追放即死と思ったら転生して最強薬師、元家族に天罰を

タマ マコト

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第18話:妹の崩壊、守られなかった真実

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 救護所の夜が薄くなるころ、王都の空は灰色から白に変わる。
 終息したとはいえ、街の空気はまだ乾いていて、咳の名残が石畳の目地に残っている。
 人は「助かった」と言いながら、同時に「誰のせいだった」と言い始める。

 責める矛先が必要な夜明け。
 勝者の噂が膨らむ夜明け。
 そして、負けた者が骨だけになる夜明け。

 ラウフェン家は、負けた。
 それはもう、言い訳の余地がない負けだった。
 契約が切られ、名は擦り切れ、誇りは軽くなる。
 軽くなりすぎて、もう誰の心も守れない。

 リーナは、その“守られない”の中心に放り出された。

 父は母の寝室と協会への書状に追われ、娘の顔を見ない。
 兄は薬室で苛立ちを煮詰め、妹の言葉を聞かない。
 聞く必要がないからだ。
 妹は――役割を果たす道具だった。

 「泣いて同情を引け」
 それだけが、リーナの価値だった。

 でも救護所では涙が効かなかった。
 社交界でも、今は効かない。
 名門の“可憐さ”は、失墜の灰にまみれて薄汚れる。
 みんな笑顔で距離を取る。
 あんなに優しかったはずの目が、紙みたいに乾いている。

