12 / 20
第12話:名門の無力、正解が崩れる瞬間
しおりを挟む王都に入った瞬間、空気が“病”だった。
咳の粒が霧みたいに漂い、汗の酸っぱさと吐瀉物の甘さが、石畳の隙間から立ち上がってくる。
薬草を焚いても追いつかない。香りで誤魔化すには、痛みが濃すぎる。
救護所は、教会の裏手の大広間を改装したものだった。
白布が吊られ、簡易ベッドがぎっしり並ぶ。
呻き声、咳、かすれた祈り。
誰かの名前を呼ぶ声が、絶え間なく混ざり合って、天井の梁に絡みついていた。
「……ここが、戦場だ」
ライルが低く言った。
衛生兵だった頃の目になっている。
慈悲じゃなく、判断の目。
優しさじゃなく、手を動かすための冷静さ。
エリシア――いや、今は〈エリ〉は、フードを深く被り直した。
顔を隠すというより、心臓の音を隠したい。
受付で書類を出す。
協会の係が疲れ切った顔で確認し、淡々と指示を出した。
「治療師ライル、補助エリ。区画Cへ。解熱と鎮咳を中心に。ラウフェン家の供給薬がある。配布は指示に従え」
ラウフェン。
その音だけで、胸の奥が冷える。
鈴が鳴る。チリン。
冷たく、小さい音。
区画Cに入ると、まず目に入ったのは棚だった。
整然と並ぶ瓶。
白いラベル。
金文字で刻まれた家名。
〈ラウフェン家供給〉
それが、ここでは“安心”の象徴であるはずだった。
なのに、ベッドの上の人間は減っていない。
増えている。
薬があるのに、治らない。
「飲ませたのに熱が下がらない!」
「咳が止まらない、息が吸えない!」
「子どもが……子どもが……!」
叫び声が飛ぶ。
救護所の空気が、焦りで濁る。
ライルはすぐに患者を診始めた。
脈を取り、喉を見て、胸の音を聞く。
ミラがいない分、彼の手は倍速で動く。
それでも追いつかない。
エリシアは棚の前に立ち、ラウフェン家の解熱薬を手に取った。
瓶は上等で、栓もきっちりしている。
香り――薄い。
懐かしい薄さ。
嫌な薄さ。
(まだ、あれを作ってる)
感覚を鈍らせる薬の流れ。
抑制の系統。
人を“整える”方向の薬。
この流行病は、整えたくらいじゃ引かない。
身体の中で燃えるものを、別の方向へ逃がす必要がある。
エリシアは患者の列を見た。
顔が赤い。唇が乾いている。汗が出ない。
匂いが言葉になる。
『燃えてる』
『乾いてる』
『詰まってる』
『息が足りない』
七歳の頃のジョシュと同じ匂い。
でも規模が違う。
王都全体が熱病の鍋だ。
そのとき、救護所の入口がざわついた。
人が道を開ける音。
空気が一段硬くなる音。
「当主が来た」
誰かが囁く。
次の瞬間、白衣の一団が入ってくる。
真ん中に、グレゴール・ラウフェン。
父。
当主の椅子の男。
十七歳の私を紙の上で消した男。
視界が一瞬だけ白くなった。
耳鳴りがする。
前世の自分が、背中を丸める感覚が蘇る。
“見つかったら終わる”という本能が、喉を締める。
エリシアは反射的にフードを深く引いた。
影が顔を覆う。
息を殺す。
胸の奥の鈴が、強く鳴った。チリン、チリン。
グレゴールは救護所を見渡し、鼻で笑った。
「騒ぎすぎだ。薬は足りている。治らぬのは患者が弱いせいだ」
言い切る声。
平坦で、冷たくて、絶対だと思い込んでいる声。
エリシアの胃がきゅっと縮んだ。
ああ、これだ。
この言い方。
“結果”を相手のせいにする言い方。
自分の体系を疑わない言い方。
前世の自分は、そこで縮こまった。
黙った。飲み込んだ。
「私が悪い」と言って、消えた。
でも今の私は違う。
(患者が弱い?)
