追放即死と思ったら転生して最強薬師、元家族に天罰を

タマ マコト

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第12話:名門の無力、正解が崩れる瞬間

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 王都に入った瞬間、空気が“病”だった。
 咳の粒が霧みたいに漂い、汗の酸っぱさと吐瀉物の甘さが、石畳の隙間から立ち上がってくる。
 薬草を焚いても追いつかない。香りで誤魔化すには、痛みが濃すぎる。

 救護所は、教会の裏手の大広間を改装したものだった。
 白布が吊られ、簡易ベッドがぎっしり並ぶ。
 呻き声、咳、かすれた祈り。
 誰かの名前を呼ぶ声が、絶え間なく混ざり合って、天井の梁に絡みついていた。

「……ここが、戦場だ」

 ライルが低く言った。
 衛生兵だった頃の目になっている。
 慈悲じゃなく、判断の目。
 優しさじゃなく、手を動かすための冷静さ。

 エリシア――いや、今は〈エリ〉は、フードを深く被り直した。
 顔を隠すというより、心臓の音を隠したい。

 受付で書類を出す。
 協会の係が疲れ切った顔で確認し、淡々と指示を出した。

「治療師ライル、補助エリ。区画Cへ。解熱と鎮咳を中心に。ラウフェン家の供給薬がある。配布は指示に従え」

 ラウフェン。
 その音だけで、胸の奥が冷える。
 鈴が鳴る。チリン。
 冷たく、小さい音。

 区画Cに入ると、まず目に入ったのは棚だった。
 整然と並ぶ瓶。
 白いラベル。
 金文字で刻まれた家名。

〈ラウフェン家供給〉

 それが、ここでは“安心”の象徴であるはずだった。
 なのに、ベッドの上の人間は減っていない。
 増えている。
 薬があるのに、治らない。

「飲ませたのに熱が下がらない!」

「咳が止まらない、息が吸えない!」

「子どもが……子どもが……!」

 叫び声が飛ぶ。
 救護所の空気が、焦りで濁る。

 ライルはすぐに患者を診始めた。
 脈を取り、喉を見て、胸の音を聞く。
 ミラがいない分、彼の手は倍速で動く。
 それでも追いつかない。

 エリシアは棚の前に立ち、ラウフェン家の解熱薬を手に取った。
 瓶は上等で、栓もきっちりしている。
 香り――薄い。
 懐かしい薄さ。
 嫌な薄さ。

(まだ、あれを作ってる)

 感覚を鈍らせる薬の流れ。
 抑制の系統。
 人を“整える”方向の薬。

 この流行病は、整えたくらいじゃ引かない。
 身体の中で燃えるものを、別の方向へ逃がす必要がある。

 エリシアは患者の列を見た。
 顔が赤い。唇が乾いている。汗が出ない。
 匂いが言葉になる。

『燃えてる』
『乾いてる』
『詰まってる』
『息が足りない』

 七歳の頃のジョシュと同じ匂い。
 でも規模が違う。
 王都全体が熱病の鍋だ。

 そのとき、救護所の入口がざわついた。
 人が道を開ける音。
 空気が一段硬くなる音。

「当主が来た」

 誰かが囁く。
 次の瞬間、白衣の一団が入ってくる。

 真ん中に、グレゴール・ラウフェン。
 父。
 当主の椅子の男。
 十七歳の私を紙の上で消した男。

 視界が一瞬だけ白くなった。
 耳鳴りがする。
 前世の自分が、背中を丸める感覚が蘇る。
 “見つかったら終わる”という本能が、喉を締める。

 エリシアは反射的にフードを深く引いた。
 影が顔を覆う。
 息を殺す。
 胸の奥の鈴が、強く鳴った。チリン、チリン。

 グレゴールは救護所を見渡し、鼻で笑った。

「騒ぎすぎだ。薬は足りている。治らぬのは患者が弱いせいだ」

 言い切る声。
 平坦で、冷たくて、絶対だと思い込んでいる声。

 エリシアの胃がきゅっと縮んだ。
 ああ、これだ。
 この言い方。
 “結果”を相手のせいにする言い方。
 自分の体系を疑わない言い方。

 前世の自分は、そこで縮こまった。
 黙った。飲み込んだ。
 「私が悪い」と言って、消えた。

 でも今の私は違う。

(患者が弱い?)

 笑える。
 人が病気で倒れるのは弱いからじゃない。
 病気は、強い弱いを選ばない。
 それを知らない薬師が、何を救うというのか。

 エリシアは、棚の瓶を置いた。
 ラウフェンの薬を“正解”として使うのをやめた。

 ライルがエリシアをちらっと見た。
 目で聞いてくる。
 やるのか、って。

 エリシアは小さく頷いた。

 *

 救護所の裏手。
 狭い調合スペース。
 薬師協会の薬草が雑多に置かれている。
 上等なものは少ない。代用品だらけ。
 でも、匂いが言葉になるなら問題ない。

 エリシアは手袋をして、薬草を選び始めた。
 薄荷。冷やす。
 セージ。落ち着け。
 炎症を抑える草。
 そして、ほんの少し――刺激の草。排出を促す方向の毒性を持つ草。

