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第19話 『旅立ちの白翼』
しおりを挟む空気が、少しだけ違っていた。
王都はいつも通り、朝から騒がしい。
露店の声。
水を運ぶ子どもたちの笑い声。
パン職人が焼きたての香りを路地いっぱいに広げる匂い。
全部、変わらないはずなのに──
今日だけは、その全てが「別れの音」に聞こえた。
「お嬢様、本当に……本当に、行っちゃうんですね」
カルヴェルト伯爵邸の中庭。
いつも竜魔法の訓練に使っていた場所に、今日は大勢の人が集まっていた。
使用人たち。
庭師。
近所の子どもたち。
そして、父であるカルヴェルト伯爵と、その妻でありエリーナの母カトリーヌ。
ミナは、真ん中で、両手にハンカチを握りしめている。
「“お見送り用のハンカチは白がいいですよ”って、洗濯係のおば様が……でも結局、涙でぐしょぐしょになってて、どこを振ればいいのか……」
「最初から泣く気満々だったのね、ミナ」
エリーナは、苦笑しながらミナの頭を撫でた。
彼女自身も、正直、泣きそうだ。
胸の奥が、ぎゅうっと縮む。
さよならを言えば言うほど、心のどこかが軋んでいくのが分かる。
「……本当に行くのですね、エリーナ」
カルヴェルト伯爵が、一歩前に出る。
その顔は、いつもより少しだけ厳しく見えた。
だが、その瞳の奥には、どうしようもない寂しさが滲んでいる。
「はい」
エリーナは、まっすぐに父を見る。
「王宮にも、“王宮の中心にも”残らないと決めた以上……
王都の外も、ちゃんと自分の目で見てから、竜の主としての道を考えたいんです」
内乱の危険。
外敵の影。
飢えや寒さで泣く人たち。
王城の窓から見下ろすのではなく、同じ高さで見て、同じ土を踏んで、同じ風を吸ってみたい。
「……父親としては、まだ納得しきれないが」
伯爵は、ふっと苦笑した。
「娘に“世界を見てきたい”と言われて、“家でじっとしていろ”とは、もう言えんか」
「止めようとしましたよね?」
「言いかけたな」
あっさり認める父親に、周囲から小さな笑い声が漏れた。
その笑いが、少しだけ空気を軽くする。
「エリーナ」
母が、そっと娘の手を取った。
エレガントな指先。
お茶会の作法も、社交界の微妙な笑顔も、この手から教わった。
「あなたは小さい頃から、いつも“外”を見ていたわ」
「外?」
「窓の外。
庭の外。
王都の外」
母は、柔らかく微笑んだ。
「“あそこには何があるのかな”“この先にはどんな人がいるのかな”って、いつも目を輝かせていた」
「そんなこと、言ってました?」
「よく言っていたわ。
“わたし、森の向こうも見てみたいの”“海を見たことがないから、見てみたい”って」
言われてみれば、そんな記憶がぼんやりと蘇る。
家の外。
森の外。
王都の外。
いつも、窓の向こうをじっと見ていた自分。
「だから、今こうして“王都の外に行く”って言われても、驚きはしないの」
母は、たおやかに笑った。
「“ああ、この子はやっぱり、閉じ込められるために生まれてきた子じゃないんだわ”って」
「……なんか、逃げ癖があるみたいな言い方やめてほしいんですけど」
「逃げるのと、出ていくのは違うわ」
母は、娘の頬にそっと手を添えた。
「今のあなたは、“逃げるために”出ていくんじゃない。
“選ぶために”出ていくのよ」
竜の主として。
無魔力の令嬢として。
ひとりのエリーナとして。
どの自分に、どれだけの重さを預けるかを、自分で選ぶために。
「……ちゃんと帰ってきます」
エリーナは、母の手を握り返した。
「“二度と会えない”みたいな顔しないでください」
「そうね」
母は、少しだけ涙をこらえるように瞬きをして、それから一歩下がった。
「“行ってらっしゃい”って言ってあげないとね」
伯爵は軽く咳払いをして、娘の前に立つ。