笑える。
人が病気で倒れるのは弱いからじゃない。
病気は、強い弱いを選ばない。
それを知らない薬師が、何を救うというのか。
エリシアは、棚の瓶を置いた。
ラウフェンの薬を“正解”として使うのをやめた。
ライルがエリシアをちらっと見た。
目で聞いてくる。
やるのか、って。
エリシアは小さく頷いた。
*
救護所の裏手。
狭い調合スペース。
薬師協会の薬草が雑多に置かれている。
上等なものは少ない。代用品だらけ。
でも、匂いが言葉になるなら問題ない。
エリシアは手袋をして、薬草を選び始めた。
薄荷。冷やす。
セージ。落ち着け。
炎症を抑える草。
そして、ほんの少し――刺激の草。排出を促す方向の毒性を持つ草。
毒を“毒のまま”使わない。
方向を変える。
詰まりを動かし、汗を出させ、熱を外へ逃がす。
ライルが湯を沸かし、器を並べる。
彼の動きは無駄がない。
戦場で鍛えられた動き。
「エリ、時間がない」
「分かってる」
エリシアの声は小さい。
フードの影で、口元だけが動く。
煮る。
冷ます。
沈殿を落とす。
濾す。
匂いが、出来上がりを教える。
『流せ』
『出せ』
『通せ』
薬は完成した。
透明に近い、薄い黄金色。
匂いは強い。
でも“効く匂い”だ。
ライルが最初の患者に飲ませる。
咳で身体を折っていた若い男。
喉が焼けるように痛むと呻いていた女。
熱でぼんやりしていた子ども。
「……苦い……」
男が顔をしかめる。
でも飲み込む。
飲み込むしかない。
数分。
十数分。
救護所の時間は、残酷に早い。
最初に変化が出たのは、若い男だった。
彼の額に、じわっと汗が浮かんだ。
汗が出ないのがこの病の怖さなのに、汗が出た。
「……え?」
男が自分の額を触り、目を見開く。
「汗……出てる……?」
次に、咳で苦しんでいた女の呼吸が少し深くなった。
胸が上下する幅が増える。
目の焦点が戻る。
「……息、入る……」
その呟きが、救護所の空気を変えた。
周囲がざわつく。
看護の者が駆け寄る。
「何を飲ませた?」と声が飛ぶ。
エリシアはフードの影で、ただ手を動かし続けた。
名前はいらない。
視線は要らない。
必要なのは“結果”だけ。
患者の熱が引くたび、周囲の目が変わる。
疑いの目が、驚きの目に。
驚きが、期待に。
期待が、“正義”に。
“名門”より“結果”が正義になる瞬間。
その瞬間を、グレゴールは見逃さなかった。
当主の目は、結果にだけ反応する。
誰の薬が効き、誰の薬が効かないか。
そこだけを見る目。
「……何をした」
グレゴールの声が飛んだ。
救護所の空気がまた硬くなる。
白衣の一団が、調合スペースに近づく。
ルーカスもいた。
兄の目が、血走っている。
焦りが透けて見える。
理解できないものを見る目。
「父上、これは――」
「黙れ」
グレゴールが遮る。
彼はエリシア――フードの影の“誰か”を見た。
「名を名乗れ」
エリシアの喉が乾いた。
鈴が鳴る。チリン、チリン。
見つかる。
でもここで引いたら、救った人たちがまた倒れる。
エリシアは声を作った。
少し低めに。少し掠れさせて。
“別人”の声。
「エリです」
短く。
それ以上は言わない。
グレゴールの眉が動く。
「どこの流派だ」
「流派はない」
エリシアは答えた。
嘘じゃない。
このやり方は、どこにも属さない。
属した瞬間、奪われるから。
周囲がざわめく。
グレゴールの顔色がわずかに悪くなる。
“属さない”という言葉は、体系を揺らす。
「ふざけるな」
ルーカスが噛みつくように言った。
兄の声は苛立ちで割れている。
「流派もなく、協会の監督もなく、勝手な薬を飲ませる? それで死人が出たらどうするんだよ!」
正論の形をした攻撃。
懐かしい。
前世でも何度も浴びた。
でも今のエリシアは、縮こまらない。
「死ぬのは、今のままでも同じ」
淡々と言った。
感情を乗せると、足元が揺れる。
だから事実だけを置く。
「効かない薬を飲ませ続けるのも、殺すのと同じ」
その言葉が、救護所の空気を裂いた。
誰もが息を止めた。
言ってはいけないことを言った、という沈黙。
でも言われた瞬間、みんな心のどこかで頷いてしまう沈黙。
グレゴールが睨む。
その目は威圧の目だ。
当主の椅子の目。
「我らの薬が効かぬは患者が弱いせいだ」
もう一度言う。
言い切ることで現実をねじ伏せようとする。
その瞬間、エリシアの背後で咳の音が響いた。