 毒を“毒のまま”使わない。
 方向を変える。
 詰まりを動かし、汗を出させ、熱を外へ逃がす。

 ライルが湯を沸かし、器を並べる。
 彼の動きは無駄がない。
 戦場で鍛えられた動き。

「エリ、時間がない」

「分かってる」

 エリシアの声は小さい。
 フードの影で、口元だけが動く。

 煮る。
 冷ます。
 沈殿を落とす。
 濾す。
 匂いが、出来上がりを教える。

『流せ』
『出せ』
『通せ』

 薬は完成した。
 透明に近い、薄い黄金色。
 匂いは強い。
 でも“効く匂い”だ。

 ライルが最初の患者に飲ませる。
 咳で身体を折っていた若い男。
 喉が焼けるように痛むと呻いていた女。
 熱でぼんやりしていた子ども。

「……苦い……」

 男が顔をしかめる。
 でも飲み込む。
 飲み込むしかない。

 数分。
 十数分。
 救護所の時間は、残酷に早い。

 最初に変化が出たのは、若い男だった。
 彼の額に、じわっと汗が浮かんだ。
 汗が出ないのがこの病の怖さなのに、汗が出た。

「……え?」

 男が自分の額を触り、目を見開く。

「汗……出てる……?」

 次に、咳で苦しんでいた女の呼吸が少し深くなった。
 胸が上下する幅が増える。
 目の焦点が戻る。

「……息、入る……」

 その呟きが、救護所の空気を変えた。
 周囲がざわつく。
 看護の者が駆け寄る。
 「何を飲ませた?」と声が飛ぶ。

 エリシアはフードの影で、ただ手を動かし続けた。
 名前はいらない。
 視線は要らない。
 必要なのは“結果”だけ。

 患者の熱が引くたび、周囲の目が変わる。
 疑いの目が、驚きの目に。
 驚きが、期待に。
 期待が、“正義”に。

 “名門”より“結果”が正義になる瞬間。

 その瞬間を、グレゴールは見逃さなかった。

 当主の目は、結果にだけ反応する。
 誰の薬が効き、誰の薬が効かないか。
 そこだけを見る目。

「……何をした」

 グレゴールの声が飛んだ。
 救護所の空気がまた硬くなる。
 白衣の一団が、調合スペースに近づく。

 ルーカスもいた。
 兄の目が、血走っている。
 焦りが透けて見える。
 理解できないものを見る目。

「父上、これは――」

「黙れ」

 グレゴールが遮る。
 彼はエリシア――フードの影の“誰か”を見た。

「名を名乗れ」

 エリシアの喉が乾いた。
 鈴が鳴る。チリン、チリン。
 見つかる。
 でもここで引いたら、救った人たちがまた倒れる。

 エリシアは声を作った。
 少し低めに。少し掠れさせて。
 “別人”の声。

「エリです」

 短く。
 それ以上は言わない。

 グレゴールの眉が動く。

「どこの流派だ」

「流派はない」

 エリシアは答えた。
 嘘じゃない。
 このやり方は、どこにも属さない。
 属した瞬間、奪われるから。

 周囲がざわめく。
 グレゴールの顔色がわずかに悪くなる。
 “属さない”という言葉は、体系を揺らす。

「ふざけるな」

 ルーカスが噛みつくように言った。
 兄の声は苛立ちで割れている。

「流派もなく、協会の監督もなく、勝手な薬を飲ませる? それで死人が出たらどうするんだよ!」

 正論の形をした攻撃。
 懐かしい。
 前世でも何度も浴びた。

 でも今のエリシアは、縮こまらない。

「死ぬのは、今のままでも同じ」

 淡々と言った。
 感情を乗せると、足元が揺れる。
 だから事実だけを置く。

「効かない薬を飲ませ続けるのも、殺すのと同じ」

 その言葉が、救護所の空気を裂いた。
 誰もが息を止めた。
 言ってはいけないことを言った、という沈黙。
 でも言われた瞬間、みんな心のどこかで頷いてしまう沈黙。

 グレゴールが睨む。
 その目は威圧の目だ。
 当主の椅子の目。

「我らの薬が効かぬは患者が弱いせいだ」

 もう一度言う。
 言い切ることで現実をねじ伏せようとする。

 その瞬間、エリシアの背後で咳の音が響いた。
 そして、さっき薬を飲んだ女が、はっきり言った。

「違う……この子の薬は効いた……」

 “この子”と言われて、エリシアの心臓が跳ねる。
 子どもだとバレる。
 でも今それは重要じゃない。
 重要なのは、証言が“結果”だということ。

 別の患者も言う。

「熱が下がった……俺、もうダメかと思ったのに……」

「息が、楽になった……」

 声が増える。
 結果が積み上がる。
 名門の威圧が、結果の前で少しずつ薄まる。

 ルーカスが歯噛みした。
 理解できないから、憎むしかない。
 自分が信じてきた“正解”が崩れていく音を、受け止められない。

「……なんなんだよ、こいつ……」

 兄の呟きが、憎悪の形になる。

 グレゴールの視線が鋭くなる。
 獲物を見つけた目。
 管理できないものを潰す目。

 エリシアの胸の奥で鈴が鳴った。
 チリン。
 冷たい音。
 でもその音は、恐怖だけじゃない。

(来れば)

 心の奥が言う。
 見つけてほしい、という矛盾がまた顔を出す。
 この場で正体を明かす気はない。
 でも、名門が崩れる瞬間を、この目で見たい。

 エリシアはフードの影で、次の薬草を手に取った。
 匂いが言葉になる。

『流せ』
『出せ』
『通せ』

 名門の正解が崩れる瞬間。
 それは雷みたいに派手じゃない。
 救護所の片隅で、汗が一滴落ちるみたいに静かに始まる。
 でも一度始まったら、もう戻れない。

 そして、その崩壊の音を、一番近くで聞いているのは――
 かつて“出来損ない”として捨てられた少女だった。
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