「エリーナ」
「はい、お父様」
「竜に乗って旅立つ娘など、聞いたこともないが──」
「わりと前代未聞ですよね」
「今さら驚きはせん」
伯爵は、肩で笑いながらも、その瞳は湿っていた。
「父として願うのは、ひとつだ」
優しく、しかし真剣に言う。
「“必ず、生きて帰ってこい”」
その言葉には、あらゆる感情が込められていた。
竜の主としての期待でも。
貴族の娘としての責任でもない。
ただ、父としての願い。
その単純さが、胸に響く。
「……はい」
エリーナは、ぐっと喉を結んで頷いた。
「数年後、“あの頃は無茶したな”って笑い話にできるくらいの無茶に、抑えます」
「抑える前提で無茶をする話をするな」
いつもの父娘のやりとり。
笑い声が、残った涙の膜を少し溶かす。
「お嬢様……」
ミナが、今度こそ堰を切ったように涙をぽろぽろこぼした。
「うう、ううう……っ、行ってほしくないけど、行ってほしいし、でもさみしいし、でも誇らしいし、感情が多すぎて胸が忙しいです……」
「忙しい胸ってなに、それ」
「心臓が多忙なんです! 残業! 徹夜!」
「それはそのうち倒れるからやめて」
エリーナは、ミナを抱きしめた。
小さな身体が、肩のあたりで震えている。
温かい体温。
何度も助けてもらった背中。
「ミナ」
「ひぐっ……はい」
「カルヴェルト家を、よろしくね」
囁くように言う。
「わたしがいない間、お父様とお母様の無茶を止めるの、あなたくらいしかいないから」
「無茶するのはお嬢様だけじゃなかったんですね……」
「遺伝です」
「遺伝いやすぎます……でも、全力で食い止めます……!」
ミナは、涙でぐしゃぐしゃになった顔で、それでも真剣に頷いた。
「でも──」
喉が詰まりながらも、必死に言葉を絞り出す。
「お嬢様が、“エリーナ様として”選んだ道なら……わたしは、それを応援したいです」
「ミナ……」
「竜の主でも、王妃候補でもなくて。
“エリーナ様が決めたから行くんだ”っていう道なら、きっと大丈夫だって思えるから」
その言葉が、胸に刺さるように響いた。
竜の主として。
王国の希望として。
──じゃなくて。
エリーナ・カルヴェルトとして。
それを見ていてくれる人が、ここにいる。
「……ありがとう」
抱きしめていた腕に、少し力を込める。
ミナの涙がドレスの肩を濡らす。
その温度が、別れの現実感をじわじわと膨らませていく。
『主』
頭の中で、低く響く声。
『そろそろ、時間だ』
アークヴァンは、中庭の端で大きな身体を低くして、じっと待っていた。
白銀の鱗。
広げれば、王都の塔をひとまたぎにするほどの翼。
金色の瞳が、静かにエリーナを見ている。
「……うん」
エリーナは、名残惜しさを喉の奥に押し込んで、ミナから離れた。
父と母に最後の会釈をして、ゆっくりと竜に歩み寄る。
『主』
アークヴァンは、翼を少しだけ広げて身体を傾けた。
『乗りやすいように、こうしておく』
「気遣いが細かい竜なんて、そうそういないと思うわ」
『我は特別だからな』
「自分で言った」
そう言いながら、エリーナは竜の肩に手をかける。
白銀の鱗はひんやりしているのに、内側からじんわりと熱が伝わってくる。
足先に力を込めて、するりと背に乗った。
何度か訓練で乗っているとはいえ、やはり最初の感覚は「高い」だ。
地面が一気に遠くなり、視界が広くなる。
中庭全体と、その向こうの街並みが、ひとつの絵のように見える。
「お嬢様ーっ!」
「エリーナ様ーー!!」
「竜の主様、お気をつけて!」
屋敷の外からも、たくさんの声が聞こえてくる。
どうやら、噂を聞いた近所の人たちが、塀の向こうから顔を出しているらしい。
子どもが塀によじ登ろうとして、親に止められている。
「おい、落ちるぞ!」
「だって、竜が飛ぶところ見たい!」
その光景に、思わず笑みがこぼれる。
