無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……

タマ マコト

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第1話 『夜会の静寂が割れる音』

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 アストライア王国の王宮中庭は、今夜だけ別の世界みたいだった。

 噴水の縁には魔石灯がずらりと並び、淡い光が水面を照らしてきらきら揺れている。空には無数の星。けれど、星よりも眩しい笑顔と宝石とドレスが、庭一面に咲き乱れていた。

 その真ん中で、エリーナ・カルヴェルトは完璧な微笑みを貼りつけて立っていた。

「エリーナ様、本日もお美しいですわ」 「さすが王太子殿下のご婚約者。立ち居振る舞いが違いますのね」

「まあ、恐れ入ります」

 口元だけを品よく緩めて、エリーナはグラスを持ったまま会釈する。
 背筋は真っ直ぐ。顎の角度は、鏡の前で何百回も確認した「ちょうどいい高さ」。微笑みは柔らかく、でも芯があるように。──全部、母に叩き込まれた「完璧な伯爵令嬢」のテンプレートだ。

 視線が滑る。
 正面から。斜めから。少し離れた場所から。

 形だけは褒め言葉ばかり。けれど、その奥に混じる薄い色は見逃せない。

 哀れみ。
 好奇。
 そして、少しの侮蔑。

(……分かってる。理由はひとつだけ)

 エリーナは笑ったまま、指先に力を込めてグラスの脚をつまんだ。

 ――無魔力。

 この国で生まれた人間なら、誰もが何かしらの魔力を持っている。手のひらに灯せる小さな火。空気を少し冷やせる程度の風。せいぜいそれくらいの些細なものでも、持っていて当たり前。

 なのに、エリーナには、それがない。

「カルヴェルト伯爵家のお嬢様は、魔力がまったく測定できなかったんですってね」 「まあ……“無魔力”ですって。逆に珍しいわ」

 少し離れたテーブルから、若い令嬢たちのひそひそ声が聞こえた。

 聞こえないふり。
 それが、今日のドレスよりもぴったりと身体に張り付いたマナー。

「エリーナ様、もうすぐ殿下がいらっしゃるそうですよ」

 側に控えるカルヴェルト家の侍女、ミナがそっと囁く。
 エリーナは視線だけで彼女を見て、小さくうなずいた。

「ありがとう、ミナ。姿勢、崩れてない?」 「完璧です。……少し、肩がこわばっておられるくらいで」

「それは……仕方ないわね」

 今日の祝賀会は、アストライア建国記念日。
 そして、王太子アレクシオンとエリーナのお披露目も兼ねている。

 この場にいる全員が、エリーナを“未来の王妃”として見ている。
 あるいは、見ているふりをしている。

(本当に、そう思ってる?)

 そう問いかける声が、心のどこかで小さくつぶやいた。

 ふと、夜風が吹く。
 香水とワインと花の香りが混ざった空気を裂いて、少し冷えた風が肌を撫でていく。

 その瞬間、エリーナの背筋に、ちいさな悪寒が走った。

 理由は分からない。
 ただ、胸の奥の柔らかいところが、きゅっと掴まれたみたいに痛んだ。

「……エリーナ様?」

 ミナが心配そうに覗き込む。

「ううん、大丈夫。ただ、少し冷えただけよ」

 笑ってみせる。
 笑顔は、いつだって一番の鎧だ。

 そのときだった。

 中庭の入り口に続く大階段のほうから、ざわ、と空気の流れが変わる。

 貴族たちの視線が一斉にそちらへ向かい、ざわめきが波紋のように広がった。

「アレクシオン殿下だわ」 「隣にいらっしゃるのは……誰?」

 軽く首を傾げて、エリーナも振り向く。
 そして、一瞬だけ呼吸を忘れた。

 魔石灯の光を背にして、大階段を降りてくる金髪の青年。
 整った横顔。涼やかな青い瞳。
 アレクシオン・アストライア。アストライア王国の第一王子にして、次期国王と目される男。

 その腕に、ひとりの少女がそっと添えられていた。

 淡いクリーム色のドレス。質素だが清潔感のあるデザイン。
 腰まで届く栗色の髪がゆるやかに揺れ、その表情には不安と憧れが入り混じっている。

 聖女候補──セレス。

(……また、彼女と一緒なのね)

 胸の奥が、さっきとは違う意味できゅっと痛んだ。

 アレクシオンとセレスが並んで歩く姿は、絵画みたいに様になっていた。
 金色と、やわらかな茶色。
 神殿が「神に選ばれし聖女候補」と持ち上げる少女と、その隣をゆく王太子。

