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第6話「疑惑の視線と、優しすぎる日常」
しおりを挟む事件の翌朝。
村は、妙に静かだった。
昨日の魔物の残骸はすでに片づけられていて、焦げた匂いも薄くなっている。
けれど、空気の底にうっすらと残る“何かあった”感だけは、完全には消えていなかった。
「……ふあぁ」
あくびを噛み殺しながら、リュミエは家の扉を開ける。
パンを運んで市場に出るのが、いつもの午前の日課だ。
扉を出て、二歩目で――何かにぶつかった。
「うわっと!」
「わっ、ごめ……って、え」
目の前で、パンの入った木箱をキャッチしている青年。
黄金色の髪。
晴れた空よりうるさい笑顔。
「おはよ、リュミエ!」
「……なんでいます?」
朝からテンション高い勇者アレンが、なぜか家の前を陣取っていた。
「いやぁ、ちょうど通りかかったというか?」
「この村の一番端っこの路地で“ちょうど通りかかる”ことってあります?」
「……リュミエの家の位置、覚えたから?」
謝るでもなく、胸を張って言い切る。
この人、自覚のあるストーカー気質ない?
「今日、市場行くんだろ? 荷物持つ持つ。昨日も戦ったしさ、こういうときこそ勇者の腕の見せどころですよ」
「勇者の腕の使い方が地味すぎる」
「大丈夫、硬いパンとかでも全然耐えられるから」
「そんな意味で言ってない」
ツッコミを入れつつも、木箱を半分押しつける前に、アレンがひょいっとひとりで持ち上げてしまう。
「ほら、行こうぜ」
「……あのさ」
「ん?」
「昨日から思ってたんですけど」
リュミエはじとっとした目で横を見る。
「ちょっと、過保護すぎない?」
アレンはあからさまに視線を泳がせた。
「え、そ、そんなことないって。ちょっとこう、戦友的なアレ?」
「どこに戦友要素あるの、パン運びに」
「いやだって昨日、一緒に戦場いたし」
「わたしは戦ってない。叫んでただけ」
「戦場で的確に叫ぶやつは重要なんだって。……で、護衛」
「今さらっと本音出ましたね?」
護衛。
その単語に、胸の奥がちくりと刺さる。
(……まあ、そうだよね)
自分が“鍵”かもしれないとセイルに言われて、戦場でイリスとしての本能が顔を出した。
それを目の当たりにした勇者パーティが、何も気にせず放っておくわけがない。
頭ではわかる。
でも、心はちょっとだけざわついた。
「ま、細けぇことはいいからさ」
アレンはいつもの笑顔でごまかす。
その笑顔の奥に、“観察する視線”がうっすら混ざっていることに、リュミエは気づかないふりをした。
◇
市場に着けば、日常はいつも通り回っていた。
「リュミエちゃん、昨日は大変だったねぇ!」
「勇者様がついててよかったよ」
「……ていうか、その勇者様が今、普通に荷物持ってるの、なんかすごい光景だね」
ご近所のおばさんたちの視線が、一斉にアレンへ刺さる。
アレンはまるで慣れているかのように営業スマイルを振りまいた。
「どうもー、王都から来ました勇者アレンでーす。今日はリュミエの従者です」
「従者って言った!? さらっと身分格差逆転しないでください!」
「え、だめ? 俺、リュミエ様の騎士でもいいよ?」
「やめろ、そのセリフは軽々しく使っちゃいけないやつ!」
おばさんたちは「まぁまぁ」と笑い、子どもたちは「あ、勇者だ!」と目を輝かせる。
アレンは子どもの頭を撫でたり、一緒にポーズを決めてみたり、完全に“アイドル勇者”として機能していた。
その横で、リュミエはパンを並べながら、心の内側をそっと探る。
(……嫌じゃない)
誰かと並んで市場を回る。
それだけのことが、妙にくすぐったくて嬉しい。
イリスとしての人生には、一度もなかった光景だった。
人は“対象”か“駒”か“データ”でしかなくて、“隣を歩く相手”なんてカテゴリーは存在しなかった。
(でも……)
その隣で、ふとした瞬間に感じる視線の重さ。
パンを受け渡す手つきや、視線の動き、会話のテンポ――全部まとめて“観察されている”感覚。
