追放即死と思ったら転生して最強薬師、元家族に天罰を

タマ マコト

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第16話:父の失墜、権威が空になる


 流行病の終わりは、拍子抜けするほど静かだった。
 雷が落ちて「終わりだ」と告げるわけじゃない。
 ただ、救護所の咳の密度が薄くなり、熱の匂いが一段ずつ軽くなり、死人の数が“増えなくなる”だけ。

 王都の朝が、少しだけ澄んでいく。
 空気に混じっていた酸っぱい汗と吐瀉物の甘さが、石畳から抜けていく。
 人々が外を歩くとき、背中が少しだけ伸びる。
 それを誰も「終息だ」とは言わない。
 でも、身体は知っている。
 危険が引いた、と。

 そして世の中は、いつだって残酷なほど単純だ。

 苦しかった記憶は薄れ、
 死んだ人の名前は数の中に溶け、
 残るのは――

 “効いた薬”だけ。

「救護所で効いた薬、どれだった?」

「あの……フードの子だよ。名前は……エリ? だったっけ」

「ラウフェン家の薬は……効かなかったって聞いた」

 噂は、終息した後の街を軽く飛ぶ。
 病のときの噂は湿って重いのに、終息の噂は乾いて鋭い。
 勝ち負けだけを切り取って、遠くまで運ぶ。

 ラウフェン家の名は、まだ王都の看板に残っている。
 でも看板の文字は、紙みたいに薄くなっていた。
 誰かが指先で擦れば、消えてしまいそうな薄さ。

 そして、契約は切れるときほど音がしない。

 薬師協会の会議室。
 長机。白い書類。乾いた封蝋。
 空気は整っているのに、緊張が刃みたいに見えないところで光っている。

「ラウフェン家との供給契約を――解除する」

 協会長の声は低く、淡々としていた。
 淡々としているから、逃げ道がない。

 グレゴール・ラウフェンは椅子に座ったまま、指先ひとつ動かさなかった。
 白髪の混じった眉が、ほんのわずかに跳ねた。
 それだけ。
 怒鳴り返すことも、机を叩くことも、今はできない。

「……理由は」

 やっと出た声は、威厳を装っている。
 でも少し掠れていた。
 喉が乾いた声。
 王都の冬の乾燥じゃない。
 権威が抜ける乾きだ。

 協会長が書類を一枚前に滑らせた。

「治療成績の比較、救護所の報告、死亡率の推移、供給薬の成分再検査。総合して判断した。ラウフェン家の供給薬は流行病に対して有効性が低かった」

「……低かった、だと?」

 ルーカスが隣で声を荒げた。
 彼はまだ“怒り”で現実を押し返せると思っている。
 怒れば優位になれる世界に、長く住みすぎた。

 協会の監督官が疲れた目でルーカスを見る。

「有効性が低い薬を配布し続けた結果、救えた命が救えなかった可能性がある。責任は重い」

 責任。
 その言葉が落ちた瞬間、ルーカスの顔色が変わった。
 責任は、名門の鎧を内側から腐らせる。

「……我々は全力で――」

「全力かどうかは関係ない」

 協会長は容赦なく遮った。

「結果がすべてだ。名門であろうと、効かなければ切る」

 “結果がすべて”。
 グレゴールが常に使い続けた言葉が、他人の口から返ってくる。
 しかも今度は、刃として。

 グレゴールの口元がわずかに歪んだ。
 初めて、目が揺れた。
 自分の言葉で、首を絞められる感覚。

「……契約を切れば、王都の供給はどうなる」

「代替供給先は確保した」

 協会長はもう決めている声で言った。

「救護所で実績を上げた調合を基盤に、協会が処方を標準化する。地方の治療師にも共有済みだ」

 標準化。共有。
 言い換えれば、エリシア――“エリ”の薬が、王都の“正解”になるということだ。

 グレゴールは、理解したくないのに理解してしまう。
 世界が、管理の外へ出ていく。
 自分が握っていたはずの舵が、他人の手に移っていく。

 ルーカスが唇を噛み、焦りで声を震わせた。

「誰だよ……その調合を出した奴は……!」

 協会の監督官が短く答える。

「名は〈エリ〉と名乗った。フードで顔は見えなかった。ただ、結果は見えた」

 結果は見えた。
 その言葉が、グレゴールの胸を打った。
 顔が見えなくても、結果が世界を動かす。
 家名がなくても、才能が世界を変える。

 彼が信じたのは“管理できる力”だった。
 教本通りの配合。
 家が握る流通。
 契約。
 協会。
 当主の椅子。
 それらを操ることで、世界は管理できると信じていた。