 誰がどう見ても、お似合いだ。

(やめなさい、エリーナ。私と殿下は婚約している。それが事実)

 自分に言い聞かせて、エリーナはグラスをテーブルに置いた。

 アレクシオンが貴族たちに軽く微笑みを向けると、その場の空気がほんの少し柔らぐ。
 彼はそういう人だ。人の心を掴むのが、うまい。

「エリーナ様、殿下がこちらに」

「ええ」

 胸の奥のざわつきを一度深呼吸で押し込み、エリーナはいつもの微笑みを貼りなおした。

 アレクシオンとセレスが、まっすぐ彼女のほうへ歩いてくる。
 周囲の視線が、一斉にエリーナへと集中した。

 夜会の音楽が、少しだけ音量を落とした気がする。
 笑い声も、途切れ途切れに減っていく。

 静寂が、ゆっくりと形を成していくような感覚。
 ガラス細工みたいに繊細で、今にも割れそうな空気。

「エリーナ」

 目の前で、アレクシオンが足を止めた。
 青い瞳が、真っ直ぐこちらを捉える。

「アレクシオン殿下。お越しをお待ちしておりました」

 スカートの裾をつまみ、教本どおりの完璧なカーテシーを披露する。
 その動きには、数え切れないほどの練習が染み付いている。

 顔を上げると、アレクシオンの口元に、どこかよそよそしい笑みが浮かんでいた。

「相変わらず、完璧な礼だな。……さすがカルヴェルト伯爵家のご令嬢だ」

「殿下にそうおっしゃっていただけるのは光栄ですわ」

 形式的なやり取り。
 だけど、そこに以前のような親しさはない。

 ほんの少し前までは──
 名前を呼ばれるとき、もう少し柔らかい声音だった。

『エリーナ、そんなに固くならなくていい。僕の前くらい、肩の力を抜け』

 そう言って、くすっと笑ってくれたはずだ。

(……いつから、変わったんだろう)

 胸の奥で、言葉にならない違和感がじわりと広がる。

 その横で、セレスがぎゅっとアレクシオンの袖を掴んでいることに気づいた。

 彼女は怯えたようにエリーナを見上げ、それから慌てて目を逸らした。

「こちら、王都神殿からの聖女候補──セレスだ。何度か顔を合わせているから、紹介は不要だろうが」

「ええ。神殿でのお勤めの折に、何度かお会いしましたわね」

 エリーナが穏やかに言うと、セレスはびくっと肩を震わせた。

「あ、あの……エリーナ様、その……いつも神殿への寄付をありがとう、ございます……」

「国と人々のために祈ってくださる方々への支援は、伯爵家として当然の務めですわ」

 自分でも驚くくらい、声は冷静だった。

 セレスの指先が震えているのが見える。
 その震えは、エリーナへの畏れか、それとも──罪悪感か。

(なに考えてるの、私。ただの被害妄想よ)

 心のどこかがそう突き放す。
 でも、同時に別の声が囁く。

 ――殿下の隣に立つ彼女を見て、何も感じないの?

 アレクシオンがさりげなくセレスの肩に触れた。
 それは、護るような、支えるような、親密な仕草。

 エリーナの心臓が、一瞬だけ強く跳ねた。

「セレスは、神殿で人々のために身を削って祈っている。……少し、人見知りなだけだ。無礼があっても許してやってほしい」

「もちろんですわ。殿下がお側に置かれる方ですもの。私がとやかく言う筋合いではございません」

 完璧な返事。
 でも、言った瞬間、自分の言葉がやけに空っぽに聞こえた。

 王妃候補として正しい答え。
 王太子の婚約者として模範的な態度。

 それでも──胸の奥は、妙に冷たい。

「……エリーナ様」

 ミナが後ろから、心配そうに裾をつまんだ。
 小さな動きだったが、エリーナにはすぐ分かる。

 笑顔が、ほんの少し固くなっているのだと。

「大丈夫よ、ミナ」

 短く答えてから、エリーナはふと噴水のほうへ視線を逸らした。

 水面に映る自分の顔は、よく訓練された貴族令嬢のそれで。
 その目の奥に沈む色だけが、自分でもよく分からない。

(私、何を期待していたのかしら)