そして、さっき薬を飲んだ女が、はっきり言った。
「違う……この子の薬は効いた……」
“この子”と言われて、エリシアの心臓が跳ねる。
子どもだとバレる。
でも今それは重要じゃない。
重要なのは、証言が“結果”だということ。
別の患者も言う。
「熱が下がった……俺、もうダメかと思ったのに……」
「息が、楽になった……」
声が増える。
結果が積み上がる。
名門の威圧が、結果の前で少しずつ薄まる。
ルーカスが歯噛みした。
理解できないから、憎むしかない。
自分が信じてきた“正解”が崩れていく音を、受け止められない。
「……なんなんだよ、こいつ……」
兄の呟きが、憎悪の形になる。
グレゴールの視線が鋭くなる。
獲物を見つけた目。
管理できないものを潰す目。
エリシアの胸の奥で鈴が鳴った。
チリン。
冷たい音。
でもその音は、恐怖だけじゃない。
(来れば)
心の奥が言う。
見つけてほしい、という矛盾がまた顔を出す。
この場で正体を明かす気はない。
でも、名門が崩れる瞬間を、この目で見たい。
エリシアはフードの影で、次の薬草を手に取った。
匂いが言葉になる。
『流せ』
『出せ』
『通せ』
名門の正解が崩れる瞬間。
それは雷みたいに派手じゃない。
救護所の片隅で、汗が一滴落ちるみたいに静かに始まる。
でも一度始まったら、もう戻れない。
そして、その崩壊の音を、一番近くで聞いているのは――
かつて“出来損ない”として捨てられた少女だった。
37
あなたにおすすめの小説
奪われ系令嬢になるのはごめんなので逃げて幸せになるぞ!
よもぎ
ファンタジー
とある伯爵家の令嬢アリサは転生者である。薄々察していたヤバい未来が現実になる前に逃げおおせ、好き勝手生きる決意をキメていた彼女は家を追放されても想定通りという顔で旅立つのだった。
辺境に追放されたガリガリ令嬢ですが、助けた男が第三王子だったので人生逆転しました。~実家は危機ですが、助ける義理もありません~
香木陽灯
恋愛
「そんなに気に食わないなら、お前がこの家を出ていけ!」
実の父と義妹に虐げられ、着の身着のままで辺境のボロ家に追放された伯爵令嬢カタリーナ。食べるものもなく、泥水のようなスープですすり、ガリガリに痩せ細った彼女が庭で拾ったのは、金色の瞳を持つ美しい男・ギルだった。
「……見知らぬ人間を招き入れるなんて、馬鹿なのか?」
「一人で食べるのは味気ないわ。手当てのお礼に一緒に食べてくれると嬉しいんだけど」
二人の奇妙な共同生活が始まる。ギルが獲ってくる肉を食べ、共に笑い、カタリーナは本来の瑞々しい美しさを取り戻していく。しかしカタリーナは知らなかった。彼が王位継承争いから身を隠していた最強の第三王子であることを――。
※ふんわり設定です。
※他サイトにも掲載中です。
妹が聖女の再来と呼ばれているようです
田尾風香
ファンタジー
ダンジョンのある辺境の地で回復術士として働いていたけど、父に呼び戻されてモンテリーノ学校に入学した。そこには、私の婚約者であるファルター殿下と、腹違いの妹であるピーアがいたんだけど。
「マレン・メクレンブルク! 貴様とは婚約破棄する!」
どうやらファルター殿下は、"低能"と呼ばれている私じゃなく、"聖女の再来"とまで呼ばれるくらいに成績の良い妹と婚約したいらしい。
それは別に構わない。国王陛下の裁定で無事に婚約破棄が成った直後、私に婚約を申し込んできたのは、辺境の地で一緒だったハインリヒ様だった。
戸惑う日々を送る私を余所に、事件が起こる。――学校に、ダンジョンが出現したのだった。
更新は不定期です。
転生幼女は追放先で総愛され生活を満喫中。前世で私を虐げていた姉が異世界から召喚されたので、聖女見習いは不要のようです。
桜城恋詠
ファンタジー
聖女見習いのロルティ(6)は、五月雨瑠衣としての前世の記憶を思い出す。
異世界から召喚された聖女が、自身を虐げてきた前世の姉だと気づいたからだ。
彼女は神官に聖女は2人もいらないと教会から追放。
迷いの森に捨てられるが――そこで重傷のアンゴラウサギと生き別れた実父に出会う。
「絶対、誰にも渡さない」
「君を深く愛している」
「あなたは私の、最愛の娘よ」
公爵家の娘になった幼子は腹違いの兄と血の繋がった父と母、2匹のもふもふにたくさんの愛を注がれて暮らす。
そんな中、養父や前世の姉から命を奪われそうになって……?
