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第3話 辺境への道と小さな違和感
しおりを挟む王都を離れる道は、思った以上に“しょぼかった”。
さっきまでいた城門の内側が、磨かれた石畳と魔導街灯でキラキラしてたせいで、余計にそう感じるのかもしれない。
門を抜けた瞬間から、足元はすぐに土の感触になった。
固く踏みしめられた土の上に、ところどころ小石が転がっている。歩くたび、靴底からごりっとした感覚が伝わってくる。
頬に当たる風は、王都の中よりずっと乾いていた。
遠くで馬車のきしむ音と、人の話し声。
鼻先には、土埃と馬の匂いと……少しだけ、干し草と汗の混ざったような、生々しいにおい。
「なんか……一気に“生活感”出たね」
自分でもよくわからない感想が口から出る。
隣を歩くライアンが、少しだけ口角を上げた。
「王都の中が、綺麗すぎるんだよ」
「確かに。石も床も、全部ピカピカだった」
「人の心は全然だったけどな」
「それは……否定できない」
苦笑いしながら、振り返る。
遠くに見える城壁は、もうだいぶ小さくなっていた。
さっきまでいた場所。
生きていこうと必死にもがいて、結局「不要」の烙印を押された場所。
(……落ちていってるんだな、私)
王都という高い場所から、
埃っぽい街道へ。
真っ直ぐ敷かれた赤い絨毯から、ぼこぼこした土の道へ。
足裏に伝わる段差が、そのまま自分の「立場の落差」を教えてくるみたいで、ちょっと笑えてくる。
「エリア、前見て歩け」
ぼんやりしてたら、ライアンに軽く頭を小突かれた。
「いった」
「石、多いんだから。転ぶ」
「そんなドジじゃ──」
言い終わるより早く、つま先が何かに引っかかった。
「わっ」
本当に転びかけた。
情けないくらい反射神経が悪い自分を呪いながら、地面にキスする未来を覚悟した瞬間、腕をぐいっと引っ張られる。
「ほらな」
いつもの低い声。
気づけば、私はライアンの胸に半分くらいもたれかかっていた。
鎧を返上しているから、代わりに厚手の布の感触。
その下で、どくどくと早く打っている心音が伝わってきて、こっちの心臓まで変なリズムになる。
「ご、ごめん……」
「だから前見ろって言った」
呆れた声。
でも、責めるニュアンスはなかった。
私を支えた勢いで、ライアンの足が土を踏みしめる。
少しだけ、ぐきっと嫌な音がした気がして、思わず顔を上げた。
「今、足ひねった?」
「平気」
「絶対嘘だ」
「……まあ、ちょっと捻ったかもしれない」
「やっぱり!」
思わず声が大きくなる。
ライアンは肩をすくめた。
「大したことない。昔からよくある」
「それ、“昔から”で片付けていいやつじゃないと思うんだけど」
そう言いながらも、私は彼の腕からそっと離れた。
距離が戻ると、さっきまでの体温が妙に恋しく感じる。
(なに考えてんの、私)
自分で自分にツッコミを入れて、気持ちを切り替える。
しばらく歩くと、道の脇にボロい馬車が一台停まっていた。
荷台には干し草と、古そうな木箱。
御者台には、ひげ面のおじさんが座っている。
「おーい、あんたら。王都から来たのか?」
ライアンが私の前に一歩出て、短く答える。
「今、出たところです」
「そうかそうか。だったら、次の宿場町まで乗ってくか? 銀貨一枚でどうだ」
宿場町。
その言葉に、私はぴくりと反応した。
「歩くよりは、楽だよね……」
土の道をずっと歩くのは、正直なところけっこうきつい。
慣れない靴が少し擦れてて、かかとがじわじわ痛い。
ライアンは私の足元をちらっと見て、ため息をついた。
「……乗ろうか。銀貨一枚なら、まだ何とかなる」
「いいの? もったいなくない?」
「この先も歩きっぱなしだぞ。序盤から足潰したら、本当に辺境まで行けなくなる」
「それは……嫌だ」
そういう実用的な判断は、本当に助かる。
私は財布代わりの小袋を握りしめて、御者台のおじさんに銀貨を渡した。
馬車の荷台は、想像以上にボロかった。
床板はところどころささくれていて、座るとお尻が痛い。
干し草の匂いと、一日洗ってない布の匂いが混ざり合って、鼻にぴりっとくる。
それでも、歩き続けるよりはマシだった。
揺れ始めた馬車の中で、私はそっと息を吐いた。
「……なんか、一気に“落ちた”って感じするね」