 祝いの夜会。
 愛を確かめ合うはずの婚約者。
 隣にいる、聖女候補の少女。

 アレクシオンの横顔は、いつも通り整っているのに。
 セレスに向ける視線は、どこか柔らかくて。

 それを見ているだけで、喉の奥が少し苦くなる。

 楽団が新しい曲を奏で始めた。
 穏やかなワルツ。
 貴族たちが次々と踊り始める。

「エリーナ、踊るか」

 ふいにアレクシオンが手を差し出してきた。
 条件反射でその手を見つめてしまう。

「……はい。喜んで」

 断れるはずがない。
 ここは王宮で、これは祝賀会。
 立場と役割が、彼女の選択を先に決めてしまう。

 その一瞬だけ、なぜかミナの指先が、エリーナのドレスの裾をきゅっと強く握った。

 気づいて振り返ると、ミナは慌てて手を離して、深々と頭を下げた。

「失礼しました、エリーナ様」

「いいのよ。……戻っていて」

 エリーナは小さく微笑んでから、アレクシオンの手を取る。

 彼の手は、昔と同じ温度だった。
 だけど、握られる強さも、距離も、違っている気がする。

 ワルツのリズムに合わせて、二人は中庭の中央へと歩み出る。

「……最近、忙しそうですね、殿下」

 当たり障りのない会話。
 アレクシオンは視線を前に向けたまま、軽く頷いた。

「王族だからな。やることは山ほどある」

「聖女候補の護衛も、そのひとつですか?」

 自分でも、少し棘のある言い方だと思った。
 けれど、言葉はもう戻ってこない。

 アレクシオンは一瞬だけ目を細め、それから苦笑した。

「……そうだな。セレスは、まだ慣れていない。王宮の空気にも、貴族にも」

「そうでしょうね」

「だからこそ、守ってやらなければならない。神殿が彼女を“奇跡”と呼ぶのなら、尚更だ」

 守ってやらなければ。
 その言葉は真っ直ぐで、揺らがない。

 思わず、胸の奥がひやりとする。

(じゃあ、私は?)

 神殿にとっての奇跡でもなく。
 国にとっての希望でもなく。

 ただの、無魔力の伯爵令嬢。

 ダンスが始まる。
 アレクシオンの手が腰に添えられ、エリーナはスカートを翻しながらステップを踏む。

 身体は覚えている。
 音楽に合わせて動く方法も、相手のリードに合わせるタイミングも。

 けれど、心だけがリズムから半歩ずつズレていく。

「エリーナ」

「はい?」

「……いや。なんでもない」

 言いかけてやめた言葉。
 その小さな躊躇いが、胸の奥に刺さる。

 くるり、と回転したとき、一瞬だけ視界の端にセレスの姿が見えた。

 彼女は欄干の隅で、ふたりをじっと見つめている。
 羨望とも罪悪感ともつかない表情で、ぎゅっと胸元を掴んで。

 視線が絡んだ。
 セレスは慌てて目を逸らし、そのまま柱の陰へと消えた。

 音楽が続く。
 笑い声が遠い。
 魔石灯の光が、やけに眩しい。

 なのに、エリーナの耳には、自分の心臓の音ばかりが響いていた。

 ドクン。
 ドクン。

 ……それは、音楽のリズムとはまるで違うテンポで。

 夜が、少しずつ深くなっていく。
 空気の温度が落ちていく。
 笑い声のトーンが低くなり、ワインの香りが濃くなる。

 祝賀会の華やかさの裏で、見えないひび割れが、少しずつ広がっていく感覚。

(胸が、苦しい……)

 理由を言葉に出来ないもどかしさが、喉の奥につかえている。

 最後の一曲が終わり、拍手が起こる。
 アレクシオンはエリーナの手を離し、形式的な礼をした。

「見事だった。さすがだな、エリーナ」

「殿下のリードが素晴らしかったからですわ」

 台本どおりのやり取り。
 でも、その一瞬、微かに指先が震えた。

 アレクシオンが何か言いたげに口を開きかける。
 けれど、その声が形になる前に、遠くのほうで楽団の音がぴたりと止んだ。

 静寂が、夜会の上にふっと落ちる。

「……?」

 誰かが息を呑む音が聞こえた。

 風が吹き、魔石灯の炎が一斉に揺れる。

 一瞬だけ、世界全体が息を止めたみたいな、妙な感覚。

 ──夜会の静寂が、何かに押し割られる前触れのように。

 エリーナは胸の奥に走った悪寒を、ただ、飲み込むことしかできなかった。
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