異世界に転生したら人生再スタート、追放された令嬢は恋と復讐で輝きます

タマ マコト

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第17話 拉致の手と、澄んだ呼吸

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 王都へ向かう道は、長い。

 距離の長さじゃない。
 “戻る”という意味の長さだ。

 私は馬車の揺れの中で、窓の外を見ていた。
 冬の森は骨みたいに白い。
 枝が空を引っ掻いて、雲を薄く裂く。
 道端の霜が光り、踏まれて砕け、また凍る。

 私たちの馬車は速くない。
 速さよりも確実さを選んだ。
 証拠の写しを分散して持ち、護衛を厚くし、道を何本も用意しているから。

 “握りつぶせない形”。
 それを現実にするには、時間と手間がいる。
 そして——敵はその時間を奪いに来る。

 隣でアドミラが書類の束を抱え直した。
 紙が擦れる音が、妙に落ち着く。

「お嬢様、喉、乾いていませんか」

「大丈夫。……ありがと」

 私は水筒を受け取らず、手だけ温めるように握った。
 温かい。
 温かさがあると、怖さが少しだけ薄くなる。

 馬車の前方、外の空気にはヴァルクがいる。
 騎乗。
 隊列の先頭。
 灰色のマントが風に揺れて、剣の鞘が太腿に当たる音が、遠くで小さく鳴る。

 その音が、今の私には救命ロープみたいだった。

 後方にはオルフェオ。
 彼は馬に乗る姿すら、どこか静かだ。
 世界を測る薄紫の瞳が、森の影を舐めるように巡っている。

 私は心の中で言った。

 ——来るなら、来い。

 怖い。
 でも、怖さを握りしめたまま進む。
 黙って耐えると物語が固定される。
 だから私は、動いて運ぶ。

 真実を。



 襲撃は、呼吸みたいに自然に起きた。

 異変は最初、音だった。
 馬の蹄が、ひとつ増えた気がした。

 増えたのに、増えていない。
 森の反響が、音を増やしているだけ——そう思いかけた瞬間。

 前方で、ヴァルクの馬が止まる。
 彼の腕が上がる。
 合図。

 隊列が一斉に減速する。
 空気がピンと張る。

「……来る」

 ヴァルクの声が、風の中で硬い。

 私は馬車の中で息を止めかけて、止めなかった。
 止めない。
 止めると、肩が上がって、思考が鈍る。

 次の瞬間——道の脇の雪が弾けた。

 黒い影が飛び出す。
 数は——十。いや、もっと。
 顔は布で隠している。
 剣もある。
 でも、矢はない。

 ——暗殺じゃない。

 私の背中がぞくりと冷える。
 矢がないなら狙いは“殺す”じゃない。
 近づく必要がある。
 触れる必要がある。

 拉致。

 物語を止めるための暴力。
 口を塞げば、真実は届かない。
 私を消せば、王都の紙の世界はまた静かに回る。

 馬車の扉が外から叩かれた。

 ドン、ドン!

