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第3話:追放の宣告、家の論理
しおりを挟むその日の夕方、屋敷の廊下は妙に静かだった。
静かすぎて、音がないぶん“何かが決まっている”気配だけが濃くなる。
エリシアは、呼ばれた。
呼ばれたというより、連れていかれた。
「当主の間へ」
使用人の声は丁寧で、目だけが冷たい。
こういう時、屋敷の人間はみんな“家”になる。個人が消えて、ラウフェンという巨大な生き物の細胞になる。
当主の間は、いつもより灯りが多かった。
壁の燭台が、黄金色に燃えている。
暖炉の火も揺れている。
なのに、空気は冷えている。
部屋の中央――当主の椅子。
グレゴール・ラウフェンが座っていた。
椅子は重厚で、背もたれには家紋が彫られている。
“この椅子に座る者が家を決める”という圧が、木材から漏れているみたいだった。
父の右に母。
母はいつもの完璧な姿で、ただ視線だけが少し沈んでいた。
左に兄。
腕を組み、口元に薄い笑みを浮かべている。
少し離れた位置に妹。
リーナは両手を前で組み、祈るみたいに指を絡めている。
全員が揃っている。
つまり――“家族会議”ではなく、“処理”だ。
「座れ」
父が言った。
エリシアは椅子に座る。背筋を伸ばす。
今さら、何を言われてもおかしくない。
最近ずっと、空気が変だった。
失敗の噂だけじゃなく、屋敷の人間の距離が、さらに一歩遠くなっていた。
父が机の上に一枚の紙を置いた。
それは白い。
白すぎて、逆に怖い。
「お前は――ラウフェンの娘ではない」
最初の一言で、世界が一度だけ揺れた。
耳が、じんと痺れる。
「……え?」
声が出たのが驚きだった。
驚く余裕が自分に残っていたことの方が、もっと驚きだった。
「今夜中に出て行け」
父の声は、まるで天気の話でもするみたいに平坦だった。
怒鳴りもしない。悲しみもしない。
ただの宣言。
エリシアの喉が乾いた。
唾が飲み込めない。
言葉が出る前に、胸が先に痛くなる。
「……理由は」
「結果だ」
父が即答する。
「お前は薬師として結果を出せない。家の資産を無駄にし、家名を傷つけ続けた。これ以上置いておく理由がない」
“表向き”の理由。
あまりに整っている。
整いすぎている。
エリシアは視線を落とした。
机の上の紙には、細かい文字が並んでいる。
追放の書類。
家からの放逐。
支援の打ち切り。
名乗りの剥奪。
――名乗り。
その文字が、針みたいに刺さった。
「……私、何かしたんですか」
自分でも、変な質問だと思った。
無能であることは、ずっと“罪”として扱われてきた。
それだけで充分なはずなのに。
父は、わずかに目を細めた。
「お前は最近、妙なことを言ったな」
妙なこと。
心臓が、嫌な打ち方をする。
「失敗作の瓶を嗅いで、なんと言った?」
エリシアは息を止めた。
あれは、数日前のことだ。
薬室の隅に置かれた、失敗作の瓶。
本来なら廃棄されるもの。誰も触らないもの。
エリシアはそこに立ち止まってしまった。
匂いは薄かった。薄いのに、何かが引っかかった。
ガラス越しに、微かな“方向”を感じた。
そして口から、勝手に出た。
『……これ、治せる』
自分でも意味が分からなかった。
でも確かに、そう言った。
「覚えているか」
父が言う。
「はい……でも、ただの独り言で……」
「独り言?」
ルーカスが笑った。
「父上、聞きました? 独り言だって。あれ、薬師協会の監督官も近くにいたんだよ。下手したら“失敗作を救える”とかいう変な噂になる」
「噂?」
父の声が冷える。
「ラウフェン家の薬学体系を、笑いものにする噂だ」
体系。
その言葉が、妙に重い。
父は“家名”と言いながら、もっと根っこを守っている。
――自分が作った世界を守っている。
「エリシア」
母が初めて、名前を呼んだ。
エリシアは顔を上げる。
母の目は、濡れていない。
ただ、どこか遠い。
「家のためよ」
それだけだった。
“あなたのため”じゃない。
“仕方ない”でもない。
ただ、家のため。
エリシアは笑いそうになった。
笑うしかなくなった。
胸が痛いのに、笑いが出そうになる。
「……私が、家の邪魔なんだ」
言葉にすると、妙にすんなり入ってくる。
自分の中で、長年積み上げてきた“結論”にぴったりはまる。
父が頷く。
「理解が早いのは助かる」
その瞬間、エリシアの中の何かが、すぱっと切れた。
音がした気がした。
痛みが、少し遠のいた。
「荷物は最低限でいい。金は与えない。お前にかける価値はない」
父は淡々と続ける。
それがこの家の“論理”だ。
価値がないなら投資しない。
投資しないから育たない。
育たないから価値がない。
完璧な循環。
「……父上」
リーナが、小さな声を上げた。
その声は震えていて、泣きそうだった。
「お姉さま……」
妹は立ち上がり、エリシアの方へ来た。
そして両手で、エリシアの手を握った。
「お姉さま、私、味方です……」
温度があった。
だからこそ、薄気味悪かった。
この手は、いつも距離を取っていた手だ。