「落ちた?」
「ほら、王都の中ではさ、こういう馬車でももうちょいマシだったじゃん。クッションついてたり、魔導の衝撃吸収付いてたり」
「贅沢だな」
「だって、エリート魔導士になる予定だったし?」
冗談っぽく言ったつもりが、自分で勝手に胸に刺さる。
予定、なんてもうどこにもない。
ライアンは少しだけ視線を窓の外に向け、ぽつりと言った。
「俺も、“騎士団の出世コース”には乗れなかったな」
「うん……聞いてた。同期の人たち、けっこう昇進してるって」
「まあ、実力差だよ」
あっさりした言い方。
でも、横顔の輪郭が少しだけかたくなっている。
「悔しくないの?」
「悔しくないわけないだろ」
即答。
そのあと、ほんの少しの沈黙。
「でも、一番悔しいのは……“なんでダメなのか自分でもよくわからない”ってことだな」
その感覚は、思いっきり他人事じゃなかった。
「……それ、すごいわかる」
「だろ」
二人で同時にため息をついて、少しだけ笑う。
馬車はがたがたと揺れながら、王都から離れていく。
窓の外に見える景色は、畑と、ぽつぽつと立つ家と、小さな森。
王都の華やかさからは想像もつかない、地味な色合い。
でも、その地味さが、少しだけ心を落ち着かせてくれる気もした。
***
最初の宿場町に着いたのは、太陽が真上から少し傾いた頃だった。
木の柵でゆるく囲まれた小さな町。
石畳なんてもちろんなくて、地面はさっきと同じ土。
道の両脇には、木造の建物がいくつか並んでいる。
「ここが……宿場町」
王都で見ていた商業区画とは全然違う。
建物は低く、看板は手書き。
窓から漂ってくるのは、焼いたパンとスープの匂い。
馬車から降りて、料金の銀貨一枚が「本当にこれでよかったのか」と名残惜しくなるくらいには、私たちは今、貧乏だった。
「まずは安い宿を探そうか」
「うん」
二人で並んで歩き出すと、すぐに視線を感じた。
じろじろ。
ちらちら。
通りすがりの人たちが、露骨にこっちを見る。
この感じ、どこかで覚えがある。
(あ、王都で“浮いてた”ときと同じだ)
ただ、視線の種類が少し違った。
好奇心と、少しの軽蔑と、ほんのちょっとの警戒。
それがぐちゃっと混ざったような目。
「ねえ、あれ王都の紋章じゃない?」
「本当だ。外套に縫い付けてある」
「なんでこんなとこ歩いてるんだ? 視察?」
そんな声が耳に入る。
私は思わず、胸元を押さえた。
そこには、まだ魔導省の小さな紋章バッジがついたままだった。
「あ……これ、外した方がいいかな」
「そうだな。もう“元職場の名札”だし」
ライアンも、外套の内側にそっと隠していた騎士団の紋章を取り出して、片手で覆った。
金色に光るそれは、この町の泥と埃にはあまりにも似合わない。
私はバッジを外しながら、ふと視線を感じて顔を上げた。
近くの井戸のそばで、水を汲んでいた女性二人が、こちらを見てヒソヒソ話をしている。
「……あの子たちがそう?」
「さっき、宿の婆さんが言ってた。『王都から追放されたのが来るらしい』って」
「追放って……何したんだろうね。怖」
声は抑えているつもりらしいけど、こっちにはまる聞こえだった。
(あー……もう噂になってるんだ)
王都から辺境へ向かう街道。
その途中にある宿場町なら、情報が流れてくるのも早い。
追放。
その一言で、人はこんな目を向けるんだ。
胸の中が、また少し沈んだ。
「気にするな」
ぽん、と肩に軽く手が置かれる。
振り向くと、ライアンがいつもの半分くらい眠そうな顔で立っていた。
「……気にするなって言うの、簡単だよね」
「難しいことは言ってない」
「難しいんだってば。視線刺さるもん」
「刺さるなら、俺が前歩く」
そう言って、彼はすっと私の一歩前に出た。
歩幅を少しだけ大きくして、私を背中で隠すみたいに歩く。
道の割れ目、小さい石ころ、ぬかるんだ水たまり。
全部ライアンが先に踏んで、危ないところは足で軽くどかしてくれる。
おかげで私は、さっきよりはまっすぐ歩けた。
「なんか、ボディーガードみたいだね」
「一応、元騎士だから」
「“元”ってつけなくていいのに」
「いや、つけとかないと勘違いされる」
そのやりとりが、ちょっとだけ救いだった。
笑って話していないと、心がすぐに暗い方へ落ちていってしまう。