『主』
アークヴァンが、首を少し傾けた。
『怖いか』
「怖いよ」
エリーナは、正直に答えた。
「竜に乗って空を飛ぶのも。
王都を離れるのも。
“竜の主として旅に出る”っていう響きも」
『そうか』
「でも、それ以上に──」
エリーナは、胸元の紋章にそっと手を当てた。
竜魔の鼓動と、自分の心臓の鼓動が、ゆっくりと重なる。
「わたし、自分で選んだ“怖さ”だから」
誰かに押し付けられたものではない。
運命のせいでもない。
“竜に選ばれたから”という言い訳でもない。
自分で選んだ。
『ならば、我は安心だ』
アークヴァンの喉奥から、低い振動が伝わる。
『主が自分で選んだ怖さなら、我はその上を飛べる』
「心強い相棒がいて助かるわ」
『相棒、か』
竜は、その言葉を噛みしめるように繰り返した。
『悪くないな』
エリーナは、背中の鱗に身体を預ける。
「じゃあ、行こっか」
『ああ』
アークヴァンは、ぐっと四肢に力をため──
一気に、地面を蹴った。
風が、下から突き上げてくる。
体がふわりと浮き上がる。
視界が、瞬く間に広がっていく。
屋敷が。
中庭が。
塀が。
通りが。
次々と縮んでいく。
「わああ……」
思わず声が漏れた。
何度か訓練で飛んでいるとはいえ、王都の上空まで飛ぶのは初めてだ。
アークヴァンの翼が、ひと振りされるたびに、風の向きが変わる。
白い屋根、赤い屋根。
人の群れ。
市場のテント。
全部が、きらきらとした模様のように見える。
『主。しっかり掴まっていろ』
「掴まってる」
竜の首元の鱗に手を回しながら、エリーナは下を覗いた。
王都が、まるごと一枚の絵になる。
それだけで、胸がいっぱいになりそうだった。
◆
王都の中心、王城の塔の上。
風の強い最上階のバルコニーには、数人の影が立っていた。
レグナート王。
王妃リュシア。
第二王子ユリウス。
そして、宰相グラーデン。
白銀の竜が、カルヴェルト伯爵家の上から弧を描くように飛び、王都の上空へと出ていくのが見える。
「……本当に、行ってしまうのね」
リュシアが、目を細めた。
強い風で髪が乱れるのも構わず、ただ空を見上げている。
「竜に乗って旅立つ令嬢。
昔話なら、竜に攫われた姫ってところかしら」
「攫われたというより、竜に乗って自分で行ったのだ」
レグナートは、小さく笑った。
「“物語の中心から降ります”と言った少女だ。
攫われる姫には、似合わぬ」
ユリウスは、じっと空を見つめていた。
白い翼。
その上に乗る、小さな人影。
(……エリーナ)
“王家のものではない”と宣言した少女。
“それでも王国を見捨てない”と言った竜の主。
「父上」
「なんだ、ユリウス」
「俺が王位を継いだとき」
ユリウスは、風に負けないように少し顎を上げた。
「“王城に縛り付けられない竜の主”と、どう付き合っていくべきか……きっと何度も悩むことになると思います」
「だろうな」
レグナートは、あっさりと頷く。
「だが、“悩めるうちはまだ大丈夫だ”ということだ」
「悩む、ことが?」
「ああ」
王は、白銀の竜の軌跡を目で追いながら、ゆっくりと言った。
「何も考えずに、“王家の都合が最優先だ”と決めつけることのほうが、よほど危うい」
アレクシオンが、そうだったように。
「エリーナ・カルヴェルトが、“王家の外にいる友であり続ける”限り──
我らもまた、“王城の中だけで完結しない王でいなければならぬ”」
王妃リュシアは、そっと夫の横顔を見やった。
若い頃には見せなかった、少し柔らかい表情。
時代は変わりつつある。
「ユリウス」
「はい」
「お前は、お前の時代の王になれ」
レグナートは、息子にそう告げた。
「竜の主と、竜と、人々と。
時に衝突し、時に助けられながら、考え続ける王に」
ユリウスは、強く頷いた。
「はい」
彼の視線の先で、白い翼が、王都の中心を大きく円を描いていた。
