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第20話:世界が選んだ再生、追放エンドの完全否定
しおりを挟む朝の鐘が鳴る前に、王都はすでに疲れていた。
空は薄い灰色で、光は平たく、街を慰める気がない。
市場の声は小さく、笑い声は短く、咳は長い。
不作の噂が足元を這い、病の匂いが袖に染みる。
王国の中心は、もう“救い”の匂いがしなかった。
あるのは焦りと、責任と、誰かを縛りたい欲。
――だから、最後の手段が来る。
宿の扉が叩かれた。
控えめじゃない。礼儀のない叩き方。
それだけで分かる。命令だ。
ルシアンが立ち上がり、扉の前に出る。
剣の気配が部屋の空気を硬くする。
「開けろ。王命だ」
外から響いた声は、甲冑の匂いがした。
金属と汗と、権力の匂い。
ルシアンは開けない。
代わりに私を見る。
私は頷いた。
逃げることはできる。
でも逃げたら、また“追放”になる。
また、誰かに押し出される。
私は押し出されない。
押し出される物語を、ここで終わらせる。
ルシアンが扉を開けると、廊下に兵が並んでいた。
王宮の近衛。
顔に感情はなく、鎧が光を反射して冷たい。
先頭に立っていたのは、王の使者――肩章の重い男。
その背後に、アルベルトの側近がいる。
どちらの目も、私を人として見ていない。
「エリシア・ノクス=セレスティア」
使者が名を呼ぶ。
声は響くが温度はない。
「王命により、貴殿を大聖堂へ連行する。抵抗は許されない」
連行。
その言葉が、前世の夜の雪より冷たい。
私は息を吸う。
吸った空気が痛い。
でも言うべきことは、もう決まっている。
「行かない」
私は言った。
使者の眉が僅かに動く。
「拒否権はない」
ルシアンが一歩前に出る。
「彼女にはある」
使者の口元が歪む。
「王命だぞ、騎士」
ルシアンの声は低い。
「王命なら、何をしてもいいのか」
廊下の空気が張り詰める。
兵の手が剣に近づく。
それだけで、周囲の静けさが割れる音がした。
アルベルトが現れたのは、その瞬間だった。
廊下の奥から歩いてくる。
背筋は真っ直ぐ。歩幅は一定。
整った顔。冷たい目。
しかし今の彼は、いつもより“硬い”。
「エリシア」
アルベルトが言う。
「これは国家の危機だ。君の意思だけで片付けられる問題ではない」
国家の危機。
そう言えば、全てが正当化される。
前世もそうだった。
私は、彼の目を真っ直ぐ見た。
定規の目に、私の心臓が測られる感覚がする。
でも今は、測らせない。
「私の意思だけで片付けられないなら」
私はゆっくり言った。
「あなたの命令だけでも片付けられない」
アルベルトの目が細くなる。
苛立ちが、氷の下で鳴る。
支配できないものを前にした苛立ち。
「君を守るためだ」
彼は言った。
「教会も、民も、君を――」
「守るって言葉で縛らないで」
私は遮った。
声は大きくない。
でも、揺れない。
アルベルトが一瞬だけ言葉を止める。
合理が、次の手を探す。
そして、彼は静かに命じた。
「連れていけ」
兵が動く。
足音が一斉に鳴る。
鎧が擦れ、廊下が狭くなる。
その瞬間――
空気が、落ちた。
落ちる、というより、沈む。
音が沈み、光が沈み、人の呼吸が沈む。
世界が重くなる。
誰も声を出せない。
兵の足が止まる。
剣の手が固まる。
そして、声が降りた。
男でも女でもない。
祈りの言葉でも命令でもない。
骨に届く“絶対”。
「――聖女は、王国のものではない」
廊下の全てが凍りついた。
息をすることさえ許されないみたいに。
使者の顔が真っ青になる。
兵が膝を折りかける。
誰もが理解できないのに、理解してしまう。
世界が言った。世界が否定した。
アルベルトだけが、ゆっくりと息を吐いた。
驚きより先に、計算が走っている顔。
でも、その計算が追いつかないのが分かる。
「……神託、だと」
彼の声が初めてわずかに掠れた。
その次の瞬間、窓の外が光った。