命乞いをしたって、もう遅い。
あなたたちは絶対に、許さないんだから!
☆ ☆ ☆
★ベリーズカフェ(別タイトル)・小説家になろう(同タイトル)掲載した作品を加筆修正したものになります。
こちらはトゥルーエンドとなり、内容が異なります。
※9/28 誤字修正
悪霊令嬢~死した聖女憎悪に染まりて呪いを成す~
女譜香あいす
ファンタジー
数え切れない人々をその身に宿す奇跡の力で救ってきた少女、サヤ・パメラ・カグラバ。
聖女と称えられた彼女であったが陰謀の末に愛した者から婚約破棄を言い渡され、友人達からも裏切られ、最後には命を奪われてしまう。
だがそのとき感じた怒りと悲しみ、そして絶望によって彼女の心は黒く歪み、果てにサヤは悪霊として蘇った。
そして、そんな彼女と世を憎みながらもただ生きる事しかできていなかった一人の少女が巡り合う事で、世界に呪いが拡がり始める事となる。
これは誰よりも清らかだった乙女が、憎悪の化身となりすべての人間に復讐を果たす物語。
※この作品は小説家になろうにも掲載しています。
婚約者を奪った妹と縁を切り、辺境領を継いだら勇者一行がついてきました
藤原遊
ファンタジー
婚約発表の場で、妹に婚約者を奪われた。
家族にも教会にも見放され、聖女である私・エリシアは “不要” と切り捨てられる。
その“褒賞”として押しつけられたのは――
魔物と瘴気に覆われた、滅びかけの辺境領だった。
けれど私は、絶望しなかった。
むしろ、生まれて初めて「自由」になれたのだ。
そして、予想外の出来事が起きる。
――かつて共に魔王を倒した“勇者一行”が、次々と押しかけてきた。
「君をひとりで行かせるわけがない」
そう言って微笑む勇者レオン。
村を守るため剣を抜く騎士。
魔導具を抱えて駆けつける天才魔法使い。
物陰から見守る斥候は、相変わらず不器用で優しい。
彼らと力を合わせ、私は土地を浄化し、村を癒し、辺境の地に息を吹き返す。
気づけば、魔物巣窟は制圧され、泉は澄み渡り、鉱山もダンジョンも豊かに開き――
いつの間にか領地は、“どの国よりも最強の地”になっていた。
もう、誰にも振り回されない。
ここが私の新しい居場所。
そして、隣には――かつての仲間たちがいる。
捨てられた聖女が、仲間と共に辺境を立て直す。
これは、そんな私の第二の人生の物語。
婚約破棄されたので四大精霊と国を出ます
今川幸乃
ファンタジー
公爵令嬢である私シルア・アリュシオンはアドラント王国第一王子クリストフと政略婚約していたが、私だけが精霊と会話をすることが出来るのを、あろうことか悪魔と話しているという言いがかりをつけられて婚約破棄される。
しかもクリストフはアイリスという女にデレデレしている。
王宮を追い出された私だったが、地水火風を司る四大精霊も私についてきてくれたので、精霊の力を借りた私は強力な魔法を使えるようになった。
そして隣国マナライト王国の王子アルツリヒトの招待を受けた。
一方、精霊の加護を失った王国には次々と災厄が訪れるのだった。
※「小説家になろう」「カクヨム」から転載
※3/8~ 改稿中
地味な薬草師だった俺が、実は村の生命線でした
有賀冬馬
ファンタジー
恋人に裏切られ、村を追い出された青年エド。彼の地味な仕事は誰にも評価されず、ただの「役立たず」として切り捨てられた。だが、それは間違いだった。旅の魔術師エリーゼと出会った彼は、自分の能力が秘めていた真の価値を知る。魔術と薬草を組み合わせた彼の秘薬は、やがて王国を救うほどの力となり、エドは英雄として名を馳せていく。そして、彼が去った村は、彼がいた頃には気づかなかった「地味な薬」の恩恵を失い、静かに破滅へと向かっていくのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる