悪役令嬢と呼ばれた私に裁きを望むならご自由に。ただし、その甘露の罠に沈むのはあなたですわ。

タマ マコト

文字の大きさ
6 / 20

第6話:第一の自爆、取り巻きの舌が滑る

しおりを挟む


 正義の熱は、燃やすほどに酸素を食う。
 酸素がなくなると、人は息苦しくなる。息苦しくなると、焦る。
 焦ると――喋る。

 王宮大広間の中央。赤絨毯の上は、いつの間にか“裁きの道”になっていた。
 左右に並ぶ貴族席、後方に押し込まれた民衆、壁沿いに立つ衛兵。
 視線が全部、ひとつの場所へ集まっている。

 リシェル・ノワゼルは、その視線の中心にいながら、燃えていなかった。
 扇子を閉じ、背筋を伸ばし、微笑みの角度を崩さない。
 怒らない。叫ばない。泣かない。
 その“何もしなさ”が、逆に会場の焦りを煽っている。

「――証人を呼べ!」

 王太子アデリオスの声が響く。
 彼は勝っている顔をしている。勝っている顔は、だいたい脆い。
 人は勝っているとき、自分の足元を見ないから。

 衛兵が一人の令嬢を連れてくる。
 ドレスは淡い桃色。髪には宝石。頬は上気。目はきらきらしている。
 そしてその目の奥に、焦りがある。

 ミレーヌ・サラフィア。

 彼女は“取り巻き”として有名だった。フィオナの影として笑い、王太子の周りで甘い言葉を拾って生きるタイプ。
 でも今日の彼女は、影じゃなくて“舞台”に出されている。
 舞台に立った影は、光に溶けるか、焦げるか、どちらかだ。

 ミレーヌは一礼し、声を張る。

「サラフィア伯爵令嬢ミレーヌ、証言いたします!」
 声が高い。高い声は自信に見える。
 でも彼女の指先が、ドレスの布をきゅっと掴んでいる。
 掴むことで震えを隠している。

 フィオナは壇上の少し後ろで、涙を滲ませながら頷いた。
 “よく言ったわ”という顔。
 でもその目は、ミレーヌを見ていない。
 目は民衆を見ている。観客を見ている。

 ミレーヌはそれに気づいていない。
 気づいていないから、必死になる。
 必死な人間ほど、口が軽い。

「私はこの目で見ました!」
 ミレーヌは胸に手を当て、わざとらしく震える。
「リシェル・ノワゼル様が、聖女フィオナ様の儀式に必要な道具を……奪ったのです!」

 ざわっ。
 会場の空気が、一瞬だけ引っかかった。

 民衆の側から、「え?」という声が漏れた。
 貴族の側からは、別の種類のざわめきが起きる。
 “その言い方、大丈夫?”というざわめき。

 理由は単純だった。

 儀式の道具は、王宮の管理品だ。
 出し入れには記録が残る。管理文官の印、倉庫番の印、立会人の署名。
 それを“奪った”と言うなら、その記録が矛盾する。

 矛盾は、穴だ。
 穴は、埋めるほど目立つ。

 リシェルは、扇子で口元を隠しながら、ミレーヌを見た。
 視線は柔らかい。
 でもその柔らかさは、砂糖じゃない。刃を包む絹だ。

 カイエンが背後で、ほとんど息だけで言う。

「……言い過ぎです。自分で崖に寄っている」
「寄せてあげましょう」
 リシェルは小さく答える。
 声は甘いのに、内容は冷たい。

 アデリオスはざわめきを押し潰すように、声を張った。

「続けろ、ミレーヌ!」
 命令の声。
 勝ちを急ぐ声。

 ミレーヌは王太子の声に背中を押される。
 押されると、彼女の中の“欲”が顔を出す。

 ――褒められたい。
 ――認められたい。
 ――主役になりたい。

 影のままでは嫌だ。
 だから彼女は、声をさらに大きくした。

「道具がなければ儀式は行えません! フィオナ様は困っておられました! なのにリシェル様は――」
 ミレーヌはここで一度、息を吸った。
 吸った息が、甘い香水と興奮で揺れる。