失敗の噂を広げ、泣いて同情し、周りを味方につける手だ。
その手が今、急に“味方”を名乗る。
エリシアの背中に、冷たい汗が流れた。
「……ありがとう」
言うしかない。
言わないと、妹が泣く。
妹が泣けば、エリシアが悪者になる。
この家では、泣いた者が正義だ。
「やめろ、リーナ」
ルーカスが呆れたように言った。
「情に流されるな。家の決定だ。……まあ、お前が優しいのは分かるけどさ」
優しい。
その言葉が、嘘みたいに空気に浮いた。
優しさの皮を被った処刑が、今まさに進んでいるのに。
父が机の引き出しからペンを取り出し、書類の上に置いた。
ペン先が光る。細い光が、刃みたいだ。
「署名しろ」
エリシアはペンを見つめた。
これに署名した瞬間、ラウフェン家の“次女”は消える。
名前が剥がれる。
帰る場所が消える。
怖い――はずだった。
でも怖さより先に、妙な静けさが来た。
(私、ずっと、ここに居場所なかったじゃん)
気づいた瞬間、心の奥が冷えて、同時に軽くなった。
ずっと背負っていたものが、実は他人の荷物だったみたいに。
「……署名しないと、どうなりますか」
エリシアが聞くと、父は瞬きもせず答えた。
「力ずくで追い出すだけだ」
ああ、そう。
選択肢なんてない。
あるように見せているだけ。
母が視線を落とした。
そのまま、何も言わない。
母は“自分が何をしたか”を見ないようにしている。
見たら壊れるから。
壊れたら家の形が崩れるから。
エリシアはペンを取った。
指が不思議と震えなかった。
ペン先が紙に触れる。
さらさら、と音がする。
やけに軽い。
自分の人生が、紙の上で消えていく音がするのに、ペンは軽い。
軽すぎて、怖い。
署名を終えてペンを置くと、父は書類を引き寄せた。
たったそれだけ。
十七年が、たったそれだけ。
「終わりだ」
父が言った。
「今夜中に出て行け。使用人に余計な迷惑をかけるな。裏口から出ろ。表を汚すな」
表を汚すな。
最後まで、家の“見た目”だ。
「……分かりました」
エリシアは立ち上がった。
リーナの手がまだ自分の手を握っている。
「お姉さま……私、本当に……」
妹の目から涙が落ちる。
それは本物かもしれない。
でも本物でも、意味がない。
涙は結果を変えない。
涙は、ただ“泣いた人が正しい”という空気を作るだけ。
エリシアは手をそっと抜いた。
優しく抜いた。
優しくしないと、また自分が悪者になる。
「大丈夫だよ」
自分の声が、やけに落ち着いている。
落ち着いているのが怖い。
これが“諦め”の音なのかもしれない。
扉に向かう。
背中に父の視線が刺さる。
刺さるのに、振り向かなかった。
振り向いたら、何かが崩れる。
崩れたら、泣く。
泣いたら、ここで終わる。
廊下に出ると、空気がやけに薄かった。
屋敷の香りも、石畳の冷たさも、全部が遠い。
自室に戻り、荷物をまとめる。
最低限。
服。
小さな財布――中身はほとんどない。
薬草の小瓶をひとつ、こっそりポケットに入れる。
誰も見向きもしない安物の薬草。
でもエリシアにとっては、“意味”の予感の残骸だ。
ドアを閉めた瞬間、背後から声がした。
「エリシア」
振り向くと、母が立っていた。
母は廊下の灯りの中で、相変わらず完璧だった。
泣き腫らしていない。髪も乱れていない。
だからこそ、“さっきの決定”が現実なんだと突きつけられる。
「何か……言うことは」
エリシアが聞くと、母は一拍置いた。
「余計なことはしないで」
またそれだ。
余計なこと。
つまり、“家の外で生きること”すら、この家にとっては余計なのかもしれない。
「……私、死んだことにしていい?」
口から出た言葉に、自分で驚いた。
でも、そう言いたかった。
この家の中で、私はずっと生きていなかったから。
母の目が、ほんの一瞬だけ揺れた。
揺れて、それを押し潰すように、母は静かに言った。
「あなたの好きにしなさい。もう、ラウフェンではないのだから」
好きに。
好きに、しろ。
今さら?
エリシアは小さく笑った。
「……そうだね」
母は何も言わず、去っていった。
背中が真っ直ぐで、ひどく遠かった。
屋敷の裏口。
夜の風が冷たい。
門の外には王都の灯りが揺れている。
人の声がする。馬車の音がする。
世界は何事もなかったように続いている。
エリシアは一歩、外に出た。
足元の石畳が冷たい。
胸の奥が薄く痛い。
でもその痛みの正体が、少しだけ分かった気がした。
私は無能だから追放された。
――それだけじゃない。
私は“何か”を持っている。
持っているのに、それが見えない。
見えないから、怖がられた。
父が言った「妙なこと」。
失敗作を救えるかもしれない、という直感。
体系を壊す芽。
それが本当に自分にあるのなら。
あるのなら――。
エリシアはポケットの薬草瓶を握りしめた。
ガラスが冷たくて、現実みたいだった。
そして、屋敷の灯りの外へ歩き出す。
追放された夜。
人生が紙の上で消えた夜。
まだ、その先があるなんて、信じられないまま。
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