それは、イリスだった頃、何度も誰かに向けてきた視線とよく似ていた。
「リュミエ、これもらうぞ」
アレンがさりげなく、リュミエが運ぶはずだった次の荷物をひょいと持ち上げる。
重いものを率先して持ってくれる優しさ。
その動きも自然で、偽りはない。
でも、同時に――荷物を持つことでリュミエの両手を塞がせないようにしているようにも見えた。
いざというとき、また指揮をとらせないように。
あるいは、彼女に“別のことをさせない”ように。
(考えすぎ……かな)
胸の中で呟いて、パンの香りに意識を紛らわせる。
◇
昼過ぎ。
市場の喧騒が一段落し、リュミエは少し遅めの休憩を取ることにした。
向かった先は、村の小さな図書室――という名の、祈りの間の隅に本棚を置いただけのスペースだ。
「……いると思った」
扉を開けると、案の定、先客がいた。
長いローブ。
銀縁の眼鏡。
本を二冊抱えて、窓際の席に座っている賢者。
「ああ、リュミエさん。お疲れ様です」
「セイルさんこそ。王都から来てまで、なんでこんな田舎の本棚を堪能してるんですか」
「“地方誌”には、その土地独自の価値観や歴史が詰まっているんですよ。侮れません」
セイルは穏やかに微笑み、本を閉じた。
「それに――」
「それに?」
「あなたがここに来るだろうと思ったので」
さらっと言うな、この人。
「怖いなぁ、勇者パーティの人たち。みんなわたしの行動パターン把握するのやめません?」
「護衛対象の行動を把握するのは、基本ですから」
「素で返された」
ため息をひとつついてから、リュミエはセイルの向かいの席に腰を下ろした。
テーブルの上には、村の地図と、数冊の本と、セイルの雑なメモが広がっている。
「それ、昨日の魔物の記録ですか?」
「ええ。出現地点、時間、規模、方向……集められる範囲で整理しています」
メモには、日付と簡単な地形図がいくつも並んでいた。
その中心には、やはり、この村があった。
(やっぱり、狙われてる気がするよね……この村)
そう思いながら、リュミエは一冊の本を引き寄せる。
タイトルは『周辺地域の古い伝承』。
「それは?」
「なんか、“鍵”とか“扉”とか言われたから……こういうの読んどいた方がいいのかなって」
「真面目ですね」
「不安なんですよ」
ぽつりと本音が漏れた。
セイルは少しだけ目を細める。
「不安、ですか」
「はい。不安です。すごく。不安まみれです」
本のページをぱらぱらとめくりながら、視線は文字を追っているふりをする。
実際には、ほとんど頭に入ってこない。
「だって、突然勇者様来るし、魔物は出るし、“鍵”とか言われるし、なんか戦場でしゃべると褒められるし。……一昨日まで、クッキー焼いて人生語ってただけなんですけど、あたし」
「クッキーは偉大です」
「話聞いてます?」
「もちろん」
セイルは少しだけ笑い、そのあと真顔に戻った。
「不安なのは、正常です。むしろ、不安ではない方が心配になりますね」
「それもなんか怖い」
「人は、不安だからこそ慎重になり、暴走しにくくなるものですから」
言葉は穏やかだが、その中にはどこか、リュミエを“測る”視線が混じっていた。
イリスの記憶の中で、自分がどれほど冷酷な判断をしてきたか。
人一人の命を数字として扱ってきたか。
それを、この賢者はどこまで知っているのだろう。
「セイルさんってさ」
「はい?」
「わたしのこと、怖いですか?」
沈黙が落ちた。
図書室の時計の針の音が、やけに大きくなる。
セイルは、急いで答えようとはしなかった。
それが逆に、誠実さを感じさせる。
「……“わからない”ものは、基本的に怖いです」
「……ですよね」
「ですが、“怖い”と“敵だ”はイコールではありません」
セイルは眼鏡の位置を直し、静かに続けた。
「私はあなたを観察しています。あなたの癖、視線の動き、言葉の選び方、戦場での判断。全部合わせて、“どんな人なのか”を知りたいと思っている」
「研究対象として?」
「半分はそうですね」
「残り半分は?」
セイルの視線が、ほんの一瞬だけ柔らかくなる。