「――『私がそれを持っている』と、笑って!」

 会場が沸いた。
 民衆は怒りを燃やし、貴族は眉をひそめる。
 この証言は、ドラマとしては最高だ。
 悪役令嬢が余裕で笑い、聖女が苦しむ。
 わかりやすい。気持ちいい。

 だからこそ、危ない。
 わかりやすい物語は、すぐ崩れる。

 リシェルは、わずかに首を傾げた。

「……私が?」
 その一言だけ。
 否定でもなく、反論でもなく、確認。
 確認は刃だ。軽い言葉なのに、深く刺さる。

 ミレーヌは一瞬、言葉を詰まらせた。
 目が泳ぐ。
 “この人、怖い”という本能が頭をもたげる。

 でも彼女は、怖さに負けたくない。
 怖さに負けたら、フィオナに見捨てられる。アデリオスに見られない。
 だから彼女は――余計なことを言う。

「そ、そうです! それに……道具が消えたことは、記録にも……」
 ミレーヌは唾を飲み込み、続けた。
「記録係には、もう手を回しましたし!」

 ――しん。

 会場の音が、いっせいに死んだ。

 音楽が止まったわけじゃない。
 グラスが割れたわけでもない。
 ただ、人の“熱”が一瞬で冷えた。

 冷えた空気は、痛い。
 皮膚を切る。

 アデリオスの頬が、ぴくりと引きつった。
 フィオナの涙が、わずかに止まった。
 止まってから、急いでまた滲む。
 その“急いで”が、ばれる。

 民衆の中の誰かが、ぽつりと言った。

「……手を回したって」
「え? 買収ってこと?」
「公正な審問じゃなかったの?」

 ざわめきが、今度は正義の方向を変える。
 正義はいつも、いちばん“声が大きいところ”に流れる。

 ミレーヌは、自分が何を言ったのか理解していない顔をした。
 理解した瞬間、顔色が白くなり、唇が震える。
 やっと気づいた。
 でも気づくのが遅い。

「ち、違……! い、今のは……」
「ミレーヌ」
 フィオナが初めて、鋭い声で名前を呼んだ。
 鋭さが隠しきれない。
 聖女の声ではなく、上役の声だ。

 その一音で、ミレーヌの心が折れかける。
 折れかけた心は、さらに言い訳を増やす。

「だって……! フィオナ様が……! 殿下が……!」
 ミレーヌは泣きそうになりながら、必死に言葉を探す。
 探せば探すほど、穴は広がる。

 アデリオスが前に出た。
 笑顔を作ろうとする。
 でも顔の筋肉が言うことを聞かない。怒りと焦りが勝つ。

「証言が乱れたな」
 彼は笑いながら言ったつもりだった。
 でも笑いは硬い。ガラスみたいに硬い。

「ミレーヌは動揺しているだけだ。重要なのは、道具が消えたという事実――」

「事実、ですか」
 リシェルが口を開いた。

 声は小さい。
 けれど不思議と、会場の端まで届く。
 熱が冷えたあと、人は静かになる。静かになった場所には、よく通る声が刺さる。

 リシェルは一歩だけ前へ出る。
 赤絨毯の上で、影が伸びる。

「道具は王宮の管理品」
 リシェルは淡々と言う。
「出し入れの記録が残りますわね。――そして今、証人が“手を回した”と口にしました」

 アデリオスが顔を歪める。
「揚げ足取りはやめろ!」
「揚げ足ではありません」
 リシェルは微笑んだ。
 蜜みたいに甘いのに、冷たい。

「足元が崩れているだけです」

 ざわめきが、また大きくなる。
 民衆の正義が、迷い始める音。
 迷いは弱さじゃない。思考の始まりだ。

 ミレーヌは泣き崩れそうになり、フィオナの方を見た。
 助けて、という目。
 でもフィオナは、視線を逸らした。

 その瞬間、ミレーヌの中で何かが割れた。

「……っ」
 彼女は息を呑み、歯を食いしばる。
 そして、思わずリシェルを睨んだ。
 睨みながらも、涙が落ちる。
 その涙は柔らかい。ミレーヌの涙は、まだガラスじゃない。
 ただの弱さの涙だ。