 でも今、管理できない才能が世界を動かしている。

 会議は終わった。
 終わりは、拍子抜けするほど簡単だ。
 封蝋の押された紙が渡され、署名が求められ、事務的に処理される。
 十七年の人生を紙で消した男は、今、紙で家を削られる。

 *

 ラウフェン家の屋敷に戻ると、空気が古かった。
 大理石の床は光っている。
 壁の肖像画も、家紋の彫刻も、何も変わっていない。

 それなのに、何かが抜け落ちた感じがする。
 屋敷そのものが、空洞の貝殻みたいだ。
 中身だけが、どこかへ流れてしまった。

 当主の間。
 グレゴールは、当主の椅子に座った。
 いつも通り。
 この椅子に座れば、自分が家そのものになる。
 そう信じていた。

 でも今日は、椅子がただの椅子に見えた。
 重厚な木。
 家紋の彫刻。
 それだけ。
 威厳の匂いが、しない。

 椅子だけが残り、権威が消えていく。
 その感覚が、じわじわと肺を潰してくる。
 息を吸うたびに、吸った空気が軽すぎて、足元が浮く。

「……家名が……」

 呟きは、威厳じゃなかった。
 老いの震えだった。
 声が震えるのを止めようとして、さらに震える。

 ルーカスが机の前に立ち、拳を握りしめている。

「父上、まだ手はあります。協会が切ったなら、貴族の伝手で――」

「黙れ」

 グレゴールは怒鳴った。
 怒鳴った声に力がない。
 怒鳴りが、空振りする。

「……伝手でどうにかなるなら、契約など切られぬ」

 冷静に言ったつもりでも、言葉の端が崩れる。
 現実が強すぎる。

 リーナが扉の近くで立ち尽くしていた。
 以前なら泣いて飛び込んできただろう。
 でも今は泣けない。
 泣いても効かない世界を知ったから。
 彼女は唇を噛み、視線を床に落としている。

 そして、母――セラフィーナは寝室に伏せている。
 感覚過敏はまだ続き、光も音も匂いも刃のまま。
 鎮静で眠らせても、醒めたら地獄が戻る。

 誰も救えない。
 名門の中に、救いがない。

 グレゴールの目の前の書類の端に、協会からの通知がある。
 供給契約解除。
 調合の再評価。
 責任の調査。
 処分の検討。

 文字が、紙の上で踊っている。
 踊っているのはインクじゃない。
 グレゴールの視界が揺れている。

(なぜだ)

 心の中で叫ぶ。
 でも答えは簡単だ。
 効かなかったから。
 それだけ。

 それだけなのに、彼の人生は“それだけ”で崩れる。

 エリシアの薬が普及するほど、グレゴールの世界は痩せ細る。
 市場に出回る標準処方。
 救護所で共有された手順。
 協会が配る新しい指針。
 人々の口に上るのは〈エリの薬〉。
 ラウフェンの名は、記憶の棚から静かに落ちていく。

 グレゴールは椅子に座ったまま、手を見つめた。
 その手は、紙に署名する手だ。
 命令する手だ。
 捨てる手だ。
 殺す手だ。
 でも今、その手は何も掴めない。

 管理できる力だけを信じた男は、管理できない才能の前で何も持たない。

 グレゴールは、ゆっくりと息を吐いた。
 吐いた息が、やけに白く見える気がした。
 それは冬のせいじゃない。
 彼の中身が、空になっていくせいだ。

「……椅子は、残るのにな」

 誰に言うでもなく呟く。
 椅子は残る。
 でも椅子に座る意味が、もうない。

 そのとき、扉の外から遠くの鐘の音が聞こえた。
 王都の教会の鐘。
 流行病の終息を告げる鐘ではない。
 ただの日課の鐘。

 世界は、淡々と進む。
 名門が崩れても、鐘は鳴る。
 季節は巡る。
 人はパンを買い、道を歩き、笑う。

 グレゴールは、その“淡々”に呑まれていく。
 威圧も、家名も、契約も、怒号も届かない淡々。

 権威が空になる瞬間は、爆発ではない。
 静かな空洞化だ。

 当主の椅子に座ったまま、
 当主だけが、世界から取り残されていく。
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