「残り半分は――単純な興味と、好意です」
「……好意?」
「ええ。あなたのことを“面白い人だ”と感じていますし、“好きだ”とも思っています」
「好き、って軽く言わないでください、心臓が変な跳ね方しました」
「事実を述べただけです」
さらりと返されて、逆に動揺する。
セイルの「好き」は、恋とか友情とか、そういうタグ付けを越えたところにある言葉のように思えた。
(この人、マジで“知りたいもの”には男女の差とか考えてなさそう……)
それが少し怖くて、少し羨ましかった。
「……観察されるの、あんまり好きじゃなかったはずなんですけど」
「今も、好きじゃないですか?」
「好きではないですけど」
少しだけ息を吸い込んで、リュミエはゆっくり吐き出す。
「でも、“殺される前提の観察”じゃないなら……まだマシかなって」
自分で言ってから、笑えてくる。
そんな前提が頭にあること自体、普通の村娘のものじゃない。
セイルの瞳が、一瞬だけ悲しそうに揺れた。
「……私たちは少なくとも、あなたを“先に切り捨てる”つもりはありません」
「“先に”ってつくあたりがちょっと怖いんですけど」
「万が一、あなたが本当に黒幕だったとしても――二度と暴走させないように、最後まで足掻くつもりです」
それは“殺す”とも“守る”とも言える、矛盾した誓いだった。
けれど、その矛盾がセイルという人間の全部なのだろう。
両方を抱えたまま、理性でバランスを取ろうとしている。
リュミエは、本から視線を外し、窓の外の空を見上げた。
「……なんか」
「はい」
「優しすぎません? 勇者パーティ」
「自覚はあります」
「もうちょっと疑ってかかってくれていいのに」
セイルは微笑を深めた。
「疑っていますよ。とても」
「ですよね」
「でも同時に、守りたいとも思っている。それだけです」
その言葉が、心にじんわり染みていく。
今まで、“疑われる=排除される”が当たり前だったイリスとしての価値観からすれば、これはバグそのものだ。
(疑ってるのに、守るってなに)
そんな矛盾を抱えたまま、自分の隣に座って本を読んでくれている人たち。
その存在が、怖くて、ありがたい。
◇
夕方。
パン屋の仕事を終え、自宅の前まで戻ってくると――家の周りをぐるりと回る大きな影が見えた。
「……ロウさん」
鎧の一部を外して軽装になった聖騎士が、真剣な顔で家の周囲を確認している。
塀の強度、窓の鍵、近くの物陰。
「帰ったか」
「ええと……なにしてるんですか?」
「巡回だ」
「ここだけ?」
「ここ“も”だ」
村全体を見回っているのだろうけれど、その足がやたらとこの家の周辺で止まっている気がする。
「そんなに、この家危険そうですか?」
「危険ではない。……だからこそ危険だ」
「哲学?」
「外から見て“何の価値もない”ように見える場所は、狙われやすい」
さらっと物騒なことを言う。
ロウの脳内は常に戦場前提で動いているのだろう。
「……それに」
彼は少しだけ視線を逸らして、ぽつりと続けた。
「ここには、“守る理由”がある」
胸の奥が、ちくんと鳴った。
「それは……この美味しいパンのことですか?」
「パンも含む」
「含むんだ」
「それだけじゃない」
ロウはそれ以上具体的に言葉にしなかった。
けれど、その沈黙にはいろんな意味が詰まっていた。
彼の視線もまた、“疑い”と“守りたい”が混じっている。
盾を構えた騎士の視線。
槍を向けられる可能性も、同時に孕んだ目。
「……ありがとう、ございます」
そう言ってみると、ロウは少しだけ驚いた顔をした。
「礼を言われるほどのことはしていない」
「してますよ。過保護ですけど」
「過保護、か」
ロウは珍しく口元を緩めた。
「お前が“過保護だ”と言えるうちは、まだ平和だということだ」
「そういう言い方されると、急に泣きそうになりますね」
「泣いていいぞ」
「簡単に言わないでください」
そんなやりとりをしていると、屋根の上からふっと気配がした。
「……また、増えてる」
気配の正体は、もうだいたいわかる。