 リシェルは、その涙に少しだけ目を細めた。
 ほんの少しの哀れみ。
 でも同情ではない。
 “そうなるよね”という理解。

 リシェルは扇子を閉じた。
 ぱち、と乾いた音が鳴る。

 そして、丁寧に一礼する。
 頭を下げる角度が美しい。背筋が折れない。
 礼儀が完璧すぎる。

 その礼が、逆に会場を追い詰めた。

 ――あれだけの場で、あれだけ罵られても、品位を崩さない。
 ――なのに、裁く側は買収を口にした。
 ――どちらが“貴族”なのか。

 空気が、言葉にならない比較を始める。

 アデリオスの声が上擦る。

「……次だ! 次の証人を呼べ!」
 彼は場の流れを変えたくて仕方がない。
 だが一度冷えた空気は、簡単には温まらない。

 フィオナは涙を拭いながら、優しい声を取り戻そうとする。

「皆さま……どうか、誤解なさらないでください。公正な審問です。私は――」
 言葉が、わずかに詰まる。
 “公正”という単語が、さっきミレーヌに砕かれたからだ。

 その瞬間、エルナが背後で小さく息を吐いた。

「……第一の自爆、きたね」
 声は小さいのに、嬉しそうに震えている。
「自分で言っちゃった。しかも“手を回した”って」

 カイエンが静かに頷く。
「刃は、握る者の手を切りました」
「まだ浅いわ」
 リシェルは小さく言う。
「でも浅い傷でも、血は出る。血の匂いは、群れを変えるのよ」

 ヴァルトが少しだけ目線を動かし、周囲の貴族たちの反応を見た。
 彼らは言葉にしない。
 貴族は言葉より先に、損得で動く。
 今夜の損得が、少しだけ揺らいだ。

 リシェルは再び、舞台の中心を明け渡すように半歩下がった。
 自分の言葉で攻めない。
 相手の言葉で崩れる。
 それが彼女の戦い方。

 アデリオスは焦りを隠すために怒りを使う。
 フィオナは焦りを隠すために涙を使う。
 ミレーヌは焦りを隠すために言い訳を使う。

 焦りは甘い。
 甘いから、人は飲む。
 飲めば飲むほど、酔って、自分の舌が軽くなる。

 リシェルは微笑んだ。
 蜜のように甘く、氷のように冷たい微笑みで。

「……ねえ、皆さま」
 彼女は心の中でだけ囁く。
 声に出さないのが、品位だ。

 ――嘘は、重くなる。
 ――重くなった嘘は、自分の足を引っ張る。
 ――さっき、あなたがたは自分で“重さ”を口にした。

 見えない糸は、もう一段きつく絡まっていた。
 彼らはまだ気づかない。
 気づかないまま、次の一歩を踏み出す。
 踏み出すほど、沈む。

 そして会場のどこかで、誰かが小さく言った。

「……ほんとに、裁かれるべきなのは、誰なんだろうな」

 その疑問が生まれた時点で、舞台はもう彼らのものじゃない。
 第一の自爆は、派手じゃない。
 でも確かに、音を立てた。

 ぱきり、と。
 ガラスがひび割れるみたいに。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

運命に勝てない当て馬令嬢の幕引き。

ぽんぽこ狸
恋愛
 気高き公爵家令嬢オリヴィアの護衛騎士であるテオは、ある日、主に天啓を受けたと打ち明けられた。  その内容は運命の女神の聖女として召喚されたマイという少女と、オリヴィアの婚約者であるカルステンをめぐって死闘を繰り広げ命を失うというものだったらしい。  だからこそ、オリヴィアはもう何も望まない。テオは立場を失うオリヴィアの事は忘れて、自らの道を歩むようにと言われてしまう。  しかし、そんなことは出来るはずもなく、テオも将来の王妃をめぐる運命の争いの中に巻き込まれていくのだった。  五万文字いかない程度のお話です。さくっと終わりますので読者様の暇つぶしになればと思います。

私のための戦いから戻ってきた騎士様なら、愛人を持ってもいいとでも?

睡蓮
恋愛
全7話完結になります!