◆
地上。
王都の広場では、いつの間にか大勢の人が空を見上げていた。
「あ、白竜様だ!」
「ほんとだ、竜の主様が乗ってる!」
人々がざわめく。
子どもたちは歓声を上げ、大人たちも仕事の手を止めて空を見る。
洗濯物を干していた女が手を叩く。
鍛冶屋が、火ばさみを持ったまま顔を上げる。
祈祷所の神官が、思わず胸に手を当てた。
「エリーナ様ーー!」
「竜の主さまーー!!」
誰かが叫んだ。
その声に引きずられるように、次々と声が上がる。
「幸せになってくださーい!」
「戻ってきてよーー!」
「王都のこと、忘れないでーー!」
「うちの村にも来てー! うちの村、マジで道ボロボロだからーー!」
「そこは王都の前に直してあげてー!」
叫び声と笑い声が、空へと飛んでいく。
エリーナの耳に、それらの声が届いた。
竜の背の上。
風が音をさらっていく中でも、言葉の破片がはっきりと聞こえる。
『幸せになって』
『戻ってきて』
『忘れないで』
『来て』
胸の奥が、ぎゅうっと締め付けられた。
「……ねえ、アークヴァン」
『なんだ』
「なんか、ずるいなって思ってきた」
『ずるい?』
「わたしだけ、こんなに“行ってらっしゃい”って言ってもらって」
涙が、目の奥でじんと熱くなる。
「王太子殿下が廃太子になったとき、こんなふうに“行ってらっしゃい”って言ってくれる人、どれだけいたんだろうなって」
アレクシオンの背中が、瓦礫の上で小さく丸まっていた光景が脳裏に蘇る。
あのとき、手を伸ばしてきた彼の手を、エリーナは避けた。
それが、正しい選択だと信じている。
でも、だからこそ──
「ちょっとだけ、胸が痛い」
『それは、主の優しさだ』
アークヴァンは、淡々と言った。
『主が、自分だけの物語で満足できない性質なのは、知っている』
「性質って言わないで」
『褒めている』
「褒め言葉、歪んでない?」
そんなやりとりをしながらも、涙は引っ込まない。
下を見れば、人々が小さく手を振っているのが見える。
ハンカチ。
布切れ。
素手。
それぞれが、小さな白い点になって、竜の軌跡を追いかける。
(幸せになって)
その言葉が、一番胸に刺さる。
(幸せって、なんだろう)
王太子の婚約者として、王城で暮らすことが幸せだったのか。
竜の主として、王国の象徴になることが幸せなのか。
そのどれもが、「誰かの期待が強すぎて」息が詰まった。
(じゃあ──)
今から自分が探しに行くのは、「竜の主としての幸せ」ではなく。
“エリーナ・カルヴェルトとしての幸せ”。
竜と一緒に笑える場所。
弱いままでも立っていられる場所。
守りたいと思える人たちと、守りたいと思える距離。
『主』
アークヴァンの声が、少しだけ柔らかくなる。
『胸が痛むのは、期待に応えたいからか』
「ううん」
エリーナは、首を振った。
「“応えきれない”って、分かってるから」
王都の全員を幸せにはできない。
この国の全員の未来を救うことなんて、できない。
それでも人は、「竜の主にすべてを期待する」。
「“全部は無理だよ”って言いたくなるけど、“全部は無理だけど、一部なら”って答えたくなっちゃう」
『それが主だ』
「だから、胸が痛いんだと思う」
全部を拾えない自分と。
それでも拾おうとしてしまう自分と。
『ならば、全部拾おうとするな』
アークヴァンの声が、きっぱりと響く。
『主が拾えるのは、“主の手が届く範囲”だけだ』
「分かってる」
『届かぬ範囲は、他の者に任せればいい』
戦う騎士たち。
働く人々。
新しい王。
『王都全てを守る責任を、主ひとりに背負わせる道理はない』
「でも、王都の人たちは、わたしのこと“希望”って言ってくるよ?」
『希望がひとつである必要はない』
アークヴァンは、翼を少しだけ打ち下ろした。
風が、少しだけ強くなる。
『竜の主だけが希望である世界は、脆い。