 鍵が揺れる。
 木が軋む。
 アドミラが私の前に立つ。

「お嬢様、下がって!」

「アドミラ——」

 言い終える前に、扉が裂けた。

 刃が木を割る。
 冷たい風が一気に流れ込む。
 黒い手が伸びる。

 手袋の革が濡れて、雪の匂いが混じっている。
 その手が、私の腕を掴む。

 瞬間、身体が反射で固まった。
 前世の、夜道の恐怖。
 背後に人がいる気配。
 それが現実として腕に食い込む。

 口を塞がれそうになる。

 ——だめ。

 息が詰まる。
 喉が震える。
 でも、声を出す暇がない。

 次の瞬間、外で金属が鳴った。

 シャッ——

 剣が鞘から抜ける音。
 雨の夜と同じ音。
 私の身体が、その音に反応する。

 安心、じゃない。
 期待、でもない。

 ——現実が動く音。

 ヴァルクの剣は、音より速かった。

 馬車の扉を裂いた刃ごと、襲撃者の腕が落ちる。
 血が雪に飛び、赤が白を汚す。

 悲鳴が上がる。
 でもすぐに、悲鳴が途中で切れる。

 ヴァルクが踏み込む。
 一歩が短いのに、距離が消える。
 剣が水平に走り、襲撃者の膝が崩れる。

 冷たい。
 動きが冷たい。
 表情も冷たい。
 でも、守る意志は熱い。

 熱があるから、迷いがない。
 迷いがないから、怖いほど正確だ。

「触るな」

 ヴァルクの声が低く落ちる。
 その声は怒りじゃない。
 命令。
 境界線の宣言。

 馬車の外で、護衛たちも動く。
 剣が交わる音。
 雪が蹴られる音。
 呻き声。

 私は馬車の中で、アドミラの背中越しにその戦いを見ていた。
 怖い。
 本当に怖い。

 血の匂いが、風に乗って入ってくる。
 鉄の匂い。
 鼻の奥がつんとする。
 胃が反射で縮む。

 手が震える。
 心臓が速い。
 息が浅くなる。

 ——でも。

 私は気づく。

 自分は“守られている”。
 守られているのに、依存していない。

 怖い。
 怖いのに、私は立っている。
 アドミラの肩に手を置き、自分の足で踏ん張っている。

 “助けて”って叫ばなくてもいい。
 “全部任せる”って溺れなくてもいい。

 私は私の中で、呼吸を整えることができる。

 吸って。
 吐いて。
 吸って。
 吐いて。

 肩が上がりそうになっても、落とせる。
 自分で。

 ——これが、卒業だ。

 認められないと死ぬ、からの卒業。
 守られていないと立てない、からの卒業。

 私は恐怖に震えながら、でも自分の芯を握っている。



 戦いは短かった。

 短いのに、濃い。
 雪の白が赤に染まり、赤がすぐに冷えて暗くなる。

 最後の襲撃者が地面に倒れる。
 彼は死んでいない。
 ヴァルクの剣は急所を避けている。
 殺さないと決めたから。

 ヴァルクが剣先を下げる。
 血が刃から落ちて、雪に吸われる。

 その時、オルフェオが馬から降りて、倒れた刺客を見下ろした。
 薄紫の瞳が、感情のない光で刺客を測る。

「王都は焦っている」

 淡々とした声。
 でもその一言が、状況をすべて説明する。

 焦っている。
 だから殺せない。
 殺せば殉教者ができる。
 殺せば真実が“悲劇”になって広がる。

 だから拉致。
 口を塞ぎ、物語を止める。
 それが一番安上がりで、確実なはずだった。

 ——はずだった。

 私は馬車を降りた。
 足が少し震える。
 雪が靴の下でぎゅっと鳴る。

 ヴァルクがすぐにこちらを向く。

「怪我は」

「……ない」

 声が少し震える。
 でも言える。
 震えても、言える。

 私は息を整え、オルフェオを見る。
 血の匂いの中で、空気が異様に澄んでいる。

 私はふっと笑った。
 怖いのに、笑える。

「焦らせたなら、もう半分勝ち」

 自分でも驚くほど、声が澄んでいた。
 血の匂いの中で、喉が澄むなんておかしいのに。

 でも、それが現実だった。

 恐怖は消えない。
 心臓はまだ速い。
 手もまだ震えている。

 それでも私は、崩れていない。

 ヴァルクの瞳が、ほんの一瞬だけ揺れた。
 驚きの揺れ。
 誇りの揺れ。
 そして、守りたいものを見つけ直した揺れ。

 彼は剣を鞘に戻す。
 カチリ、と乾いた音。

「……行くぞ」

 短い声。
 でも、その短さが確かだ。

 オルフェオが倒れた刺客の顎を持ち上げ、淡々と続ける。

「彼らは物語を止めたい。
 止めたいということは、止められると思っているということだ」

「止められないよ」

 私は言った。
 胸の奥の黒い芽が、もう茎じゃなく幹になっている気がする。

「真実は、運ぶ」

 アドミラが私の隣で、震える息を吐いた。

「……お嬢様、強い」

「強くない」

 私は首を振った。

「怖い。めちゃくちゃ怖い。
 でも、怖いまま立てるようになっただけ」

 その言葉は、自分への確認だった。
 生きてる確認。

 私たちは隊列を整え、再び進み出す。
 雪の上の血が、ゆっくり黒くなる。

 王都の紙の世界は、きっと今も噂を育てている。
 でも私はもう、噂に殺されない。

 血の匂いの中で、私は笑った。
 怖いのに、澄んだ笑い。

 ——焦らせたなら、もう半分勝ち。
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