宿場町を抜け、簡素な宿で冷えたパンと薄いスープの昼食を済ませる。
パンは固くて、噛むと歯茎が痛い。
でも、スープにはちゃんと野菜が入っていて、舌の上にほのかな甘みと塩気が残った。
「王都の食堂のご飯が、恋しくなるね」
「そのうちこれが普通になる」
「やだなあ」
口ではそう言いながら、体にはちゃんと栄養が染み込んでいく。
胃袋が「あ、生きてる」って主張しているみたいだった。
***
午後、また歩き始めた。
空は高く、雲はゆっくり流れている。
太陽は容赦なく照りつけて、額にじんわり汗が滲んだ。
ライアンは相変わらず私の少し前を歩き、時々振り返っては「歩幅、合ってるか?」と確認してくる。
そのたびに「大丈夫」と答える。
でも、こっちが大丈夫かどうかより、彼の方が気になった。
「ねえ、ライアンさん」
「ん」
「さっきから、ちょっとふらふらしてない?」
さりげなく聞いたつもりだった。
でも、彼は一瞬だけピタリと足を止める。
「してない」
「またそうやって即答する」
「してない」
「今も一瞬止まったよね?」
ぐいぐい詰めると、彼は観念したようにため息をついた。
「……ちょっと、頭が重いだけだ」
「それ絶対“ちょっと”じゃないやつ」
「昔からだから」
出た、その言い方。
大したことじゃない、慣れてる、平気。
そうやって、自分のことはいつも簡単に片付ける。
「昔からって、どれくらい?」
「子どもの頃から」
「それ、逆に怖いんだけど」
私は足を止め、彼の前に回り込んだ。
近くで顔を覗き込む。
灰色の瞳の下に、うっすらとクマができている。
今日は特に顔色が悪い。
「本当に大丈夫? 具合悪いなら、もうちょっと休んでも──」
そのときだった。
「きゃっ──!」
甲高い悲鳴が、前方から聞こえた。
顔を上げると、少し先の坂道で馬車が横倒しになりかけている。
荷台に積んでいた木箱が、道の端から転がり落ち、斜面の上の方で大きな石がごろりと転がり出していた。
その先には、小さな子どもが一人。
転んだのか、尻もちをついて動けなくなっている。
斜面から転がり落ちてくる石。
直撃すれば、子どもなんて簡単に潰されてしまう。
「……っ!」
考えるより先に、体が動いた。
「危ない!」
坂道へ駆け出そうとした瞬間、腕をがしっと掴まれた。
「エリア、下がってろ!」
ライアンの怒鳴り声。
次の瞬間には、彼の背中しか見えなくなっていた。
あっという間に距離を詰め、子どもと石の間に飛び込む。
伸ばした腕で子どもを抱きかかえ、ぎりぎりで横に転がった。
石が地面に激突し、鈍い音を立てる。
風圧と土埃が巻き上がり、こちらにも飛んできた。
「っ……ライアンさん!」
駆け寄ると、彼は子どもを庇うように背中を丸めていて、その背に土と小石がぶつかった跡がいくつもついていた。
でも、子どもは無事だった。
驚いて泣きそうな顔をしているけど、怪我はない。
「大丈夫?」
「う、うぅ……」
ライアンが子どもをそっと起こす。
子どもの母親らしき女性が駆け寄ってきて、彼に何度も頭を下げた。
「本当に、本当にありがとうございます! この子、足がもつれて転んじゃって……!」
「気をつけてください」
ライアンは短くそう言って立ち上がろうとしたけれど、膝が一瞬ふらついた。
「ライアンさん!」
慌てて肩を支える。
近くで見ると、額にうっすら汗が滲んでいた。
さっきまでの頭の重さに、今の衝撃が追い打ちをかけたんだろう。
「だから言ったのに……」
「子どもが先だ」
「そうだけど!」
怒ってるのか心配してるのか、自分でもわからない声が出る。
彼は、そんな私を見て、ほんの少しだけ困ったように笑った。
「……運が悪いんだよ、俺」
その言葉は、冗談みたいに軽くて。
だからこそ、胸に引っかかった。
運が悪い。
昔からよく怪我をする。
頭がよく痛くなる。
ふつうなら、「そういう体質なんだ」で終わる話なのかもしれない。
でも、今日一日一緒に歩いただけでも、明らかに“事故”が多い気がする。
馬車の車輪が急に外れかけて、そのたびにライアンが押さえに入ったり。
荷車から落ちかけた荷物が、なぜか彼の頭すれすれで止まったり。
その全部で、彼は誰かの代わりに怪我をして、疲れて。
それでも、自分のことは「運が悪い」の一言で片付けてしまう。
(……ほんとにそれだけ?)
