理解者であり友人だった。

 地球なんて存在しないこの異世界で、俺は家族と友人の顔まで忘れて、なんでここに来てしまったのかも分からない最悪の状態だった。俺の話す思い出話は全て妄言と取られたし、逆に彼らが話すものは俺にとってゲームの世界のことばかりだ。どちらが本当の世界だったのかと、頭がおかしくなりそうで、それでも武器を取って狩人になる以外に帰る方法がない。そんな状態では、楽しいことがあっても、恐怖心は心の奥底で蠢き続けていた。

 だからこそ、俺が日本で過ごしていた過去を認めてくれるドミラスは貴重な存在だった。

 そして、地球の知識を共有できる唯一の友人が死んだら、俺はまたこの世界で一人になる。その未来がすぐ目の前まで迫っていると思うと、酷く耐え難いのだ。

 俺は強く歯を食いしばった後、額を押さえながら無理やり笑顔を作った。

「……はは。俺って最低だよな。ドクターだから心配してるんじゃなくてさ、俺の理解者が死ぬのが嫌だから心配してるんだよ。ドクターが俺の理解者じゃなかったら、きっとここまで追い詰められてない」
「……リョーホ」
「はは、おかしいよな。エラムラで死んだ人たちの顔を見ても全然平気だったのにさぁ……自分に都合が良すぎて反吐が出そうだよ」

 エラムラで死んだ、名も知らぬ狩人の死に顔は、もはやうろ覚えでどんな表情だったかも忘れてしまった。だが腕の中で冷たく丸まるシャルの姿や、野戦病院に運ばれてきたアンリとエトロの酷い怪我だけは明瞭に思い出せる。所詮、俺にとって他人とはその程度なのだ。
 
 温度のない液体を流し込まれたように喉が詰まっていく気がする。乾いた眼球がぴりぴりと痛みを発したため、俺は目元を手で押さえながら階段の手すりに寄りかかった。すると、斜め後ろからエトロの手が伸びてきて俺の肩を掴み、その場に立ち止まらせた。
 
「他人の気持ちまで背負う必要はない。皆、自分のことで手一杯だ。いちいち構っていては、私たちまで死人に足を取られてしまう」
「……実体験か?」
「そんなところだ」

 エトロの力なく笑う気配がして、俺は指の隙間からそっと外の様子を伺った。途端、素早くエトロの掌が俺の顔に叩きつけられた。

「ぐえっ」
「気分が悪いならそう言え。全く」

 そう言ってエトロは俺の顔から手を引きはがすと、夜闇をかき消してしまうほどの青い瞳でじっとこちらを覗き込んできた。

「リョーホ。よく聞け」

 顔を両手で押さえつけられ、顎のあたりにエトロの息がかかる。
 
「私が、私自身の復讐のためにエラムラの里を巻き込んだ時も、そこで暮らす人々の日常を壊すことに躊躇いはした。だが、他人にばかり気を遣っていては、自分のやりたいことすら他人の意思に左右されるようになるぞ。今のお前は、名も知れない死人に振り回されているだけだ。お前の意思じゃない」

 決して咎める口調ではないのに、抉られるように心が痛んだ。そこへ畳み掛けるように、エトロの青い瞳がより強く光を湛える。

「私は顔色を伺うばかりの奴隷になりたくない。私の主人は私だけだ。……そう思えるようになったのは、ヤツカバネとの戦いの最中に、お前が戦うのを諦めなかったからなんだがな」

 エトロの手が一瞬強く俺の顔を挟んでから、ほんの少し体温を残して離れていった。
 
「お前はどうなのだ?」
「……分かんない。けど、俺は自己中になりたくないよ」
「それでは結局他人の目を気にしているだけだ。話聞いてたのか馬鹿」
「馬鹿って言うなよ……」

 俺は肩をすくめながら笑うと、何となく居心地が悪くなって階段を登ろうとした。だが途中で腕を掴まれて、またエトロの方に向き直らされる。

「おい……」
「どんなに無様な姿になっても、私は見捨てたりしない」

 俺は思わず息を止め、急に怖くなって、片眉を下げるようにして笑いかけた。
 
「今日はやけに素直だな?」
 
 瞬間、エトロの拳がぐっと振りかぶられたが、すぐに力なく下ろされた。
 
「……自分の視野の狭さを自覚しただけだ。誰かさんのお陰でな」

 エトロは俺の腕を離すと、駆け足で一気に階段を登っていった。
 
「……誰かさんって、誰のことだ?」

 遠ざかっていくクラゲのような髪を見つめながら、俺はしばし虚空を見つめて考え込んだ。
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