大聖堂の方向ではない。
王宮の方でもない。
王都の中心が、光に選ばれない。
光は、王都を避けた。
まるで、嫌悪するみたいに。
まるで、そこに救いを落としたくないみたいに。
そして光は、宿の上――私たちのいる場所へ降りた。
薄い壁も、石も、木も透かして、
白い柔らかな光が私たちを包む。
熱くない。冷たくない。
ただ、胸の奥の痛みを静かに撫でる光。
世界が“ここ”を選んだ。
隣にいるルシアンの外套の端が光に縁取られる。
彼の手が、私の手を探して触れる。
私はそれを握り返す。
その握り返しが、祈りより確かな答えになる。
廊下の端で、ローブの裾が揺れた。
ミレイユ教会長が立っていた。
静かな目。
いつもと同じ静けさ。
でも、その静けさの奥が、今日は少しだけ柔らかい。
「聞いたでしょう」
ミレイユが言った。
「世界が選んだのは、“従う聖女”ではない」
司祭たちが息を呑む。
兵が視線を彷徨わせる。
使者が口を開けたまま固まる。
ミレイユは私を見る。
命令じゃない目。
でも逃げてもいい目でもない。
“生きなさい”と言う目。
「世界が選んだのは、“生きる彼女”よ」
ミレイユが宣言した。
「生きて、拒んで、選ぶ。……それが、世界の修復」
アルベルトの表情が硬いまま、少しだけ歪んだ。
支配できないもの。
制度に入らないもの。
王の言葉より重いもの。
彼は私に向かって言った。
「それでも、君は王国の民だ。王国を捨てるのか」
捨てる。
その言い方が、また鎖だ。
私は首を横に振った。
「捨てない」
声は静かだった。
「離れるだけ。……私の意思で」
追放じゃない。
雪の中に放り出される物語じゃない。
誰かに背中を押される物語じゃない。
私は、自分で扉を開ける。
ルシアンが小さく頷いた。
その頷きが、私の背中を押す。
押し出すんじゃない。支える頷き。
私は兵の間を歩いた。
誰も動けない。
動けば、世界に逆らうことになると本能が理解している。
廊下の冷たい空気が、少しずつ軽くなる。
私は一歩一歩、石の感触を確かめるように歩く。
足が震えない。
震えない自分に、私は驚く。
廊下の突き当たりで、私は一度だけ振り返った。
アルベルトが立っている。
定規の瞳が、今は少しだけ揺れている。
怒りでも恐れでもない。
“理解できない”という揺れ。
私は何も言わない。
言えば、また物語の鎖が絡む。
私は言葉で縛られたくない。
ただ、背を向けた。
振り返らない。
それが、追放エンドの完全否定。
外へ出ると、風が冷たい。
でもその冷たさは、雪原の死の冷たさじゃない。
生きる冷たさだ。
王都の門へ向かう道すがら、私は感じた。
奇跡はもう、王国の中心に落ちない。
救いは、縛る手から離れていく。
世界は、削らせない方向へ動いている。
門の外へ出た瞬間、空が少しだけ明るくなった。
灰色の雲が薄く割れて、淡い光が差す。
それは祝福じゃない。
合図だ。――ここからだ、と。
私とルシアンは歩く。
剣の音、外套の擦れる音、土を踏む音。
それだけが、今の私の世界。
数日後。
王都から離れた土地は、匂いが違った。
土の匂いが強く、空気が軽い。
人の声が小さくても、優しい。
小さな村で、子どもが笑いながら走っていく。
その笑い声が、胸の奥の固い部分を少しずつ溶かしていく。
私は畑の端で立ち、手のひらを見た。
祈りに使われた手。
血を流した手。
でも今は、誰かの頭を撫でる手になれる。
「笑ったな」
ルシアンが言う。
からかう声じゃない。
安心した声。
私は、ほんの少しだけ笑った。
大きく笑うのは、まだ怖い。
でも笑った。
自分の意思で。
祈りの檻は、もうない。
世界はもう、私を削らせない。
物語は終わる。
同時に、始まる。
追放されるために生まれた聖女の人生じゃなく、
生きるために選ばれた“私”の人生が。
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