どこかで、小さな違和感が芽を出した。
でも、今はそれを深く考える余裕がなかった。
「ほら、少し休もう。あそこの岩、座れそうだし」
「いや、まだ行ける──」
「行けないの。はい、座る」
強引に手首を引っ張る。
ライアンは観念したように、道端の大きな岩に腰を下ろした。
私は自分の水筒を取り出して、彼に差し出す。
「どうぞ、無能令嬢特製の水です」
「ただの水だろ」
「愛情が入ってるから特製なの」
「……じゃあ、ありがたく」
彼は小さく笑って、水を一口飲んだ。
その喉仏が上下に動くのを、変に意識してしまう自分がいた。
風が少し冷たくなってきた。
空を見上げると、太陽はだいぶ傾いている。
「そろそろ、今日泊まる場所も考えないとね」
「次の村まで、もう少しのはずだ」
「ライアンさん、本当に大丈夫?」
「さっきよりマシになった。少し休めば回復する」
その言葉に完全には納得できなかったけれど、これ以上しつこく聞いても、きっと同じ答えしか返ってこない。
私は小さく頷いて、立ち上がった。
***
夕暮れが近づくにつれて、周りの景色が少しずつ変わっていった。
畑は姿を消し、代わりに木々が増えてくる。
低い雑木林から、次第に背の高い木へ。
枝が頭上を覆い始めて、陽の光が斜めから差し込むようになった。
土の匂いに、湿った葉の匂いが混ざる。
風が通るたび、葉っぱ同士が擦れ合うサワサワという音が耳に届いた。
遠くの方で、鳥の鳴き声。
どこかで、何か小さな獣が枝を踏む音。
世界全体が、ゆっくりと「森の色」に染まっていく。
道はまだ続いている。
けれど、その先に薄く見えるものがあった。
木々の切れ間。
煙がひと筋、上がっている。
「あれ……」
目を凝らすと、小さな家の影や、畑らしき影も見えた。
「村だな」
ライアンがぽつりと言う。
辺境に近い、小さな村。
私たちが目指している場所の、たぶん入口。
そこにたどり着けると思ったら、少しほっとした。
「よかった……今日中に宿ありそう」
「村の人が泊めてくれるといいが」
「“王都追放組”でも?」
「多少の偏見はあるだろうな」
ライアンは、森の奥をじっと見つめた。
その横顔が、一瞬だけ緊張に強張る。
「……どうしたの?」
「いや」
短く答えて、彼は視線を森の影に滑らせた。
さっきまでただの木の集まりにしか見えなかった場所が、急に違うものに見えてくる。
空気が、少し重い。
土の匂いが濃くなっている。
風が止まったわけじゃないのに、葉擦れの音がさっきより低く聞こえる。
夕陽が、木々の間から差し込んで、森の奥を赤く染めていた。
その赤が、夕陽の色というより、どこか血の色に近く感じて、背筋に小さな冷たいものが走る。
(……なんか、嫌な感じ)
胸の中で、言葉にならないざわつきが生まれた。
心臓の鼓動が、微妙に早くなる。
でも、理由はわからない。
森なんて、今までも見たことはあるし、魔導省の図書室には森を扱った本だってたくさんあった。
この違和感は、ただの気疲れのせい。
そう自分に言い聞かせて、私は足を前に出した。
「行こう。今日の寝床、確保しないと」
「ああ」
ライアンが私の少し前に立って、また歩き出す。
夕暮れの空の下、二人の影が長く伸びて、森の入口に吸い込まれていく。
まだこのときの私は知らなかった。
この「妙に重い森の気配」こそが、
これから私たちを飲み込んでいく“異変”の始まりだなんて。
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