 リーナは屋敷の廊下で父に呼び止められた。

「リーナ」

 声は低く、忙しい。
 父は娘を見ていない。
 書類の束を見ている。
 家名の骨を拾い集めるみたいに。

「……はい、お父さま」

 リーナは背筋を伸ばし、いつもの笑顔を作ろうとした。
 でも笑顔が筋肉の上で滑って、形にならない。

 グレゴールは言った。

「次の集まりで泣け」

「……え?」

「泣いて同情を引け。『母が倒れた』『家は狙われている』って言えばいい。女の涙はまだ効く」

 まだ効く。
 まだ――。
 その言い方が、リーナの胸をひゅっと冷やした。
 父の中で、娘は“涙の器具”でしかない。
 人格じゃない。命じゃない。
 道具。

「お父さま……私……」

 声が震えた。
 泣けば効く、と言われても、もう泣き方が分からない。
 泣き方は知っているはずなのに、“泣く目的”が崩れたから。

 父は苛立ったように眉を寄せた。

「何だ。できないのか」

 その一言で、リーナの足元が崩れた。
 できないなら要らない、という意味に聞こえたから。

 リーナは喉を鳴らした。

「……私も、怖いの……」

「怖い? 今さら?」

 父は笑った。
 笑いは温かくない。
 小さく鼻で笑うだけ。
 生き物を踏む直前の声に似ていた。

「怖いなら黙って従え。家のために」

 家のため。
 その言葉が、刃のように薄い。
 薄いのに、よく切れる。

 リーナは何も言えなくなった。
 父は書類を抱えたまま、去っていく。
 背中は大きいのに、そこには何もくっつけない。
 娘の存在すら。

 その後、薬室で兄にも同じように捨てられた。

 ルーカスは机に向かって、何度も同じ調合を試していた。
 割れた瓶の匂いが部屋に残る。
 焦りと嫉妬の匂いが、薬草より強い。

「兄さま……」

 リーナが呼ぶと、ルーカスは振り返りもしない。

「何」

「……私、もう、どうしたら……」

「役に立て」

 返事がそれだけだった。
 父と同じ言葉。
 同じ温度。
 同じ刃。

「泣けないなら、探れ。あいつの正体を暴け。お前はそういう係だろ」

 係。
 役割。
 道具。
 リーナはその言葉を聞いた瞬間、胃の奥がひっくり返りそうになった。

「私……係じゃない……」

「じゃあ何だよ」

 ルーカスが初めて振り返った。
 目が赤い。
 怒りで赤いんじゃない。
 敗北で赤い。

「お前、何ができる? 泣けない、笑えない、使えない。じゃあ、何のためにいるんだよ」

 その問いは、答えのない問いだ。
 答えを求めていない。
 刺したいだけの問い。

 リーナの呼吸が浅くなる。
 肺が小さくなる。
 胸が締め上げられる。

 “守られていた”と思っていた。
 愛玩子として、可愛いと言われて、飾られて。
 それは守られていることだと信じていた。

 でも違う。
 檻に入れられていただけ。
 檻の中の鳥は、餌をもらえる。
 でもそれは愛じゃない。
 飼育だ。

 リーナはその夜、屋敷を抜け出した。

 逃げた。
 でも逃げ先は、どこにもない。
 街はまだ病の名残で冷たい。
 人々の目は勝者の噂で忙しくて、名門の娘を見ても助けようとはしない。

 足が勝手に向かったのは、救護所だった。

 そこには、唯一“涙が効かない世界”がある。
 そして、唯一“結果”だけで立っている影がある。

 フードの影。
 〈エリ〉。

 リーナは、布の間の通路を抜け、区画Cへ向かった。
 胸が痛い。
 息が浅い。
 でも止まれない。
 止まったら、自分の中の罪が追いついて噛みつく。

 区画Cの片隅。
 薬を片づけていた影が、ふっと動きを止めた。
 リーナが近づいた気配を察したのだろう。
 匂いで、音で、体温で。

 リーナは、その影の前に立った。
 距離は一歩。
 怖い。
 でも逃げない。
 今日は、泣かない。

「……エリ、さん」

 声が震えた。
 震えたけど、涙は出なかった。
 涙を出すと、この場でもう一度“道具”に戻ってしまう気がしたから。

 影は、静かにこちらを見る。
 フードの奥は暗い。
 顔は見えない。
 でも、見られている感覚だけが鋭い。

 リーナは息を吸って、言った。
 初めて、泣かずに。

「私、怖かったの」

 言葉が喉の奥から出てきた瞬間、身体が軽く震えた。
 怖かった。
 それは本当だ。
 でも同時に、それは言い訳でもある。
 言い訳にすがらないと、自分が壊れるから。

「家に逆らったら……私まで捨てられるって」

 声が掠れる。
 肺が痛い。
 罪悪感が胸を締め上げて、呼吸が浅くなる。
 追放の日。
 パン。
 手渡した温度。
 父が調合した液体。
 兄が見届けた頷き。
 母の伏せた目。

(私、何をしたの)

 それが今さら、身体の中で爆ぜる。
 涙ではなく、息として漏れる。

「だから……私は、笑って、泣いて……お姉さまに味方って言って……」

 言葉が途切れた。
 喉が詰まった。
 でも泣かない。
 泣いたら、また逃げになる。

 影が、ほんの少し首を傾けた。
 その動きが、驚くほど淡い。
 怒りも、嘲りも、慰めもない。

 リーナはその淡さが怖かった。
 怒鳴られた方が楽だ。
 殴られた方が分かりやすい。
 でも淡いと、自分の罪がそのまま自分に返ってくる。

 影――エリシアは、静かに言った。

「そう。あなたはそうやって、生きたかったんだね」

 優しくも厳しくもない。
 赦しでもない。
 理解でもない。
 ただ、事実の確認みたいな言葉。

 リーナの胸が、ぐしゃっと潰れた。

 生きたかった。
 そう言われると、選んだのは自分だと認めさせられる。
 恐怖に脅されていたとしても、手を差し出したのは自分だ。
 言葉を吐いたのは自分だ。
 笑ったのは自分だ。

「違う……私は……」

 リーナは否定しようとした。
 でも否定できない。
 否定した瞬間、また“誰かのせい”に逃げてしまう。

 影はそれ以上何も言わなかった。
 沈黙が落ちる。
 沈黙は救護所の咳より重い。

 リーナは、突然分かった。

 自分は一度も“主体”だったことがない。
 泣くのも、笑うのも、選んだつもりで選ばされていた。
 欲しかったのは愛じゃなく、捨てられない保証だった。
 守られていると信じたのは、檻の中の安全だった。

 でも檻は、守るためじゃない。
 逃がさないためにある。

 リーナは膝が笑った。
 立っていられない。
 でも倒れたら、また誰かに拾われて“役割”に戻る気がして、必死に踏ん張った。

「……私、どうしたらいいの……」

 声が、ほとんど息になる。
 救護所の空気に溶けて消えそうな声。

 影は答えない。
 答えを与えない。
 それがまた、残酷だった。

 答えを与えられないということは、
 ここから先は自分で選べということだ。
 主体になれということだ。

 リーナは目を閉じた。
 閉じたまぶたの裏が、追放の日の灯りで赤くなる。
 自分の手の温度が蘇る。
 パンの包みの感触が蘇る。

 そして彼女は理解する。

 守られなかった真実は、外にあったんじゃない。
 自分の中に最初からあった。
 ずっと見ないふりをしていただけ。

 リーナは、泣かなかった。
 泣けなかったのではない。
 泣くことで逃げるのを、初めて自分で拒んだ。

 その代わり、呼吸が震えた。
 震える息で、彼女は立っていた。
 檻が壊れた音を、胸の内側で聞きながら。
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