王も、兵も、職人も、子どもたちも、それぞれが誰かにとっての希望である世界のほうが、強い』
「……竜のくせに、時々、いいこと言うよね」
『主の七年分の愚痴を聞いてきた結果だ』
「愚痴って言わないで。それ、人生の相談だから」
涙混じりの笑いが、風に溶ける。
『主』
「なに?」
『今、胸が痛いのは、過去のためか。未来のためか』
意外な問いに、エリーナは少しだけ考え込んだ。
過去。
婚約破棄。
禁術の鎖。
王宮の崩壊。
未来。
これから向かう先。
どんな人に出会うのか。
何を選ぶのか。
「……両方かな」
正直に答えた。
「過去のことを後悔してるし。
未来のことを怖がってるし」
『そうか』
アークヴァンの鼓動が、ほんの少しだけ強くなる。
『だが、翼はいつも、未来に向かってしか広がらない』
「詩人なの?」
『主の影響だ』
「責任転嫁された」
愚痴混じりに言いながらも、その言葉が少しだけ胸を軽くする。
翼は未来にしか向かない。
後ろには、戻れない。
(だったら──)
進むしかない。
怖くても。
痛くても。
過去を抱えながら、未来に向かって飛ぶしかない。
◆
王都の外へ続く大門の上にも、たくさんの人が集まっていた。
門番の兵士たち。
見物に来た市民たち。
旅の商人。
白い竜が門の上を通り過ぎるとき、彼らは一斉に手を振った。
「竜の主さまーー!」
「道中、お気をつけてーー!!」
「新しい話、たくさん持って帰ってきてくださーい!」
「田舎のほうにうまい酒ありますよーー!」
「宣伝はあとにして!」
叫び声と笑い声と、一部ちゃっかりした営業が混ざる。
エリーナは、竜の上から手を振り返した。
涙で少し滲む視界の中で、揺れる腕の群れが光って見えた。
(戻ってくる)
心の中で、そっと誓う。
(必ず、戻ってくる)
今度は、「王妃候補」としてでも。
「竜の主という記号」としてでもなく。
エリーナとして。
竜と歩いてきた自分として。
『主』
アークヴァンが、王都の外壁を越えた瞬間、問いかける。
『どこへ向かう』
王都の外には、広い平原が広がっていた。
その先には森があり、山があり、河があり、海があり、まだ見ぬ世界が続いている。
「とりあえず──」
エリーナは、地図を思い浮かべた。
「南東のほう。
干ばつが続いてる村があるって、宰相さんが言ってた」
王城で聞いた、ささやかな情報。
「あそこの川沿いを、少しだけ手助けできるかもしれない。
竜魔法で雨雲を引き寄せたり、水脈を探したり」
『無茶はするな』
「無茶はしない。
“少しだけ”だから」
そう言いながら、自分の中で竜魔の流れを確かめる。
まだ完璧じゃない。
でも、以前よりもずっと滑らかに動く。
怖さもある。
けれど、それ以上に──
誰かの役に立てるかもしれない、という小さな期待がある。
『では、南東だな』
アークヴァンは、翼の向きを変えた。
王都が遠ざかる。
白い城壁が小さくなり、やがて点になり、やがて見えなくなる。
風が顔に当たる。
目を細めても、涙が一筋だけこぼれた。
それは、寂しさの涙であり。
不安の涙であり。
そして──決意の涙だった。
(さようなら)
自分の中で、静かに告げる。
(さようなら、王都)
(さようなら、王宮のわたし)
白銀の翼が、朝の光を受けて輝いた。
竜の背の上で、エリーナは、前方のまだ知らない景色を見据える。
進むべき未来は、ひとつだけだ。
誰かに用意された物語の続きを歩くんじゃない。
自分で選んだ道を、自分の足で進む。
その隣に、竜の翼がある。
『行くぞ、主』
「うん」
返事は、驚くほど軽かった。
胸の痛みは、まだ消えない。
それでも、その痛みごと抱えたまま。
白い翼は、王都を離れ、未知の空へと羽ばたいていった。
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