見上げると、案の定、屋根の縁に細い影が座っていた。
「カグラさん。今日も屋根の上、定位置ですか」
「……見晴らしがいい」
短く、それだけ。
カグラは膝を抱えて座り、村の外側――森の方をじっと見ている。
どこか、捨てられた獣のような警戒と孤独をまとって。
「そんなとこで毎日座ってて、飽きません?」
「飽きない。……ここにいれば、村に近づくものが見える」
「それ、わたしじゃなくて村の護衛ですよね?」
「お前も含む」
含まれた。
カグラの視線は、他の三人に比べるとさらにわかりづらい。
感情の揺れがほとんど表に出ない。
でも、その分、たまに落ちてくる言葉が妙に重い。
「……あのとき、黒幕に指示されていた場所も、こんな屋根の上だった」
突然の告白。
ロウがちらりと視線を向ける。
リュミエは息を飲んだ。
「見下ろして、撃てって言われた。誰が死ぬかも、どこが燃えるかも、全部見えた」
淡々とした語り口。
でも、その指先は強く拳を握っている。
「今は逆。……ここから、守る」
短く言い切り、カグラはまた空を見上げた。
“黒幕に使われていた暗殺者”としての記憶と、今、“鍵かもしれない村娘”を守る暗殺者としての自分。
その矛盾を抱えたまま、彼もまた、この村の屋根に座っている。
(みんな、なにかしら“裏側”抱えてるんだな)
イリスとしての自分の裏側も含めて、世界は“きれいな勇者譚”だけで回っていない。
それでも――今、目の前にあるのは、“優しすぎる日常”だった。
市場に一緒に行ってくれる勇者。
図書室で隣に座ってくれる賢者。
家の周りをぐるぐる回る騎士。
屋根の上で黙って見張ってくれる暗殺者。
過保護で、疑い深くて、矛盾まみれで。
それでも確かに、リュミエの“隣”にいてくれる人たち。
「……変な話していいですか」
夕暮れの光が、家々の屋根をオレンジ色に染めていた。
リュミエは空を見上げたまま、ぽつりと口を開く。
「最近、やっと、“生きてていいのかも”って思う瞬間が増えてきて」
ロウが黙って耳を傾け、カグラもわずかに首を傾ける。
「前は……よくわかんなかったんですよ。なんか、ご飯食べて、寝て、朝起きて、“なんでまた朝来たんだろう”って、ぼんやりしてて」
それは、イリスとしての生も、リュミエとしての最初の頃の生も、どちらにも通じる感覚だった。
必要とされない役割は、いつ消えてもいい。
そんなふうに自分を扱ってきたから。
「でも今は、ミナがクッキーくれるし、おじさんがパン焼いてくれるし、勇者様たちが“過保護”だし、なんか、“あ、今日生きててもいい日なんだな”って、ちょっと思えるんです」
空気が、ほんの少しだけ柔らかく揺れた。
「……いいことだ」
ロウが短く言う。
「生きていていいと思えるなら、そう思えるだけ、生きればいい」
「それが難しかったんですよ、今まで」
「これから慣れればいい」
あまりにも即答だったので、リュミエは思わず吹き出した。
「……ロウさんってさ、そういうときだけ、ほんと強いですね」
「騎士だからな」
誇らしげでもなく、ただ当たり前のように。
その言葉は、どこまでも真っ直ぐだった。
屋根の上から、カグラの声が落ちてくる。
「……“生きてていいかどうか”を他人に決められるのは、もううんざりだ」
その一言に、リュミエの胸がきゅっとした。
「だから、自分で決めろ。お前が“生きていたい”と思うなら――それで充分だ」
風が、夕暮れの匂いを運んでくる。
土と、木と、遠くの川の匂い。
「……はい」
やっとのことで、それだけ言えた。
疑いの視線と、優しすぎる日常。
その両方に囲まれながら、リュミエは少しずつ、“ここにいていい自分”というイメージを、慎重に手の中で撫でていた。
いつかそれが、ちゃんとした形になるのかどうかは、まだわからない。
でも、“生きていていい”と感じる一瞬一瞬が、確かに増えている。
その事実だけが、今は静かに胸の中で光っていた。
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