「魔道具の燃料でしかない」と言われた聖女が追い出されたので、結界は消えます

七辻ゆゆ
ファンタジー
聖女ミュゼの仕事は魔道具に力を注ぐだけだ。そうして国を覆う大結界が発動している。 「ルーチェは魔道具に力を注げる上、癒やしの力まで持っている、まさに聖女だ。燃料でしかない平民のおまえとは比べようもない」 そう言われて、ミュゼは城を追い出された。 しかし城から出たことのなかったミュゼが外の世界に恐怖した結果、自力で結界を張れるようになっていた。 そしてミュゼが力を注がなくなった大結界は力を失い……

七光りのわがまま聖女を支えるのは疲れました。私はやめさせていただきます。

木山楽斗
恋愛
幼少期から魔法使いとしての才覚を見せていたラムーナは、王国における魔法使い最高峰の役職である聖女に就任するはずだった。 しかし、王国が聖女に選んだのは第一王女であるロメリアであった。彼女は父親である国王から溺愛されており、親の七光りで聖女に就任したのである。 ラムーナは、そんなロメリアを支える聖女補佐を任せられた。それは実質的に聖女としての役割を彼女が担うということだった。ロメリアには魔法使いの才能などまったくなかったのである。 色々と腑に落ちないラムーナだったが、それでも好待遇ではあったためその話を受け入れた。補佐として聖女を支えていこう。彼女はそのように考えていたのだ。 だが、彼女はその考えをすぐに改めることになった。なぜなら、聖女となったロメリアはとてもわがままな女性だったからである。 彼女は、才覚がまったくないにも関わらず上から目線でラムーナに命令してきた。ラムーナに支えられなければ何もできないはずなのに、ロメリアはとても偉そうだったのだ。 そんな彼女の態度に辟易としたラムーナは、聖女補佐の役目を下りることにした。王国側は特に彼女を止めることもなかった。ラムーナの代わりはいくらでもいると考えていたからである。 しかし彼女が去ったことによって、王国は未曽有の危機に晒されることになった。聖女補佐としてのラムーナは、とても有能な人間だったのだ。

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」 5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。 その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

白のグリモワールの後継者~婚約者と親友が恋仲になりましたので身を引きます。今さら復縁を望まれても困ります!

ユウ
恋愛
辺境地に住まう伯爵令嬢のメアリ。 婚約者は幼馴染で聖騎士、親友は魔術師で優れた能力を持つていた。 対するメアリは魔力が低く治癒師だったが二人が大好きだったが、戦場から帰還したある日婚約者に別れを告げられる。 相手は幼少期から慕っていた親友だった。 彼は優しくて誠実な人で親友も優しく思いやりのある人。 だから婚約解消を受け入れようと思ったが、学園内では愛する二人を苦しめる悪女のように噂を流され別れた後も悪役令嬢としての噂を流されてしまう 学園にも居場所がなくなった後、悲しみに暮れる中。 一人の少年に手を差し伸べられる。 その人物は光の魔力を持つ剣帝だった。 一方、学園で真実の愛を貫き何もかも捨てた二人だったが、綻びが生じ始める。 聖騎士のスキルを失う元婚約者と、魔力が渇望し始めた親友が窮地にたたされるのだが… タイトル変更しました。

【完結】真の聖女だった私は死にました。あなたたちのせいですよ?

恋愛
聖女として国のために尽くしてきたフローラ。 しかしその力を妬むカリアによって聖女の座を奪われ、顔に傷をつけられたあげく、さらには聖女を騙った罪で追放、彼女を称えていたはずの王太子からは婚約破棄を突きつけられてしまう。 追放が正式に決まった日、絶望した彼女はふたりの目の前で死ぬことを選んだ。 フローラの亡骸は水葬されるが、奇跡的に一命を取り留めていた彼女は船に乗っていた他国の騎士団長に拾われる。 ラピスと名乗った青年はフローラを気に入って自分の屋敷に居候させる。 記憶喪失と顔の傷を抱えながらも前向きに生きるフローラを周りは愛し、やがてその愛情に応えるように彼女のほんとうの力が目覚めて……。 一方、真の聖女がいなくなった国は滅びへと向かっていた── ※小説家になろうにも投稿しています いいねやエール嬉しいです!ありがとうございます!

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

処理中です...